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玉座に腰かけたジェシカは、まるで他人事のように人々が談笑する姿を眺めていた。広々としたパーティー会場の先には、いつも両親や叔母たちその護衛たちがちょうど客人の相手に疲れた後に涼んでいたバルコニーを透かして白いカーテンが夜風に揺れていた。まだパーティーに出られなかったジェシカはそんな両親たちを見るために、庭先に出ては手を振っていた。夜に部屋を抜け出してしまうお転婆な娘に、両親たちは笑いながら手を振り返していた。その幻が見えるようだった。
「ジェシカ様、紹介したい人物がございます」
「エリック、もう最後にしてね。私はもう疲れたわ」
次々と挨拶にやってくる人々のなかには見知った人物も半分はいたが、もう半分は異国からやってきた来賓だ。彼らの顔を覚えようとするだけでも一苦労で、ずっと仏頂面で微笑み返さないようにしていたので、顔が引きつりそうになっていた。
「女王様・・・」
「ようこそ、わが国にいらっしゃいました。お名前をうかがっても」
ジェシカは染みついた愛想笑いを出さないように気を付けながら、目の前の青年を見上げた。ずいぶんと長身だが、細身で顔立ちは幼く、もしかしたらまだ20歳にならないくらいの年齢なのかもしれない。白い衣装を身に着けているせいか、どことなく中性的な感じもした。
「ロゼだ。本当に人形のように無表情だな」
「・・・どうしてそのようなことをおっしゃるの」
今まで見たこともないような美しい男性から、人形扱いされたジェシカはショックを受けた。最近ではずいぶんとエリックに嫌みを言われなれてはいるが、それでもこれまで深窓の令嬢であったジェシカにはずいぶんきつい一言だった。
「ごめん!僕はどうも、言葉が乱暴でね。今日から君の専属の魔法使いを仰せつかったんだ。泣かないで、どうか僕と一曲踊ってくれないか」
ジェシカは戸惑いながら、エリックの方を見上げた。こんなに貴族らしく優雅な所作を身に着けた人が魔法使いなんて本当だろうか。しかも今日はずっと壁の花でいなければならないと思ったのに、ジェシカと踊ってくれるという。
「彼は外国人ではありません。力の強い魔法使いで、女王様の才能を伸ばすのによいと思ったのです」
ジェシカは首を傾げた。言葉に外国混じりを感じた気がしたが、どうやらジェシカの勘違いだったらしい。自国の人間にしては女王のジェシカに対してずいぶんと大胆な口も利く。そんなに力の強い魔法使いなのだろうか。ジェシカが彼と踊るべきが迷っていると、横から助け船が現れた。
「父上は堅いなあ。しかも意地悪だ。ずっと座っているだけなんてつまらないだろう。俺たちと一緒に踊ろうよ。それに勉強だって、これからは―ロゼと俺と一緒に頑張ろうぜ」
明るい声をかけてきたのは、エリックの息子のクリスだった。顔の造りは父親に似ているが、雰囲気はまるで正反対で、お堅いところがまるでない。年齢はジェシカの5歳年上の17歳で、少年というより青年に近く見た目はずっと大人びているが、ジェシカの遊び相手になってくれるくらいには子供だった。
ジェシカは笑顔禁止も忘れて、うれしくなって一瞬笑みを浮かべた。それを見たロゼとクリスは顔を見合わせてぱちぱちと瞬きしたが、次の瞬間には二人とも微苦笑して小さな女王に手を差し伸べた。
「踊っていただけますか、女王様」
「よろしくてよ」
三人が広間の真ん中まで進むと、周囲から新女王の就任を祝う拍手が送られた。王と王妃が急逝してからまだ1ヶ月も経っていない。昼間はバルコニーに出て王都の民に手を振って王冠の授与式を済ませたが、この夜会だって毎年の王の誕生日とそれほど出席者の数も変わらないというのだから、そんなに規模は大きいものではなかった。ただ新王への寿ぎよりも、依然としてかつての王を失った悲しみの方が深く、ジェシカは腫れ物に触るように扱われてきた。
