記憶の扉…
昭和の中頃、子どもの頃の家庭医療の思い出について
時代背景、年齢、性別に多少脚色が入っていますが、ノンフィクションです
■記憶の扉…
今日は年の瀬も迫る日曜日。天気も良く、北風も和らいだそんな日、ぬくぬくした家で寛ぐ幸せを味わっていた昼下がりのことです。この家はお祖父さんの代に建てられました。古いけど、よく手入れの行き届いた作りをしていますし、ところどころ建てた当時の大工さんの工夫が伺える洋館つくりも取り入れられて、内装も気に入っています。小さいながら今この時代までお屋敷があるのも、家の手入れをきちんとしてきたからです。そろそろその家の大掃除も控えていますが、小春日和の中のんびり。天気も良いから散歩でも行こうかなと、玄関に向かいます。すると妻から、
「散歩行くなら、いつもの買ってきて」
と言われました。
この時季、大掃除用品の補充は必須。それに加えて、手のケアの薬も頼まれました。なんでも寒い日に洗い物をすると、手のあかぎれが酷いとのこと。最近は温水や食洗器があるので以前ほどではないですし、それこそこの家が建った時分の昔よりは、冷たい水に触れる時間は遥かに少なくなっていますが、なるほど、妻の手を見ると真っ赤になっています。寒い日が続く中、それでも水回りの家事をすると、家事をこなした証の勲章のように手も荒れます。
大掃除も大事ですが、それより大事な妻の手。毎年この時期になるとこうなると、私の出番です。薬局に来てお目当てのものを探します。その薬局についてうろうろしますが、お掃除用品があらかた見つけたのに、お目当てのものが今日はなかなか見つからない。狭い店内だから、見つからないはずはないのにと、独り言を言いながらひょっとして改装か何かのせいか配置場所が変わったのかな?店員さんにしょうがないので聞こうか。
「グリセリンカリ液ありませんか?」
店員さんに聞きます。
「確かこの辺に…」
店員さんも、目当てのものが見つかりません。
「ごめんなさい。どうやら、いまは欠品でおいていませんの」
とのことです。
「代わりにグリセリンでは如何ですか?」
聞くと大きな違いはないとの事です。奥から店のご主人と思しき人も出てきて、そう教わりました。グリセリンからあかぎれの保湿剤が家庭でも簡単に作れるなら、それを代わりに頂きます。
奥の棚から、茶色い瓶の容器を出してきました。改めてラベルを見ると、商品名のままグリセリンと書いてあります。いつもは表示などは見ないけれど、いつもと違う物を買っているので、念のため裏面の表示も確認してみました。
効能…あかぎれ。便秘。
使用方法…外用)
脱脂綿、ガーゼ等に浸して患部に軽く塗布してください。または、精製水と9:1で割り、化粧水としてお使いください。
浣腸として使用する場合は、本剤を常水で2倍に希釈し、浣腸器を用いて直腸内に注入する。
注入量は希釈後の溶液の量として次の通りとする。
12歳以上 1回 30㏄
6歳以上12歳未満 1回 20㏄
1歳以上6歳未満 1回 10㏄
1歳未満 1回 5㏄
1回量を直腸内に注入し、それで効果の見られない場合にはさらに同量をもう一度注入する。
浣腸に使用する場合は。と書かれています。この表示を見た途端、あっ。と、心の中で声を上げてしまいました。忘れていた小さい時の記憶が、一瞬のうちに蘇えりました。
40年も50年も前の遠い記憶。子どもの頃の遠い記憶を辿ります。
「a君、これからお薬するからこちらにいらっしゃい」
あの日もやっぱり寒い日でした。前日から母にお通じのことを言われ、今日の午前中までにうんこが出ない場合はお薬を使いますと言われていました。我が家は、私の兄である長男を小さい時に亡くしているので、私はその反動で過保護くらいに育てられていました。普段でも軽度な喘息持ちの私は、ことさら大切に育てられたのです。大切に育てられたとは言葉が良すぎるかな。正確には何でも管理されていた、と言った方があの時を表現するにはあっているかもしれません。