暴走ベッド
いずれはご厄介になる可能性がある老人ホーム。
楽しい場所でありますように。
1.
『ロイヤルすこやか』
特別養護老人ホームには稀な、市民病院に併設された医療体制に定評がある人気の特養。入居待ちが多すぎて、やっと入居できたと思ったら死期がすぐそこに・・・必然的に入居期間が短くなり、「天国に一番近い特養」と揶揄されるほど。
天国に一番近い特養に似つかわしくない、若く快活な老人が一人。
「俺は元気だ!」
「規則ですから」
「そんなものはいらん!」
「歩行不能な入居者の方には尿瓶を使用する規則です」
60過ぎの男性介護士が尿瓶サイドテーブルに置いてズボンを下ろそうと襲いかかってくる。
※ 被害者の主観、第三者的には通常介護である。
「松葉杖を使えばトイレに行けるぞ」
ギブスをはめられてない左足を勢いよく叩く、嘘ではない。
一週間前、階段を踏み外して単純骨折。
「転倒の恐れがあるので松葉杖の使用は、本ホームでは禁止されています」
※ 入居者に寄り添った素晴らしい規則である。
「た・・・、・・・こに・・・・もら・・・・・・・・・・」
言葉が口の中で咀嚼されて消化された言葉を、完全看護ベッドが代わりに。
『武さん、若い男に処理してもらえるんだから。羨ましいよ』
「・・・まま、・・・・・して・・・・・・・」
『寝たまま、なんだってしてもらえるんだろう』
六人部屋の同室者がうなり声と咳き込み、引きつる低い笑い。人を驚かそうと現れた魑魅魍魎が現世に居座ったかのようだ。
『全く、ここは妖怪小学校か?』 と心の中でぼやく。そう言いたくなるほどに武蔵は他の入居者と比べて若くまだ82歳。「むさし」ではなく「たけぞう」
強制的にズボンを降ろされて尿瓶に突っ込まれる。
ほんわかと湯気が丸い口から芳しい匂いとともに立ち上る尿瓶をワゴンの上に置いて、
「30分後、整形外科の診察があります。時間になればベッドが診察室まで移動しますので心配いりませんよ」
60そこそこの看護師が笑顔で六人部屋を出ていく。
きっかり30分後、『整形外科診察の時間です。移動を開始します』落下防止に手すりが迫り出し、ベッドがゆっくりと動き出す。
自走タイプのベッドが隣棟の市民病院の診療室まで自動で運んでくれる。
2.
「大山武蔵さんの・・・」白衣を着た整形外科医が眉間にしわを寄せて力強くキーボードを連打している。
電子カルテの暴走。最近のOSアップデートでシステムが不安定に。
医師が看護師に応援を求めるも、彼らも50歩100歩、さらに深みに嵌っていく。システム管理会社に連絡を取っても、大規模システム不具合で手術補完システムなどの緊急を要する不具合を優先、ギブスの具合の確認など順番待ちの最後尾確実。
髪を掻きむしって最終手段に・・・デスクの下に潜り込んでコンセントを抜こうとした時、
「先生さん、ちょっとわしに見せてくれませんかね?」
武蔵が見かねて口を挟む。
突然の申し入れに戸惑っている看護師と医者に「システムエンジニアをしていた」と言って腕を伸ばしてタブレットを奪い取る。
外科医も驚くような指さばき。瞬殺で正常に。
「あ・・ありがとうございます。
「診察を早く済ませてくださいよ」
「そ・・そうですね・・・大山武蔵さんにこんな才能があったなんて」
「CIAに侵・・・」
「CIA?」
「いえ、なんでもありませんよ。早く診察を始めてもらえますか」
そうですね、と木槌でギブスを軽く、こんっ、こんっ、と叩いて、かぶれが無いか確認、
「大丈夫ですね、外すまで三週間。来週もこの時間で」
システム不調で診察時間が押している。感謝もそこそこに診察室を追い出される。
特養に戻る中廊下をベッドの上で。
春の日差しが心地よく降り注ぐ。
「部屋に戻る前に公園に寄ってくれよ」
ベッドに言っても・・・
・・・
中廊下を静かに進む。
ガツンッ!
体の中で最も硬い部分、ギブスで手すりを蹴りつける。治りきっていない骨折部分に響く。
どこに隠していたのか、背もたれから赤色灯が伸びて四方に強烈な真っ赤な光線を回転しながら撒き散らし、耳障りなサイレンを響かせる。
まだ衰えていない聴覚にキンキンと突き刺さる。
どこに隠れていたのだ? と思うほどにぞろぞろと警備員が湧いてベッドの周りを囲む。
「どうかされましたか?」
まさか、ベッドの上のギブスをはめた老人が犯人だと思いもせずに、ベッドに衝撃を与えた物 or 者がいないか周りを警戒する。
3.
