6 甘いお茶会
翌日、アイリスとレナルドは早速昼食後に顔を合わせた。
やってきて二日目となる今日この日だが、話し合うべき内容も色々とあるはずだし、アイリスは今朝がたからそわそわしてしまってしょうがなかった。
アイリスは父と母が死ぬ前からせかせかと、商会から仕入れた別の貴族のところで使われていた中古品を磨いたり、貴族として体面を保ちつつ出来る限り装飾を減らせないかと考える日々を送っていた。
しかしこんな人様の、それも公爵閣下の邸宅に、いわくつきの品物を仕入れて再利用しようとすることなど許されないはずだし、この場所は王都から近く立地もいい。
屋敷の周りもとても栄えていて、お客様だって多く来るだろう。
そんな場所の装飾を減らせるかどうかなど悩むまでもなくやることがない。
だから出来る限り早くこの屋敷の戦力になるべく、レナルドと向き合っていた。
しかし彼はキッチンワゴンに載せられたお茶菓子をじっと見つめていた。
ワゴンの上には、お菓子の缶が二つ置いてあって、それぞれに美味しそうなクッキーが詰まっている。
どうやらその二つのうち、食後のお茶に合うお菓子はどちらかと考えている様子だった。
……血濡れの公爵閣下が真剣に今日のお菓子を選んでます……。
その姿があまりにも真剣に見えたためにアイリスは、そんな彼の事をじっと見つめていて、不可思議な気持ちになった。
男の人は皆、甘いものが嫌いだと思っていたし、アイリスは甘味料は高いしコストがかかりすぎるのでめったに食べない。
そして食べなくたって生きていける。なのでそんなに真剣に悩んだことはない。
だからこそその姿が不思議で目が離せなかった。
しかし、レナルドはふとアイリスの方を向いて気の抜けた笑みを浮かべた。
「……アイリス。君はジャムが入っている方と、粉砂糖がついている方、どちらが好きかな?」
それから聞かれた言葉に、アイリスは瞳を瞬いて別にどちらでも問題ないと思った。
「アイリスがどちらを好きか考えてみたんだけど、わかるわけもないよね。このみを教えてくれる?」
「……私のですか」
「そう。普段、私はあまり食べないから、うちの料理人もあまり作り慣れていない。だから王都の高級店のものを取り寄せてみたんだけど、アイリスの口に合うといいな」
当たり前のようにいうレナルドにアイリスはそれなら、あんなに真剣そうな顔をしていたのはアイリスのことを考えていたからなのかと合点がいく。
……なるほど、たしかにレナルド様は男性ですし、お菓子に悩んだりするはずがないよね。
そう納得ができたが、それと同時に自分の事でそんなに真剣になってくれるのかということに、驚いたような恥ずかしいような気持になった。
しかし、せっかく決めさせてくれるというのならば待たせることはできない。アイリスは反射的に「ぜ、前者で」と場にそぐわないちょっと大きな声で言った。
そのアイリスの言葉に、レナルドは笑みを深めて使用人に指示を出し、それぞれに可愛らしい形のジャムが載っているクッキーが配られた。
その時点でも若干アイリスは動揺していたし、二回目の対面であるが、よく考えると昨日アイリスは突然泣き出してしまった。
そんな様子を見ていて、アイリスは親がいなければあんな風に泣いてしまうお子様だとレナルドは思ったに違いない。
だからお菓子も選ばせてくれるのではないか、真剣に考えていたのはアイリスがまた癇癪を起して泣き出さないように配慮してくれただけではないのか。
そう考えだすと目の前が緊張と羞恥心でぐるぐると回っているようで、碌に建設的な話をすることもできない。
「うん。すごくおいしそうだね。アイリスは甘いものは好きかな」
しかしアイリスのそんな緊張など知らずに、レナルドはクッキーを一つ手に取って、キラキラとしているジャムを見てから言った。
その言葉に、そうでもないのにアイリスは「好きです」と応えてしまって、矢次早に「頂きます」と続けて言ってクッキーを丸ごと口の中に放り込んだ。
「どうぞ」
「っ、」
口のサイズに合っていないクッキーを一生懸命に噛み砕きつつ、彼がさくっと半分ほど口にするのを見て、やらかした気持ちになった。
しかし一度口にしたのだから急いで嚥下するほかない。
もごもごとアイリスは必死に口を動かした。
「……俺はあまり食べないって言ったけど、たまにならいいなって思うよ」
しかし、ある程度咀嚼すると、とろりとしたジャムが舌で感じられて、途端に舌がしびれるような猛烈な甘味が広がる。
ざらりとした砂糖の触感までも感じられそうなほど、それはもう甘かった。
高貴な身分の人々が、高級な砂糖を大量に使ってお菓子を作らせることは知っていたが、王都から取り寄せたという話をきいても、そこまでアイリスは考えが及んでいなかったのだ。
口の中が甘すぎてなんだか下あごが痛い気がする。それほど強烈な甘さでジャムに濃い赤の色を付けているベリーの酸味などまったく感じることはない。