服も自分で選んで好きなのが着られず、服装も老舗百貨店御用達で、ちょっと外に行くときにも必ず、半ズボンにブレザーと蝶ネクタイ、足もとは黒か白のタイツにストラップ付の革靴といういで立ち。毎日が入園・入学式に参列するような幼稚園や小学校に上がりたての子供の様でした。テレビ番組や遊びも親に選ばれ、体調管理もそう。くしゃみ、鼻水が出たなんて風邪などひこうものなら大変な騒ぎで、それゆえ日ごろから健康管理の名のもと体温検査や肌荒れがないかチェックされ、アレルギーがあるので食べ物や気候にも敏感。当時、万病が一目でわかるとばかりに医者でも便の状態を見て健康状態を判断していましたが、その一環としてうんこが毎日出たのかなど、行き過ぎたお通じ管理もされていました。こんな感じで自分ではどうにもならず、いろいろなことを厳しく管理されていたのです。
そんな過保護の我が家では、良くされていたのが浣腸。今では考えられないけど、昭和のこの時代は万能の特効薬として認知されていたのが、浣腸でした。あの当時は、ごく普通で、どの家でもひとたび何かあったら浣腸。お医者に行っても、浣腸。友だちや親せきの家に行っても、それとなくわかるところに浣腸が置いてあったりしました。ある時など、今使いましたよ、と言わんばかりに包装から取り出されたむき出しの軽便浣腸が置いてあるのを見つけたこともたびたびありますし、実際に施浣されてるところにも出くわしたこともありました。きっと捨て忘れたのでしょう、既に使用されて中身がまだ少々入った浣腸を指でつまんで見ていると、するとそのお家のお母さんがそれを見つけ、言い訳するようでもなく、
「昨日、xちゃんにお熱があったので使ったのよ」
などとあっさり言われたものです。一緒に遊んでいたxちゃんはすかさず、
「ちがうよ、それはお姉ちゃんにしていたやつだよ」
やれやれ、姉弟ともに被浣者なんですね。
それで、浣腸宣言が出た我が家の場合はというと…
部屋を最大限暖かくしたうえで、身は全部はがされ丸裸でこの処置を受けることが決まりになっています。お浣腸されるだけでも子供ながらに恥ずかしいのに、この姿は副産物的な屈辱でもありました。おまけに、お手伝いのばあやにも、見られてしまう。それだけは子供ながらにも避けたかったのです。だから、そうならないように必死にお便所で気張ったものです。本当に顔が真っ赤になるくらい踏ん張りましたが、やっぱり出なかったのです。もうお薬されちゃうのかなと、気持ちは半ば観念します。
母はお浣腸しますとは直接言わないのです。大概最初は、
「お薬を使います」
と言われます。こういう宣言の時は、その後何が待ち受けているか考えると身がすくむ思いになりました。家では便秘とわかった場合の処置は、飲み薬か座薬かお浣腸。この中で飲み薬がまともと思われるかもしれないけれど、現在の飲み薬ではなく、ひまし油というとても飲めたものではない、独特のにおい、味のするものでした。これと一緒にひまし油の効果が出そうな頃合いを見て、呼び水の座薬も打たれます。だからこういう時は、お薬を飲むという表現になりますし、これはこれでとても苦手な処置でもありました。残る一択は、そうあのなんともおぞましお浣腸。私の便秘が重症で母がお浣腸すると心に決めたときにお薬使います、と言われることです。直接、浣腸するというと、私が嫌いなことがわかっているので身構えてしまうし、抵抗もしてしまうので、お薬使いますと柔らかに言ったのではないかと記憶していますが、何度も同じことをされれば小さい子供だって気が付いてしまうものです。だから無駄だとは思いつつも、
「もう少し待って、絶対に出るから」
と、母にお願いすることになるのがいつものお約束の様なものでした。でもそんなことは母に通じるはずもなく、
「早くしちゃおうね。嫌なことは早くした方がいいでしょ。そのあと、お風呂入ろうね」
母は、ばあやに私の名前を告げて、先に浣腸処置に使う和座敷に連れて行かせます。
「a君を和室に連れて行って」
と指示されると、もう逃れられません。連れて行かれる場所は、家の一番奥、小庭に面してその部屋はあります。角部屋で、冬でも日差しが差す日中は暖かいのです。洋間ばかりの我が家で、唯一の和室になります。が、普段はその部屋を使うことはないのです。
