悲劇も喜劇も変わりなく
元々は石の方に寄生する形でその神族もいたようではあるのだが、ある程度力を得たそいつはより適合しそうな人物を見つけそれを宿主とする事にしたらしい。
その人物にとっては悲劇の始まりである。
何せその石が近づいて彼の存在を認識しなければ、彼は彼のままでいられたのだから。
その不幸な人物の名を、ベルナルードという。
彼はプリエール王国にて働く文官であった。
アビリティがその仕事に向いたものであったし、本人もそれなりに優秀であったために特に可もなく不可もなく、日々を過ごす事ができていたのである。
この時点での彼はどちらかといえば性格も穏やかで控えめな方で、城の中でもあまり目立つ存在ではなかった。
事態が変わったのは、言うまでもなくダンジョンを管理する石が城に運び込まれてからだ。
ダンジョンで見つけたらしい魔石のような何か、と言われ運ばれたらしいそれは、魔術師の研究に使われるはずであった。
それを手にしたのが当時城で働いていたアズリアだ。
魔導士と呼ばれていた彼女は城の中の魔術師たちの中でもかなりの優秀さであったのは確かだし、であればそこに持ち込まれるのもある意味で当然であったのかもしれない。
そして石に寄生していた神は彼女の魔力に目をつけた。
けれども、彼女そのものには手を付ける事がなかった。
単純にこれは相性が悪そうだ、と思ったからにすぎない。寄生されてほぼ力を乗っ取られている側の神からすれば逆に相性が良いだろうと思ったかもしれないが、そちらの意識は大分封じ込められていたのでどうにもできなかった。
便宜上、創星神と敵対していた側の神族を堕神と呼ぶ事にしよう。
その堕神はこの時点でそれなりに力を蓄えていた。それ故にその力を使ってまずアズリアが眠りについている時に彼女の精神に干渉し、彼女の意識が曖昧なまま中途半端な契約を結ばせた。普通に考えて詐欺である。
夢の内容もふわふわしていてアズリアが起きたとしてもきっと内容だってマトモに覚えていたりはしないくらいに曖昧なもので、知らずアズリアはその石に魔力を注ぐ事になってしまった。自分の意思でなくとも夢の中で半分程意識を乗っ取ってしまえばあとはどうにでもなってしまったのもよろしくなかった。
アズリアの魔力量が人並みか、もしくは魔導士などと呼ばれるまでの実力を持たなければこんな事にはならなかっただろう。そういう意味ではアズリアの運は底辺を這いずっていたと言ってもいい。
アズリアのもとにダンジョンで発見された魔石らしき物を運んできたのがベルナルードでなければ、堕神も普通にアズリアをマスターと認証して魔力を吸い上げるだけにとどまっていたかもしれないが、この時点でもう堕神の思い通りに事が進みかけてしまっていた。
ある程度アズリアから魔力を吸い上げた後は、石をベルナルードの所へ届けさせる。この時点でアズリアの意思がないままに強制的に結んだ詐欺同然の契約は、勿論アズリアに気付かれる事のないまま今も発動している状態である。
ベルナルードの所へやってきた堕神は、その日も仕事で疲れ果てて眠りについたベルナルードの身体をあっさりと乗っ取った。
そもそも堕神はこの時点ではベルナルードの部屋に届けられ、机の上に置かれただけの石だ。魔石にしてもどういう力を秘めているのか調べる、という名目でアズリアのもとにあったはずの石は、アズリア本人から他の研究で間違って使ってしまうといけないから少しの間預かっていてほしい、と言われてそうなのか、と疑う事なく受け取ってしまった。
この石がどういうものであるかを知っていたなら警戒もしただろう。けれども、見た目は石だ。異様な力を感じるだとかそういう事のない、ただの石にしか見えない物を警戒するなんて事、まず有り得なかった。
そうして無防備に眠りについたベルナルードは抵抗する間もなく乗っ取られた。
アズリアの与り知らぬ状況で結ばれた契約によって、石を経由して自分のもとへ力が流れるように細工もしてあるので、石の状態になっている神族が力を蓄えて復活する事もない。
しばらくはアズリアも自分の魔力が勝手にこちらに流れているなんて気付かないだろう。
この時点で堕神は次の手も打っていた。
数日は大人しく本来のベルナルードと同じように振舞っていたけれど、元々の堕神は優秀でもあったのでじわじわと頭角を現すように振舞って、そうして少しずつ自分の立場を向上させていった。疑う者は誰もいなかった。唯一疑うだろう相手はアズリアだが、彼女と常に一緒にいるわけでもない。仕事の都合上時折顔を合わせる事は前はあったけれど、今は他の者を使いに寄越したりして直接顔を合わせる事も減らしたのでアズリアが気付く事はない。
そうしてそれなりに城の中での立場も盤石となったあたりで、一部の使えない魔術師と共にアズリアも城から追い出す事にした。
彼女からの魔力の搾取は相変わらず続いているが、それだって大量というわけでもない。気付けないくらいに少量ではあるが日々常に、という感じだ。それももうずっと続いているので、今更おかしいと思う事もない。
