これを共闘と呼んでよいものか
黒い魔法陣。
それに触れて、視界が歪んだところまでは覚えている。
あり得ないくらいの歪みに気持ちが悪くなり目を開けていられなくなって、咄嗟に目を瞑った。
全員が同じ魔法陣に触れたわけじゃない。それも理解していたし、現状自分がどうなっているかさっぱりわからないのでいつまでも目を閉じている場合でもない。
ハーゲンは覚悟を決めて目を開ける。
そうして見たのは、恐らくは同じ階層だろうけれど、先程いた場所とは明らかに違う場所だった。
あの死神のような魔物と出会ったのは新たなフロアだと意気込んでやってきたばかりの場所だ。
少しばかり一本道が続いていて、そこから二つに道が分かれていた。そこで魔物と遭遇してしまったので、実質この終盤階層最初のフロアを全く探索していないうちにスタート地点からどれくらい離れているかもわからない場所に飛ばされたわけだ。
周囲を見回す。
今の所魔物はいない。
いないけれど、仲間も近くには誰もいなかった。
仲間だけではない。
共に入る事になった別チームの連中の姿もだ。
とはいえハーゲンはステラたちが実はあの魔法陣に触れた直後にルクスの魔術でこの塔最上階にある休憩所へ転移したなんて事は知る由もない。きっと自分と同じようにこの階層のどこかに飛ばされたものだと、そう思っていた。
だからこそ、周囲を警戒しつつその手に斧を握りしめ、彼は一先ずこの場所から移動しようと試みる。彼らの心配は正直そこまでしてはいないが、それでも全員が無事であるとも考えにくい。
向こうのチームで無事だろうなと思えるのは四名ほどで、残る二名の魔術師は正直状況次第では死に至る可能性が高い。
そしてこちらも――
そう簡単に彼らがやられるとは思っていないが、それでも死なれると困るのだ。
ハーゲンが転移させられた場所からは、三つ程道が伸びている。どこにつながっているかはわからない。この三つのうちのどれかが最初にここに着た場所に繋がっているかもしれないし、全然違う場所なのかもしれない。
今までのフロアは割と自然の中を模したものであったがために、見晴らしは良かった。ある程度目印になりそうなものがあった。だからこそ道があってそこから逸れたとしても迷う事はなかったのだ。
だがしかしここは今までの通常ダンジョンでもそれなりに存在したマップが必要なタイプだった。
今の今までこういうフロアは出てこなかったので油断していたとも言える。
通常の、各大陸に存在しているダンジョンであればマップは探索者ギルドで売られている。だからこそあまり気にしていなかった。たまに入るたびに中身が変わるダンジョン、なんてのもあったけれどそういう面倒な場所はあまり足を運ぶ事もなかった。何度かは行った事があるが、次の階層へ進むにしても全体的な探索が必要とされるし時間がかかるので余裕が無い時は足を運ぼうとはならなかった。
この塔も何度か足を踏み入れると中身が変わる事があるが、それでも地図の存在は特に必要としていなかった。基本的には見晴らしがいいフロアだったからだ。
森の中だとかであっても何となく方向はわかるし、攻略に苦労した雪フロアの雪が壁のように積もって周囲が見えにくくなっていた場所であってもどうにか目印になりそうなものはあった。
けれどもここは人口建造物めいた、どちらかといえば迷路のような場所だ。
地図がないのはキツイ。地図がなくともどうにかなるとは思うけれど、仲間と分断されたのが痛い。
先程の魔物とまた遭遇したとして、あの魔法陣が別の場所にしか飛ばせないのであれば場合によっては逃げる時にはいいかもしれない、とは思う。けれども次の階層へ行く手前で現れて、またあの魔法陣で今度はスタート地点に戻された、なんて事になるのを考えると一概に便利だとは言えない。
というかそもそも仲間と強制的に分断されるようであれば利用しようとも思えないのだが。
