破壊の天使 ~玖李~
日々、神界を侵食する闇。
誰の手も届かぬ所で誰かが何かをしようとしている。
それが分かっていても何も出来ない、神の使いとして働く天使たちはただ怯えていた。
神界の中心部である宮殿の外壁の上、遠くを見れば黒いもやが大地を覆っている。
どこからか侵入した闇が、ゆっくりと確実に神界の大地を侵食しているのだ。
「こんな世界捨てて旅にでも出たいですね」
そう言ってため息をつくのは、天使の中で最も高い地位にあたる四大天使長の玖李。
純天使特有の淡い金色の髪と深いグリーンの瞳、雪のように混じりけの無い純白の翼、ぞくりとするほど美しい容姿、だがその実体は歴代の四大天使長の中でも最強の力を誇ると恐れられる者。
四大天使長とはそれぞれの元素を司る天使長を統括する者。
玖李は癒しより破壊を、慈悲より争いを愛する変わり者だった。
他の天使よりも美しい容姿を持ちながら、その身が求めるのは激しい戦い。
彼の放つ危険なオーラに逆らえる者はなく、やる事が仲間の弊害になる事がないので文句をつけられる者もいない。
玖李は包み込むような優しさではなく、身の凍るような恐怖で天使達を従えていた。
そんな玖李に恐怖を抱かずに接してくるのは変わり者か、または用事のある神だけであった。
「玖李様」
玖李が神界陥落を願っていると、後ろから声をかけてくる者があった。
「琉闇」
そこに立っていたのは玖李を恐れない天使の一人。
幼いながらも頭の回転がよく、何を見て真実を見極めればいいのか知っている。
「そういえば今日でしたね、貴方が地神のもとへ行くのは」
幼い天使は神の仕事を手伝うため、様々な神のもとへと派遣される。
能力が認められればそのまま手足として正式に採用される事もあるし、昇進して神界で長の補佐に付く事も可能。
玖李はそういった工程をすっ飛ばし、一気に天使長補佐へと昇格した恐るべき伝説の天使だ。
「地神のもとへなど行きたくありません」
「あれは能力なしだからねぇ、でもまぁ、その分、仕事は楽だと思うよ」
「能力の無い者の下でなど、働きたくない」
ぎゅっと手を握り締める琉闇にそっと微笑んで彼の頭を撫でる。
優しい微笑みだったが、どこかぞっとするような冷たさがあった。
「お前は頭がいいからね。たしかにあれに仕えさせるのは勿体無い、なぁに一月もしたら別の天使を変わりに送り込むから、そしたら戻っておいで」
天使を神界に呼び戻す行為は神が下す判断であり、決して天使が決めるものではない、玖李の権力はすでに天使の領分を越えていた。
本来なら、こうした出すぎた天使は処分される。
天使はあくまでも神の使いであり、神に並ぶ力も権力も必要ないから。
だが玖李を咎める者はいない、天使の動向に目を配る余裕のある神がいないのだ。
そうやって玖李は自らの周りを自分の言葉を聴く人材で固め、いざという時迅速に動けるように用意していた。
同時に神のもとにただ派遣するのではなく、生き残れる可能性の高い神を探していた。
すぐには堕ちないだろう、だがいつか神界は崩壊するのは確実、だからその時天使を庇護してくれる神を探していた。
琉闇が去ると今度は別の天使が玖李の元へ駆け寄ってきた。
玖李の足元に跪き頭を下げる。
「出動命令がでました」
「最近多いね」
だるそうに応えながら天使を立ち上がらせると、玖李は彼と共に天使の棲む区域へと赴いた。
天使の棲む区域は城の一角にある。
高い壁に囲まれた白い神殿、それが天使達の住処。
向かう途中、玖李は見知った者達と出会った。
一人は直属の腹心である上級天使のルグス。
腰まで伸びた銀色の髪と青い瞳が印象的な男で、その力は玖李に及ばずとも天使長を越えているのは確かだ。
ルグスと話していたのは背丈がルグスの腰までしかない小さな子供、背後に控えていた二人が玖李に気付いてちらりと視線を向けた。
「皆様お久しぶりです。こんな所でどうしたのですか?」
「定期報告をしにね、それと最近死人が多いので、冥界の一画、煉獄の領地を広げる許可を貰いにきたんですよ」
そう言ってにこりと笑ったのは、死者の逝く最後の国・冥界を治める辰王。
明るい紫色のショートヘアに深いグリーンの瞳、神にしては珍しく眼鏡をかけている青年、見た目の穏やかさに反し、眼鏡の奥にある瞳は油断ならない光を放っている。
支配の仕方が似ているせいか玖李と辰王はとても気が合う。
神と天使が対等に話す、普通はありえない光景。