なんでも、母が言うには昔、祖母が使っていた部屋らしいです。今は亡くなり、空き部屋ですが、その部屋は私にとっては、病気の時に寝かしつけられる部屋となっています。今回のように便秘になると処置を受ける部屋。我が家のお浣腸部屋です。ばあやにその部屋に連れて来られるなり上の徳利のセーターを下着のシャツ毎、つるんと脱がされました。その上で、敷き布団に寝るように促されるのです。ふと見るとその布団には、下半身に当たる部分に飴ゴムの防水シーツが敷かれています。
(やっぱりお浣腸されるんだ)
と思ったら身体が反射的に動きばあやの手をするっと掻い潜って、和室の唯一の出口に向かって突進をしてしまいました。その向かった先の部屋の入り口で、丁度浣腸用具一式をお盆に乗せた母と鉢合わせをします。慌てて方向転換して、部屋の方向に戻って猫に追い立てられて出口を見失った鼠のごとく部屋をぐるぐる。和室と言っても八畳ほどの部屋なので、あっという間に母とばあやに追い立てられ挟まれ万事休すです。再びばあやの左手の中に飛び込むと、
「バチン!」
捕まえたと同時に、ばあやの右手が半ズボンの上からですが、私のでん部を一叩き。
上半身裸で下半身は半ズボンにケーブル柄のバルキータイツという滑稽な格好です。おまけに半ズボンからは紺色の毛糸のパンツの上端が覗いています。力道山張りのこれぞ昭和の少年というダサい格好でさんざんに逃げ回ったあげく捕まり、お手伝いのばあやにカール・ゴッチ並みにしこたまお叩きをくらい無駄な抵抗は終わりました。
「ごめんなさ~い!」
そういう私の言葉を無視するように母は、
「なんで逃げるの。ストーブだってあるのに危ないでしょ!」
今こうなっては浣腸やだもん、なんて言えません。
「子供は規則正しく三食食べて、一日一回はお便しないといけないのよ。そうしないと、立派な大人になれないんだから。a君はちゃんと毎日三食食べてるのに、もう4日もうんこしてないでしょ。こんなにお腹膨らませて、もう!それにばあやだって、a君のおしり叩きたくなんかないのよ。分かったの?a君?」
何とも答えようにも言いようがなかったし、この他の何と言ってもお浣腸を免れられないのです。こうなればもう観念して、
「はい、わかりました」
と。
「じゃあ、早くお浣腸して立派にお通じつけましょうね」
小柄な女性とはいえ母とばあやの大人2人に厳重に包囲されて、半ズボンのズボン吊を、
(パチン、パチン)
と緩められ、あっという間に半ズボンが足元に落ちます。重ね履きしていた毛糸のパンツを取られ、最後に残ったタイツは白いパンツ毎つるっと一緒に足首まで脱がされてしまいました。そのまま敷布団に抱きかかえられて飴ゴムの防水シーツが敷かれた上に寝かされ、腰に古座布団を入れられ、足首はタイツを巻き付けたまま頭の方に持っていかれました。両足に絡んだタイツが拘束具の様にもなり、ちんぐり返しの様で枕元にいるばあやに抑えられています。
「4日も溜めているし、大暴れしたので今日はお浣腸器で2回に分けてしますからね」
すでに用意されたいつもの膿盆には、いつものガラス浣腸器の他に初めて見る大きめのガラス浣腸器も用意されていますので、大暴れしたからではなく、きっと最初からそのつもりだったのでしょう。浣腸器といっても今風のSMに使われる怪しげなお化け浣腸器と違い、ちゃんと病院で処方を受けた子供用の精々大きさも30~50㏄位のものが用意されていますが、子供ながらにその形も巨大な注射器に似て恐怖でもあったので、今思えば私に決心をつけさせるために言った母心だったのではないかと思っています。そんなことを知らない私はその場から逃げたい、いえ、逃げられないのであればせめて軽く済ませたいという思いから、一度決めたら曲げることのない母に向かって無駄だとわかりながらも最後の懇願をします。せめて、ガラスのお浣腸器での浣腸は逃れたいがために。
「お願いだからピンクさんにして」
