15 後ろめたい話
レナルドは、先日話をしたボルジャー侯爵家の事を手紙に書き、封筒に入れて蝋を垂らした。
アイリスに、今はその必要はないし、そうしないでほしいとお願いをされたので無視してボルジャー侯爵の罪を暴こうという気もない。
それに今国として抱えている大きな問題からすれば些末なことだ。こんなことに王族の手間を取らせるのは、少々心苦しい。
もちろんアイリスの自信と自己肯定感を取り戻してもらう一つの材料になってくれるのならば、それもやぶさかではなかった。
けれど、そうではないのなら、しかるべき時にきちんと証拠を集めて罪を裁く、これも重要な事だろう。
だからこそその時、もしくは別の人間がボルジャー侯爵家を裁こうとする時に、使えるように出来事の詳細を記録してきちんとしまっておく。
手紙という形にしたのは、忘れないようにだ。
書類をしまっている場所に置いておくと、他の保存が必要な書類に紛れて忘れてしまう。
しかし手紙ならば、出していない状態で置いてあれば思いだすことができる。そういう意図があって蝋が固まるのを待ってから執務机の引き出しに丁寧に入れた。
すると小さなノックの音がして、そばにいた侍女が来客を確認する。
どうやらアイリスだったようで、ほどなくして彼女が入ってきた。
「レナルド様、ごきげんよう。今、お忙しいでしょうか」
気遣うように問いかけつつ、机の前まで来て笑みを浮かべる彼女は、今日も神秘的で不思議な雰囲気を纏っていた。
はっきりとした性格に見えるのにどこか自信がなさげで、ぼうっとしているわけではないのにたまに変わったことを言う。
年の割にはしっかりしているし、良く仕事もできるし、何なら金銭に関することはレナルドよりも頭が回る、しかしすこし自己肯定感が低くて、とても暗い目をしているときがある。
影がある美人というか、つかみどころがないというか、とても難しい人だとレナルドは思っていた。
そんなアイリスの雰囲気を助長させている原因の一つはその瞳だろう。
若葉のような緑色をしていて、赤毛はさほどこの国にも少なくないが、エメラルドのような瞳の人間は多くない。
「……」
彼女曰く、緑の魔法を使える人間は大体この色らしい。
双子の妹も同じような外見なので、珍しくはないだろうという事だった。
しかし、そんなことは無い、クランプトン伯爵家は自領から王都への道のりが長く滅多に足を運ばない、だからこその価値観なのだと思う。
そして緑の魔法で植物を少し扱うことができる……らしい。
王都ではそんな田舎者で自然だらけの場所で暮らしているから、そんな変な魔法を持っているのだという差別にも似た偏見があった。
王都住まいの貴族たちはコルラード国王陛下の行った改革の影響もあって、国の僻地にある発展していない田舎の領地を馬鹿にしている節があるのでそういう穿った見方をしているが、地方には変わった魔法を持つ者も多い。
クランプトン伯爵家以外にも緑の魔法を持つ貴族はいくつかあるし、由緒正しい力ではあると思うのだ。
しかし、国の端の事で情報が少ないし、それどころではない状況が長く続いているので今でも王都周辺の貴族からすると、地方の特殊な魔法を持っている貴族たちは謎に包まれている。
まぁ、だからと言って彼女自身がどうこうというつもりは……。
「……あの、レナルド様」
レナルドがアイリスを見て考え事をしていると、アイリスは再度レナルドに呼びかけて、どうかしたのかと心配そうにこちらを窺っていた。
つい深く考え込んでしまっていたレナルドは、ハッとして「ごめん、つい見とれてしまって」と正直に言った。
すると彼女は、キョトンとしてから少し赤くなって顔を隠すように口元に手をやった。
「お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいです」
「お世辞じゃないんだけど……」
「……そうですか? ありがとうございます」
彼女はまったく信じてない様子でレナルドにお礼を言って、小さく笑みを浮かべる。
その表情は、仕事をする為だけの堅苦しいこの部屋自体の雰囲気が華やぐぐらい可憐な愛らしさを持っていて、レナルドは、こんなに愛らしく見えるのは何故なんだろうと真剣に考えたくなった。
自分のお嫁さんだからだろうか、だから笑ってくれたら嬉しいんだろうか。
それとも周りから見ても当たり前に可愛らしいのだろうか、それともどちらかではなく両方か。
そんな風に一瞬のうちに思考してから、流石に今朝からぼうっとしすぎで彼女に呆れられてしまったら困ると思った。
なので早々に頭を切り替えて、レナルドも笑みを浮かべてアイリスに問いかけた。
「そ、それで何か用事があったのかな。もしかして昨日の要望、思いついた?」
きっとそのことではないだろうと予測しつつもレナルドは彼女に聞いてみた。
昨日彼女は、あんなに疲れることがあったのに、その日のうちにこの屋敷の図書室にある本を他にも読んでいいかと聞いてきたので驚いたものだが、その時にも同じようにアイリスに、要望は決まったかと聞いてみた。