「……許可が降りなくても勝手にやるくせに、デイス様は?」
ため息を一つつくと玖李は視線を隣の死神にやった。
漆黒のマントで全身を覆い隠し、目だけがマントから垣間見える。
玖李が視線を移すとデイスは少し躊躇ってから口を開いた。
「だだの定期報告だ」
デイスは死神の長。
頭が固いので天使と話す事をあまり快く思っていない。
天使は神の道具であればよい、それがデイスの考えであり、一般の神の考えだった。
「デイス態度が悪いぞ、すまないな玖李」
そう言ってデイスを諌めたのは少年の姿をした死神。
彼も玖李を同等に扱う者の一人。
彼こそが死神の王であり冥界を創造した者――辰王とデイスの王であり創造主。
死神特有の闇色のマントから垣間見えるのは、癖のあるグリーンの前髪と鋭く光る金色の瞳、口元は黒い布で隠しており、マントの前は紅いひし形の宝石でとめている。
「いいえ、仕方がありません、私はしょせん、天使ですから……」
苦笑しつつ、玖李は控えめに、しかし悲しげに俯いた。
目じりには薄っすらと涙が浮かんでいる。
「デイス一応謝っておけ、報復が怖いぞ」
玖李のわざとらしい落ち込みに溜息を吐きつつ王そう言ったがデイスは従わなかった。
「……私は悪くありません」
そう言ってデイスは踵を返し、その場から立ち去ってしまった。
「定期報告をどうするつもりだ! すまぬな玖李、また会おう」
慌てて死神王もデイスを追いかけていった。
「性格が悪い天使ですねぇ」
くすっと辰王が笑みを浮かべる。
顔をあげた玖李の瞳に涙はなく、楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「ふふふ、だって見下されて仕返ししないなんて、そんなのつまらないですからね」
主の行動にハラハラしながら、後ろでルグスと天使が見守っている。
いつもながら玖李の行動は彼らの心臓に悪い。
「演技で神を陥れていいんですか? きっとデイス、この後暫く謹慎ですよ」
「私、あの人嫌いですから」
「私もだよ」
顔を見合わせ、再び笑みをもらす。
「それよりも何か急いでたんじゃないんですか? 玖李が複数で行動する時は大抵何かある時でしょう?」
「ああ忘れていました」
辰王の言葉に玖李は今更になって自分の役目を思い出した。
「すみません辰王様、名残惜しいですがまた。ルグス、お前も来なさい」
「はい」
「ではまた会おう、玖李」
辰王に見送られながら、玖李は従者とルグスを引き連れ神殿へと急いだ。
バンッ
玖李は急いで神殿に戻ると乱暴に神殿の扉を開いた。
「出動!」
突然響いた大きな声に木の上で寝ていたであろう天使がボトッと落下した。
「ルグス、みなを連れて後から来なさい!」
「玖李様!?」
「先に行って自分のミスをフォローしてきます」
バサッと翼を羽ばたかせると、玖李は滅多に見せない猛スピードで飛び出した。
「聞こえただろう、玖李様を危険な目にあわせるつもりか? 全員、迅速に出動の用意をしろ」
冷静に命令を出しながら、ルグスもまた出動の準備を進める。
愛用の槍を召喚し、手袋をはめてしっかりと握り締める。
それぞれの武器を持ち、出動準備を整えた天使達にルグスはよく通る声で出立を命令した。
心配していた通り、闇の生き物がかなり近くまで来ていた。
動かぬ神に代わり神界に侵入する敵の討伐、それが神界に居る天使に課せられた仕事になったのはいつだっただろうか。
「ああ面倒な」
放置したい。
だがまだ時期が早い。
「消滅せよ」
白い光が大地に走る。
白い閃光が幾度も走り、闇を徐々に遠くへと追いやる。
消滅させる事ができれば何よりなのだが、この闇を消すにはもっと大きな力が必要になる。
以前は玖李でも浄化出来ていた。
力が、強まっているのだ。
ふわりと空気が変わったのはその時だった。
地面に真紅の炎が走り弧を描くように広がってゆく。
「消えろ」
脳を揺さぶる轟音とともに一斉に炎が燃え上がり、辺り一帯の闇を消し去った。
「生きてるか?」
「え?」
恐る恐る目を開けるとそこにいたのは神炎龍ゼノス・ヴィーヴルだった。
「これでしばらく神界は静かになる」
「――あ、ありがとうございました。ゼノス様」
圧倒的な力に気圧されながらも、玖李は辛うじてゼノスに礼を述べる事ができた。
「儂も、帰りたい場所があるのでな」
それだけ言うとゼノスは宮殿の方へと去って行った。
「玖李様!」
入れ違いに到着したルグス達に状況を説明し、玖李は彼らと共に無事帰還した。