42 本物の悪党 その三
苛立ったような声をあげアルフィーは怒り心頭といった様子で顔を真っ赤に染めた。
しかしその背後でディラック公爵が立ち上がり、静かだがとても怒気を孕んだ声で二人に言った。
「もう良い、アルフィー。そこの娘は心底我々に反抗することしか頭にないのだ。簡単にかたをつけてしまえ。どうせ女一人では抵抗もできまい」
「っ、父上、ハハッ、そうでした、こうなれば袋のネズミ、そもそも君が何と言おうとも、意味などない!」
背後の扉を守っていた従者たちが動く気配がして、目の前からアルフィーが怒りに目をぎらつかせ、じりじりとこちらに近づいてくる。
その行動の意味をアイリスはすぐに理解して大きな声を上げようと振り向く。
これは流石にティナに声をかけて彼が来るまで時間を稼げるかと不安になった。
しかし、一瞬のその思考のうちに何か爆発音のような音が耳を貫いた。
バコン、というか、ドカンというかそんな感じの音がしたと思えば、ぶわっと熱気が辺りを包んで、視界の端にキラキラとした魔力を纏った炎の魔法が見えた。
ドレスが爆風に巻き込まれてふわりと持ち上がり、衝撃にいつの間にか瞑っていた目を開けば、重たそうな剣を構えたレナルドの姿があった。
「……」
扉のそばにいた従者たちは驚きに固まっていて一瞬の間をおいて逃げ出していく。
彼の腰にいつも剣が差さっていることは知っていたが、抜いているところを見たのは初めてだ。
ちらちらと魔法の炎が舞い散ると、部屋のカーペットと壁紙をすこし焦がす。それを見てそういえばアイリスは、彼が何の魔法を持っているかもまったく知らなかったなと思い至った。
「レナルド……様」
つぶやくように口にする。
呼んでもいないのに助けに来てくれた事、それはとても不思議で、まさかアイリスの危機を察知して、なんて不思議なことが果たしてあるのだろうか。
そう考えつつ彼の行動をアイリスは目で追っていた。
ゆっくりと剣を構えたままアイリスとアルフィーの間に入り、静かに剣を突きつけたまま、いつもの同じ調子でいった。
「……俺の妻にどういう了見で乱暴を働こうとしたのかわからないけれど、少なくともその手足の一本や二本、失う覚悟が決まっての事なんだと思う」
「……っ、ま、っつ、ひぃ」
「心の傷というのは目に見えないものだから彼女が受けた傷と、程度が同じかは証明のしようがないけど、仕方のない事だから苦情は受け付けないから」
声音と口調はまったくいつものレナルドと変わらない、しかしアルフィーが相手を脅かすために凄んでいた時とは違って、敵対の意思はひしひしと感じる。
ぬらりと光る大きな銀色の刀身は魔力の炎を纏って赤い光を放ち始める。
その光の強さが彼の思いの強さのように感じられて、アイリスは呆然としながらも、ああこれは本当に切ってしまうかもと、漠然と思った。
アルフィーも同じように感じたのだろう。怯えながらも必死に剣を凝視していて意味をなさない制止の言葉を叫んでいる。
きらめく炎の隙間から見えたレナルドの藍色の瞳は、ただ静かに相手を見据えていた。
けれどもさらに事態は予想外の展開を見せた。
多くの足音と人のざわめきが聞こえ、軽い足音が駆けてくる。
それから「見つけましたわ!」と鋭く威勢の良い、女性の声が部屋に響き渡った。
「ディラック侯爵、それからディラック侯爵子息アルフィー、あなたがたの悪事は、このクランプトン伯爵によって公にされましたのよ!
彼女はあなた達からの暴行を受けながらも、必死に証拠を探していたわ。そして今日ついに、王族の方々に光を指し示せるときが来た。
このあなた方の交わした手紙には、クランプトン伯爵家などの緑の魔法を持つ一族を騙し、領地が立ち行かなくなるまで困窮させ森の治安を守る魔法を行使できなくさせたことが記載されている。
そのせいで今、クランプトン伯爵家の森は正気を失い国に魔獣があふれている。
あなた方が、クランプトン伯爵家と契約を結んだ時期と魔獣の出現増加の時期が一致しています。その二つの事柄が何よりの証拠です。
今この場に王族の方はいませんが、クランプトン伯爵の名のもとにディラック侯爵家を国家反逆の罪で告発し、損害の賠償を請求する訴えを起こすことをここに宣言いたしますッ!」
彼女は扉の外から手紙を突きつけ、そばにいるナタリアはとても神妙な顔をして深く頷いた。
その周りには様子を窺っている貴族たちが十数人待機している。
アイリスはその顔に一応見覚えがあった。彼女はナタリアの友人のシルヴィアだろうどうして彼女が今ここにいるのか。
彼女の宣言にレナルドもアルフィーも一度、止まり、何が起こっているのかと一瞬意識をそちらに向けた。
しかしすぐに反応したのはディラック侯爵だ。
彼は懐から杖を取り出し、土の魔法を使ってシルヴィアに対する攻撃を試みた。
彼女に怪我を負わせたところで、この事態が彼らにとって好転するとはとても思えなかったが、もしかすると証拠の手紙を消し去ろうとしての事かとアイリスも、その場にいる誰しもが思った。
けれども、その魔法は放たれる前に、レナルドに杖が破壊され、ただの火のついた棒になる。
彼の素早い剣技にも驚きだが、何か杖以外のものも断ち切ったらしくアイリスの視界の中に、炎以外の赤が見えた。
「今更、わたくしの持っている証拠を消し去ろうとしてももう手遅れですわ!
