8 見送り
「ではアイリス様お願いします!」
「はい、任せてね」
ティナは花瓶にまだつぼみの花を活けて、アイリスに視線を向けた。
その様子にすっかり恒例になってしまったなと考えながら、アイリスは杖を取って魔法をかけた。
そうすれば見る見るうちに花は開き、部屋の中にフローラルの香りが広がり、ティナはパチパチと拍手をした。
「さっすがアイリス様! すごいですっ。アイリス様が咲かせるだけでただのお花も生き生きとした魅力にあふれているように見えるのが、とっても不思議ですっ。
本当は私、屋敷中の花をアイリス様に咲かせてもらえば、どんなお屋敷よりも素晴らしいお屋敷になると思うんです。王都にあるタウンハウスの庭園も!」
力強く言う彼女に、アイリスは朝から元気な彼女の姿にくすくすと笑いながら花瓶の花をすこし整えた。
「そうしたら周りの貴族もあっと驚いて、もっと友好的にしたいと思うはずなんです!」
たしかにできない事もないし、小さな庭園ぐらいの規模ならばアイリスの魔力は多い方なので問題ない。
しかしアイリスの力は半人前だ、育てるばかりでは庭園は美しくまとまらない。
「それもいいけど、流石にタウンハウスの庭園が他の屋敷の庭園より異様に元気だと、私がやっているのがバレバレになってしまいますから、貴族らしからぬ魔法の使い方だと怒られてしまうかもしれません」
「そ、そうなんですか? 私はてっきり、庭園は綺麗なら綺麗なほどいいのだと思ってたんですが……残念です」
しかし、そのアイリスが半人前だという理由を説明するのは、同じ貴族であれば簡単だが平民のティナにはピンとこないだろうと、別の理由をつけた。
すると彼女は納得してくれて、話しながらも朝食の支度を始めた。
「私だけが見せて貰ってばかりで……あ、そうです。旦那様にもお見せするのは如何ですか?」
提案されてアイリスは少しだけ考えた。
しかし、この魔法は碌に戦闘にも使えないし、普通の四元素の魔法と違ってあまり使い方が明確ではない。
お遊びのような代物なのだと父も母も言っていたので、見せたところで困惑させてしまうような気がする。
とそこまで考えたところで、ティナは続けて言ったのだった。
「本日はお出かけの予定があるそうなので、明日以降にでも、このお屋敷の庭園でお散歩をするなど良いかもしれません」
「外出の予定ですか……いつごろ出るんでしょうか?」
「……そうですね、丁度今ぐらいの時間から出かけて、王都に向かわれることが多いので今日もそうだと思うんですけど……」
その言葉を聞いて、アイリスは朝食の仕度が終わるまで借りた本を読んでいようと思っていた手を止めて、ティナに「お、お見送りに行きたいです」と伝えたのだった。
ティナはもちろんと答えてくれて、早速アイリスと二人で屋敷のエントランスへと向かったのだが、正直なところ間に合わない可能性があった。
その可能性を話すと、アイリスは出来る限り優雅にしながらもぱたぱたと足を動かす。
彼女は、手にしていた本をそのまま胸に抱いて持ってきてしまっていた様子で、それを見てティナは落ち着いているように見える主様にも、可愛らしい部分があるのだと嬉しくなった。
エントランスに到着すると、丁度レナルドが馬車の準備を終えて出立するところだった。
そのまま、行ってしまってはせっかくここまで来た意味がない、アイリスは、遠くから「レナルド様!」と大きな声で彼をかけて呼び止めた。
すると突然の事に驚いた様子で、ぱっとレナルドは振り返り、その場にとどまる。そして彼の従者たちもアイリスに注目を集めた。
ぱたぱたと駆け寄って、アイリスは朝日を背にこちらを振り向いた彼の笑みにほっとして安堵の息をついた。
それから言いたいことが色々と頭の中を駆け巡ったが、馬車を待たせているし予定があるから王都へと向かうのだ、長々と話をしてはいけないだろう。
しかし、突然声をかけてしまったがいったい何をしに来たんだと不審に思われていないかということも気になってしまう。
とにかくアイリスはただ、一言、言いたかっただけなのだ。
アイリスにも借金の重圧を背負わせて、色々と思う所があった父と母だったが、決していなくなって欲しいわけではなかった。むしろアイリスは愛していた。
それでもあの日、これでやっと父と母もまともにディラック侯爵家と向き合ってくれると半ば呆れるような気持で、アイリスは彼らの乗った馬車を見送ってしまった。
たった一度の出来事だった。
たった一度、ひどく疲れていたから言わなかっただけなのに、それが心にこびりついて離れない。
「……」
「? ……おはよう、アイリス。王都に向かう話を聞いて見送りに来てくれたのかな」
朝の一番忙しい時のはずなのに、アイリスが少しうつむいただけで、レナルドは、何かを察したらしく優しく問いかけてきた。
深く頷くと「そっか、とてもうれしいな」となんの打算もなくただそう口にした。
しかしアイリスはどうにも言葉が出なくて、胸元に抱いていた本をぎゅうっと抱きしめた。
するとそれに気が付いたレナルドは、俯いているアイリスの頭を軽く手袋をきっちりはめた手でポンと撫でた。
「朝から勉強してたの? アイリスはすごく勤勉だよね。ちょっとびっくりしちゃうぐらいだよ。
夕食時には帰ってくるから、わからない事があったらその時にでも聞いてほしい」
言いながらよしよしと彼はアイリスの頭を撫でた。
その行動にあまり深い意味はなかったのかもしれない。ただアイリスが俯いているから頭を撫でやすかったのかもしれない、けれど頭を撫でる大きな手がとても心地いい。
こんな風に撫でられたのなんていつぶりだろうか。
感じる人のぬくもりが心地よくてほっとする。
両親にだって頭を撫でられて褒められた記憶はない。アイリスは借金が判明してからずっと、何と言うか張りつめていた。
なので両親には甘えるというより、支えなければという気持ちが強く、こんなことをされたことなどなかったのだ。
だからこそ、アイリスはどうしても堪らなくうれしくて、顔が赤くなっていることがばれないように手で顔を少し隠しながら、俯くのをやめてレナルドに言った。
「わかりました。そうさせてもらいます。……レナルド様」
「うん?」
「……どうかお気をつけて行ってらっしゃいませ。私は、あなたのお帰りを心待ちにしています」
それから、あの父と母が死んだ日に言えなかったことをちゃんと口にして、ゆったりと目を細めた。
するとレナルドも気持ちのこもった言葉に嬉しくなったのかさらによしよしとアイリスを撫でてから、笑みを深めて「お見送りありがとう。いってくるね」と返事をし、従者たちを連れて王都に向かっていったのだった。




