それは儚きアミナス
どうしてこんな事に……
キール・クレッツィオは胸倉を掴まれ足下をぷらんぷらんさせながらそんな事を考えていた。
呑気に考えている余裕はない。ない、のだけれど一種の現実逃避であるのか考えは止まらない。ついでに口からは何かもう考えなくても命乞いの言葉が出てくる。
あっ、凄い。自分にこんな語彙力がまだ存在していたなんて……
これも勿論現実逃避の一つである。
同時進行で脳内と口から現実逃避している時点で案外余裕なのでは? と第三者がキールの内心を見る事ができれば思うだろうけれど、残念ながらこの場にはキールの心の内を知る事ができる人物はいなかった。
現実逃避、とはキールも思ってはいるが、これは一種の走馬灯でもあるのかもしれない。命の危機に瀕した際、どうにかその危機を回避するべく過去の経験から何らかの手段を得ようとする……のが走馬灯であると言われている。であれば、これもそうなのかもしれない。
何せ考える事も言葉を出す事も諦めてしまえばその時点で人生が終了する。
キールはそれをよく理解していた。
胸倉を掴んでいる相手は他の仲間たちをその拳でボッコボコにしたけれど、キールは今の所殴られてはいない。今はまだ、という言葉がつくけれど。
何でこんな事に? 何度目かの自問自答。
そう、事の発端は色々とすっ飛ばすが、間違いなくこの儀式が原因であるのは確かだ。
異世界から勇者となり得る人物を呼ぶ召喚儀式。召喚術。
かつて何度か行われ、異世界の勇者にこの世界は救われた。
しかし今ではこの術は禁忌となり、そういったものがあった、と文献に記されるだけだ。
儀式の手順も術の詠唱も何もかも、詳しい方法は廃棄され今ではそれを知る者はいない。
……いないはずだった、というべきだろうか。
それをとある人物が復活させた。それだけならば良かった。復活させた人物は禁忌とされている術をあえて使うつもりはなかったのだから。ただ、己の知識欲、好奇心、探求心、そういったものに従って蘇らせたに過ぎない。表沙汰にするつもりなどはこれっぽっちもなかったのだ。
復活させた事を知ってしまった弟子にも決して使う事のないように、と言い含めていたし使えないようにしていたはず……だった。
本人は純粋に過去に消えてしまった遺物に対する興味だけしかなかったのだ。復活させてしまったとはいえ、それの危険性も理解していた。だからこそ使うつもりなどはなくて、知ってしまった弟子にも危険性を伝え使わぬように、とそれこそしつこいくらいに口を酸っぱくして言った。
だがしかし、それでも尚勇者召喚の儀式は実行されてしまった。
弟子――キールによって。
キールとて、師匠の言葉を無視するつもりはなかったのだ。けれどもどうしても、そうするしかなかった。他に方法がなかったのだ。
キール一人でできればよかったのだが、明らかに自分一人の魔力で足りるはずもない。
だからこそ、同士を説き伏せて魔力を大量に用いて儀式に臨んだ。
失敗したとして、そうしたらそれはそれで諦めもついた。そうなってしまえば後はもうどれだけ無謀といえど残された手段に賭けるしかない。ある種の正攻法に臨むしかなかった。それがどれだけ無謀であろうとも、だ。
ただその場合は明らかに犠牲者が出ただろうとキールは思っている。藁にも縋る思いだったのだ。儀式は。
そして儀式はキールの願いに応えるかのように成功した――はずだ。
召喚に成功した。
勇者を召喚するとのことだが、正直勇者っぽい人がその場にいたかと問われれば首を傾げるしかない。
師匠の言葉を思い出す。勇者召喚では本来一人の勇者が呼び出されるはずだ。
けれどもその場にいたのは四名。
成功したのであれば勇者は一人。では、残りの三名は巻き込まれてしまった者、と考えるべきだろうか。
魔法陣の丁度中心にいたのは女性だった。
年若く見える女性。二十歳前後とも、十代半ばにも見える。正確な年齢はわからない。
青みがかった黒髪、いや、黒混じりの青髪だろうか。夜空のような色合いだな、と思わなくもなかった。けれどもその髪は、毛先へいくにつれて徐々に緑へと変わっている。地毛、だろうか。だとしたら何とも不思議な色合いだった。