それにこの状況が何よりの証拠、クランプトン伯爵と同じ緑の魔法を持つ彼女を捕らえて、自分たちの失態を隠そうと画策していたことなどお見通しですのよ。
しかしこの状況を証拠にするには、皆様の証言がとても大切ですわ。国に立ち込めた暗雲を払うために、協力をしてくださる方はこの場に残ってくださいませ。
残った方は全員、今後王族から覚えめでたい一族となることでしょうね」
と、シルヴィアが言っている間に、レナルドはそのままディラック侯爵を柄頭で殴りつけて問答無用で昏倒させた。
ばたりと人が倒れる音が辺りに響いて、残されたアルフィーはレナルドをとんでもないものを見る様な目で見つめていた。
「まてっ、待て待てまてっ、なぜこんなことになっているっ! こんなことが許されるはずがない! 貴様、父上に何かあったらどうしてくれるんだ!!」
アルフィーは自らの頭を抱え、一歩また一歩と後退しながら威嚇するようにレナルドに大きな声で怒鳴りつけた。
レナルドはそんなことなどまったく意に介さない様子で、ふうと一息ついてから、大剣についている血を振り払って、魔法の炎を手に浮かべた。
杖を介さないその魔法の炎はとても揺らいで大きく燃え上がり、そばにいなくても汗ばむぐらいだ。
「ナタリア!! アイリス!! お前らが仕組んだんだろ!! 大変な時期に手を貸してやった恩も忘れて、ふざけるなぁ!!」
断末魔のようにアルフィーは叫びレナルドはそのまま、炎を放る。
魔法を持っていない彼は何の対抗手段も持っておらず、背を向けて逃げ出そうとした。
しかし狭い部屋の中で魔法の炎から逃げられるはずもなく服に燃え移り、とても見ていられない事態になった。
このままでは焼き殺してしまうようなこともあるのではと思い、アイリスは思わず、レナルドのそばに寄って、そっと手を絡めて握った。
指先がなぜかとても冷たくて硬く感じる。
「……レナルド様」
つぶやくように彼の名を呼ぶとその声は小さくとも届いたらしく、炎は立ち消えた。
そして部屋の中に慌てて入ってきたシルヴィアは酷いやけどを負ったアルフィーに水の魔法の癒しを掛けた。
そうしつつも彼女はじとっとレナルドを見つめた後、切り替えたように高らかに宣言した。
「ダンヴァーズ公爵閣下、大変助かりましたわ。わたくしだけだったら、ディラック侯爵に攻撃されて、危険な目に遭っていたと思います。
さぁ、彼らを王宮の兵士に引き渡し、王族との話し合いに向かいますわ。
皆様、ついてきてくださいませ」
まとめるようにシルヴィアがいうと、ナタリアはまた深く頷く。
「兵士が来た様子です」
「この部屋だ。すぐに捕らえてくれ!」
それから周りにいた野次馬の貴族たちはまったく減っていないことにも、彼らが兵士を呼んできてシルヴィアに協力的に動いている様に、アイリスは驚いた。
あんなに大胆に振る舞ってその場にいる全員を味方につけるなど普通にやれることではない。
少なくともアイリスは、心臓がバクバクして変なことを言ってしまうだろうと思うし、ナタリアにだってもちろんできないはずだ。
そう考えると素直に尊敬してしまって、レナルドと共にアイリスたちも彼女に続くべきだと思った。
視線を向けると、おもむろに、レナルドはアイリスを強く抱き寄せた。
いつものような優しい抱擁ではなく、どうしても堪えられないというように閉じ込めるみたいに腕に背中を回され、少し苦しいぐらいだ。
何を思ってそうされているのかアイリスはよくわからなかったし、大元の問題はきっとシルヴィアのおかげでよい方向へと進もうとしている。
だからこそこんな風に辛そうに抱きしめられる意味はわからない。けれどもアイリスは、今だけはその体に身をゆだねて、すこし固い胸板に頬ずりをしたのだった。




