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恩物語

作者: 吉城カイト

誤字脱字が多々あるかもしれません。すぐに修正します。


この社会はとてつもなくクソみたいな社会だ。


毎日つぶれるまで働いて、働いて、働きつくす。報酬や見返りなどあったものではない。三十年間生きてきた俺が言うのだから間違いない。


毎朝ラジオ体操並みに早く起きて、アイロンすらまともにかかっていないしわくちゃのスーツにそでを通し、吐き気のするような人ごみの中で電車に乗って、事務作業を繰り返し行う会社へと向かうのだ。


そこには夢や希望なんて甘ったるい言葉など存在しない。


お疲れ様ですと言ってコーヒーを差し出してくる女性社員なんていないし、今日俺が飲みにつれてってやるよと言って昼上がりで帰らせてくれる上司などいない。


冷めきった人間関係の中でAIに仕事を取られないように、精一杯人間様にできる仕事をこなすだけだ。


俺はそんな場所に愚痴を垂れていたわけでもない。かといって非日常を求めて何かしらスリリングなことを探していたわけでもなかった。


だというのに。


いつも仕事帰りによる真夜中のコンビニの前で、一人の少女と出会ってしまった。


彼女いない歴イコール年齢の俺に、大丈夫ですかと声をかけれるなんて期待してはいけない。勿論のごとくその時はすぐにその場を離れたのだが、どうしても彼女のことが頭から離れなかった。


まあつまり、今から俺が語る話はどこにでもあるような夢話だ。俺が本当に夢を見ていたのかはわからないが、これから語るのはすべて真実だけだ。別に信じなくてくれなくていい。


社畜の俺と真っ白な彼女のたった一週間の出会い。そんな物語だ。


##


五月一日(水)

今日も上司に怒られた。いわれた通りに直しただけなのに。あのくそ野郎め。


世間では新年号だなんだと騒ぎやがってうるさいことこの上ない。テレビのニュースは毎日似たようなものを報道してばかりだ。つまらない。もっと面白いネタを探してこいってんだよ。


すでに短針が12の数字を越えている壁にかかった時計を見ながら、手元のコーヒー缶をぐっとあおった。上司たちはあらかた帰ってしまい、残っているのは俺と同期の上島と後輩の佐藤と長谷川だけだった。


「え、まだ終わってないのかよ。部長明日までって言ってただろ」


「だから急いでんだよ。てかお前も手伝ってくんね」


後輩同士が何やら騒いでいるが、遠く離れた席の俺には関係ない。さっさと明日の会議に使うパワーポイントを完成させて帰るだけだ。


「なら、先輩に手伝ってもらえよ。俺は早く帰りたいし」


「いや、先輩だって作業してんじゃん。それに」


声かけづらいし、と佐藤は声を潜めていった。がその視線は俺のほうを向いているのは何となくで分かったし、聞こえないように配慮したつもりだろうがこう人が少ないと聞こえないものも聞こえてしまうってもんだ。


「よし」


ぱたんとノートパソコンを閉じて、俺はわかりやすく帰宅の準備を彼らに知らせた。がさごそと大して入っていない鞄をあさり、邪魔するなオーラを全開で発揮する。そして極めつけでこのセリフだ。


「じゃ俺は先に帰るから。お疲れ様」


「あ、はい」


「お、お疲れ様です」


この後二人で作業をするのか、まだ別口で残っていた上島に手伝いを頼むのかなんて俺には関係ないのだ。


面倒な人間関係に亀裂を入れたくないのなら初めからその人間と関係を持たなければいい話だ。


エレベーターのボタンを必要以上に連打しながら、開くと同時に乗り込む。そして一のボタンを押して、エレベーターが起動したのを確認すると、はあと重いため息が出た。


これでいいのだ。正解などないのだろうが、俺自身が正しいと思っていればそれであっているはずだ。


会社を出るとそのままいつものコンビニへと足を進める。これもいつもの日常だ。代り映えしない光景。だと思っていたはずなのに、一つだけその光景の中に違う物が、見慣れない物がいた。いや物というより者がというほうが正しいのか。