おーい、と叫んで周囲に誰かいないかを確認してみよう、とは思わなかった。
もしかしたら近くにいるかもしれない。けれども逆に魔物を呼び寄せる可能性の方が圧倒的に高いのだ。仲間たちだってそれくらい理解している。
くそ、と小さく吐き捨ててハーゲンは軽く頭を掻いた。
ここがこういうフロアであると知っていたなら事前に地図を描くための道具くらいは持ってくるんだった。そう思っても後の祭りである。
とりあえず足を動かして、ここ以外の場所へと移動する事にする。
魔物に関してはハーゲンからすればどうにかなると思っている。先程遭遇した魔物だってあの魔法陣が厄介ではあるが、それでも攻撃を当てれば倒せるとわかっていた。自分と相手の力量を見誤るようなヘマはしない。あの魔物であれば群れで出てもどうにかなる。
勿論このフロアにあの魔物しかいないなんて事はないだろう。いや、でも一種類しか魔物の出ないダンジョンなんてものがあるくらいだし、このフロアもそういう一種類しか出ないものであるかもしれない。まぁどちらにしても甘い考えは捨てるべきだ。
極力物音を立てないように移動して、最初に選んだ分かれ道は行き止まりだった。仕方なく引き返す。
そうして今度は別の道へ行こうとしたところで魔物と遭遇したが、それは先程魔法陣を飛ばしてきたやつではなかったので出合い頭に即攻撃を叩きこんで仕留めた。
そうやって魔物と遭遇してはすぐさま攻撃を仕掛けつつ移動していくうちに――
階段を、見つけてしまった。
ハーゲンは考える。
本来であれば先へ進むわけだが、現在仲間とはぐれている。
その状態で先へ進んでいいものなのか、と。
正直な話どこをどう進んでここに辿り着いたかも覚えていない。少しくらいは覚えているが、ではスタート地点からここまで辿り着けるか、と問われれば無理だった。そもそも飛ばされてからあちこちうろついた時点でスタート地点に戻ったりはしていなかったので、ここから来た道を引き返したところで最初のあの場所へ戻る事は難しい。下手に引き返しても今度はこちらに辿り着けない可能性すらある。というか恐らく迷う。
かといってこのまま一人で先へ進むのも躊躇われた。
「――あら?」
どうする……? どうするべきだ……? と悩んでいると、小さな声が聞こえた。咄嗟に音がした方を見れば、通路の奥から姿を見せたのは共にこのフロアに足を踏み入れた別チームの唯一の女性――ステラと呼ばれていた女。
「一人か?」
「そうね」
とても戦えるようには見えないけれど一人でここまでこれたという事は、見た目に反して戦えるのだろう。怪我をした様子もなく至って平然とやってくるその女に声をかける。ステラもあっさりとこたえた。
「先、進まないの?」
「仲間を置いてか?」
「んー……でもここで見てないのよね。他の所に飛ばされたんじゃないかしら」
「…………どういう事だ? お前はどこに飛ばされた?」
ステラの言葉にまるでこの階層の全体を見てきたかのようなものを感じ、念の為確認するように問いかける。
「私が出たのは休憩所よ」
「なんだと?」
ハーゲンが片眉を跳ね上げる。このフロアに入る前の休憩所にステラは出たのだという。
実際にルクスもそこへ飛ばした。
本来、あのトラップメイカーが作る魔法陣で飛ばされるのはこのフロアのみだ。これより先の更に上のフロアへ飛ばされたりだとか、更に下の階層のフロアに飛ばされたりだとかはない。
精々この五階層のフロアの中のどこかだ。
けれどもまぁ、ここに来る手前の休憩所なら誤作動でありだろうとかいうルクスの判断でまずステラはそちらへ飛ばされたのだ。
クロムは多分適当な所に飛ばされている。
思ったよりも広いわけじゃなかったこの階層で、ステラは自分が移動したところを自動的に地図として記してくれるマジックアイテムを使いつつ移動してみたが、魔物とは遭遇したものの他の誰とも遭遇はしなかったのだ。ちなみに魔物も自分で作ったアイテムで撃退したのでノーダメージである。