大急ぎで紅茶を手に取って火傷しないように流し込んでいく、しかし淹れたての紅茶は熱い、どんなに急いで飲んでも舌がしびれるような甘味は簡単には取れなかった。
……ああ、どうして私ってこう、駄目なんでしょうか。
勝手に焦って、勝手に甘味にやられて、紅茶の味もわかりません。これ以上は食べられるような気もしないです。
だって流石に、甘いものが嫌いじゃなくても……甘すぎる。
「ただ、それでもやっぱり、王都のお菓子は甘すぎるね」
レナルドは甘いものが好きだといったアイリスを気遣いつつも、食べかけのクッキーをお皿に置いて困ったような顔をした。
その様子に、同じことを考えていたアイリスも、はたと冷静に戻った。
先ほどまでなんだか、自分がとても恥ずかしいもののような気がしていて、彼の前にそぐわないほど駄目な存在な気がしていたが、持った感想は同じで今のレナルドとアイリスには共通点がある。
そう思うと、焦っていた気持ちが少しだけ落ち着いて、アイリスはふと口を開いた。
「……私も甘いものは多分、好きなんですが。甘すぎました。お砂糖はほんの少し使われているぐらいがいいかもしれません」
「そう? そうか、そうだよね。なんだ、同僚も、王家の人も平然と食べていたから、てっきり俺がおかしいんだと思ってたけど、アイリスも同じように思ってくれたんだ」
「そう、ですね。それに、事実甘すぎますから、実はそう思っていても言い出せない人は、もしかすると意外といるのかもしれないです」
「だとしたら面白いね。娯楽のはずの甘味を食べて苦しむなんて本末転倒だよ」
たしかにそれでは、本末転倒だ。それに、こんなものばかり食べていたら喉が渇いて仕方なくなりそうだとも思う。
「あ……でも少し、怖いものみたさでそちらのお菓子も食べてみたいかも」
喉が渇いたら沢山紅茶が飲める。
そして紅茶を飲んだ分、茶葉も減り、無駄な出費になるなとアイリスが思ったところで、レナルドがもう一つのワゴンに載っている選ばれなかった方を指さした。
周りにお砂糖がついている分、きっと今食べたものよりもずっと甘いだろうことは予測できる。
それにお皿に一つ取ってもらって、粉雪をふんわりまとめたみたいな風貌に、アイリスは真剣に砂糖の塊ではないかと口元に手を当てて疑問符を浮かべた。
「じゃあ、ちょっと試してみるね」
「え、あ、の……大丈夫ですか?」
「……大丈夫って?」
取り分けてもらって試してみようとしているレナルドにアイリスはつい、聞いてしまった。
しかし、大丈夫かと問いかけられたレナルドは、どういう意味かと質問を返した。
深く考えていなかったアイリスは、大丈夫ではなさそうな理由を急いで考えて口にした。
「えっと……甘すぎて、その……喉がからからになったり、しませんか」
「そしたら紅茶を飲むからさ」
「じゃあ……甘すぎてびっくりして気を失ったり……」
「……そうしたらもはや毒物だね」
「そうですね」
アイリスの言葉にレナルドはとても楽しそうに笑って、それから気軽に言った。
「気を失ったら、君が介抱してくれたりする? そしたらむしろそうなりたいぐらいかな。なんてね」
それだけ言って、小さなクッキーを口の中に放り込んでしまう。
真剣に吟味するように真顔になって、サクサクと口の中でクッキーを咀嚼していく。
しかし、先ほどのジャム入りの方を食べた時よりも表情が明るくて、紅茶を最後に一口飲んでから、介抱してほしいなんて軽口を言っていたことを忘れて、レナルドは驚いた顔のまま「おいしい」とぽつりと言った。
「何だろう、バターかな。すごく風味が豊かで粉砂糖の甘味が全然気にならない」
「ほ、本当ですか?」
「うん。ナッツを使ったクッキーみたいだから口当たりも柔らかくてすぐに無くなっちゃったよ」
「……」
アイリスの質問にも、レナルドはとても当たり前の感想のように返して、嘘をついているようには見えない。
しかしそんなことってあるのだろうか。あんなに甘そうなのに、ジャム入りの方よりも食べやすいようには到底見えない。
そうする意味なんかないと思うが、レナルドがアイリスを揶揄うために嘘をついている可能性はないだろうかと、意味の分からない事を考えて、ジトと見つめるとレナルドは真剣なアイリスにも一つ取り分けて言った。
「そんなに気になるなら、君も一つ食べてごらん。きっとおいしいよ」
小皿を受け取り、アイリスはそのまま雪の塊のようなお菓子を見つめた。
「それに、甘すぎてアイリスが気を失ったら俺が介抱するよ。君が良ければだけど」
そんな風に軽く言われて、アイリスは先ほど感じた羞恥心とは違って別のドキドキをふいに感じてしまった。
それから口にしたクッキーは、たしかに甘いけれど舌の上で溶ける粉砂糖がじゅわっと解けて広がっていく心地の良いものだった。
それにレナルドが言った通り、さくっとかるくて食べやすい。
驚くほどに美味しくて、アイリスたちは二人で楽しく粉砂糖の方がついているクッキーを食べつつお茶をしたのだった。