一人の少女がいたのだ。それも飛び切りかわいい女の子が。


髪は月の光を反射したみたいにキラキラと光っている銀色で、こんな夜中の無粋なコンビニとは似つかわしくない姿かたちだった。


どこぞの令嬢だろうか。どうせまたブルジョワの暮らしに飽きて家出でもしてきたのだろう。甘やかされて育った近頃の若者はそんな奴らばかりだ。痛みや辛さに耐性がないのだ。だからこそ簡単に逃げることができる。立ち向かうということを忘れてしまったのだろうか。


そして、ちらと一瞥をくれただけで通りすがろうとした。したはずだった。


なのにどうしてか俺の足は彼女の前から動かなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のようにその場から離れられなかった。今思い返しても彼女の何が俺の気を引いたのかすらわからない。


そしてゆっくりと彼女と目が合う。


青く透き通った目だった。俺の心をのぞき込んでくるかのような目だった。


彼女は俺に何かを伝えるかのようにじっと視線を離すことなく見続けた。


先に負けたのは俺のほうだ。いったい何をしてるんだと自分に言い聞かせ、すぐに彼女から、コンビニから離れて家に向かう。


静かで真っ暗なアパートへとたどり着くと、すぐにカギをかけた。


何だったんだあの少女は。こういう場合は不思議さよりも恐怖が勝るんだろうが、俺の場合は前者が優勢だった。


まあいい。どうせ寝たらすぐに忘れてしまうだろう。俺の中の他人の興味なんてそれぐらいの価値しかないのだ。はあ、また明日も社畜になるとしようではないか。


俺は毛布を頭からすっぽりかぶると死んだように眠りについた。


五月二日(木)

後輩の佐藤と長谷川が部長に怒られていた。どうやら昨夜の仕事が終わらなかったようだ。結局上島に頼ったのかは知らないが、怒りの矛先が彼らに向いてくれるのはありがたい。俺が怒られなくて済むからな。


「週末は飲み会を企画しているから、行ける人がいたら佐藤に伝えてくれ。佐藤、そのリストを作っといてくれよ」


「あ、はい」


佐藤は聞こえないくらい小さくふっとため息をはいて肩を落とした。


俺はその反応を見て、同じく辺りに聞こえないように舌打ちをした。


要らない作業を増やすなってんだよ。佐藤が大変なだけだろうが。そんなに飲み会がしたくて人を集めてんなら、自分でそのリストを作れっての。


まあ実際に俺がやるわけでも手伝うわけでもないから他人事になるんだが。どうでもいいか。


再び手元のキーボードをカタカタと叩き始める。若干の怒りを込めてエンターキーを叩きつけてやった。


全くホントにこの社会はくそだな。完全な上下関係の世界だ。ここが戦国時代だったら下克上で部長をぶっとばしてやるってのに。


そんなくだらないことを考えながらノートパソコンを閉じると、鞄から財布を取り出して昼食を求めてフロアを出ていった。


##


「ん」


珍しく近くに移動販売の車が一台停まっていた。たこ焼きかぁ。まあこれでいいか。しばらくコンビニのおにぎりが続いていたからなにか温かいものが食べたかったところだ。


八個で六百円を超えてしまうぼったくりに心の中で舌打ちをしながら受けとると、近くの公園ベンチに腰を下ろした。


「あっつ、っ、あ」


一口では食べきれずに受け皿に戻してしまった。我ながら行儀悪いことこの上ない。


さっきまで店主に向けていた舌打ちを自分に向けると、ため息をはこうと顔を上げた。


「あ」


顔を上げた先には少女がいた。昨夜の少女だった。


少し離れたベンチにこじんまりと座っていて、膝を抱えて一人寂しそうに何かを眺めていた。


なぜここにいる、いや当たり前のことか。


昨日会ったのは偶然だろうし、近くの行き場所を転々としているのだろう。出会ったコンビニからこの公園まではそう離れちゃいない。


昨夜はあのコンビニで明かしたのかは知らないが、前にみたときよりも少しやつれているように感じた。やつれているというか存在が消えかけているというか。やっぱり不思議な感じがした。


そこでようやく彼女が何を眺めているのかがわかった。


俺だった。正確にいうならば俺の持っているたこ焼きだった。なぜだかわからないが、たこ焼きを見ているのだ。


「あ」


もしかして食べたいのか?これを?俺が食べかけているたこ焼きをか?


