アミーシャ・レルノッティ
アミーシャ・レルノッティの人生は良くも悪くも普通のものだった。
少なくとも、途中までは。
彼女の生まれ故郷は既にない。
初心者向けダンジョンのある小さな村だ。それこそ田舎と呼ばれるくらいに平和で長閑でこれといった特徴もないような所。
そこに両親と暮らしていた。
父はかつて探索者であり、アミーシャが幼い頃に引退している。
けれども、その時に見つけた物の中にいくつかは価値のある物があり、それらを売った財産で生活していた。母は畑の加護、とかいうアビリティを持っていたので小さいが家の裏に畑を作りそこで作物を育てていた。
おかげで食うに困る生活だけはしていなかった。
探索者を引退したといっても怪我のせいで、だとかではない父は村の中で力仕事を請け負っていたし、時々他の町などにも出向いて村で作った物を売りにいったり町で村では得る事ができない物を買いに行く事もよくあった。
幼いアミーシャは時折父にくっついて他所の町に行った事もある。
故郷の村と比べて、大きくて、何だかとてもキラキラして見えた。
どうしてこっちで暮らさないんだろう、と思った事もあったが別に故郷が嫌いだったわけでもない。なんだかんだ、村の人たちには良くしてもらっていたのだ。
自分でも自由にあちこちの町に行きたい、と言えばそれなら探索者か、はたまた商人を目指すのがいいだろうと父に言われた。探索者一択でなかったのはアミーシャが女だったからだろう。
一応彼女のアビリティは短剣を扱う事に対して有利になるものであったから、探索者としてやっていけない事もないとは思えるが、やはり女性だ。父も母もできる限り危険な事はしてほしくないと言っていた。
幸い両親ともにそれなりに学のある人間であったために読み書きや計算はできた。
だからこそ、商人になるための最低限の知識はどうにかなりそうだった。
とはいえ、伝手がない。だからこそアミーシャは村の中で学べる範囲で学び、もう少し大きくなってから都会に行ってどこかの商人のところで下働きに出るつもりであった。
村の中で学んでいるうちに村長の知り合いの知り合いあたりに商人に伝手のある人がいたので、そちらから話を通してもいい、となっていたためだ。
最初に伝手の無い時点で諦めて探索者になると決めていたら、もしかしたらまた違った人生になっていたかもしれない。
伝手で知り合った商人のもとで働いて三か月経った頃、故郷のダンジョンが崩壊した。
村の人たちはそれぞれ別の場所へ移っていったが、その時病を患っていた母は受け入れてもらえる先が見つからないままに、村で亡くなってしまった。
その頃にはダンジョンも完全になくなってしまったため、父は一人で外を移動して近くの町へとたどり着き、そこからアミーシャが働く町へと転移してその事実を教えてくれた。
転移装置がなくなった町や村へ行くとなると気軽に行けるものでもない。母の墓参りに行くのは難しかった。
事実アミーシャが父から母が亡くなったという話を聞いたのは、ダンジョンが崩壊して村が滅んでから更に後の事だ。
父はアミーシャの暮らす町でどうにか仕事を見つけようとしていたが、もう一度探索者をするにしても流石に体力が衰えつつあるし中々に難しい。そこをアミーシャを受け入れてくれた商人が雑用としてでもよければ、と父を雇ってくれたのは有難い話であった。
けれども、それがある意味で人生の分かれ目でもあったのだ。
アミーシャが世話になっていた町のダンジョンは初心者向けと言われていたが入ると毎回中身が変わるダンジョンであった。初心者向けと言われようとも、実際の初心者はあまり足を運ばない。それは規模が大きめであったのと、攻略するにも毎回中身が変わるために地図が役に立たないこと、どちらかといえば中級者向けダンジョンに近いものであったからだ。
しかし実際中級者と呼ばれるようになった探索者なら普通に中級者向けのダンジョンへ行く、という、なんとも微妙なダンジョンでもあった。
ある日そのダンジョンへのおつかいを頼まれた。
探索者ではないアミーシャは勿論難色を示したが、初心者向けダンジョンである事は事実だし、商人の知り合いである探索者もつけると言われたのでしぶしぶ引き受ける事になってしまった。
荷物持ちに、と父も共に行く事となった。
商人の知り合いである探索者たちは、実力的には既に中級者向けダンジョンをいくつか突破し、そろそろ上級者向けのダンジョンへ行けるようになる、という者たちだった。
必要な素材は薬の材料になるもので、アミーシャはそれに関してどういったものが良くてどういったものが駄目なのか、商人からとっくに教え込まれていた。その他にももしあったら、という形でいくつかのアイテムも頼まれていたが、探索者たちとかつて探索者であった父、ついでに護身程度には戦えるアミーシャであれば苦戦する事のないダンジョン探索――になるはずであった。