と。子供の私としては精いっぱいの知恵を働かせ、減刑と言う意味で軽便のお浣腸のおねだりをしましたが、そんなことは受け入れられるはずもなく、わがまま言ってはいけませんという言葉の代わりに、
(ぺちん)
今度は下履きを下した直のお尻に、今度は母の打擲が落ちてきました。
(シーン)
もう観念するしかありません。
静かになった部屋では、石油ストーブの上の薬缶からのお湯の蒸発音だけが聞き取れます。張り詰めた部屋の空気の中、母の言った通り淡々とお浣腸の準備がされていきました。指し水をされたのでしょう、
「お湯の温度もちょうどいいわね」
と、母の声。
(かさかさかさ、とくとくとく)
人肌の適温にされたお湯にキャップを取った瓶から、グリセリンが注ぎ込まれる音も聞き取れます。
(カシャカシャカシャ)
グリセリンがビーカー内の水に落とされると、陽炎のような幻想的な模様ができます。それをぼーっと眺めていますと、撹拌棒で薬剤が撹拌されてすぐに薬剤を入れる前の無色透明の液になります。でもそこにあるのはほんの数分前のただの水ではなく、グリセリン溶液。薬剤の調合が終わってしまったのです。
「お尻にお薬塗るから、じっとしてね」
と。ばあやにも、声が飛びます。
「お尻の穴が、よく見えるようにしてちょうだい」
と言うや、僕の頭の上にある足首をぐっと下げられ肛門がほぼ天を向きます。そのタイミングで、肛門に母の指が当たりました。指でほぐしながら、母がおもむろに、
「お尻は痛くないでしょ」
と聞いてきます。いつものことですので黙っていましたら、これから浣腸の刑をするが、何か言い残すことはないかとでも言うように、まだ指を肛門にあてながら、
「どうなの」
と重ねて聞いてきます。股の間から母と目を合わせ、唯一動く寝かされた首をかしげ、
「うんうん」
と言って見せました。その拍子に目の端に、部屋の隅には白いホーロー製のおまると差し込み便器が古新聞と一緒に置いてあるのが見えました。きっと、前の晩から用意されていたのでしょう。
(ああ)
と心の中でつぶやきます。なぜかと言うと、この情景から察するにトイレなど行かせてもらえず、この後、おまるという刑場に連行されるんだなと想像が十分できるからです。子供ながらにそんな思いに耽っていると、するとばあやが、
「奥様、今日はお浣腸管をお使いになるんですね」
目の前で橙色をしたゴム管に白い軟膏を塗っている母が、
「そうよ、お便をたくさん溜めているでしょ。だから奥まで送薬しますから」
と言うや、柔らかいけど子供の肛門にとってとても太いものが入ってくるのが分かりました。首をもたげて身体の前方を見ると、大人の小指位の太さのオレンジ色の長いゴム管のようなものが見え、するすると母がそれを押し込んでいます。ばあやの問いかけに母が続けてなおも答えます。
「ばあやも知っているでしょ。これ腸カテーテルっていうのだけど、これを使うと腸の奥までお薬がいきわたるのよ。わたしも子どもの頃にはさんざんお世話になったわよ。それに10代で嫁いで来てば義母やばあやにもされたわね。お浣腸器は1人で扱えないでしょ。私一人でするときはこれを繋いで使っているのよ。鉗子を使えば続けてできてよ」
母が10代でこの家にお嫁に来たときに、体調を崩し義母や若かりし頃のばあやからも処置を受けていました。
「それじゃ、よく効きますわね」
これまで何度と繰り返されてきた、浣腸の処置と浣腸器の扱いの説明です。ばあやも分かっていて受け答えをします。浣腸前の儀式のように言葉が交わされます。
膿盆には透明のガラス、少し青みがかったガラス、薄緑のガラス浣腸器、大きさもそれぞれ違うものが、3本くらいあります。いつも見慣れないガラス浣腸器が用意されています。
「今日は新型を使うからね。ばあや、その大きいの取って頂戴」
片手で僕の足を抑えながらばあやのもうひとつの手には、目の前の膿盆から取り上げた一番大きな透明な浣腸器が握られています。
「奥様、お薬もお入れしましょうか?」
「その体制では無理でしょう。ばあやは坊やを抑えておいて、あとは私がやるから」