そんな気遣いがジェシカは正直重たく感じていた。楽しむときは、楽しんでいい。ジェシカだって、毎日泣き暮らしてはいられない。
二人とも非常にダンスが上手で、まだ身長が伸び切っていないジェシカに合わせてゆったりと踊ってくれた。それでも、ジェシカは少しだけ大人の仲間入りができたようでうれしかった。
「本当にダンスがお上手ね。まるで羽が生えたみたいだわ」
先に踊ったクリスと比べて、ロゼの手はとても柔らかくステップを踏むたびに良い香りがした。
「ふふふ。ダンスは得意なんだ。いつでも、お相手するよ」
「それは、うれしいわ。ロゼ、いえ、ロディ王子様」
ジェシカはなるべく身を寄せて、小さな声で囁いた。
「あら、なんだ。バレちゃったか。そうだよ。僕はロディ、でもただのロゼの気持ちを味わいたいから後1ヶ月は黙っていてくれるかな」
困った顔をすると、ロゼいやロディはとてもはかなげで今にも消え入りそうに見えた。ジェシカはロディに見つめられると胸がドキドキした。こんなに心臓が痛くなったことは、王宮の庭のリンゴの木に登って降りられなくなって以来のことだ。あの時は降りるのも怖かったけれど、そんなところを見つかってレディらしくないと叱られるのも怖かった。ロディと秘密を共有することは、あの時よりもっと素敵なドキドキだ。
「さあ、ジェシカ。父さんがずっと待っているから、次は踊ってあげてよ。ロゼのことは引き受けるからさ」
「僕と君で踊るのかい?ずいぶんと滑稽じゃないか」
「いいからいいから、踊ろうよ」
クリスに促されて、ジェシカはいつの間にか近くに来ていたエリックの方を見た。エリックの手を取るのはためらわれたけれど、クリスとロディはすぐに踊りだしてしまった。同い年の二人はこれから良い友人になれそうである。周囲は、そんな二人のおふざけを微笑ましそうにみている。ロゼはダンスがうまいだけあって、女性パートも見事にこなした。
広間を縦横無尽に踊りまわる二人を中心に笑顔の輪が広がっていく。そんな二人を見ていたらジェシカの顔にも自然に笑顔が浮かび、エリックはその様子をじっと見ていた。
「もう一回踊りたいか?」
「ええ、もちろんよ。踊ってくれる?」
エリックに聞かれ、ジェシカは元気に答えた。すぐにハッとして無表情を作ろうとしたが、特にエリックは咎めてきたりはしなかった。すっと差し出された手には驚いたけれど、ジェシカは喜んでその手を取った。
「まあ、ご覧になって。フォレストライト卿が女王様とダンスをなさっているわ」
周囲の人々はあの堅物な侯爵が見事なステップを踏んで、若い女王をリードする姿に驚いた。エリックは類まれな愛妻家であり、他の女性とは誰とも手だって握らないのだ。
「本当は、エリックとファーストダンスを踊りたかったの。だってお父様がいたら、私の社交デビューでは最初にお父様と踊ったはずですもの」
この国では、社交界デビューした最初のダンスは親族と踊るのが慣例だ。
「今日だけだからな」
エリックの言葉にジェシカはしっかりと頷いた。今日からジェシカはこの国の女王だ。一日も早くこの国を立派に治められるように努めなければならない。だけど、今日だけ、今このほんのひと時だけは父の代わりに母によく似たエリックと楽しくダンスをしていたい。
二人の姿は、これからフォレストライト侯爵が女王の貢献につくことを知らしめる結果となった。彼の優秀さは有名である。異論を唱える者のなく、みな厳粛な気持ちで二人の姿を見守った。
憂鬱だったはずの女王就任の夜会は、ジェシカにとって忘れられない大切な思い出となった。