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四方を石壁で囲まれた洞窟はどうやら人工的に作られたもののようだった。その中を足音を忍ばせて歩きながら、ジェシカは緊張とともにこれまで感じたことのないような高揚感を抱いていた。まかか関所の村の外れにこんな場所があるとはジェシカは思いもしなかった。
村長たちに黙って街に出て、たまたま彼を見つけた。彼の後を追ったのは、特に意図があったわけではない。あの川岸で見た黒髪の青年を似ていた気がしたのだ。ジェシカがあの日身に着けていた服は、何となく盗賊が持ち去ってはいないように思っていた。盗賊たちが去った先とは別方向にあったというのもあるし、あの森に不釣り合いな恰好をした彼がジェシカの服と大事なものの在り処について何か知っているように思えた。
荷馬車に乗っていた服や金銭は問題ではない。川岸においといた服の中には、父の肩身の護身刀と母の形見である指輪と大事にしていた水晶のペンダント、それに城を出る前にジェシカが自分で作った関所を通るための偽の身分証が入っていたのだ。
関所の村は東の大国レティクルにつながっている。この関所を通るためには身分証が必要だ。身分証には正式な文書である証明として役所でしかもらえない印章が押してある。各国で誂えられている印章は2年ごとにデザインが変えられる仕組みになっているので、ジェシカも3回ほどその印章のデザインの作成にかかわった。初めは慣例に則って国鳥の鷲と国花の百合をモチーフにしたものだったが、2度目と3度目は湖の女神に百合を捧げる森番の絵柄にした。森番は国の大切な守り神だと父に言われて育った。父を幼くして失ったジェシカは国を空けることができなくなり、城を守る背後の山並みを見ながらあの山の向こうには何があるのだろうとずっと考えて生きてきたのだ。ロゼが女性だと分かった時に、すぐにクリスとの関係にも察しがついた。ジェシカが女王を降りることを思いついたのはすぐだったが、それは彼らの幸せを願っていたからだけでなく、ジェシカ自身が女王という重責から解放されたかったのかもしれない。それなのに、隣国に出る前から今更国の行く末が気になっている。ジェシカの治世はたった5年、できることには限りがあったが、それでもやれたはずのこともいっぱいあったはずで、それを残したまま国を去ってよいものか迷いも生じていた。関所を通るための身分証がずっと気にかかっていたのも、それを取り戻さなければきっと国を去る決心がつかないと思ったからかもしれなかった。
「おい、下手は尾行でいつまでついてくる気だ?」
黒髪の青年が突然立ち止まり、振り返って話しかけてきたので、ジェシカは焦った。すぐに踵を返そうとしたが、洞窟の中はすねまで足に水が来ていた。この先までついて行って大丈夫だろうかと思っていたところだった。ジェシカがもたついている間に男はバシャバシャと水を蹴散らして、ジェシカとこぶし三つ分くらいの距離まで近づいてきた。それでなくとも至近距離で人を対面したことのないジェシカだ。男に詰め寄られて、魔法で逃げることも思いつかず固まるしかなかった。
「俺に何か用かい?」
口の端をあげて聞いてきた男からは、とても上品な香りがした。城を出てから香水をつけなくなったジェシカだ。かび臭い洞窟の中で異質な男の香りだけが爽やかに香った。
「海と蜜柑の香りだ・・・」
「え?」
ジェシカが思いついたままを口に出すと、男が首を傾げた。長い前髪が左に流れて、透き通った青い目が現れた。小さい頃一度だけ見た海みたいな透き通った青い瞳の色だった。潮と蜜柑の香りと海のような紺碧の瞳をした青年は、きっと海の男だとジェシカは思った。ジェシカがじっと男の目を見つめると、男はふっと笑みを浮かべた。
「あんたは蜂蜜と薔薇の香りがするな」
男が髪を一房取ってくんくんと匂いを嗅いだ。香水をつかっていないジェシカだが、長い髪を梳くのに蜂蜜を手を洗うのに薔薇水を森で見つけた天然のものを使って身づくろいを整えていた。それがそんなに香るものだろうかと気になって自分も髪の匂いを嗅いでみようとしてあまりに男の顔が近いことに気づき、男の正面から外れようとしたが、男の両手によって壁際においつめられ叶わなかった。