私もその様を見ています。母はばあやからガラス浣腸器を受け取ると、先ほど撹拌したビーカーから薬を吸い上げています。目盛を見ると20…40…どんどん吸い上げられピストンが引かれます。薬剤を吸い上げた母はさっき見えていた長さが更に15cm程短くなった管に、銀色の鋏のようなものを挟み込みました。つまりは15cm、直腸に挿入されたってことかな、なんて冷静な思考のもう一人の私がと冷静に分析していると、その管の見えている反対側に浣腸器がつけられます。ピストンが50の目盛以上に引かれているのもわかります。さっき暴れたから、懲らしめにと言っていましたが、実際は重い便秘のため多めに浣腸液が充填されたようです。お仕置きにもなっているのかもしれませんが、される方にしたら大変です。いつもの軽便浣腸の2倍以上です。この後のことを思うと、容易に耐えられないのです。だから少しでも逃れようとしますが、そこは見透かされて、お浣腸におあつらえのおしめを替える体位でばあやに押さえつけられてしまい、どうにもなりません。準備は整ってしまいました。さあ、いよいよです。
「a君、これからお浣腸掛けるけど、すぐに出してはダメだからね。良いというまでちゃんとがまんするのよ」
とわかりきった、それでいて中々約束を守れないいつものことを、母はわざわざ宣言します。
「お返事は?」
今日の母はいつも以上に厳しいです。
「はい。お…」
と小声でお返事をすると、
「ちゃんとお返事は?」
「はい、わかりました。お願いします」
母からばあやにはちゃんと抑えていてねと、無言の目くばせのような合図がありました。その瞬間、足首がぎゅうと強く握られ、その刹那、内筒が押し込まれ管を通って薬剤が肛門深く送り込まれています。
(むん?)
なんかいつもと違う感じです。ピストンが押し切られカチンと鳴って、1回目の薬液が全量送り込まれたようですが、全然便意がありません。余裕です。
「お腹痛くないでしょ?」
「うん」
いつもは、お薬を入れてすぐに痺れる様に排泄感が来るのに、今日は不思議とあまりないです。
「カテーテルで腸の奥まで入れているから、すぐにお腹痛くならないのよ。軽便浣腸だと直腸の肛門付近だけなので、すぐ肛門側に押し出されて薬が腸全体に行き渡る前にお便したくなるのよ。それにa君、今日は大分溜めているでしょう。あとでたんとお便出るように、だから、もう一回しましょうね。大丈夫よね?」
さっき軽便浣腸にしてと私がお願いしたことについて、軽便浣腸にしなくてもよかったでしょと言い聞かされながら、ばあやは僕の足を抑え込みます。母は再度、鉗子で管を挟み込んでから浣腸器を外しています。するとすぐに、きゅっと、ピストンを引いて浣腸器に薬剤を補充しています。経験豊富なばあやは、この後のことを良く知っています。
「その分、このあと腸全体に薬が行き渡り強い便意が起きますが、お便つけるためですから、お我慢なすってくださいね」
ばあやはさらに、母と言葉を交わします。
「でも奥様、ぼっちゃま、後がお辛いのでは」
ささやいているのが聞こえます。母はそれには直接答えないかわりに、直腸内に入ったカテーテルを前よりも引いて浅い位置にし、先ほどより少なく内筒に半分薬液を吸い上げた2本目の浣腸をカテーテルに繋ぎ、2本目をする意思をばあやにも伝えました。カテーテルが引かれた際に、腸内を動く感じに私はたまらず、
「きもちわるい!」
「我慢して!こうすると、腸の全域にお薬が行き渡るのよ」
ばあやも、
「ぼっちゃん、2本目は半分ですから、すぐ終わりますよ。お我慢を」
そう言いながら、浣腸器の目盛半分に引かれた内筒を押し切りました。ここまで1分位でしょうか。処置が終わったカテーテルも抜きながら、母は言います。
「たくさん我慢しましょうね」
カテーテルがぶるんと抜け、肛門の広がった違和感がなくなりましたが、結果として腸の奥から肛門手前まで腸の全体にお薬を行き渡らせられた今となっては、最初の1本目の時よりも何十倍もの便意を感じています。そんな表情を察したのか母が、
「今日は多いと言ってもいつもの軽便浣腸2・3本分程なのよ。こんなに溜めておいて、これくらい我慢しないとだめよ」