そして城を出てからある一定の期間が経過した時点で、あらかじめ仕掛けておいた呪いは発動した。
アズリアは正式なダンジョンの管理者として選ばれたわけではない。所有権はベルナルードの身体に宿った堕神に、そして魔力はアズリアが、というまさに寄生されたも同然なものではあるが。
アズリアの呪いが発動したとしても、彼女の時を止めそこから少しの魔力を奪い、後は自分の魔力も用いてダンジョンを整えていく。
既に器と呼ぶべき身体は得たけれど、いずれは本来の自分の姿へ――と思っていた。
途中までは順調であったのだ。
アズリアを師と仰ぐキールがきっと彼女にかけられた呪いを解こうとするだろう事は予想していたけれど、それがあっさり解かれる事もないと思っていた。
彼の力では、呪いがかけられていると判明してもその呪いを解くだけの解呪の術を使えるようになるには数十年先の話であろうし、ましてやダンジョンでアズリアを救うためのアイテムを見つけるにしても、彼が行けるダンジョンはかろうじて中級者向け。アズリアを救うためのアイテムを探すのであれば、最低でも上級者向けダンジョンへ行く必要があるが、今の上級者向けダンジョンは自分が管理する場所以外ロクな物がないだろう事は既に把握してある。
そして、自分が管理する最大級のダンジョンはプリエールに存在している。しかしキールたちはそこから他国へ移動したので、再びここに来るには更なる年月がかかる事だろう。
だからこそ、ベルナルードは余計な邪魔が入らない事を理解していた。他のダンジョン管理者に選ばれた者も自分たちのダンジョンに関わるばかりで他に手出しする余裕はなさそうだったし、一度、他の管理者とバッタリ遭遇した事もあるけれど、あれは見るからに底辺だった。もしこちらの邪魔をするのであればその時は簡単に始末できるだろうとも思っていたために放置した。
少しだけ探った情報からも、こちらの害にはなり得ない。そう判断した。
まぁ、今にして思えばそれが原因でベルナルードの身は現在こうなっている、とも言えるわけだが。
彼がアミーシャに関して自分の情報を少しでも明かす事がなければ、ルクスがベルナルードのもとへ現れるのはまだ先の話であったかもしれない。
いずれは彼に辿り着いたとしても、その頃には彼の方も万全の準備が整った状態であったかもしれない。
かつての姿を取り戻すにはまだ時間が必要で、今ではなかった。
もしくは、もっとアミーシャ周辺の情報を探っておくべきだったのかもしれない。別れた後であったとしても他の管理者として選ばれた者の事を調べる事は決して難しい話ではなかった。
けれどその必要はないと判断したのは紛れもなく彼自身だ。
今更あの時ああしていれば……と悔やんだところで意味がないとはいえ、それでも縛られ身動きもとれない状況であると考えずにはいられなかった。
仮に、今拘束されていなかったとして、果たして勝てるかどうかはわからない。
何せこんな目に遭うまで、堕神はルクスの存在に気付けもしなかった。捕獲されて、そこで初めてルクスという存在を認識したのだ。
手の内がまるで読めない。今、この猿轡と縄から解放されたとして、どうにかできる気がしない。いや、一瞬の隙をつけば……とは思うがすぐに向こうも立て直してくるだろう事は容易に想像できる。むしろ、逃げたとしてもそれを見越している可能性の方が高い。
捕獲しておいて、こんな空間に放り込んで放置しておいたというのも堕神が大人しくするしかない状況であった。ダンジョンとはまた違う、それでいて本来の世界とも違う空間。
ヘタに暴れてこの空間に何かあったとして、自分が脱出できればいいがそうでなければこの空間ごと消滅という可能性もある。自分の身がどうなるかもわからないまま、そんな危険を冒すわけにもいかなかった。
「そういえば、何かあんまりにもあっさり捕獲してるけど一体どういう手段使ったの?」
「大した事はしていないよ。まず最初は城に出入りしている下働きの人間見つけてそいつに軽い魅了の魔術かけて知る範囲の情報全部吐いてもらって、そこからは今度洗脳系の魔術でもってその下働きから同じく城の中で働いてる他の人に感染する術でこっちの意識を埋め込む形で」
「あぁうん、ちょっと待って。わけわかんない」
「とりあえず自分の意識を分割して、城で働く人間に徐々に感染する魔術。意識を全部乗っ取るわけじゃないから本来の人格に変化が出るわけでもないから簡単にバレない」
「そんなの使えたの……?」
「それなりに疲れるから普段はやらない。だって感染するとその分自分の意識が分割されるから。どんどん増えてくとか考える事もたくさん増えるし面倒極まりない」
「ごめん、アメーバしか浮かんでこない」
ステラがそう言うとルクスは「はは」と軽やかに笑ってみせた。
「まぁ、そうやって私の意識が城で働く人間たちに埋め込まれていった、とだけ理解してくれれば」
「それ、この人にはかからなかったの?」
「だってもう乗っ取られてるからね。それに元々術の対象に含まれていない。そういう風に術も組んだから」
その会話を聞いて、堕神は声に出さずとも戦慄した。
なんて事しでかしてるんだ……!
