そこは死の館
翌日。
毒霧漂うエリアを攻略し休憩所まで辿り着いていた探索者たち複数のチームはどうやら先へ進む事に決めたようだ。
解放してある緊急離脱があるので、とりあえず様子見も兼ねて……といったところか。
次も毒が漂うエリアだとは昨日の時点で休憩所のゴーレムから聞かされていたが、同じように毒の沼地だとは限らない。今度は山の中か、それとも真っ暗闇の洞窟か……などと思いながらも彼らは進む。
塔の休憩所の中ではスクリーンがないので、じゃあおれが先行するぜ、とか言ってもこの場の彼らには何の情報も得られないからだ。
かといって、どれか一つのチームに先を譲ったとして自分たちはスクリーンのある塔の外へ……となったとしても、以前のように扉を開けた直後に酷いダメージを受けて早々に緊急離脱が発動する、なんて事になるのも意味がない。
今までの階層はそれなりに人が探索しているのを見ているだけでもある程度の情報は得られたけれど、ここから先はそれだけでは弱い。自分たちの目で確認するのが確実だった。
そうして向かった先、次のエリアはどうやら荒野のような場所だった。ここも薄っすらとではあるが霧が広がって視界が悪いが、少し遠くの方に大きな館があるのが見える。
「まさかあの中に行けって事か……?」
魔物の気配は今の所周囲にないけれど、いつまでもこうして外で館を眺めているのもよろしくない気がする。
それに機能解放で毒が無効化されているとはいえ、この霧も毒であるというのはゴーレムの話で確定しているし、なんというか……いくら無効化されているとはいえ毒とわかっているものを延々吸いこんでいたくもない。
建物の中なら霧は流石にないだろうと思うし……という事で各々が館の方へと足を進める。
「しっかし塔の中っていうのに館まであるとは……ダンジョンだから、の一言で済ませるにしてもどうなってんだろうな」
探索者の一人がそんな事を漏らす。
塔の中、空間がおかしいのは今更ではあったが、外から見る限りでは間違いなくこんな大きな館が中にあるだなんて思うはずもない。
……と思ったのはほんの一瞬だった。
よくよく考えれば休憩所の宿屋スペースは明らかにおかしい。
そこらの街にある宿より大きいだろうと思える程度には部屋があるし、風呂なんて貴族の屋敷か何かか? と思うくらいに大きいのだってあるのだ。
結局考えたところで意味がない事に気付いて最終的にダンジョンだから、という部分に戻ってくる。
とにもかくにも館の中に入った彼らはさてどうしたものかと周囲を見回した。
一見すれば割と普通の館……だと思う。
思う、となんともあやふやなのは、そもそも彼らが館の中に足を踏み入れる機会がほとんどなかったからに過ぎない。探索者のほとんどはダンジョンの中なら馴染みはあるが、貴族などが暮らしているだろう館などとは正直な話あまり縁はない。
全くない、というわけでもないが大半の探索者にとって縁がないのは事実だ。
先に進むにしても単純に上を目指すべきなのか、それとも他の部屋などに次の階層への道があるのかがわからない。
他のフロアだと森の中だろうと次の階層へ行くための階段などがあるからわかりやすいが、いかんせんこういった建物の中、というダンジョンは今までなかったので勝手がわからなかった。
「流石に全員で同じ場所を探索すると魔物が一斉にやってきそうだしな……」
あまり大人数で行動するとその分やって来る魔物の数も多くなる、というのは既に知られた情報だ。だからこそ探索者の一人が漏らした言葉に誰も否定はしなかった。館の中に入った時点で霧はなくなったが、けれども妙な空気の重苦しさがある。
これ多分館の中でも普通に毒が充満してるんじゃないか……? と思わなくもない。
とはいえ既に毒無効化を解放してあるのでそれに関しては今更でしかないが。
今はまだ魔物が出る様子もないが、いつ出てくるとも限らない。
とりあえず他のチームと軽く話し合って、それぞれ別方向へ進む事にした。
誰が最初にこのフロアを抜けて次のフロアに行っても文句は言いっこ無しだ。
そんな感じの別れの言葉を口にしてそれぞれが進んでいったわけだが――
この後、大体どこも同じくらいのタイミングで塔の外に緊急離脱する羽目になった。
