5 新しい屋敷と使用人 短編版を読んでくださった方々ここからお読みください。
「何か、就寝前にやっている習慣なんかはありますか?」
アイリスの専属になってくれた侍女であるティナはベッドのサイドテーブルにある水差しを取り換えながらアイリスに聞いた。
今日やってきたばかりでお互いに主従として関係が浅いので、今日紹介されてから、こだわりや習慣などがあれば言って欲しいと同じように聞かれていた。
本来ならば、自分の専属の従者を伴って嫁入りすることが普通で、こんな風に貴族と従者にわざわざすり合わせが必要な事態になったりはしない。
しかし、クランプトン伯爵家は借金のせいで限界ぎりぎりだった。
アイリスがこちらの家で生活するための持参金すら、雀の涙ほどしかない。
従者を連れてくることなど到底できないので、彼女に頼るほかない。
こんなことをさせてしまって申し訳ないという気持ちがありながらも、アイリスはニコッと笑みを浮かべて、ティナに丁寧に返した。
「就寝前には、領地のこれからの行事などの確認とそれらの予算表を見て覚えることに努めていました。この時間に見るとよく覚えられると聞いたので」
「……」
「この屋敷でも同じようにできたらいいと思っているけれど……どうかしましたか?」
ティナは水差しを交換して台車に乗せた後、口をすぼめてまるで飴玉でも舐めているように舌で頬を内側からもにもにと押していた。
……? 妙な行動ですね。とっても可愛らしいですが、不思議です。
そんなことをしている侍女を見たことがなかったので、アイリスは首をかしげながら、可愛らしいティナを見つめた。
そしてしばらく見つめてから、なんとなく聞いたのだった。
「何か言いたいことがあるんですか?」
「っ、ご到着して、今まで過ごす間に何度もどのように生活しているか聞いているのに、常に仕事の事しか言わないのは何故なのかと疑問に思ってました!」
アイリスが聞くとティナは白状するようにずっと今日一日思っていたであろうことを吐き出した。
そしてアイリスはその内容よりも、とても素直な反応が可愛らしくて思わずくすっと笑ってしまった。
年頃はアイリスと同じぐらいで、今日の動きを見ている限りでは仕事はそれなりにできる方だと思っていた。
しかし専属の侍女を選ぶときに彼女を指名すると、レナルドが微妙な顔をしていた理由が分かったかもしれない。
貴族の侍女というのは、それなりに忖度をした発言をしたり、相手を過剰に立てなければならない場合がある。
アイリスはそれほどプライドが高いわけではないので普通に思ったことを言ってくれても問題ない。
しかしそれでは仕事に差し障る場合がある。だからこそ、こんなに率直な意見を言われるのも珍しい。
「……そうなんですね。素直に答えてくれてありがとう」
そしてアイリスは、そういう風にきちんと言われた方が分かりやすくていいと思う。
勝手に解釈されて勝手に、借金をされるよりもずっとましなので、できることなら隠し事をしない人と一緒にいたい。
そういう気持ちでティナにお礼を言ってから、アイリスは言われたことを考えてみた。
……それで、仕事の話しかしてない……でしたか?……??
疑問にもきちんと返してあげようと思ったのに、アイリスは難しい顔をして考え込んでしまった。
……勉強と、今日の収益の計算と、節約できる部分を考えることと、未来の出金についてなど……たしかに言われてみれば仕事ともいえることばかり考えている……かも?
「…………」
彼女に言われて気が付いたが、アイリスはプライベートで娯楽といえる娯楽を楽しんでいない。
紅茶の茶葉だってできる限り安いものでいいし、部屋の内装だってそれなりに見えればどんな曰くのある中古品だって問題ない。
「こうして一人の主に仕えることは初めてで、私の聞き方や態度が悪かったのかもしれません!