「つれないじゃないか。ここまで俺を追いかけてきてくれたんだろう」
「ち、ちがうわ。わ、わたしの服を持っていないかと思っただけで。あの・・・」
こんな言い方をしてもわからない。あの時は猫に姿を変えていたのだ。どう言ったら、男が理解してくれるだろうか。ジェシカは言葉を探したが、あまりに男の顔が近いので冷静にものを考えられなくなっていた。暗がりな上あまりにも近いのではっきりとはわからないが、ずいぶんと容姿の整った男であるようだ。長身のジェシカと並んでも見下ろしてくるくらいに、背が高い。
「返してほしいか?」
男がおもむろに開いて見せた胸元には、きらきら光る水晶のペンダントがぶら下がっていた。思わずジェシカが手を伸ばすと、男はその手をつかんで引き寄せた。
「ちょっと!」
「俺ごと受け取るなら、全部返してやってもいいぞ。もちろん返却は、不可だ」
「ええと、あなたのそれは女性と口説くときの何かの隠語なのか?ごめんな、わたしはそういうのうとくってよくわからない」
男の顔がくっつきそうに迫ってくると、流石にジェシカも危機感が生まれて壁に張り付いて逃げる算段を考え始めた。異国風の美青年に暢気に見惚れている場合ではない。魔法は呪文を唱えなければ使えないが、それ以外にも逃げ出す方法はある。ジェシカがぐっと右手のこぶしを握った時、男の手が動いて両手を頭上にからめとられてしまった。
「別に口説くときの常套句ではないんだがな。あいにくとこちらも暇じゃないから、良いことを教えてやろう。いいか、盗賊の住処は分かっている。もう少し待てば援軍が来るが、まずは動いても大丈夫だ。悪いようにはならないだろう。森番のこともな」
「ちょっと、あなたはなぜこちらの事情を知っているんだ?」
ジェシカが驚いて男の顔を見返すと、男は不敵な笑みを浮かべて、ジェシカの髪を弄んだ。
「あんたが今後を決めていないなら、レティクルに来い。悪いようにはしない。そのためにこれだけは帰しておく」
男が目の前に広げて見せたのは、ジェシカが偽造した身分証だった。ジェシカがその白い板に手を伸ばした時に、男はまるで煙のように目の前から消え去っていた。
まるで狐につままれたような気持で洞窟を出てジェシカが村長の家に戻ると、そこにはジェイとやたらと大きな若い男がいた。
「ジェシカ様、リディエルの兄のエイジェルで森番です。彼が盗賊の一味に加担しておりまして」
「おいおい、こんな高貴な方に人聞きの悪い紹介をするなよ。やつらのアジトを突き止めるために潜入していただけですよ」
エイジェルは折り目正しく初対面の挨拶をした。見た目は粗野だが、礼儀はわきまえている男のようだ。
「ふうん、わたしって高貴な感じに見えるのかい?」
「そりゃあもう。なんかそこいらの貴族と違って、絶対貴族って感じですよ。ジェイと比べたら月とすっぽんっていうかジェイがド庶民に見えるというか」
「ははは~!一言余計だぞ~。腕比べならいつでも受けて立つからなあ」
喧嘩っ早くて図書館の職を下ろされたジェイがこぶしを握ったが、彼の軽い怒りを無視してジェシカはしげしげとエイジェルを眺めた。言われてみれば、リディエルと顔立ちは似ているが雰囲気はだいぶ違う。もっと野性味があって、気高い感じがした。
「ちょ、ちょっと近いって」
先ほど見知らぬ男の腕の中に閉じ込められるという経験をしたせいか、ジェシカは躊躇いもなくエイジェルとの距離をつめていた。エイジェルと言えば見たこともないような輝く黄金の髪を持つ美女に詰め寄られ、柄にもなく戸惑うばかりでなく。触れることもためらわれるようなきめ細かい白い肌に、均整のとれた体つき、抗いがたい魔力を秘めたような金緑の瞳には何もかも見透かされそうである。のんびりした母はともかく、こんな人外な美女と生活してよく普通にふるまっていられたものだと、エイジェルは我が弟の胆力に尊敬の念すら覚えた。
「森番らしいといえばらしいけど、騎士らしいといえばこの上なく騎士にふさわしいな。見たところ、首に大きな傷があるようだが、盗賊退治が終わったら、その傷を消して騎士になるのはいかがだろうか」
騎士から森番になるのであれば、森番から騎士になるのもありだろう。ジェシカは善意のつもりで提案したが、エイジェルは鼻で笑って断った。