スクリーンで見ていたステラたちからすればやっぱりな、といったものであったがそれ以外の者からすればそんな事わかるはずもない。やっぱりな、なんて思うような要素はなかったのだから。
まず以前毒霧フロアに一番最初に訪れて早々に離脱する羽目になったチームは、少し進んだ先の廊下で魔物と遭遇した。ゴーストタイプのそれは壁をすり抜け彼らに襲い掛かり、彼らはそれに応戦。
物理攻撃が全く効かないわけではないのでごり押ししつつゴーストを退治したわけだが、その直後現れた別のゴーストが壁にあったレバーを引いた。
――と同時にぽっかりと廊下に穴が開いたではないか。
そこにひゅっと吸い込まれるようにして落下していく探索者たち。
落下してその下にはとても鋭利なトゲトゲが満ちていたために、それに触れる直前で緊急離脱が発動。
かくして彼らは塔の外に強制的に脱出をする事となった。
別の探索者チームも同時刻、別の部屋にて魔物と遭遇していた。
こちらもゴーストタイプの魔物だったが、他のチームが遭遇した魔物と比べて更に強いものだったらしく苦戦。首のない騎士の姿をしたゴーストの持つ剣で危うく仲間の一人が首を刎ねられそうになり、その時点で緊急離脱が発動、このチームも脱出する事となる。
もう一つの探索者チームもやはり時を同じくして魔物と遭遇していた。
こちらもゴーストではあるが、半透明だったりして壁をすり抜けるようなタイプでもなく、物に憑依しそれを動かす、といったタイプの魔物だ。
ビスクドールの姿をした魔物だが、本来は可愛らしい顔をしていただろうその人形の顔の半分はひび割れて身体のそこかしこも細かな傷がある。動くたびにギィギィと不吉な音を立てたそれが思った以上に素早い動きで襲ってきて、襲われそうになった探索者が悲鳴を上げた。普段、この程度で驚くような者ではなかった彼は、後に語る。実は人形が苦手なのだと。
ともあれ、まさかの自分にとっての苦手な物が意思を持って襲い掛かってきたせいで初動が遅れた。
この時点では一撃で死ぬような攻撃を食らったりはしていなかったが、それでも一撃は食らったしそのせいで余計に彼はパニックに陥った。そうして慌てふためいた彼がこの状況をどうにかしようとした結果、壁にあった燭台に触れてしまった。
そしてそれは何かのスイッチだったらしく、思った以上に滑らかに動く。がこん、という音とともに壁が突き出てそれに身体を押される形で反対側の壁に激突――する前に彼らもまた緊急離脱が発動していた。
ここで発動しなければ恐らく彼は壁と壁に挟まれて死んでいただろうから、まぁ発動自体は別におかしな話でもない。
塔の外に出た直後に彼らは皆少女ゴーレムから消毒液を噴射されるという洗礼を受けたが、これもまた仕方のない事だった。そうしないと彼らに染みついた毒が周囲に被害をもたらさないとも限らない。
脱出した直後に仲間の一人に「人形が動いたくらいで悲鳴上げるとかどうなの」と言われたが、彼も負けじと反論していた。苦手なんだから仕方がないだろう、と。
けれども苦手の一言で納得できなかったらしき仲間に、彼は更に言葉を続けた。
「じゃあ、もしあれが人形じゃなくてゴキブリだったらどうするんだよ。それでもお前ら悲鳴の一つも上げないのか?」
「あ、無理」
「ごめん。わたしが無神経だった」
「誰にだって苦手なものってあるよな」
「よく思い返すとあの人形不気味だったしな、苦手なら余計にそうだよな。なんかごめん」
まさかあの場面で緊急離脱する羽目になるとは思わなかったからつい、と言ったかたちで言葉が出てしまったけれど彼の言う通りそれぞれがあの人形をゴキブリに変換して想像したら無理だった。
正直こっちに襲い掛かってこなくてもいるのを見ただけで無理、ってなるゴ〇〇リ――自分で口に出すのも言葉を想像するのも拒否したい――が確実にこちらに襲い掛かって来るとか考えただけで鳥肌出る。やめろカサカサした動きでこっちくんな。あと羽とか広げて飛ぶかもしれないアピールもやめて。あいつら実際飛ぶっていうか高いとこから低いとこに滑空するとか聞いたけど、どっちにしろイヤなものはイヤ。
そうか、あれが人形だったから自分たちは平気だったけど、ゴうにゃうにゃだったりしていたらそりゃ叫ぶわ。そう考えると何だかとても申し訳ない感じになったので、またあの階層に挑む時にあいつが出たら今度はきちんとフォローに回ろう。仲間たちはそう強く決意した。