すると、焦った様子でぶんぶんと首を振っていたので、きっと決めるのに難儀しているのだと思う。
「それはまだっ、もう少し時間が欲しい、です」
「うん。全然いいよ。急いでないからね」
フォローをしつつ、そんなに真剣にならずとも、簡単に欲しいものでも言えばいいのにとレナルドは思った。
新しいドレスでも、別荘でも、旅行でも、後は観劇とか、ペットとかだろうか。
欲しいと言ってくれれば、レナルドもアイリスの事が知れて嬉しいし共通の話題が出来る。そうなればきっとさらに打ち解けることに役立つだろう。
「はい。……あの、それでこちらに来てからそれなりに日も経ちましたので、私もお役に立てるのではと思い聞きに来ました」
彼女は会いに来た用件について話し出す。レナルドも続きを促すように首を傾げた。
「領地運営のための魔力についてです。お屋敷の魔法道具もですが。
ここにはレナルド様しかいませんし、ご両親の魔力がない分、私の魔力も使って支え合ってやっていくと思うので、お仕事のタイミングで切りがいいときに数と場所を教えてくださると助かります」
……魔力の話か……困ったな。
そろそろ言ってくるだろうとは思っていたが、具体的に説明していいものか、それをしてレナルドは彼女に怖がられないかがとにかく心配だった。
なんせ、困った二つ名がついているし、何もしていないわけではない。そしてレナルドには罪がある。
しかし、その過去の概要は知っていても、具体的な話を聞いてアイリスがどう思うのか、それがレナルドにとってネックな事実であることに変わりはなかった。
「……もちろん、場所も、やり方も教えるし、何ならこの屋敷と領地を引き継いだ時にちゃんと資料も作っておいたから問題はないけど、魔力は必要ないよ」
「それは、何故でしょうか。ご存じの通り魔力だけはたくさんありますし、領地や屋敷に暮らす貴族の義務にも近しいものです、お役に立たせてください」
「……」
やっぱりそういう風に言うよな。とレナルドは、納得する。自分だってそう言われたら理由を聞くと思う。
だからこそ隠すことはできずに、レナルドはアイリスの反応をよく見てとてもふんわりとした言葉遣いで言った。
「実は、俺が功績をあげた時に捕まった人の魔力が、王宮から毎週送られてくるようになってるんだ。
大きな領地だし、公爵家の家格に釣り合うような魔力になるまで大変だろうからっていう配慮でね。
だから、君は気にせず、魔法の鍛錬をするでもいいし、好きに魔力を使っていい。むこう三十年は気にしなくてもいいから」
革命の首謀者的地位にいたベックフォード公爵家は一族もろとも捕らえられ、女性も子供も皆魔力を吸い取られる手枷をつけられて、城の地下に幽閉されている。
もちろん彼らの魔力だけで十分にこの屋敷を維持することができる。なんせ、魔力失調症になるぎりぎりまで毎日魔力を奪われているのだから当たり前だ。
しかしそう言った事情まで説明してしまえばアイリスは不快に思うかもしれない。
それに今の説明だけでも彼女に距離を置かれるかも。
レナルドはそう思って、アイリスの小さな表情の動きまで見逃さないように見つめた。
「……なるほど。レナルド様に与えられた褒賞にそんなことまで含まれているとは知りませんでした。勉強になります」
アイリスは、レナルドの緊張とはうらはらに、当たり前の事のように受け入れ、続けて言う。
「たしかに急に家格が変わって大領地を治めるのは大変ですもんね。そのぐらいの補助はあって当然ということですか」
「そうそう」
「では、私は将来のことを考えて、練習もかねて魔力を使うだけにとどめておきます」
「それがいいと思うよ」
彼女はあまり深く考えすぎることもなく、レナルドの言葉に納得してくれる。
それにレナルドはひどく安堵した。
今の貴族社会は、レナルドが王族に協力してどうにか革命を収めたが、混乱状態にあることに変わりはない。
これからも十年前からの不幸な状況が続く限りは激しい派閥争いが続くことになる。
それにアイリスを巻き込むつもりはないし、早く終結してほしいと思っている。
「はい。レナルド様、お仕事中、失礼しました。また昼食時に」
「うん。また」
にこやかに去っていく後姿を見て、自分の身内ぐらいは守れたらと思うが、ままならない事はこの世の中に多い。レナルドだって革命を阻止したくて阻止したのではない。
そうせざるを得ない状況にいたからそうしただけだ。
しかし、そういう状況が他人に正しく伝わるとは限らない。
特に王都の事情をよく知らない、地方貴族の彼女にはきちんと話をしなければ正しく伝わらないかもしれない。
そんなことになったら、どうしたらいいのか。
それに加えてレナルドは、出来る限り……いやどうしてもアイリスに革命さなかのレナルドの事を知られるのが恐ろしい。
それらの問題についてどうするべきか、考えたっていい案が思い浮かぶわけでもない。
ただぐっと眉間に皺を寄せて、もうどこかこの国を捨てて彼女と遠くに逃げられたらなんて思うが、そんな無責任なことはできるわけもなかったのだった。




