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196 引っ越し、そして二つの消息①母の消息

 テンダーにとって、ポーレが居なくなって寂しくなったのは確かだった。

 だが。

 それ以上にともかく仕事の注文が殺到していた。


「臨時でも何でも縫い子でもミシン職人でも増やしましょう!」

「そうね! そう、ミシンは特に!」


 既にミシンも通いの縫い子も増やしてはいたのだが、それでも足りなかった。

 なおミシンを増やす理由の一つは、何だかんだで受けることにした師範学校の制服の件もあった。

 担当するのは意匠だけとしても、作成する際にはミシン対応の吊るしに近いものにしなくてはならない。

 お針子だの職人が増えると、だんだんこの工房だけでは手狭になってくる。

 少なくとも職住近接では無理が出てきた。

 テンダーはとりあえず近場に新しく家を探すことにした。

 工房は職場ということに徹底させ、住むには別の家。


「で、貴女方も住むところは移してね、もう一軒用意したから」


 え、とサミューリンをはじめとしたスタッフは唖然とする。


「――って、私達スタッフだけの家も借りたんですか?」

「ええそうよ。だって今度また北西からの子も来るだろうし……」

「いやそうじゃなく、テンダー様、お一人で住むんですか?」


 サミューリンのその問いは尤もなものだった。

 これまでは住むと言えばポーレだのその母親であるフィリアがテンダーの側には付きものだった。

 スタッフは皆そういうものだと思っていた。

 だから今後もきっとテンダーはスタッフと共に住むのだ、と思っていたのだ。


「いつまでも貴女方に私の世話もさせちゃいけないわよ。だから生活の方は住み込みのメイドを友達から紹介してもらう予定。作業以外の打ち合わせにも使える場所も欲しいしね」


 ああ、とスタッフは頷いた。

 テンダーはただ服を縫っているだけの仕事だけでは止まらなくなったのだ、と彼女達も気付いた。


「だからこの工房はあくまで服を作る場所。材料置き場が足りなくなったらまた考えましょ。で、貴女方にはあちらの家でそれぞれ部屋を分けて。自炊するとかその辺りは自分で考えること」


 スタッフ達にも自分の生活を自分で考えろ、と暗に示したのだった。



「でもこんな広さでいいの?」


 エンジュは工房近くの物件に難色を示した。


「基本は私が住むだけだし」

「それだけ?」

「――まあ、それだけということではないけど。でもずっと、という訳でもないし」

「なるほど、テンダーも三十歳が近付いてきているものねえ」


 にやり、とエンジュは笑った。


「だけど貴女から動くってのも珍しいわね。彼は知っているの?」

「そりゃまあ」


 話は先にしていた。

 それこそポーレが旅立った後に、多少の時間と部屋を取って愚痴大会を盛大に行ったものだ。

 その時思ったのが、そういう場所が欲しいということと、前々からの年齢のことだった。

 放っておけば三十歳も近いのだ。

 第一女学校と第五中等学校の共演した時以来の約束は未だに有効だった。

 だからテンダーはヒドゥンにこう切り出した。


「こういう場所を私がちゃんと作ってもいいですか?」


 彼はあっさり「いいんじゃない?」と答えた。


「それだったら俺は割と安心して地方にも回りに出かけられるし」

「そこで安心ですか」

「安心って言うか。俺は俺で愚痴交じりの土産話をする場所もできるし」

「まあ、そうですね」


 正直、ヒドゥンも聞くばかりではない。

 彼は彼で、現在は劇団で演じるだけでなく演出やら指導やらにも関わっていることから、悩みは尽きない。

 それでいて、そういうことは内部の人間には言えないこともある。

 テンダーがなかなか上達しない新入りや、入ったばかりのミシンの調子を嘆く様に、ヒドゥンも役者やスタッフとのことをぼやいたりはするのだ。

 何かしらに熱中はするが分野が違うというのはこういう時に良い、と彼女達は思う。

 基本、お互いの仕事に関し、深入りする程の興味は無いのだ。

 だから「ああこれは愚痴なんだな」と思えば聞き流すことができる。


 そしてもう一つ。


 先日一つの消息がテンダーのもとに来た。


「何?」


 ぽい、とテーブルの上に投げだされた開封済みの手紙に彼は首を傾げた。


「父から来たんです」


 短いその手紙には、テンダーの母親が亡くなった、という知らせが書かれていた。


「葬儀は内々でこちらでやるから心配するな、か。良かったな」

「ええ、それにポーレが行ってしまってからで本当に良かった」


 淡々とテンダーは口にすると目を伏せた。


「ポーレはきっとまた私のために何かしら泣いたり怒ったりしてくれそうですから。私は何とも思わないのに」

「だな。君今こう思ってるだろ。――ああ、何って嬉しい! やっと解放された!」


 やや大仰な身振り手振りつきで、彼はその言葉を告げた。


「頭の中にほんの少し残っていた重石が取れたみたい、って言ったらきっとポーレも皆も何処か胸を痛めてくれるから」

「皆とてもいい人だからな」

「ええまったく。貴方のご家族は?」

「さて。俺の兄貴が資産運用に失敗したとかそういう話を聞かないでもないけど、役者にたかるのは嫌だっていう妙なプライドがあるから、俺は無事なんじゃない?」


 そういう話も、そう簡単に人前ではできないものなのだ。

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