「なんだ、それは褒美のつもりか。上から目線で、偉そうだな。あんたは、神か?女王様か?盗賊退治はそもそも俺たちの仕事だ。手を貸してくれるのはうれしいが、俺は貴族の仲間入りなんてのぞんじゃいねえ。森で静かに暮らしたいんだ」
きっぱりと断られて、ジェシカは面食らってしまった。これまで、女王であるジェシカの提案を頭ごなしに断ってきた男などいなかったからだ。エイジェルの反応が新鮮で、これが森番の誇りというものかと怒るよりもむしろエイジェルを見直した。
「失礼した。あなたは森と家族を愛する優しく誇り高い男なんだな。治ってしまった傷跡を残すのは、過去の教訓と己の生きざまを忘れないためと聞いたことがある。なんと気高い心がけだ。余計な提案をして悪かった」
今度はジェシカの明後日な解釈に、エイジェルが驚く番だった。首の傷は、森の木を切り倒すときに方向を誤って肩で受けてしまった時にできたものだ。家を出たのだって、当初は盗賊一家に潜入するためでなく、口うるさい母親とそれに輪をかけて口うるさい弟との生活に息苦しさを感じていたせいである。大体森で生き森で死ぬなんてそんな頑固な信条を持ち合わせてなどいないし、盗賊退治をして少しくらい褒美に金をもらえるのであれば、願ったりというところだ。しかし、見返りには金が一番良いと気づかないジェシカは、勝手にエイジェルを美化してきらきらした尊敬のまなざしを向けてくる。
「いや、怪我を治してくれるより、俺はだなあ・・・」
「まあまあ、エイジェル君。積もる話は盗賊退治が終わってから後にしようぜ?うちのお嬢様は人一倍純粋培養なんだ。せっかくお嬢様が理想を見てくださっているのに、それにふさわしい態度を取らなかったらわかっているよね?」
満面の笑みを浮かべて殺気を向けられ、エイジェルは黙りこくった。真実を話すことは自分の利益にならないとすぐに悟った。それにしても、とんでもない世間知らずのお嬢様ととんでもなく過保護で喧嘩っ早い付き人である。彼らと出会ったのは幸運か、それとも今後の何かの暗示か・・・。エイジェルは背筋にうすら寒いものを感じながら、とりあえず彼らと盗賊退治の計画を話し合うことにした。
盗賊たちの巣は村はずれにあるという。
「それって神殿の廃墟があるところの洞窟あたり?」
「よくご存じですね?お調べになったんですか」
エイジェルに聞き返され、ジェシカはあの黒髪の男の姿が思い浮かんだ。
「私は大魔法使いだから何でもお見通しなんだー」
あの洞窟での出来事をどう説明してよいかわからず、ジェシカは笑ってごまかした。魔法を使えるというのは言い訳に便利である。そんなに魔法でなんでもすぐわかれば苦労しない。ジェイは何だかさ疑わしそうに見ていたが、追及はしてこなかった。
洞窟は長く大きく深く村からレティクルにまでつながっているらしい。早朝と夕方村の方の入り口にからの通路に人の腰よりも高い位置まで水がたまるらしい。そこを抜ければレティクル側の方に大きな洞穴があって地上に通じているということだった。クリスタルの方からは通れる時間が決まっているので、それを知っている者しか出入りできないようになっているのだそうだ。ジェシカたちは、盗賊たちが帰ってくる夕方を狙うことにした。昼頃にはガウス伯爵の長男であるフェイスとも合流できた。
「貴方には不本意かもしれないが、追って王都から役人が到着する。今日にも一網打尽にしたい」
「今日、間に合うのですか?ゆっくり待って作戦を練ったほうが」
「いや、流石にこちらの動きを何も察知していないということはないと思う。いくらなんでも、役人だって仕事をしない者ばかりなのはおかしいし。君たちが泳がせていたなら、盗賊たちも不審には思っていたはずだ」
そろいもそろって役人たちが村の治安を取り締まらないなんて、そんなことはありえないのだ。村長が何も知らないとなれば、そうさせているのは、ガウス伯爵かその息子に違いない。
「驚いたな。本当に何もかもおみ通しなんですね。捕まえることが難しいなら、下っ端たちは泳がせておこうとしたのは、僕です。すべての責は負うつもりです」
目の前の美しい女性が何もかも知っているのが、信じられない。
「責任を負うのは、ガウス伯爵だろう。奥方を亡くして気落ちしているのなら、どうして君に代替わりしないのだ」