この時点で2分も経っていません。でも、排便の息みは強くなるばかりで、歯を食いしばっても我慢できそうもありません。つい先ほどとは比べ物にならないくらい、強烈な便意です。とうとう私は許されないのを知りながら、
「我慢できない、うんこさせて!」
と母にお願いしましたが、
「まだお薬してから2分よ。もっと我慢しないとだめよ。あと3分は我慢ね」
今にも出したいのに、あと3分なんて絶望です。肛門は噴火を待つ火山のように、円錐形に盛り上がっています。念のため尿瓶をあてがいながらばあやが母に視線を送って、
(ぼっちゃまはもう限界の様です、お許しになっては)
と無言で語ってくれています。母がしょうがないわねという顔で、お尻の下に差し込み便器を入れ込みました。てっきり、先ほど目の隅に映ったおまるでするものと思っていたので拍子抜けです。でもうんこしてよいという許可は、まだ出しません。いつものことですが、ぎりぎりまで我慢させるつもりです。私は顔を真っ赤にして、歯を食いしばっています。何度かの腹痛の周期が押し寄せ、何度も撃退しましたが、もう耐えられません。そう思った瞬間、最初は透明の薬として腸に送り込まれていた浣腸液がぴゅっと一筋出ました。しばらくすると、今度は茶色く濁った排液の先陣がぴゅっーーと。ばあやが今度は言葉で、
「奥様、もうそろそろ」
母がそれを受けて、
「分かったわ」
と頷き、仰向けのまま足を下ろされて差し込み便器を入れられて、
「出しなさい。ほら、気張って」
と私に母が声をかけてきました。その瞬間、透明な浣腸液混じりの液便が出たあと、形が崩れないままの硬いうんこが肛門から勢いよく出てきました。が、半分でたところで、うんこが千切れ肛門に奥にまだ覗いています。
「あらあらa君、硬いうんこが挟まっているからぎゅって踏ん張ってごらん」
さっき以上に顔を紅潮させて息んでいますが、うんこが肛門に挟まれて出てきません。
「摘便しないといけないかな。指で掻き出してあげるね。恥ずかしがらずにちょっと我慢してね」
タイツを足首に絡ませただけで、ほぼ全裸状態で、ちんぐり返し気味にされてさんざんに耐えてきたのです。ほじくられるのは嫌だけど、肛門にうんこが挟まったまんまでいつまでもこの状態でいるよりは、摘便されて終わった方がはるかにましです。首を縦にうなずかせると、同意を得たとばかりに母は指を肛門にあてて掻き出そうとしました。が、下手に押してしまったので、肛門内にうんこを押し戻すだけになってしまいました。母が、
「あっ」
というのと同時に、自分の感覚でもそれがわかりました。
「ごめんね、うんこちゃんが奥に入っちゃった。お尻にまだあるね、気持ち悪いよね。腸の奥に行ったということは腸内を動くということだから、嫌だけどもう一回浣腸して出しちゃおうね」
今度も管を肛門に入れられましたが、もう暴れないと判断されたんのでしょう、体勢はちんぐり返しではなく、足首に絡んだタイツも脱がされ完全全裸、足を大きく開かせて俯せの状態です。そのカテーテルは排便をした後でぬめりがあったのでしょうか、差し込む時に突っかかりましたが、肛門の入口が太い管を加えこんだ感覚がありながらも、直腸内のうんこと内壁の間をするっと管が内壁のつっかかりを抜けてしっかり奥まで入った感じです。
「お浣腸、今からもう1本だけするからね。辛いかも知れないけど良いというまで我慢するのよ」
顔の横に改めてビーカーの載った膿盆が置かれます。ガラス容器から浣腸器にちゅーっと吸い上げられるのを、観させられています。もう抗う気力もなく無抵抗に見つめています。肛門からだらんと下がっていた管が、プルンとなり、浣腸器の嘴管がオレンジ色の管にこの日、三回目の接続が完了したことを無言で教えてくれました。
「お浣腸するね。直ぐ出したらだめよ」
浣腸するときの常套句。今日は何回目かなと思いながらいると、きゅー、かち、という連続した擬音がします。内筒が送り込まれ、浣腸筒にぶつかる音。
「カテーテルを抜くね」