何せ普段、拠点などでゴ……例のアレが出た時に退治してくれるのは彼だけなのだ。彼が退治してその死骸をこちらに見えないようにそっと処分してくれるからどうにかなってる。
そうだ、いつもはヤツに対して自分たちの方こそが助けられていたのにこういう時に助けになれなくてどうする! そんな気持ちだった。
危うく仲間割れに発展しそうな雰囲気だったというのに、ここは逆にガッチリと絆が強固なものに変化した感すらある。
最後にハーゲンたちのチームだが、彼らもやはり大体同じ時に足を踏み入れた室内でゴーストと戦っていた。
いつもはアタッカーとして活躍していたハーゲンだが、今回ばかりは分が悪い。その代わりに、といってはなんだがエルオスが活躍していた。何せ彼の武器は魔力で操るクマのぬいぐるみ。ぬいぐるみそのものは特に攻撃力が高いとは思えないが魔力を込めて動かすだけあって、クマの一撃はちょっとした魔術に匹敵している。
派手に魔術をぶっ放せる者はいなかったが、魔術に近い攻撃は可能。
だからこそ、ゴーストが出ても然程苦戦はしていなかったのだ。
しかし、次から次に壁をすり抜けやってくるゴーストに、この戦いいつ終わるんだ……とうんざりしたあたりでゴーストが壁や床にあったスイッチらしきものを押して――
罠が作動した。
まさかの部屋の天井が全面的に落ちてくる、といった逃げ場ゼロなもので押しつぶされる前に緊急離脱が発動。こうしてハーゲンたちもまた塔の外に追いやられたというわけである。
正直ほぼ同時刻にこうしてそれぞれの場所で緊急離脱が発動して皆一緒に塔の外に追いやられるだなんて思ってもいなかった。
そのせいで探索者たちは一様に何があったかわからない……みたいなぽかんとした間抜け面を晒す事になってしまった。
いやだって……緊急離脱が発動したのはまぁわかる。わかるけれど、いざ塔の外に出た、と理解した時点で周囲に先程分かれて別ルート行った連中がいるとか思うか普通。
いや、いたとしてもおかしくないかもしれないが、それだって精々他に一組とかその程度だと思うだろう。皆同時に、とかそこまでは誰も予想していなかった。
塔の外でスクリーンを見ていた者たちも、一瞬何が起きたかわかっていなかった。
塔横の大スクリーン。一番探索が進んでいる者を映すそこには今こうして脱出してしまった探索者チームの一つが映っていたし、隣のランダムで色々映す方にも別の探索者チームが映し出されていた。
ついでに少し離れた小さめのスクリーンにそれ以外の探索者たちが。商会で借りてるやつ以外はそれぞれが最新階層を行く探索者たちを映していたのだ。
一番進んでるのはこいつらか……とか思いつつ他の者の動向も気になる。スクリーンは塔横はさておきその後に追加されたやつも見るとなるとちょっと厳しい。というか人間の目は二つしかないので見られるものにも限度がある。もうなんか全部気になる、くらいの気持ちで視線をあちこち移動させていたというのに「あっ」と思った時には罠だったり魔物の攻撃だったりで危うく死にかけた者たちが一斉に外に放り出されているのだ。
……え、何がどうしてそうなったの? という気持ちになるのも仕方なかった。
ハーゲンたち探索者の方も「え? 今何がどうした?」という気持ちはあったのだろう。
質の悪いドッキリにでも引っかかったみたいな顔をして周囲を見て、それからややあってようやく現状を理解したのだろう。「あー……」とどこか気の抜けた声を出したのは誰だったか。
少女ゴーレムに解毒効果のある消毒液を噴射され、つんとした消毒液のにおいに鼻の奥がむずむずしつつも彼らはどうにか立ち上がった。
「どうするんだ? この後もっかいチャレンジするのか?」
見物していた探索者にそう問われたものの、どのチームの探索者たちも誰も首を縦に振らなかった。
「いや、ちょっと拠点にでも戻って作戦会議と反省会でもする事にするわ……」
答えたのはハーゲンであったが、他の探索者チームの者たちも同じような気持ちだったらしい。彼の言葉に追従するように頷いていた。
作戦会議はともかく反省会は何を反省しろという話なんだ……という話なのだが。