彩香編第9話 ~はじめての文化祭~
彩香編第9話
文化祭前日。この日は授業が全休になり、一日文化祭の準備に充てられる日である。
私達調理部員は朝登校するとすぐに調理室に集まり、まず業者に注文していた品が全部そろっていることを確認したのち、クッキー焼きの作業に追われていた。
「全部で十八時間分の作業量の予定だから、今日8時間、明日6時間、明後日4時間の配分でやるよ!」
と田中部長の号令がかかる。
すでに一回作っているので手順は解っているのだが、マーガリンを練る工程がどうにもきつくて、こればかりは四人交代でやらないと力が持たなさそうだった。
もっとも、クッキーがオーブンで焼きあがるまで20分はかかるから、その間にマーガリンと砂糖と薄力粉が練れて、一〇〇個の玉に丸まっていればいいのだが…。
私達はマーガリンと砂糖と薄力粉を練る工程に一人、それを一〇〇個に等分して丸める作業に二人、オーブンの管理と出来上がったクッキーの袋詰めついでに砂糖を付ける係を一人置き、ローテーションで回りながら作業を進めた。
「これは中々きついわ…。」
と佐藤先輩が言いだす。作業開始から三時間が立った十一時の事だ。
「いったん休憩しましょう。これじゃ持たないわ。」
部長もそう提案し、小休止が入れられる。
私は紅茶を入れて先輩たちに配る。
「ありがとう、彩香ちゃん。」
「さすが、気が利くね!」
「気遣いどうもね。」
三人の先輩たちはそれぞれお礼を言ってカップを受け取る。私もカップから紅茶を飲む。やはり一息入れるときにはあっさりした紅茶が一番だと私は思う。
もっとも私はそこまで紅茶に詳しくはなくて、調理部に入ってから勉強し始めた程度の知識しかないのだけれど。
十五分ほどの休憩の後、作業が再開される。
「こういう時ばっかりは男手が欲しいわね…!」
菊池先輩がそう言いながらマーガリンをこねている。
「賛成ね、今度から文化祭の時だけ臨時に誰か借りてこようかしら。」
と佐藤先輩も話に乗る。
「そんなことができるんならあたしがさっさとやってるよ。」
と田中部長は笑う。やっぱり考えたことはあるらしい。
私は今は仕上げの工程、袋詰めをしてお砂糖をまわりにつける役割だ。
ただの丸いボールみたいだったクッキーに、粉砂糖がついてふわふわになっていくのが何となく楽しい。そのままラッピング用に使える袋で作業をしているから、終わったら上をリボンで結ぶだけである。
リボンももう五百本、適当な長さの物を業者さんに用意してもらっている。
十分ほどで作業は終わり、後はオーブン中のクッキーの焼き具合を見ている仕事に移る。
充分に焼けたところでオーブンから取り出し、役割交代。私はまたマーガリンを練る工程に入る。
これは果たして目標時間まで作業する体力が持つのだろうか…という心配が頭をもたげてくる。
十三時過ぎ、今度はお昼の休憩を取った。そう言えば調理部のメンバーで昼食を食べるのは初めてだ。いつも放課後一緒に作ったお菓子や料理を食べることはあっても、お昼に集まるということは無いのだっけ。
「彩香はその後クラスの連中とうまくやってるかい?」
田中部長が尋ねてくる。
「はい、部長に紹介していただいた方々の他にも来てくださる方が居て、最近はだいぶ賑やかになりました。」
私は笑顔でそう答える。
「うんうん、そいつは何よりだね。」
田中部長は満足顔で頷く。
「彩香ちゃんが元気ないと、うちのクラスの天本さんが心配するからね~。」
と佐藤先輩が急に言うので、私は危うくご飯を飲み込み損ねるところだった。
「き、急に話を振らないでください、びっくりしたじゃないですか…。」
私は若干むせながらそう言う。
「相変わらず彩香ちゃんは天本さんに弱いね。」
と菊池先輩まで笑っている。
「それはそうですよ、大事なお姉さまですから。」