「父と母は貴賤結婚なんですよ。母は伯爵家に仕えていたメイドでした。だから、跡継ぎがいないんです。従兄弟たちは、都会好きで領地には寄り付かないし」
「よし、わかった。君の母は、没落した貴族のご令嬢だ。体裁だけだから、子爵で良いな。たった今から、君はガウス伯爵だ。この領地の全権を君に預ける。一緒に盗賊退治に出かけよう」
豊かな髪を一つに束ね、男装した麗人が堅い革靴のかかとを鳴らしてそんな勝手な宣言をする。フェイスとエイジェルは唖然としたが、彼女の従者らしき丸顔の青年はただにこにこと笑っているだけである。
「聞いていましたか?父は母以外と婚姻関係にはなかったのですが、世間から見たら僕は庶子。母が実は貴族なんてでっち上げても、すぐにばれますよ」
「そのような真実は、真実の愛のためならどうとでも葬れるものだよ。そんなことはいいから、君がついてくるつもりなら、早く準備したまえよ」
まるで男のような、いや高齢の高位貴族のような古めかしく偉そうな話し方をする女性であるが、それがなんとなく似合っている。自分が今から伯爵になるなどとは信じられなかったが、長年頭を悩ませていた問題が解決するというのなら是非もない。
剣を腰に下げたのも初めてなら、鞘から抜いたこともなかったが・・・。
ジェシカの静かな視線に覚悟を問われたような気がしたフェイスは力強く頷いた。
洞窟の中は朝方入った時とは違って、かび臭さはあるものの足がつかるほど水が溜まっているところはなかった。
「行け」
フェイスが指示を出すと、兵士たちは夕日指す洞窟の中で談笑してくつろいでいる盗賊たちの中に突入していった。
「おい、こら、ただ、逃げんな。お宝は持っていけ。早くしろ」
盗賊たちは潔いのか悪いのか、つかまった者は抵抗せず、逃げる者は各々逃げることに専念していた。盗賊の頭目らしい男はさすがに今後のために盗品を持って逃げようとしていたが、この男がとくに腕がたつ。二刀を持つのでお宝はもてないが、なかなか部下思いのようで、かばって剣を振るっていた。この頭目は生きたまま捕縛しなければならないから、余計に苦戦する。ジェシカは兵士と盗賊たちの喧騒の中、じりじりと間を縫ってこの頭目に近づいた。
いまだ、と思ったところでジェシカは飛び出した。とにかく、頭目から刀を取り上げてしまえばどうにかなると思ったのだ。懐から取り出した鞭で、右手の剣を叩き落すことには成功したが、左手は叩き落すどころか、その短刀で右手の甲を切られてしまった。
「ッ!」
「威勢の良いお嬢さんがいたもんだ」
頭目に引き寄せられたジェシカは背筋が凍ったが、一瞬後にその頭目は地面に沈んでいた。
「あんたは、魔法を使えば簡単なんじゃないのか?」
目の前にいたのは、あの黒髪の青年だった。彼の足元には頭目がピクリとも動かず倒れている。
「・・・思いつかなかった」
先ほどの頭目と同じくらい顔を近づけられ、ジェシカはぱちくりと目を瞬いた。これまで、限られた人間としか近くて話したことがなかったが、これが庶民の距離感なのだろうか。顔がくっつきそうではあるが、まあ親愛の示し方というものなのかもしれないと思った。この男には敵意がない。男の目を見て、ジェシカは思った。
「助けてくれてありがとうございます」
「ノンキなもんだな。どんなすげえ魔法で一網打尽にするのかと思いきや、こんな数に任せたやり方だったとはね。期待外れだった」
ずいぶん無礼な物言いだが、不思議と意地の悪い感じはしない。
「まあ、終わったらレティクルに来いよ。悪いようにはしないから」
男はそう言って、ポンポンとジェシカの頭を撫でると去っていった。
盗賊たちの半分くらいは逃げ出してしまったが、とにかく頭目は捕まえた。そう思って洞窟を出ると、思った以上の数の盗賊たちがつかまっていた。
「ジェシカ様!ご無事でしたか!?」
アンヌが血相を変えてジェシカの元にやってきたが、もちろんジェシカには傷一つなかった。
「すごいな。これ、あなたがやったのか、アンヌ?エリックは私兵を貸してくれたんだな?」
ジェシカが笑顔を向けると、アンヌは首を傾げた。
「いえ、確かに私兵は貸していただけたのですが、盗賊たちを一網打尽にできたのは、レティクル側の方に兵を割いて入ることができたからです。ここに戻る途中に医者に会いまして、話を通してくれるというものですから」