現在スクリーンは誰を映しているかはわからないけれど、まぁ映ったとして困るものでもないからいいか、のノリだった。
そもそもハーゲンたちを一応救出しようとなって向かったのはステラとクロムだけだ。
普段ならまぁ他に人もいるしフォローは任せた、くらいのノリで雑にやらかすが今回はそういうわけにもいかないので、使うアイテムも周囲に被害を及ぼすようなものは避けている。
その気遣いを普段からもうちょっと発揮しろ、とベルナドットなら言うかもしれないがまぁそこはどうでもいい。
「それで、とりあえずぐるっとこの階層回ってみたけど誰とも会わなかったし、そうなると次の階層とかそっちに飛ばされたか、はたまた別のフロアに飛ばされた可能性もあるんじゃないかなって」
「…………つまり、ここで待っていても無駄、というわけか」
「そうね、この次の階層に飛ばされてたら、引き返せないわけでしょ。じゃあ、こっちが合流するしかないってなるわね」
その言葉にハーゲンは少しだけ考え込んだ。
その言い分が正しければ、確かにここで待っていても時間だけが過ぎるだけで無駄だ。
新しいフロアになってからここは一つ目。
この下、ステラのように休憩所に飛ばされたのであればその時点で待機しておくのが無難だろうし、それよりも下のフロアであったとしてもどうにか階層主を倒せるなら休憩所までくればいい。
そうじゃないなら緊急離脱機能に賭けるしかないわけだが、今の所は誰も危機的な状況に陥っていないのだろう……そう、信じたい。
だが問題として、今ハーゲンがいるこの階層よりも上に仲間が飛ばされた場合だ。
次の階層やその次くらいならまだいい。けれども階層主手前に飛ばされていたら。
そうなった場合はもう階層主を倒して次の休憩所へ行くしか脱出できる手段がない。緊急離脱を除いて。
かといって、もうこのあたりの階層主は一人で倒すにはどうあっても厳しいものばかりだ。
序盤階層や中盤階層に入ってある程度まではハーゲンたちも魔物コインや宝箱を落とす階層主を狙ったが、流石にこのあたりの階層主でそれをやるとなるとこちらの被害も大きくなる。
誰かが緊急離脱を発動させるか、自力で休憩所へ辿り着くかしないとどうにもならない。
ステラはこの階層を全体的に見たと言っていた。であれば、ここで待つのは意味がない。
「先へ進む……」
「そうね。それがいいんじゃないかしら」
「お前さんも一緒に来るよな? 流石に一人は……いや、一人でここまでこれたなら平気なのか?」
「私は平気だけど……まぁ、そっちのお仲間探すの手伝ってもいいわよ。さっきはちょっとだけ世話になったしね」
「そっちのお仲間はいいのか?」
「問題ないわ。キールとモリオンも休憩所にとんだから、後は正直放置でも問題ないのようち」
その休憩所にこっちの仲間はいなかったんだろうな、とはその口振りから察せられる。
しかし、一人になったら確実に危険だろうなと思えたあの魔術師たちはステラと同じく休憩所にとんだのか……運が良いな。なんてハーゲンは思っていた。
ステラがルクスの魔術でこの手前の休憩所に飛んだからといって、キールとモリオンまで同じ休憩所に飛んだわけではないのだが、ステラはその間違いを正さなかった。その必要がなかったので。
もっと言うならベルナドットとルクスも休憩所なのだが、それも言う必要がない。
かくしてハーゲンはステラと共に行動する事になった。
正直この二人が並ぶと絵面が酷い。
どう見ても悪党に連れ去られそうになってる美少女、という構図になりかねない。
だがしかし、この場にいないがベルナドットあたりがこの光景を見ればどっちかっていうと凶悪なのはステラの方、とか言うのは確実だろうし、ルクスもそれを否定はしない。
何も知らない者だけが見ていてハラハラする、そんな光景だった。