私がそう言うと、三人の先輩たちは顔を見合わせて笑う。また『お姉さま』が出た、というところだろうか。
「さ、ご飯も食べ終わったし作業を再開するよ。午後からの方が長いからね。」
部長はそう言って率先してマーガリンをこね始める。
結局この日は夕方十九時の下校時間まで作業に追われ、三百個程度のクッキーが焼きあがったのだった。
文化祭当日一日目。
私達は朝七時に調理室に集合し、さっそく作業を始める。
うちの学校は九時から開会式を行い十時から一般開放が始まるが、私達は準備で開会式どころではないので開会式はすっぽかす。
そういうのは比較的暇なクラス展示の人たちに任せておけばいいだろう。
十時からの一般開放とともに、お客さんがちらほらとやって来る。
クッキーは買ってくれた人には好評だが、売れ行き自体は低調だ。
とはいえ作業中の私達に呼び込みに出る余裕などなく、調理室まで来てくださるお客様に対応するのが精一杯だった。
十三時になり、今日の予定の作業時間が終わる。交代で休憩を取り、その後は釣銭を持ってトレーにクッキーを載せて、校舎内を移動販売して歩く。
十五時ころになるとおやつ時という事もあり、クッキーの売れ行きも良くなる。トレーが空になり、調理室まで取りに戻ったこともあった。
一日目で売れたのは三〇〇個ほどと好調だった。やはり後半のおやつの時間に売れ行きが伸びるらしい。
十七時、文化祭一日目が終わる。
「ひとまず一日目、お疲れ様。明日も早いから早く帰ってゆっくり休むんだよ。」
と田中部長は言う。私達は素直にそれに従い、早めに学校を後にして自宅で英気を養った。
文化祭二日目。生徒への開放は九時からだが、一般の方への開放は一〇時からである。
つまり、九時から一〇時の間は生徒だけの時間なのだ。
私は部長にお願いして、科学部へ買い物に行かせてもらう事にした。
田中部長もついて来て、パンをみんなにおごってくれるという。
科学部室の化学室に着くと、良いにおいがもうしている。
「今年も大活躍だね、『文化祭のパン焼き娘』さんは。」
田中部長はそうお姉さまに声を掛ける。
「お早うございます、お姉さま、里中さん。お二人ともメイド服かわいらしいです!」
と私はテンション高く言ってしまう。二人ともクラシカルなロングのメイド服姿で、シンプルな装飾がかえってかわいらしさを増幅している。
「彩香が二人の作ったパンを食べてみたいってうるさくてね…。とりあえず一そろい、四つずつ頼む。」
「はい、ありがとうございます! 二〇個で一〇〇〇円になります。」
お姉さまは田中部長の注文に笑顔で答える。後ろでは里中さんが袋詰めしてくれている。
「はいどうぞ、お待たせしました。調理部のクッキーも食べてみたいのですけれど、ここから動けなくって…。」
と里中さん。
「それなら届けさせるよ。一袋二〇〇円で出してる。」
「それでは私の分もお願いします。」
お姉さまもそう言ってくださる。田中部長はありがとうねと答える。
私は調理室に戻ると、クッキーの袋を二つ持ってまた化学室へ向かう。
途中でお腹が空いていたので、プレーンの蒸しパンを一個頂く。
これは美味しい。成程科学部が目標一五〇〇個などと言い出すわけだと納得する。
一個五〇円という価格設定もお財布に優しい。
化学室に着くと、ちょうどお姉さま達の所の来客応対が途切れたところだった。
「お口に合うと嬉しいのですけれど…。」
と言いながら私はお姉さまと里中さんにクッキーを渡す。
「きっと大丈夫だよ。もうパンは食べた?」
お姉さまは笑顔でそう聞いてくる。
「はい!まだ一種類だけですけれど、とても美味しかったです!」
私は元気よく答える。
「それは良かった。お友達にも宣伝しておいてね。」
「解りました、会ったら伝えておきますね。それでは失礼します。」
私は答え、お姉さまと里中さんとにそれぞれ頭を下げて調理室に戻った。
調理室では相変わらず調理が続いている。
