2 捨てられていた方
数日後、ダンヴァーズ公爵家へと向かう馬車が手配されて、アイリスは引っ越しの荷物と共に出立することとなった。
こんな乱暴な嫁入りがあっていいのかという気持ちと、どこかほっとする気持ちがある。
しかし、満面の笑みを浮かべて、姉を見送りに来たナタリアを見て、その迷いは一気に吹き飛んだ。
「お姉さま。公爵様に嫌われないようにきちんと女らしくしないとだめよ?」
「ええ、知ってます」
「お姉さまったらいつも口答えばっかりで可愛くないってアルフィー様も言ってたんだよ、ちゃんと偉ぶらないで、公爵様には尽くすんだよ?」
「……」
そんなことをナタリアに言っていたのかと、少し嫌な気持ちになってアルフィーを見る。
すると流石に彼も気まずかったのか、まだまだアイリスに言いたいことのあるナタリアを引き離して、アイリスに早く馬車に乗るように促した。
「そろそろ出ないと夕暮れまでにつかないから、ナタリアもお姉さまとの別れが寂しいのはわかるけど、引き留めないであげてくれ」
「それは……そうね。お姉さま達者でね。血塗れの公爵様は乱暴者だって聞くから、気をつけるのよ!」
ナタリアは笑みを浮かべてそんな風に言った。これからは多分もう二度と会えない。
物理的な距離もあるし、何よりそんなことは嫁に行ったアイリスには許されないだろう。
そう思うとどんなに呆れていても、長年ともに過ごした妹は可愛くて、まったく同じ顔の彼女にアイリスは微笑みかけて、自分のつけているネックレスを外した。
「……お姉さま?」
「これ、あげます」
「え、いいの? これだって、お母さまの形見のネックレスでしょう?!」
「いいんです。大切に使ってね」
「ええ、もちろんよ!」
「じゃあ、ナタリア……さよなら」
そういってアイリスは馬車に乗り込んだ。父と母の形見は二人で分けたが、その大部分の宝石を借金の返済に充てたことをナタリアは知らない。
手を振る彼女はとても嬉しそうに見えて、馬車の中からアイリスは、二人の事を眺めていた。
扉が閉められ馬車が動く、小さくガタゴトと揺れて、ナタリアとアルフィーは小さくなっていった。
彼らが見えなくなるまでアイリスはじっと窓を見つめていて、見えなくなってから馬車の座面に沈み込んだ。
……結局、最後まで、言う機会がなかった。
ぽつりとそんなことを考える。アイリスが父と母の葬儀を終えてこうして追い出されるまで、ナタリアに真実を伝えることが出来なかった。
しかしそれはもはやアイリスだけの責任ではない。
ナタリアが考え無しだったことと、アルフィーがアイリスを排除しようと考えていたことが原因だ。
もはやこうなってしまえば誰もかれもが咎人で一概に、誰が悪いなどとは言えないだろう。
何なら父も母も悪かったという話なのだから。
それにアイリスだって会った事もない悪い噂のある男の元へと嫁に行く。
仕方のない事だろう。
「……ともかく、誰も救われない、ナタリアも私も所詮は鳥かごの中……でもね、ナタリア、どちらかというと初めから、捨てられていたのは私の方だったんですよ」
アイリスは小さく呟くように独り言を言った。
事の始まりは、父と母がクランプトン伯爵家の領地をより豊かにしてより収益を上げて贅沢をしようと企んだこと。
これがなければもう少しすべてがマシだった。
しかし今更そんなことを言っても遅い。父と母はない頭を振り絞って考えた。どうしたらもっと領地が稼ぎをあげられるのかを、そして隣の大領地であるディラック侯爵に聞いたのだ。
すると、位置的に港のある場所から大きな街道を整備すれば、王都に向かう行商人の宿泊地として繁栄するはずだと言われた。
これ幸いとばかりに、父と母は、ディラック侯爵家に大量の借金をして、街道を作る事業を始めた。
それは森を切り開く一大プロジェクトであり、完成までに相当な期間を要する。その間に借金の利子はどんどんと膨らんで雪だるまのように大きくなった。
しかし、事業は魔獣が出たり、事故が起きたりしてなかなか進まない。このままでは今の世代で借金を返せない。それならば、娘たちを担保にしよう。
父と母はそう思い立った。
クランプトン伯爵の地位は、従順でまじめなアイリスに継がせてどう扱ってもいいし、借金の為に馬車馬のように働かせればいい。
妹のナタリアは、少し可哀想だから、よその家で一番お金を出してくれそうな人に貰ってもらいましょう。
アイリスとナタリアの結婚というのはそういう風に決まったものであり、アイリスは、その話を十歳にもならないときに聞かされて、それからずっと借金で頭がいっぱいだった。
だからこそ勉強した。どんな風に返済しているのか、街道の事業はどのように進めれば効率がいいのか、たくさん考えて、調べて、もう少しで、利子についての契約や彼らの詐欺行為などのディラック侯爵家の罪を暴けるはずだった。
しかし、父と母は、デラック侯爵家へと赴く途中、馬車の事故でその生涯を終えた。
アイリスはすぐに理解した。すでに囚われて自分たち家族は身動きなど取れやしないのだと思い知った。
ただ蜘蛛の巣に絡まった蝶のようにもがくことしかできない。
そう思って、ただ恐ろしい夫になる人に怯えていた。
彼に違いがない。クランプトン伯爵家に監視のように婚約者としてやってきて、アイリスたちの事を見ていた。
アルフィーは、あんな風に言っていたがナタリアを愛してなんかいないのだ。
ただ、勘のいいアイリスをよそへとやりたかっただけ。
だから、ナタリアは彼に選ばれたのだ。
けれどもう不憫だなんて思わない。要はそれぞれの選択だ、ナタリアは姉の婚約者をとることにまったく躊躇しなかったし、むしろ喜んで認めてもらえたと笑っていた。
アイリスは本当はナタリアがうらやましかった。よそへと逃げたかった、借金の事を考えずにただゆっくり眠る時間が欲しかった。
それを偶然手に入れたアイリスをナタリアが糾弾することは出来ないだろう。
なんせ、お互いに望んだことだ、ナタリアは真実を知らなかったかもしれない、しかし同時に知ろうとすることができたはずだ。
同じ家に住んで同じ、食事をしていた自分たち家族なら、わかろうとすることができたはずだ。それでも甘い妄想に酔いしれて、逃げるための手を逃したのは彼女のミスだろう。
ナタリアの選んだ鳥かごは、とても狭くて暗い場所だ。
アイリスが向かう場所は果たしてどうだろうか、振り回された価値があるすこしは明るい場所だろうか。
そんな風にアイリスは自分たちを鳥に例えて、考えた。どこかとても美しい場所に飛んでいきたい。何も今は背負いたくないのだ。
今だけは肩の荷を下ろして、アイリスはうたた寝をするのだった。