一方その頃
さて、ステラたちが異世界に勇者として召喚されるというどこからどう見ても事故としか思えないような事態に巻き込まれた直後まで話は遡る。
「ス……ステラ、さん……?」
いきなり魔法陣が浮かんだと思ったらあっという間に四人を飲み込んで消えてしまったそれらを見て、呆然としたようにクロノはその名を呟いていた。
しかし呼んだところで返事をする者がいない。先程まで確かにそこにいたというのに、今は姿どころか影も形も何もない。
これが普通の人間であれば一体何事かとおろおろしたことだろう。
しかしクロノは仮にも魔王だった身。何が起きたかを理解していないわけではなかった。
咄嗟にステラの本体でもある世界樹へ目を向ける。
無事だ。
世界樹にも、その近くにある植物も何の問題もないくらいに無事だ。
なら、まぁ、大丈夫だろう。
本来ならステラとベルナドットの本体はここにあるので、余程の事がない限りは向こう側も大丈夫だろうとは思う。しかしこちらの本体に何かがあれば当然向こう側の二人の体調に影響が出るし、いくらこちらの本体が無事であるからといって向こう側で無茶をして何度も傷を負えばやがて本体にも影響が出る。
かつて、まだステラもベルナドットも人の身であった頃なら召喚された先がどんな所かで危険度が大きく変わってくるが、今は違う。
眷属となった後でもまぁ、どうにかなるだろうと思っているし、ましてや一度その生を終えた後に魂をちょっとだけいじって復活させた時点で人の身であった頃よりも身体能力は大きく上昇している。
以前なら気を付けながら対処しなければならなかった魔物だとかと遭遇したとしても、今なら手こずる事もなく対処可能だろう。
あれが異世界の勇者を召喚する術である、というのはクロノも把握している。
しかし何故それが……? という疑問は勿論あった。
こちらの世界ではその術の存在はあくまでも名前だけは知ってる、レベルで使う者もいなければ使う事もないようなものだ。
他者に縋らなければならない状況に陥る者、となると力のない弱き者に限られるが、そういった相手が異世界から勇者を召喚する術を使えるだけの魔力があるはずもない。
使えるのは力ある者。しかしそういった相手からすればその術は無用の長物でしかないのだ。
けれどもその存在を知っているのは、神族、とりわけ地位の高い連中とそこそこやりとりをしていたからに過ぎない。異世界からの召喚に関しては創星神同士の協定により、呼び出せる世界は限られている。
召喚が可能な世界であれば異世界へ行くための門が開いた状態であるし、それらを不可としている世界の門は閉じたままだ。
それ以外の空間の隙間だとか亀裂となってしまった部分から異世界の迷い子が、なんて話は過去あったらしいが、それだってそう頻繁にあるものではない。
召喚による門を通っての呼び出しは、門が閉じていれば不可能。そしてこの世界の門は閉じている。
とはいえ何事にも例外というものは存在するし、事故というものも起こり得る。そもそもステラは一度その生を終えた身。もしかしたら何らかの術式部分に引っかかるものがあったのかもしれない。本来召喚されるのは人間であるはずだ。今のステラはそうではないとしてもかつてはそうだったわけだし、よく考えたらイレギュラーすぎるのでまぁ、そういう事に巻き込まれたとしてもおかしくはない……と思えてくる。
とはいえ、だからといって指をくわえて見ているだけのつもりもない。
「……どこの世界かは知りませんが、人様のものに手を出して無事で済むと思ってるんじゃないでしょうね……」
「あ、あの、お父様……?」
思った以上に低い声が出てしまったが、そのせいで娘が怯えてしまったらしい。
何でもありませんよ、と言わんばかりの表情を張り付けてみたが、娘――クロエは反射的に足を後ろへと引いていた。
「え、っと、一体何が……?」
「あぁ、クロエは知らなかったんですね……しいて言うなら別の世界で行われただろうたいして面白くもなんともない術のとばっちりですよ」
そう言って、勇者召喚に関する大まかな情報を伝える。
異世界からの召喚、という部分にクロエは目を輝かせていたが、実際そこまで面白いものでもないというのを伝えていくと、何というかあっさりと興味を失ったようだ。
「なんだ、案外面白みがないんですね」
「えぇ、色々と面倒な事もあるので、こちらの世界では使われる事のない術、と言われれば納得できるでしょう?」
面白いかどうか、という判断基準はどうかと思うのだが。
まぁクロノにしてみればその程度のものでしかない。
他の世界ではもうどうしようもなさすぎて藁をもつかむ勢いで召喚の儀式に臨むところだってあるというのに。
「でも、その術のせいでお母様が……?」
「えぇ、全くもって度し難い愚行です」
「何とかならないんですか?」
「ならない、というわけではありませんが、少しばかり時間はかかると思うんですよね」
術の気配を辿ればいい。
痕跡を辿ればいずれはその世界の場所もわかる。
とはいえ、同じ世界の中ならまだしも世界を越えているわけなので、勿論その痕跡を辿る、というだけでもとんでもなく大変だ。
同じ世界での出来事であるというのなら、まだ簡単なのだが……
同じ世界の中ならそれなりに痕跡も常に残っているようなものなので辿るのはそう難しい話じゃない。目に見えるロープが延々続いていると思ってくれてもいい。しかし異世界となればその痕跡はひっそりとして目立たず、途中で見失ってしまう可能性もあった。それこそ蜘蛛の糸を手繰るような不安定さだ。