「後二時間、頑張るよ!」
と、田中部長が気勢を上げる。
「おー!」
私達も気炎を上げる。もうちょっとでゴールだ。
十一時半、予定していた材料がすべて無くなり、製菓作業は終了となった。
「お疲れ様。三〇分ずつ交代で休憩に入って。その後は売り切れるまでまた校内巡回ね。」
と、田中部長は慣れた采配だ。三年目ともなればそんなものか。
一年目の私は目の前の作業に手一杯で、周りを見ている余裕なんてほとんど持てなかったのだが…。
休憩後、私はまた釣銭とトレーを持って校舎内を巡回する。
途中、茶道部の喫茶前で和服姿の如月先輩と出逢う。
「こんにちは、如月先輩。一服して行っても良いですか?」
私は茶道部の喫茶で一休みすることにする。ちゃんと自分のお財布も持ってきてあるのだ。
「済みません、お菓子がもうすべて出てしまって、お茶しかお出しできないのです…。それでも宜しければ…。」
と如月先輩は申し訳なさそうな顔をする。私はそれでも構いませんと答える。
「ありがとうございます、ようこそおいでくださいました。」
如月先輩は笑顔でそう答え、一名様ご来店ですと中に声を掛け、自ら席まで案内してくれる。
如月先輩が奥に下がり、別の生徒さんがお会計一〇〇円になりますとお会計を済ませに来る。どうやら如月先輩手ずからお茶をたててくださっているらしい。
私は如月先輩が現れるまで少々待ち、お茶を頂く。
「美味しい…。」
紅茶とは全然違う苦み。普段飲んでいる日本茶ともまた全然違う
「ありがとうございます。お口に合ってようございました…。ところで、そのクッキーは売り物ですかしら?」
と、如月先輩が尋ねてくれる。
「はい、一袋二〇〇円で販売しております。宜しければいかがですか?」
と言うと、如月先輩を始め茶道部の皆さん合計三人が買ってくださるとのこと。
「ありがとうございます、合計で六〇〇円になります。ちょうど頂戴いたしますね。こちらがお品物になります。」
私はお金を受け取り、クッキーをお一人ずつ手渡してゆく。
「ふわふわしていて可憐なクッキーですわね。早速一つ、頂戴しますわ。」
如月先輩はリボンをほどき、クッキーを一つ口に含む。
「なるほど、外側は粉砂糖でふわふわ、内側はサクサクしているのですね…。これは美味しいですわ。」
と絶賛してくださる。
「ありがとうございます。部員のみんなが聞いたら喜びます。」
私は礼を言い、茶道部の喫茶を後にする。
少し休憩をはさんだが、私の仕事はまだ終わっていない。まだ一四時を回ったところだから、これからが勝負だ。
「調理部です。クッキーいかがですかー。一袋二〇〇円ですー。」
私は廊下の人通りの多そうな場所で立ち止まり、そう声を掛ける。
「あら、彩香ちゃんじゃない。」
と言う声に振り向くと、相沢さんが立っていた。
「相沢さん。もう午後の公演は終わったの?」
「午後は一五時から。だから今はちょっとの間の休憩ってわけ…。」
そう言って相沢さんは伸びをする。
「休憩がてら、クッキーでも食べない? 一袋二〇〇円だよ。」
「しっかりしてるねー。でもせっかくだし貰おうかな。」
「ありがとうございます。」
「いえいえ。」
そんな会話をして、相沢さんは去っていった。
少しして、今度は翔子ちゃんを見かける。
「あ、翔子ちゃん、クッキー要らない? 一袋二〇〇円ですよー。」
私がそう言うと翔子ちゃんはお財布から二〇〇円を取り出し、クッキーを受け取る。
「ふわふわしていて可愛いですね。」
と、嬉しそうな顔を向けてくれる。
「では私、演劇部の公演を見に行きますからこれで…。」
翔子ちゃんはそう言って体育館の方へと向かっていった。
私はその後もクッキーを売り歩き、先輩達と合わせて残り二〇〇個を無事完売したのだった。
本編43話と44話の裏話と言うところです。ちょこちょことフラグが見えている部分もあったりなかったり。