結論から言おう。
商人は知り合いの伝手でアミーシャを受け入れたものの、アミーシャに商才はないと判断し、やんわりと故郷へ戻るように伝えるつもりであった。しかし彼女の故郷は既にない。となれば、戻れるはずもなくそうなればアミーシャだって才能がなかったとしてもそう簡単にじゃあ諦めます、となるはずもない。
更にはそうこうしているうちに彼女の父までやってきてしまった。
一応雇ってはいるものの、実の所人手は足りているので商人としても無駄な人材に金をかけるつもりはなかった。
解雇するにしても、下手なクビの切り方をしてはこちらの評判に関わる。アミーシャとその父の働きぶりは悪くなかったが……そのために簡単にクビにできない。
だからこそ、商人はあえて二人を危険な状況に追いやった。
知り合いの伝手、といってもその知り合いも既に縁が切れつつある状況だったので、商人からすればどうでもいい存在であったのだろう。ついでにダンジョンで必要な物があるというのは事実であったし、商人は懇意にしていた探索者たちに金を握らせ二人をダンジョン探索に同行させ、そこで事故に見せかけて処分するように頼んでいた。
内部が毎回変わるダンジョンであるために、地図は役に立たない。
そして階段を見つけたところで必要な物を入手するためにはなるべく全体的に見て、宝箱なども探さねばならない。
それもあって、アミーシャの体力はそれなりにあったつもりではあったが、やはり現役の探索者と比べるようなものでもなく、探索者を引退した父もそこそこ余裕はあったようだが奥の階層へ進むたびに疲労は確実に溜まっていた。
直接手を下せば探索者のギルドカードにその事実が記録されてしまうので、探索者たちから危害を加えられる事はなかったが、かわりに途中で遭遇した魔物の群れと戦っている途中ではぐれた振りをしておいていかれた。
護身用に持っていた短剣でどうにか身を守っていたアミーシャではあったが、複数の魔物を相手取るにはやはり厳しく、途中で父がアミーシャを庇って死んだ。
そこから先は無我夢中だった。
本当は父を連れて逃げたかったけれど、アミーシャの力で父を抱えて魔物から逃げるのはどう足掻いても無理だ。死ぬ間際の父にも自分の事は構わず置いて逃げろと言われていたし、本当はそうしたくなかったけれどそうするしかなかった。
必死になって逃げまわり、どうにか魔物たちを撒いたまでは良かったけれど。
その時には自分がどこにいるのかもさっぱりだったのだ。
探索者たちと合流しようにも、魔物に見つからないように移動しなければならない。
地図は探索者たちが描いていたし、持っていたのも探索者たちだ。
アミーシャと父はあくまでも付き添いという立場であったために、最低限の荷物は持っていたけれど肝心な物はほぼ持っていないといってもいい。
父の荷物だけは回収したので食料だとかそういったものはある。
ある、けれどもこの時点でアミーシャは探索者ではなかったので転移装置のあるところまで戻っても転移機能で帰れない。どうにか探索者たちと合流する必要があった。
まだ同じフロアにいるはずだと信じて彷徨って、遠くに彼らの姿を見つけた時は安心したのだ。これで助かると。
足早に近づいて、おーい、と声をかけようとして、しかしその声は出せなかった。
「そういやあのおっさんの死体があったな」
「あぁ、ダンジョンに取り込まれかけてたから確かに死んでたな」
「娘はどうしたんだろうな」
「さてね。とっくに取り込まれたんじゃないか?」
「仮に生きててもあいつ一人でこの階層の魔物と渡り合えるはずもないし、親子そろって同じ場所で逝けたんならまぁ、良かったんじゃないか?」
「あとは必要な物探してさっさとここから出るだけだな」
「でも、もし生きてたら?」
「あいつは探索者じゃないんだから転移装置で戻れるはずもない。自力でここを脱出して戻ってきたとしても……そしたら今度は他の方法で始末されるだけだろ」
「それもそうか」
たまたまアミーシャの姿がダンジョンの中にあった草木に覆われるような状態だったため、気付かれなかったのは幸いだった。
けれども、そんな話が聞こえればイヤでも状況を理解するしかない。
あたしたちは見捨てられたのだ、とそれだけは確実に理解できた。
どうしてそんな事に? とは思ったけれど、彼らに聞いたところで明確な答えが返ってきたかはわからない。
戻っても他の方法で始末される。
その言葉に。
何食わぬ顔をして戻るわけにもいかなくなった。
町に戻れたとしても、あの商人の所には戻れない。戻ったら今度はどんな目に遭うのかわからない。
殺されるような事を、果たしてしただろうか。
父さんが死ぬような目に遭う必要、果たしてあっただろうか。
そんな疑問ともいえないものがぐるぐるとアミーシャの中で巡っていく。
考えていた時間は少なかった。