小春日和の散歩を拒否され6人部屋の真ん中のベッドに強制的に戻され。
遠くの窓から青空を見る。
気を取り直してシステム不調のどさくさに拝借したタブレットを、
魑魅魍魎たちに気づかれないように枕の下から取り出してモニターを優しく撫でる。
暇つぶしに特別養護老人ホーム『ロイヤルすこやか』のシステムに侵入して散歩する。現在の入居待ち人数を確認してみると582人。半年前に自分が入居書類を提出した時の571人から十人以上増えている。正直に待っていたら今でも574番目。
コンプライアンス窓口のデータボックスを開いた途端、溜まりに溜まっていた苦情や告げ口、噂話が、思いっきり振ったコーラから吹き出す泡のようにシステムの中に溢れ出す。
「まずい!」
慌てて溢れ出したデータをかき集める。溢れるままにしていたら、システム内のあらゆるデータの中にペーストされる。患者の診療データの中に、診療スケジュールの項目欄に、何の脈略もなく。スタッフ、介護士、受付の端末にアトランダムに現れることになる。
院内は大騒ぎになるだろう。SEが原因究明にシステムの中に入ってくる。何十人ものSEに囲まれて。『無敵ハッカー武』と呼ばれた老人でも・・・
「ちょっと厳しいか・・・」
プログラムの隅っこに入り込んでいた最後のデータ「介護士同士の不倫噂ばなし」を掻き出してデータボックスに放り込んで蓋をすると、散歩を再開する。
楽しい散歩に激しいアラーム音が降り注ぐ。
溢れ出したデータ全てを拾い集めたと思っていたけれど、「医院長と介護士の不倫噂ばなし」が一つ、拾いきれていなかった。メールシステムに入り込んで、全職員にメール送信されていた。
院内はパニックだ。表面上、市民病院はいつものと同じ平静で穏やかであったけれど、看護師、職員たちはどよめき、ささやき合っていた。勘の良い患者は変化に気づいていただろうけれど、特養はいつもと変わらず穏やかであった。
4.
ドヤドヤとSEたちが
「特養なんて面白くもなんともないシステムに侵入するバカは誰だ?」「全く・・・機密事項もお宝動画もないのにな」「人気の特養らしいぜ」「横入りか?」「だろうな」「最近のご高齢のお方はお行儀がお悪くなられたようだな」「いや、そんなんじゃないらしいぜ」「社内の人間関係らしいな」「誹謗中傷、フェイク情報か」「どちらにしろ、おいたはしっかりとお仕置きをしないとな」「鬼ごっこは楽しいな」
と無駄話をデータバスに吐き出しながらシステムに入って来た。
「まずいな」
こぼれ落ちる無駄話が言う通り、武蔵もピークを過ぎた高齢だけれど、『無敵ハッカー武』と呼ばれたことのある伝説ハッカーだ。(自分でも昔話を言っている時点で年を取ったとと自虐するけれど・・・)若造SEから逃げ切る自信は十分にある。けれど、足跡を完全に消す時間は無さそう。
100kgfを超える巨漢でも自走できるようにモーター容量には余裕がある。武蔵は小柄。モーターのリミッターを外せば60Km/hも可能だろう。
一旦、管理システムから抜け、今寝転がっている介護ベッドシステムにノックもせずに玄関から侵入する。全速力で突っ込んだら一瞬で反対側に抜けてしまうような小さなシステム。
モーター保護回路のリミッターを外し、モーター温度測定プローブのデータをリアルタイムでタブレットに表示させる。使用されているモーター型式の耐熱温度を検索。
「耐熱クラスB・・・許容温度は130℃か・・・」
リミッターを140℃に設定。
口コミによると使用されているモーターは耐久性に定評のある有名メーカー製。プラス10℃は許容範囲と判断。
タブレット画面にゲームプログラムから拝借したハンドルとアクセル、ブレーキを映し出してベッド制御システムに連動。
ぞろぞろとSEたちがやって来てから5分が経っていた。まだ彼らは証拠探しをどのように進めようか、周りを物色しているばかり。
アクセルを左親指でゆっくりと上にスライド。タブレットを右に傾けて6人部屋の出口に向かう。無音で動くベッドに気づく同室者は誰もいない。廊下に出てもモーター性能の30%も使用せずにゆっくりと、定期検査に向かうかのように。
エレベターに乗り、一階に到着。ロビーから外に出る。もちろん、警備システムに目隠しをして。
『特別養護老人ホーム ロイヤルすこやか』
半年前にタクシーで通った看板の前を時速30Km/hで過ぎ去る。車道に出ると時速50Km/hに。十分に車の流れに乗っている。モーター温度は110℃。時速70Km/hまでスピードアップ。自動運転で交通規則に縛られている周りの車をベッドが次々と抜いていく。モーター温度は132℃。
その日のSNSトレンドトップは #暴走ベッド。
END
自由になった武蔵さん。
捕まらなければ良いんだけれど。
まぁ、捕まっても大した罪にはならないでしょうから。
ハッキング技術を買われてIT会社の正社員になっていたりして・・・