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色々考えるとかなんとか言ったところで、自分の将来があっさりと決められるわけもなく――。
わたしは今もヴァイオレット様の許でお世話になっている。
実家にいたとき、イグニスとわたしはわざと引き離されていたらしい。
イグニスは夜でも起きていたし、わたしに会おうとしたけど、屋敷の誰も居場所を教えてくれなかった。だから使用人の女の子に近付いて、わたしの情報を横流しさせた結果、あの応接間にも乗り込むことができた、と。
わたしが昼間見た光景はそのときのものだったのだ。ちょうど真上がわたしの部屋とはイグニスも気付かなかったらしい。
とにかく、もうこんなところに長居できないと、イグニスに引っ張られるようにして公爵家へと帰った。
わたしが色々と考えたいから実家に留まります、とヴァイオレット様に手紙を送り、それが届いた翌日には帰ってきたのだから、てっきりヴァイオレット様には呆れられると思っていた。
それなのに「あと一日だけ待って帰って来なかったら迎えに行くところだった」と楽しそうに笑って言われてしまった。うう、そんなこと言ってくださるなんて、やっぱりヴァイオレット様はお優しい方だ。
ビシオン様との結婚話はもちろん白紙になった。目が覚めたビシオン様から、怯えながらも正式にお断りされたのだ。
あの結婚は二人の推理通り、公爵閣下の後ろ盾と、あと吸血鬼の魔術を狙ってのことだったと言えば、ヴァイオレット様とオンブルさんは目を合わせて鼻で笑っていた。「見る目がない」と一刀両断だ。
「吸血鬼の力がなくても、わたしの後ろ盾などなくても、アルバには伯爵家が欲しがるような十分な人脈があるというのに」
「アルバ様自身が人間、吸血鬼問わず貴賤も問わず信頼を勝ち得ていますからね。その人脈はもはや力です。その力が欲しいという方は多いと思っていましたが、やはりそれすら知らなかった、と」
確かに今までいろいろな方にお会いしてきたし、頼りになる友人も多いのが自慢ではあるけれど……。
「わたしがいろんな方と仲良くできているのはヴァイオレット様のおかげで、ヴァイオレット様がいたからです。だからそれは、わたしの人脈と言っていいものではないと思うのですが……」
「なにを言っている。みんな、アルバが可愛いんだ。お前が困っているなら力になるというものは多い。その筆頭がわたしだ。公爵閣下さえ動かせることができる力をお前は持っているんだよ」
「それはヴァイオレット様やみなさまが慈悲深くお優しいからであって、わたしの力というわけではないのでは……」
「わたしは誰だってホイホイ助けようとは思わん。自分を過小評価するな。わたしに失礼だ」
「……っ! ヴァイオレット様はやっぱりお優しい!」
「ときどき会話が成立しなくなるのが問題点ではあるな。まあ、わたしが乗り込む必要もなく婚約が白紙になったのは喜ばしいことだ」
ヴァイオレット様が茶目っ気たっぷりにそう言った。
一応、伯爵家にも牽制はしておく、とも言ってくださった。このまま白紙になって実家に迷惑をかけるのはなんだか申し訳なかったので、ここは甘えさせてもらった。
そして、結局なんの話も出来なかった実家の今後については、両親も色々と考えていたらしい。
数日後には遠縁から養子をもらうことにしたと報告された。手紙で。
たぶん、結婚話が出る前からそういう話はあったんだろう。でなければ、こんなにも早く養子の話が決まるわけがない。
つまり伯爵家のせいで、わたしも両親もずいぶんと振り回されることになったわけだ。コノヤロー。
まあ、とりあえずわたしに義理の弟ができるわけだけど、たぶん会うことはないんだろう。
わたしと実家の距離はそれくらいでちょうどいいのかもしれない。ふと寂しくなったけど、これは癒えるものだと分かっているから辛くはなかった。
こうして、わたしは自分の将来をぼんやりと考えながら、いつもと変わらない日々を過ごしている。
いや、変わったことはあった。
それは――
「おはようございます、アルバ様」
「おはよう、イグニス」
いつも通りの夜、目覚めの一杯である紅茶を飲む。
わたしにとって世界一おいしいイグニスの紅茶は、今だっておいしい……けど、世界一とまでは言えない。
飲み終わったカップをイグニスに渡す。
イグニスは受け取ったカップをワゴンに戻した。前だったら次に水の張った洗面器を出してくれたけど、今は違った。
ベッドに腰かけて、わたしの頬に手を伸ばす。
頬が撫でられて、唇に指が触れる。
恨めしそうに睨むと、イグニスはちょっとだけ楽しそうに笑った。
前に飲んでいた、世界一おいしいイグニスの紅茶。あれには、わたしの知らない隠し味があった。
イグニスの血だ。
あの紅茶には、いつもイグニスの血が混ぜられていたらしい。
血に飢えた吸血鬼は理性をなくし、本能的に人間を襲うことがある。
また血を飲まないと、吸血鬼は体調を悪くする。
それなのに、わたしはなかなか血を飲もうとしない。
だから、ここに来たばかりの頃はオンブルさんが自分の血を紅茶に混ぜて飲ませてくれていた、らしい。
わたしが人間を襲ったりしないように、わたしが体調を崩さないように心配して。
そしてイグニスが来ると、その役目は彼に変わった。
そんなこと全然、知らなかった。
吸血衝動もないし、血を飲まなくても全然平気~と笑っていた過去の自分を殴ってやりたい。
イグニスはわたしの餌、というわたし以外の認識は正しかったのだ。
わたしはずっと、そうやって守られていたのだ。
初めてそれを知った時は、イグニスにはもちろん、オンブルさんやヴァイオレット様にも土下座して謝った。オンブルさんには「気にすることではないですよ」と言われ、ヴァイオレット様には「今まで気付いてなかったのか」と笑われた。
オンブルさんはかつて三日に一度のペースで血を混ぜてくれていたらしい。
それがイグニスに変わってからは、毎日血を飲むようになった。
だから一日飲まなかっただけで、実家でも体調が悪くなったり、情緒不安定になったり、あそこまで喉が渇いてしまったんじゃないのか。あれ、イグニスのせいもあるんじゃない? と言ったら嬉しそうに笑っていた。なんで喜ぶかな!?
とにかく紅茶のネタバラシをした後、イグニスは紅茶に自分の血を入れなくなった。
つまり、まあ……直接飲むことになったのです。
イグニスの手首をつかんで、唇に触れていた人差し指を咥える。
「……いただきます」
チラッと上目遣いで彼を見れば、イグニスは幸せそうに言った。
「好きなだけどうぞ。俺はあなたの餌でもあるんですから」
イグニスの指に犬歯を立てる。
イグニスの血は、ほんのりと甘く、さっぱりとしていて、とてもおいしいものだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。