でもこれから身の回りのお世話をさせていただくうえで、アイリス様の事をきちんと知って一番良い、仕え方を身に着けたいんです!」
「……」
「それなのに、一切プライベートを見せていただけないなんてっ、私悲しいですっ」
ティナはぐっと顔を顰めて、今にも泣き出しそうな様子だった。
そんな彼女に誤解だといいたかったが、仕事の事ばかり……というか何を置いてもまず借金返済について考えていたアイリスは、そのことばかりを考えていて、自分自身という物をないがしろにしてきた。
なのでティナに、謝罪してこんなことが好きだと提示したいのに、うまく思い浮かばなくて、内心とても焦った。
「えっと、ティナ。そういう事ではなくて、ですね。何と言いますか私はス、ストイックが好きといいますか……」
「そんなっ、だとしても、お紅茶のこだわりもなくて、好みの香料もなくて、カーテンの色にも文句をつけない、仕事の事ばかり考えている貴族令嬢なんて聞いた事ありませんっ」
ティナは一度素直になると留まることなくアイリスに、グサグサと刺さる言葉を言う。
そういうものにこだわりを持てるだけ知らない事をナタリアにも怒られたことがあったのだ。
「アイリス様……私は何か嫌われるようなことをしてしまいましたか?」
極め付けに最後に彼女に聞かれ、アイリスは、困り果ててぶるぶる震えた。
何か、今、このタイミングでどうにか、貴族令嬢らしいこだわり、もといプライベートのアイリスを示さなければならない。
その使命感だけでアイリスは必死に考えて部屋の中を視線だけできょろきょろと見回した。
そしてその視線の先にあったものは、可愛らしい季節の花が飾られている花瓶であった。
瑞々しく咲きほこっている花の隣でまだ小さく開く気配のないつぼみに、アイリスは、杖を取ってエイと魔力を飛ばした。
魔力の光は、キラキラと金の粉を飛ばしながらフワフワと飛んでいき、つぼみまで到着するとふわっと植物に吸収されるように光を失い、代わりに美しく花が開く。
「じ、実は……私の実家はクランプトン伯爵家と言ってとっても田舎にあって、大きな森が領地の大半を占めている自然だらけの土地なんです。
だからその、普通の貴族令嬢らしいものよりも草花なんかの植物が、だ、大好きでして!」
「……」
「だから勉強と仕事と、後、花を愛でることぐらいしかやれることがないんです。それが恥ずかしくて、ティナには花をめでる時間の多くを仕事をしていると言ってしまいました」
そうしてアイリスは苦しい言い訳をした。
魔法を使ったのは、平民であるティナの気をちょっとでも引いて笑顔になってくれたらいいと思ったからだ。
そして実際アイリスは花が好きだ。花というか植物が好きだ。
父たちが切り開こうとした大きな森のせいで、クランプトン伯爵家は農業ができる土地も少なく、大きく迂回しなければ王都へも向かえない。
そのせいで常に、財政がひっ迫している。
しかしそういう側面もありつつも、そういう土地柄だからか、クランプトン伯爵家は緑の魔法を持っている。
人間が使える、四元素の魔法の土属性から派生した魔法で、植物を操ることができるのだ。
といっても双子なのでアイリスとナタリアは常に半人前なのだが、それを差し引いても花が開いたら誰だって喜ぶだろうと思ったのだ。
凛と開いた花の方を見て、じっとしているティナをアイリスは恐る恐る見つめた。
すると、しばらくして、パッとこちらを向いてティナはキラキラした可愛い笑みを浮かべた。
「ス、スゴイ! アイリス様、貴族の方の魔法をこんな近くで見たの私、初めてです! キラキラしていてフワッてお花が開いて、とっても素敵です!」
「そ、それはよかったです」
「はいっ、ぜひぜひ! もう一回! もう一回見せてください!」
「お安い御用です」
無邪気な顔をしてアイリスに詰め寄ってくるティナは先ほどの悲しそうな顔などもうしておらず、無邪気にアイリスの魔法に感動する子供のようだった。
その可愛い笑みを見てアイリスはナタリアの事が思い浮かんだ。
今頃屋敷でどうしているだろうか。
考えるととても複雑な気持ちになる。彼女は自業自得だと思うし、自分で選んだ未来だと思うが、不幸になって苦しめなんて思ったりはしない。だからこそ考え出したら切りがないのだ。
なので思考を打ち切ってアイリスは杖を振って魔力を杖先に貯めてポンとボールを投げるように花瓶に魔法を打ち出した。
すると元気がなくなっていたもう枯れるのを待つだけの花も元気を取り戻し、ティナはキャッキャと喜んだのだった。