「痕跡を辿ったとして、その先はどうすれば?」
「勿論乗り込みます」
「できるのですか?」
「僕を誰だとお思いで?」
「……とても頼りになるお父様、ですね」
「えぇ、当然です」
自身を過大評価しているわけでもなく至極当然とばかりに言ったクロノに、クロエは安心したように微笑んだ。
手も足も出ないわけでないのであれば、ちょっとばかり時間がかかったとしても大丈夫。確かにそう思えたのだから。
「……ところで、他にも姿が見えない方がいるようですが」
「巻き込まれましたね」
「まぁ」
クロノと全く同じ髪と目の色をしているクロエは、しかしクロノとは対照的に驚いたように目を見開いた。お茶会の準備をしていたのは勿論だが、クロエは少しばかりこの場から離れていたので戻ってきた時にはこの有様だったのだ。姿を見ないのは他の場所に足りない道具を取りに行ったのではないかとも思っていたのだが……
「その召喚術って複数名を呼び寄せるものなのですか?」
「いえ、本来なら一人ですね。大勢を呼ぶのもありますが……それは魔力の消費量がとんでもないのでやるにしても生贄が必要だったりだとか、そういうのを出さないのであればそれこそ儀式をやる側がとても面倒な手順を踏む必要があります。
恐らくは……失敗した結果逆に成功したように見えてる、というのが真相ではないかと」
「そうでしたの……えぇと、それで、巻き込まれてしまったのは?」
「ステラさんの他に召喚されたのはベルくんとクロムですね。あと何か兄がいた気がします」
「あぁ、ルクス伯父様……」
クロエは相変わらずあの人の扱いが軽いな、と思いはしたものの別に思い入れがあるわけでもないので深く突っ込む事はしなかった。
「元魔王の妻、その側近、元魔王の兄、そして現魔王。ラインナップが豪華ですわね」
指折り数えてみたものの、なんというかたった四名だというのに過剰戦力にも程があると思えてくる。肩書だけで既にヤバさしかない。
「現魔王、と言いますが……実権握ってるのはクロエでは?」
「だって、わたしの部下は大半がドM豚ばかり……下手をすれば魔王そのものに多大な誤解を植え付けてしまいかねません。わたしだって魔王としての執務を行う際に共に仕事をする相手がそんなのばかりだと流石に……魔王城は養豚場じゃありませんのよ?」
「自分で調教しておいてその言い草はどうかと思いますが」
「その点クロムの部下、というか配下はちょっとガラが悪いのもいますが、まだ無難でしょう? ただの飾りとは言われない程度に実力もあるわけですし、ね?」
ね? ではないと思うのだが、今はそんな事を話している場合でもない。やるべき事はステラたちが連れ去られた異世界の特定である。
「ともかく、痕跡を――あ」
「え?」
「途中で遮断されました。これ、向こうで儀式に使った魔法陣とか早々に破棄しましたね」
「えっ、こんな早くに?」
「……大まかな方向だけはどうにかなったんですが、正確な位置を把握できてません。流石に総当たりで異世界に捜索に行くわけにもいきませんし……」
「というかそもそも異世界って気軽に行けるものなんです?」
「気軽に、は無理でしょうかねぇ……できなくもないですけど」
眉を下げつつも笑う父親に、クロエは「はー……」と何とも気の抜けた声しか出せなかった。正直クロエにはやり方を教えてもらってもできる気がしないからだ。
歴代魔王の中で最強と言われただけの事はあるな、という気持ちと、この人の次の代の魔王とか、荷が重すぎるからやっぱり辞退してクロムに押し付けて正解だったなという気持ちが同時に湧き上がってくる。
「とりあえず、このままじゃどうしようもないのでとりあえず天界にでも行ってきますね」
「天界、ですか?」
「異世界に突撃かけるにしても、一応許可はとっておかないと後できゃんきゃん喚かれるのも鬱陶しいですし」
こっちは最愛の妻を突然誘拐された被害者なんですけどねぇ、なんて言っているが、被害者としての悲壮感などは一切ない父に果たして何とこたえれば良かったのか。
「じゃあ、僕は出かけますけどこっちの事は任せますね、クロエ」
「えぇ、それは勿論……お気をつけて?」
クロエの声を聞き終わると同時くらいにクロノの姿が消える。一瞬で魔界から天界に転移していったのだろう。
その姿を見送って、というか見送るのなんて一瞬だったがそれでもクロエは考える。
天界から父が戻ってきたとしても、それで事態が解決するわけでもない。
既に執務の大半はこちらが引き継いでいる。痛いのは現魔王であるクロムが巻き込まれて異世界に召喚されてしまった事だが、彼はまぁ、何かあった時に表舞台に出るのが仕事みたいな部分もあるので、その何かあって人前に出ないといけないような状況にならなければどうとでもなるだろう。
もしその事態に陥った時は仕方ないから影武者用意しておけばいいか。
兄か弟のどっちかにでも頼めばまぁどうにかなるはず。
頭の中でざっとそんな事を考えながらまずクロエがやった事といえば、お茶会のために用意したケーキをそっと空間収納した事だった。このまま放置しておいたら間違いなく誰の口に入る事もなく傷んでしまう。折角作った力作を、そんな目に遭わせるのは勿体なかったしそれに何より……
「お母様に、食べて欲しかったのに……」
眉間に皺が寄るのを自覚しながらも、唇からはそんな言葉が漏れてしまっていた。