確かにその術で自分も対象に含まれていたら、違和感とかで気付いたかもしれない。乗っ取られる事はなかったとしても、確かに何かを仕掛けられた気がする、という一瞬の奇妙な感覚には気付けただろう。そして、そうなれば恐らくはルクスの存在に辿り着けずとも何かを仕掛けてきた奴がいる、くらいは勘づいた。
けれど自分以外の者にしかかからない術であれば、気付きようがない。
感染した者たちが今までとはガラリと人格が異なるようであれば異変に気付いたかもしれないが、意識を完全に乗っ取るわけでもなく本来の人格に変化が出るわけでもない、と先程言っていた通りであれば気付きようがないではないか。
「そうして自分の意識でもって彼らを操って城の中の仕事をあらかた片付けたりしてたわけだ」
「……え? なんで」
「城の人間が少しずつ私の意識下で行動するわけだから、そりゃ優秀になるよね。そうなると仕事が捗るわけだ。いつもはまだ終わらないはずの仕事が終わったりして、次の案件に取り掛かったりだとか。
で、今日は何だか随分皆調子がいいなあ、なんて油断したんだよ。彼はね」
ルクスの言葉に、堕神は何も言えなかった。
そうだ、確かにその通りだった。
自分の優秀さでもって城での地位を上げる事もできたけれど、優秀なのが一人いたくらいで何もかも解決するというわけでもない。
そもそも城の中での立場を盤石なものにしたとはいえ、国のために粉骨砕身働こうなんて思いは堕神にはこれっぽっちもないのだ。ただ、己の目的のために利用しているに過ぎない。
そして油断した、というのも否定はできなかった。
小さなミスは誰だってやらかす。けれども、そういった小さなミスが立て続けに、それも他の者までやらかして結果大変な事に、なんていうのが時々あったくらいだ。
その逆の、今日は何だか全員調子がいいぞ、と思うような事もあったっておかしな話ではない。勿論そんな都合よくいくとも思ってはいなかったが、それでも滅多にない幸運な日だと思える範囲での事で、全体的に見れば珍しいなと思うのだが一つ一つを見る分にはおかしいと思える部分がなかったのだ。
たまたま。
その日たまたま城で働く者たちが小さなミスをおかす事もなく、誰もが調子の良い感じで働く事ができた。
本来ならこれがあるべき姿なのではないか、と思えるくらいに清々しくも最良のパフォーマンスを発揮した日。
そう思ってしまえる程度のもので、いや明らかにおかしいだろ、と思える程の事ではなかった。いつもこうだったらいいのに、と思うだけのもの。
これが連日、もっと長期的に続いていたら流石にいくらなんでもおかしい気がする、と思ったかもしれない。けれどもルクスが城に入り込むまでの日数はあまりにも短期であった。たまたま調子のいい日が二日程続いた、くらいでベルナルードの中にいる堕神が不審に思う事もなく。
気づいた時には手遅れだった。
ルクスの意識が根付いた城の連中は、ルクスの存在をおかしいとも思わない。城の人間でもない、ましてやどこの誰かもわからないような相手だというのに彼が堂々と城に入り込んだ時点で、誰も彼を異物であると思わなかった。ベルナルード以外の城の者がルクスの存在を当たり前のように認識して、彼もまた城にいても何もおかしくはないという認識を持ってしまったために、そしてわざわざ話題に出すべきものでもない、という思いもあったが故に。
何が恐ろしいって王族まで乗っ取られていた事だ。話題にも出ず、王族も異変を異変だと思ってすらおらず、ベルナルード以外の者たちはルクスの存在を当たり前のものとして受け入れていた。ただ、ベルナルードだけがルクスの存在に気付かなかった。
そして気付いた時には……ここから先はもう何も言う必要がないだろう。
今のベルナルードの状況を見れば一目瞭然なのだから。
「……つまり、そこの元石乗っ取ってた奴は完全復活したわけでもなくて、半分だけ復活、みたいな感じでいいのかしら……? というか完全にアズリアとばっちりだったわね」
ルクスから聞かされた話を脳内で反芻して、今回はプリエール王国の城の中だけで済んでるけど下手したらこいつこの世界の人間全部そういう状態にすることも可能って事……? と思うと本当にロクでもないな。
最終的に出た結論は国がどうだとかそういった話でもなく、ただルクスに関するものだった。
間違いなく野放しにしちゃいけない存在である。クロノという存在がなければ果たして何をやらかしていたのだろうか……考えたところで、何一つマトモな想像はできなかった。