と言われるのと同時に肛門の挟まった感じも無くなりましたが、代わりにすぐに強い便意が沸き起こりました。母とばあやは管にうんこがべっとりこびりついてるとか、べっとりついてるということは硬かったうんこが柔らかくなっているとか言っていたようですが、お薬を入れたばかりなのに、もう便意は最高潮になり母とばあや話など聞いている余裕は全くありませんでした。母にもう漏れると訴えると、すでに2度の処置でそうなることを察していたのでしょう、今度はあっさり許してくれました。私に立ち上がるように促しました。予想に反し簡単に許されたので一瞬きょとんとしていると、よろよろと母の手に誘われて部屋の隅へ。そうそこには新聞紙を分厚く広げた上におまるを置いた場所。先ほど目の隅で確認した浣腸の処刑場所です。結局、おまる跨ぎの刑場にも引き出されてしまったのです。もう観念します。余裕のない私はしゃがみ込むが早いか、極太のうんこを一つひねりだし、その後、液化した残便と固形物をたんと出すことになりました。今度はすぐに出し切ると、
「もう出ないの?」
と母に聞かれ
「うん、出ない」
と頷く。促されて防水シーツを敷いた布団に戻されて、ばあやに足首を持たれてちんぐり返しにされ、母に肛門をきれいに拭いてもらったところでやっと解放されました。処刑を終え、放心状態の私。母は後片付けしながら、
「こうなるのが嫌なら、うんこでなかったら翌日には言うのよ。それとこれからは、毎日の体温測定も肛門計を使ってお尻で測りますからね。大きくなったのでしばらくやめていたけど、肛門で測れば一緒に肛門内の点検もできてうんこが出ているのか出てないのかもわかるでしょ」
あれから何年経つのかな。そう言えば、あの時の浣腸器やおまるはどうしたかな?母が処分したのかな?中学生の途中までなにかと浣腸されるそんなことが続いたけど、早めの処置をされることにもなり、おかげであの時ほどの重症にはならなかったんだっけ。そんなことを思いながらレジで精算をすませ、帰宅しました。帰宅後、和室の押し入れに入り一番奥にから目的のものを探し当てました。古い小さな行李に入っているもの。ふたを開けると和手拭いに丁寧に何重にも包まれたものが出てきました。おまる、差し込み便器、当時のままのガラスの浣腸器が3本、それにカテーテルも数本。浣腸器は何十年も経っているようには見えず、欠けや擦れもない綺麗ない状態です。カテーテルも少し先端部分が色濃くはなっていますが、ひび割れもなくすぐに使える状態です。ガラス浣腸器を手に取ってみます。自分で触れるのは初めてかもしれません。ピストンを引いてみますが、スーッと引け、押し込みもスムーズです。嘴管も触れてみます。この嘴管は何度も私の肛門を貫いた悪魔のようなものでした。実際、触れるのは初めてです。触ると、とても滑らかで、曲線が美しいです。これを見ているとこんな思いが涌いてきました。
「もう一度、これで肛門を貫かれたい。そうだ、あのグリセリンを使おうかな、でも誰にされるの?」
その行李をそっと押し入れに戻します。元あった一番奥ではなく、一番手前に。
グリセリンの瓶を受取り、早速あかぎれに効く様に溶液を作り、処置が終わった妻は、何を思ったのかめったに入らない和室の掃除をしようと言い始めました。
「もう午後だけど今日は大掃除しないとね。どうしたの?ぼーっとして?」
「その瓶を見て、母や祖母のことを思い出しちゃった」
「そっかー、おばあさんがお部屋掃除してって呼んだのかもね。じゃあ、今日は和室からにしようか。このままだと開かずの部屋だしね」
大方、部屋の内部の掃除が終わり、押し入れをごそごそしていた妻が、行李を開けてしまい何かを見つけたようです。
「あれ、これはなに?おまる?おまるよね、これ?何か一緒に入っているわ。なにこれ?大阪万博って書いてある新聞紙に何か包んである…処置箱って書いてあるけど…」
妻が私の思い出を見つけてしまったようです。今日は特別な記憶の扉が開いた日になりました。
浣
本文は以前、某老舗雑誌に掲載して頂いたものを再掲したものです。掲載時の誤植がありましたが改訂しましたので、もし以前お目にした方もいらっしゃいましたら、再読頂けましたら幸いです。