31 馬車に揺られて
小さく揺れる馬車の中で、アイリスとレナルドは横並びで座っていた。
王都まであまり距離はなく、タウンハウスに移動する間、二人で建国物語を読むためにそうして座っていたのだが、小さな馬車の中で隣り合って座るというのは想像よりもずっと距離が近くなる。
やはり、ベックフォード公爵家の時代に収集されたらしい昔の貴重な物語だからと言って、忙しくなる前に馬車の中で一緒に読んだらいいというのは暴論だったかもしれない。
「……」
しかし隣で真剣な顔をして文字を追うレナルドにアイリスは、すこしだけ視線を移し、そのきれいな横顔をばれないようにちらりと見た。
アイリスは、文字を読むのは得意な方だ。必然的に、レナルドよりも一ページを読み割るのが早い。
だからこそたまに至近距離にいるレナルドの事をちらりと見る。
小さくガタゴトと揺れる馬車の中なので、レナルドの柔らかそうな藍色の髪もさらさら揺れていて、真剣なまなざしは普段アイリスと向き合っている時よりきりりとしていて男前だ。
……よく見ると、かっこいい……。
しかし、こうして無心で本を読んでいるときには、凛々しい表情をしているということは、もしかするとアイリスの前では意図的に笑みを浮かべているのだろうか。
そして確かにアイリスは、優しく微笑んでいる彼が好きだが、たまには凛々しいところだって見たい。
今見られているではないかと、誰かに言われるかもしれないが、そうではなく普段からずっと優しいからこそ、男らしく強引なところなどあったらとても素敵なのだろうと思っているというわけなのだ。
「……ん?」
しかしアイリスが熱中してレナルドの横顔を見ていると、レナルドはふとアイリスの方を向いて首をかしげてこれまたとても柔らかい笑みを浮かべた。
「っ…………」
「どうかした? 俺の顔に何かついてる?」
その表情がほころぶところは、とても不思議でがらりと印象が変わってしまう。
そしてそれがアイリスだけに向けられるものだったらいいのにとアイリスは思ってから、ハッとした。
それはそれとして、読み終わってから横顔をずっと眺めていたなんて思われたら、なんて気持ち悪いのだと思われてしまうかもしれない。
アイリスは咄嗟の事だったが、視界に入った外の風景に大急ぎで視線を移して、ぎこちないながらも笑みを浮かべた。
「い、いえ。……風景がとても都会になってきたなと、思いまして」
「……ああ、そうだね。王都は高い建物が多いから馬車に乗っていると一面建物に覆われているように見えるよね」
「はい。すこし眺めているだけでも色々なお店が軒を連ねているのが見えて楽しいです」
「タウンハウスに移って少し落ち着いたら城下町を散策してみるといいよ。眺めて歩くだけでも時間を潰せるはずだから」
レナルドはアイリスの言葉にすぐに納得した様子で、外の風景をアイリスと眺めながら、提案した。
アイリスももちろんそのつもりだ。
色々なものを知ったり、たくさんのお店を見て回ったりすることは大きな領地を治めるうえでとても大切なことだと最近思うのだ。
クランプトン伯爵家にいるときは、自分の領地、自分の屋敷の事だけを知って細かく節約することばかりを考えていたけれど、公爵夫人という立場はそれだけではいけない。
レナルドが関わっているような国の事も理解できるだけの知見が必要なのだ。
「はい。今からタウンハウスにつくのが楽しみになってしまいました。後でティナと予定を決めようと思います」
「あ、それはいいんだけど、護衛はつけるようにするから俺にも教えてね」
「はい……あの次のページに進んでも?」
「そうだったっ、ごめんね」
アイリスの言葉にすぐに反応してレナルドは大急ぎでページをめくった。
しかしアイリスは、彼の言った言葉が少し引っかかって、本の内容よりもそちらを考えてしまった。
しばらくして建国物語は終わったが、アイリスの頭にはあまり入っておらず、パタンと本を閉じたレナルドに、アイリスは様々な思考を巡らせた後に聞いてみた。
「あの、レナルド様」
「なに?」
呼びかけると彼はすぐに、アイリスの方を見て笑みを浮かべる。
「……レナルド様は、城下町の散策には興味がありませんか?」
「…………興味というか俺は好きだよ。というか君が言いたいことはわかる」
続けて、護衛をつけるといった彼に、貴族であり騎士である彼が一緒に来てくれれば護衛などいらないのではないかとアイリスは聞きたかった。
しかし一つ目の質問でレナルドはすぐに察したらしく、しばらく逡巡した後に、ふと窓の外を見た。
そこには先ほどと同様に王都の街並みが広がっている。しかしよく見ればそのうちの何人かの人々は、このダンヴァーズ公爵家の馬車を見ると険しい表情をしているように見える。
道行く人々の表情がおおむね明るくないのも、この建国祭が近いシーズンにしては不思議な事であった。
「俺は、あまり王宮から近い貴族が立ち入る辺りにはいかない方がいいかと思って。恨みを買ってないわけではないから、君が嫌な思いをするかもしれない。
君一人ならそれほど、周知されていないと思うし、気ままに楽しめるよ」
「……」
「それにほら、革命派の人からすると、俺は血濡れの公爵なんて二つ名がつけられるほどには鬼畜な人物だと思われてるから、むしろ少し同情的だろうね」
レナルド自身は平然とそう言っているふうに見えなくもないが、アイリスは、それを聞いてとても心が苦しくなった。
たしかに、彼の言うことは事実なのかもしれない。しかし、アイリスはきっとレナルドと回った方がとても楽しいと思う。
二人でどんなお店に入って、どんなことを共有したのかその経験がなによりきっと楽しい思い出になるだろう。
「……では私は、レナルド様と二人で回れる時まで城下町の散策は控えておくことにします」
「それは……どうして?」
アイリスの言葉にレナルドは少し悲しそうな顔をしてそう聞いた。
そんな顔をしないでほしい、ただ一番最初の楽しい時を彼と共有したというだけなのだ。
「一人で回ってももちろんレナルド様が言ったように楽しいかもしれません。しかし、二人で初めて回った時の方がきっともっと素敵な思い出になると思います。
だからその時まで、取っておこうと思っただけです」
「……君は優しいんだね」
「そんなことありません。ただの自己満足ですから」
アイリスがそういうとレナルドは、そっとアイリスの手に手を添えて、アイリスもその手をぎゅっときちんと握り返した。
抱擁を要求してからというもの、こう言った触れ合いを当たり前に受け入れて、動揺せずに嬉しく思う事が出来ている。
その点では、あの提案は子供っぽかったけれど、アイリスの目論見通り二人の距離をぐっと縮めることができたと思う。
それがアイリスは実感できてここ最近はとてもうれしいのだった。