髪の色に思わず目がいったが、それだけではない。
深い青い色の目はぱっちりとしていて、鼻筋は通っていて、唇は淡く色づいている。
見た目だけならば、何というかとても良くできた人形のようにも見えた。こんな場所じゃなくて、もっと普通の――それこそ町の中で出会っていたならばその美しさに思わず見惚れていたかもしれない。
けれども儀式が成功したのであればこの女性は異世界の住人だ。
もしかしたら、この世界には存在しない種族である可能性もある。
人間にしては容姿が整い過ぎている、キールにはそう思えてしまった。
正直に言って戦いに向いているようには全く見えない。
彼女が勇者だとして、果たして何ができるのだろうか。
いや、戦えないと決めつけるのは早計だろう。師匠のような魔術を扱うタイプかもしれない。
言っちゃなんだがむしろその隣にいる巻き込まれて召喚されてしまったであろう青年の方がまだ戦えそうな気がした。
金髪緑眼の青年。長身の彼は何が起きたのか理解していないようではあるが、それでもまだ女性よりは戦えるように思える。身体つきからして何らかの武術を嗜んでいるのではないか、と思えた。
この青年の髪も見れば女性と同じように毛先にいくにつれて緑色へと変わっていた。
春を告げる精霊である、と言われれば何となく信じてしまいそうな見た目だった。
そこから少し離れた位置に立っているのは、黒いスーツを着た男だった。
年は……いくつくらいだろうか? 見た目だけならば二十歳半ばに見えなくもないし、それより上と言われても信じただろう。何となくだがキールは見た目通りの年齢ではないのかもしれない、と思った。
何と言うべきだろうか。老獪な雰囲気を感じ取ったのだ。
青い髪に紫色の目。色合いだけであればこちらの世界にもいるので、別段何がおかしいわけでもない。そんな彼は、彼だけはこの状況を既に理解しているようにも見えた。
驚いた様子が一切ない。
そして最後に。
女性の髪の色に似た感じの青みがかった黒髪の少年……いや、青年だろうか。少年とも青年ともどちらともとれる見た目。青紫色の目は何が起きたのかわからない、と言わんばかりに困惑し、戸惑っていたがそのままついと視線を巡らせたかと思えば――
儀式に協力してくれた同士たちをぼこぼこにしていた。
こっちが何かを言う前に即座に行動に移るその決断力たるや……と驚嘆する、が、しかし。
それ故にキールは今彼に胸倉を掴まれ若干宙に浮いているのだ。
「クロム、その辺にしておいた方がいい」
そんな中キールにとってある意味救いの一声を発したのは女性――ではなくスーツを着た男だった。
その言葉に胸倉を掴んでいた手が緩んだものの、それだけで離れたわけではない。少しだけ腕が下におろされて、キールの足がようやっと床についた。それだけでも何故だかやたらと安心できた。
「さっきから聞いてたけれど新しい命乞いの言葉も出てこなくなったようだし、それ以上は無意味で時間の無駄だ。面白みもないし、そろそろ次の段階に進むべきだと思う」
「伯父さん……」
その言葉にスーツの男と今キールの胸倉を掴んでいる青年が親類だという事はキールにも理解できた。言われてみればまぁ、似ているような気はする。それから少し遅れて、胸倉を掴んでいるのがクロムだという名であると知った。
「そうね、いきなりこんな事になってちょっとどうしたものかと思ったけど、その人の胸倉掴んで揺さぶったとしてもこれ以上面白いワードが出てくる感じじゃないし尋問なり拷問なり次の段階に進むべきでしょうね」
「っ……!?」
スーツの男に便乗するように言った女性の発言に、思わず呼吸の仕方を忘れかけた。
話合いではなく尋問、もしくは拷問ときた。
「おい、いきなりそれは物騒がすぎないか? とはいえ確かに状況が状況だ……この誘拐犯が俺たちに危害を加えないとは言い切れないし、こうして既に誘拐された時点で敵とみなしてもいいような気がしてきたし……とりあえず腕一本へし折ってから次の事考えるか?」
「あらベルくんも物騒ね。私は逃げ出さないようにとりあえず足をへし折る案を提案するつもりだったんだけど……」