気付いた時にはアミーシャは気配を殺すようにしてそっと探索者たちの後をついていった。
このダンジョンに階層主は三体いる。
最初の階層主は倒した。
二番目の階層主を倒して最後の階層主のいる階層までもうちょっと、という状況だ。
確かにここからなら階層主を倒して転移装置で帰った方が早い。
転移装置を使えないアミーシャだけなら、戻るだけでもかなりの時間を要するし戻れる可能性もかなり低い。
だから、ここで彼らは魔物の群れに襲われた時これ幸いとばかりに二人を置いてはぐれたように仕向けたのだろう。
ここに来るまでそれなりに魔物と戦う時に苦戦する事もあった探索者たちのそれは、どうやら演技だったようで。まだ気づかれていないアミーシャが彼らの戦いぶりを見ている限り、彼らの実力ならここで苦戦するような事はないのだとわかるものだった。一緒に行動していた時には気付けなかったけれど、少し離れた場所で演技する必要のなくなった彼らを見ていればイヤでもそれが理解できた。
階層主がいる場所へ辿り着いて、彼らが階層主に挑もうとしたその時にアミーシャは何食わぬ顔をしてするりと一緒に扉を潜り抜けた。
「やっと追いつきましたぁ!」
なんて、とにかく必死に後を追いかけてきた振りをして。
死んだと思っていたアミーシャがここで合流するだなんて思わなかった探索者たちは流石に驚いていたが、ここで無事だったんだね心配したよ、なんて言葉をかける余裕はない。
何せ既に目の前には階層主がいるのだ。
彼らの実力であれば倒すのは問題ないけれど、だからといってそこらの魔物ならまだしも階層主相手ではそんな会話をのんきに繰り広げている余裕もない。
「話はあとだ」
なんて言って、探索者たちは階層主を倒す事を優先した。
遅れてアミーシャが一人でここに入っていたならば、彼女一人で階層主を倒さねばならない。それくらいはアミーシャもダンジョンについて知ってはいたのであえてここで合流する事にしたのだ。
そうして彼らが戦い始めた時に、アミーシャは父から回収した荷物の中からある物を取り出した。
それは魔物から採取できる素材だった。
アミーシャの父はかつて探索者であったので、ある程度ダンジョンの中でも立ち回っていたし見つけた素材は商人の依頼の物でなくともかさばる物でなければ回収していた。
その中に、毒薬になるものもあったのだ。
魔物に囲まれた時に父がこれを使わなかったのは、その魔物に効果がなかったからに過ぎない。
けれども人間には効果のあるものだ。
彼らが階層主を倒した直後、彼らが勝利したその瞬間にアミーシャはまず麻痺毒の粉末を彼ら目掛けて投げつけた。咄嗟の事すぎて無防備に吸い込んでしまったそれらは即効性のもので、彼らはその場に頽れる。
アミーシャは自分までその毒を吸い込まないようにして布を顔に巻くと、動けなくなった彼らのうち一人を残して全員の首を手にした短剣で掻っ切った。
少し前までのアミーシャであれば人を殺す事なんてとてもじゃないけどできなかっただろう。けれども今は。
今は違った。
父を死に追いやる原因となってしまった彼らを殺す事になんの躊躇いもなかった。
ダンジョンの中は確かに魔物が出るし危険な場所だ。だからこそそこで死ぬ事そのものに関してはなんとも思ってはいない。けれども。
その死を意図的に引き起こされたのであれば話は別だ。
一人残した探索者を引きずって、安全地帯へと移動する。
そして転移装置を起動させる。この時点ではまだダンジョンから脱出するわけではない。
ギルドカードを奪えばもしかしたらその時点でアミーシャも転移装置を使えるようになった可能性はある。けれどもそうでなかった場合はまだ探索者に死なれるわけにもいかない。
あとはここを選択すれば脱出するべく転移機能が発動する、というところまで操作させてアミーシャは最後に残っていた探索者の首筋に短剣を突き刺した。その拍子に力無く倒れた探索者の手が転移機能の脱出するという部分を選ぶように押され、アミーシャと探索者は一階層まで戻ってくる。
この時点でアミーシャの行動は半分賭けだった。
もしここで他の探索者と遭遇したらアミーシャは殺人者だ。
けれども運はアミーシャに味方したらしい。
誰もいなかった。
いるのはアミーシャと既に事切れてしまった探索者だけだ。
その死体は首に短剣が刺さったままなので抜かなければ血も今のところ溢れたりはしていない。だからこそアミーシャはその死体を引きずって、次の階層に放り投げた。これで、後は勝手にダンジョンが死体を取り込んでくれる。勿論放り投げる直前に短剣は回収した。だってもうこれだけが唯一親から残された物だったのだから。
アミーシャ・レルノッティの人生は良くも悪くも普通のものだった。
少なくとも、このダンジョンに足を踏み入れる前までは。
けれども、この日からはどちらかといえば悪いとしか言いようのない人生になってしまったのである。