「医者って、ノルカさんを見てくれた医者か?彼が何で、レティクルに?」
「ジェシカ様が事情をお話になったのではないのですか?」
「いや・・・あ」
ジェシカは否定しかけて、黒髪の男もとい洞窟男のことを思い出した。きっと彼が手を回したのだろうと、何となく想像がついた。
「そうだな。まあ、後始末もあるし、伯爵のところにでも行くか」
ジェシカが促すとアンヌは少し不思議そうにしたが、それ以上追及してはこなかった。
「いやあ、良かったですね。無事にガウス伯爵が交代して、こんなことができるならどこの家も跡継ぎに困らなくてすむなあ」
ジェイが背中の荷物を背負いなおしながら、機嫌よく空を見上げた。
「なんだ、ジェイも後を継ぎたいのか?兄を蹴落とすのは感心しないが、子爵位ならエリックに頼めば・・・」
「いやいや、いいです!俺は、本当は貴族籍なんか抜けたいくらいなんですからね!貴族なんて金ばっかかかるし、嫌みばっかいわれるし、俺は女王様と旅して良いとこ見つけたらそこの可愛い女の子と結婚して落ち着きますわ」
「なんだ。そんな考えでついてきたのか?」
盗賊たちのことは一段落ついた。なかなか規模の大きい盗賊であったが、特に人を攫ったりなと凶悪なことをしたりということもなかったため、解散させて国外追放となった。そのうえで、頭目と数人の腕の立つ者はガウス伯爵家で雇った。
「聞けば頭目は、レティクル語もモブリア語も堪能だということだ。なかなか賢い男だし、処刑しても追放しても面倒だ。子飼いにしておくのがいいように思う」
処刑してしまえば、盗賊の残党が復讐にくるかもしれない。それならば、裏社会をよく知る男として使い途があるだろうと提案したのは、ジェシカだった。盗んだもので戻ってきたものは持主に返し、すでに使われてしまった金はエリックに補填させようと捕まえる前から手紙を書いていた。関所の村が荒れたのは、女王である自分の責任なのだから、しばらくは村に留まって新しくガウス伯爵となったフェイスを手伝うつもりだった。ところが、エリックから届いた1通の手紙でその計画は変更になった。
「エリックがまさか自分で来るとは思いもしなかった。隠居したとはいえ、元宰相だぞ。自由にもほどがある」
彼がやってきたら、自分が自由にできないじゃないかとジェシカはぶつぶつと愚痴をこぼしていた。計画を変更したジェシカの行き先は当初考えていたモブリア国でも黒髪の男に誘われたレティクル国でもなく、クリスタル国のまたも山奥の村である。そこには、かつて最初にジェシカに魔法を指導してくれた師匠がいるはずだった。彼に学びなおして、少しでも自分を鍛えて今後を考えたいとジェシカは考えている。とはいえ、なかなか偏屈な男だったから、会いに行っても追放された女王など相手にしてくれないかもしれないが、そこは粘って頼みこむしかないだろう。
「エリック様に言わせたら、王位を自分のポンコツな息子に譲って悪役を気取ったあげく追放と称して勝手に旅に出る従妹の女王の方がずっと自由で困ったもんだと思いますけどねえ」
アンヌがしみじみと言うと、ジェイもうんうんと頷いた。
「そら、追いかけて来たくもなりますよねえ。しかもいきなり、関所の村の盗賊退治とか派手なことやらかすし」
「もうこんなことはない!これからは、自由にのんびり暮らすんだ。なんなら、畑を耕して家畜飼ってて猫とか犬とか飼って大らかで優しい男と結婚したいなあ」
ジェシカがのんびりと言うと、アンヌとジェイは顔を見合わせて頷きあった。
「ジェシカ様、そんなこと考えてたんですか?あなたがそんな平凡な男と結婚できるわけないじゃないですか」
「まずは、平凡な結婚がしたいならもっとおしとやかな口調で話すべきですね」
ジェイとアンヌに口々に言われ、ジェシカはきょとんとして首を傾げた。
「話し方ってどこが変なんだ。エリックに女王らしい話し方を身に着けろって言われて真似したからおかしくないはずなんだが?」
「エリック様の影響かあ。そりゃあ、責任感じるはずだわ」
「エリックやクリスみたいな大恋愛じゃなくていいんだ!高望みはしない!優しい男よ、来たれ」
ふと脳裏に浮かんだ黒髪の男の影を振り払い、ジェシカは明るく天に向かって叫んだ。