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この世界では、ごくまれに一度死んだのによみがえる人間がいる。
それは人間としてではなくて、吸血鬼としてだけど。
わたし、アルバ・グラースは八歳のときに一度死んで、吸血鬼としてよみがえった。
理由は知らないけど、とにかく生き返ることができた。
死んだ原因についてはあんまり言いたくないけど……それでも言うなら、木登りでてっぺんまで登って「ヤッター」と両手を突き上げたところで、枝が折れて落ちたせいだ。
両親を困らせるほど元気な――お転婆なところが死因になるとは思わなかった。
首の骨が折れた音を聞いたのを最後に、わたしの人生は終わった……はずだったんだけど。
お父さんが崩れ落ち、お母さんがわたしの体を抱きしめて泣き叫んでいるところで、わたしは目が覚めた。折れた首も元に戻っていた。
そのときのお父さん、お母さん、乳母、仲の良かった侍女、使用人たちの顔がどんなものだったかよく覚えていない。
驚かれたのか、恐れられたのか、喜ばれたのか。どうだったか不思議なくらい全然覚えてないのだ。
ただ、このときからわたしの生活は少しずつ少しずつずれていった。
お父さんたちはあんまりわたしを外に出さなくなったし――太陽が苦手になったから別にいいんだけど。
使用人たちはわたしを避けるようになったし――夜型の生活になったからそもそも顔を合わせることが少なくなったからいいんだけど。
仲の良かった侍女はわたしに怯えるようになったし――指先を怪我した彼女の血を思わず飲んじゃったんだから仕方ないんだけど。
そうやって生活がずれて、ぎこちなくなってきた中、わたしはヴァイオレット・サングレイス公爵に出会った。というか発見された。
サングレイス公爵家は先々代の王弟の家柄で、彼は吸血鬼だったと言われている。
そして、彼のひ孫であり、現サングレイス公爵であるヴァイオレット様も吸血鬼だった。
わたしと同じで一度死んで吸血鬼になったのか、純血の吸血鬼なのかは知らないけど、彼女は吸血鬼であり、そして吸血鬼を見つける力を持っていた。
わたしの境遇を哀れに思ったのか――哀れに思われる理由がよく分からなかったけど――吸血鬼は吸血鬼とともに暮らした方が色々といいだろう、ってことでわたしはヴァイオレット様に引き取られることになった。
王都からも人里からも離れた一面の森。
そこが公爵領であり、その中にポツンとあるのがヴァイオレット様のお屋敷だった。
お屋敷にはヴァイオレット様の執事一人しかおらず、他は誰もいない。
掃除も食事も洗濯も、そのほとんどがヴァイオレット様の魔術によって自動でできるから使用人が必要ないらしい。
縁戚を結ぶわけでもない子爵の娘が公爵家に来たのだから、行儀見習いのように働かなくてはいけないと思っていたけど、その必要もないくらいだ。
執事がいる理由も、ヴァイオレット様のお世話係兼話し相手としてだった。
吸血鬼は鏡に映らないから、身だしなみは人に手伝ってもらうしかない。
わたしも吸血鬼になってから、リボンの色やドレスが自分に似合っているのかどうか分からなくなって困ったものだった。
もちろん侍女のセンスは信用していたけど、あれだけ怯えられていたら、わたしが着たいものを着て似合ってなくても正直に言ってくれないような気がする。
その侍女はわたしが公爵様のところに行くってなったとき、どこかホッとした顔をしていた。もちろん、ついてきてくれなかった。こういうとき侍女や使用人何人かは一緒に来てくれるものだと思うんだけど……。ちょっと……というか、かなり寂しい。
ヴァイオレット様はわたしにも話し相手を望んでいたけど、お忙しいヴァイオレット様の話し相手になる時間などそんなにもない。
執事のオンブルさんも雑用が色々とあるらしく、なかなか構ってもらえなかった。
広いお屋敷にポツンと一人になってしまうと、暇だし寂しいものだ。
そんなときは森に遊びに行った。
リスが木の洞の中で寝ている姿や、朝鳴き鳥の巣、木の根元で団子になって眠っている小動物を探す冒険や、コウモリやオオカミと鬼ごっこをして遊んだりもできる。
吸血鬼になってからは夜の森を明かりなしでも歩けるようになったから出来ることだ。その代わり昼間は太陽がまぶしすぎて、まともに目も開けられないんだけど。
その日も、フクロウの巣穴を見つけようと森に遊びに出たときだった。
目的のフクロウを見つけようと上ばかり見ていたわたしは、何かにつまずいて転んでしまった。
とっさに恥ずかしくなって、がばっと勢い付けて起き上がる。
転んだ時って、なんで痛みよりも恥ずかしさが勝つんだろう。
とにかく転んだ原因を見つけるために振り返れば、そこに人間がいた。
そう、人間。
服は汚れ、ほつれ、ボロボロ。彼自身もまた汚れて、やつれて、かすり傷、切り傷だらけの姿。
同い年くらいの少年の、そんな姿。
怖かったし、不安だったし、ナニコレって感じだったけど。
呼びかけても揺すっても起きないから、なんかもう泣きたくなったけど。
とりあえず助けなくちゃと思って、彼の両腕を持って背中から担ぐ……つもりが彼の足を引きずりつつ屋敷へと帰っていった。
森から抜けると、ヴァイオレット様とオンブルさんがいた。
森の中にはヴァイオレット様の魔術が張り巡らされていて、森の中の異物にはすぐに気付くと言っていたから、彼のことに気付いて出てきたのだろう。
ヴァイオレット様にこの子が森で倒れていたことと、全然起きないことと、助けないといけないことを言ったら「そんなことをする義理はない」と言われてしまった。
わざわざ人間を助ける義理がない。死にそうな様子でもない。放っておけばいい。なんて言われて、いやいやそんなことないです、とわたしは反論した。
冷静に考えたら、彼はボロボロだけど死にそうな外傷を負っているわけでも、呼吸が荒れているわけでもなかった。
確かに死にそうではなかった。けど、そのときのわたしは彼をこのままにしておいたら死ぬと思い込んでいた。
「助けてください」と必死にお願いしても、「だから、わたしにもアルバにも関係ないことだろう」と取り合ってもらえず、こうなったら関係あることにしてしまえばいいんだ、と思って、
「関係あります! この子はわたしの餌なんです!」
とわたしは言っていた。言ってしまっていた。
餌。よりにもよって餌。
執事とか使用人とか、いろいろあったはずなのに、なんで餌。
それでも、そのときのわたしはとっさに出たこの考えなしの発言にも「これは名案だ!」と言った瞬間に思っていた。そして、表情にもそれは表れた。
結果、渾身のドヤ顔をしていたらしい。
わたしのドヤ顔にブフッと噴き出し笑ったヴァイオレット様は――当時、なんで笑われたのか分からなかった――その子を助けることを許してくれたのだった。