「俺だって別に普段からこんな物騒思考なわけじゃないんだけどな……いやでも相手誘拐犯だし。何か怪しいカルト宗教っぽいしここ。じゃあ下手に話し合ったら洗脳とかされるんじゃないかなって」
「話し合ったら洗脳される可能性を考えておきながら、腕一本折るだけなの?」
「痛みで下手に煙に巻くような発言考えて口から出す余裕はなくなるかなと」
「それでもなおそういう発言が出てきたら?」
「本物だと思って諦める」
「って事はベルくんは現時点こいつらをなんちゃって怪しい集団認定してるって事? ガチの方ではなく?」
「なんちゃってだろうとガチだろうと誘拐犯である事に変わりはないから……まぁ話し合いができる余地があればいいなっていう俺の願望が入ってる」
「ふぅん」
かなり物騒な事を言い合っていた二人だが、最後は女性のこれっぽっちも興味ありませんみたいな相槌で終了した。
とりあえずキールの事を誘拐犯であるという認識はどうあっても覆すつもりがないらしい。
違うんですそんなつもりではなかったんです……と言いたい気持ちもあったが確かに冷静になって考えてみれば相手の都合を無視して一方的にこの場に呼び寄せたわけだし相手からすれば誘拐とか拉致とかそういうものだと思っていても何もおかしな話じゃない。
藁にも縋る勢いで儀式を実行してしまったが、よく考えたらこれとんでもない事態になってるんじゃ……と今更ながらキールは気付く。
この四人から見ればキールは誘拐した一味の人間で、だからこそ酷い目に遭わせても問題ないと思っているのだろう。
勿論ハッタリの可能性も捨てきれないが、それにしたって腕を折るだとか足をへし折るだとか、提案があまりにも軽い。食後の紅茶をストレートにしてほしい、とか言い出しそうな軽い口調で言うべき言葉ではなかったはずだ。
「そうだね。私としてはどっちでもいいんだけど。クロム、きみは?」
スーツの男の発言に、クロムと呼ばれた青年はじっとキールの顔を見た。顔を、というよりは目を。
何を考えてるのかさっぱりわからない眼差し。底なし沼に沈んでいくような感覚に見舞われた気がして、キールの身体は知らず震えていた。いっそこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、しかし胸倉を掴まれたままなので逃げようとすればきっとこのクロムは今度は逃げられないようにもっとしっかり拘束するか、逃げないように実力行使に出るかもしれない。
それでなくとも流れるように同士たちをぼこぼこにした彼の手腕というか実力は理解するしかない。不意を突いて逃げようにも、彼の反射速度に果たして自分は勝てるだろうか?
「そうだなァ……おい」
「ひっ……は、はい」
さっきから何度もこれはどういうつもりだとかどういう事だとか、てめぇ舐めてんのかだとかその他諸々言われていたせいで、何かもうこの時点でクロムから話しかけられるのがトラウマになりつつあるな……とキールは内心で何とも嬉しくない事実を認識する。
そのせいで返事をしたものの、声はまるで蚊の鳴くような小さな声しか出なかったし、その小さな声はよりにもよって裏返ってなんだかとても情けないものだった。
しかしクロムはそこを気にする様子もなく告げる。
「選べ。服従か、死か」
よりにもよってその二択――!?
そんなツッコミは流石に口に出せなかった。出したら多分死を選んだと見なされて死ぬ。
そこでキールは今更のように理解した。理解してしまった。
異世界からの勇者召喚の術が禁術となってしまったのは、召喚した勇者が皆が皆協力的だとは限らないから、のみならずこちらの手に負えない相手が出てきてしまった場合の事を考えてのものだったのか――と。
師匠に言われた危険性の中には確かにそんな感じの事も言われていたけれど、相手はあくまでも話が通じる人間だと思っていたのでキールはその重大性を深く考えていなかった。話ができればどうにかなるとすら思っていた。
禁忌となった理由は他にもあったのだが、そこまでキールが知る由もない。
そもそも、キールは知らないのだ。
彼が召喚したこの四名。
勇者どころかその対極にいる魔王側の存在だという事に。