腹を空かしているのか知らないが、そこまで凝視されるとこっちが食べにくいだろうが。ったく。


俺はベンチから立ち上がると彼女に近づいていった。目の前まで行くと少女とやっと目が合う。


「おい、これ食べるか?」


そっと少女の前にたこ焼きを差し出すと、おおと目をキラキラとさせて受け皿からつまようじをつまんでみせる。実際には口に出していないが、食べていいの?と言っているかのような表情をしていた。


俺も声には出さずに、こくりとうなずいて肯定の意を示す。


少女はつまようじを持った右手を動かして膨らんだたこ焼きに突き刺した。そしてゆっくりと口元に持っていく。

だがやっぱりそのたこ焼きは熱かったようで、すぐに自分の口元から離した。

そしてなぜか俺をむっとにらんできた。


なんだよ。俺が火傷させたわけじゃないだろうが。自分で食べようとしてそうなったんだろうが。


わちゃわちゃと手を動かして火傷した(らしい)唇を何度も触っている様子を見ていると、年相応の幼い少女のようだった。外見だけだと長い髪と独特の物静かさも相まって大人びて見えたのだ。


今度はふーふーと息でたこ焼きを覚ましながら食べていた。味に満足したのか笑みを浮かべていた。


まったく。おいしそうに食べやがるぜ。そんなにおいしいもんかね。


少女の食べている様子を見ていると、なぜだか心の中の何かがすっぽり埋まった気がした。欠けていた何かがまるでパズルのピースのようにはまった感じだった。


ふう。そろそろ会社に戻るか。午後から会議もあることだし、万が一遅刻して部長に怒られたのではたまったもんじゃない。


腕時計でまだ少し時間があることを確認すると、


「じゃあなお嬢さん」


これ以上あの少女と関わりすぎるのも良くないだろう。懐かれても困るだけだ。


早く会社に戻ろうと、少女を背を向けて歩き出そうとした時だった。後ろからくいとスーツの袖を引かれ、足を止めてしまう。


「あ?」


再び少女と目が合う。


なんだよ。これ以上は上げられる食べ物なんてないぞ。さっさと、、、


少女の唇が微かに動いた気がした。じっと見ていないと見逃すくらいの動きだった。


やっぱり彼女の声は聞き取れなかったが、言いたいことはくみ取れたはずだ。


五文字。人から何かしてもらった時に使う言葉だ。言葉にしなくてもわかるだろ?


声は聞こえなかったのに、なぜか頭にはっきりとその文字が浮かんできたんだ。


ほんとに不思議な奴だ。訳が分からん。


俺はそのまま何も言わずに、彼女のもとから颯爽と立ち去った。


##


「おい早くしろ、準備しとけって言ったろうが。金山さんところがくるっていったろ!」


「すいません」


ちっ結局部長に怒られてしまった。佐藤め、準備終わってなかったのかよ。なんで俺がしりぬぐいしなきゃならないんだよ。


心の中で愚痴をこぼしながら、会議に向けた準備を終わらせる。


「おお、きましたか!どうぞこちらの席に座ってください」


部長はやってきたお偉いさんたちにへこへこしていた。いつもの威張っている様子とは裏腹になんだか惨めに思えた。まあいい、ざまーみやがれ。このプロジェクトもどうせ失敗するに決まってる。そもそも若輩たちに重要な部分をやらせて、自分だけがおいしいところを持っていこうなんて考えが間違っているのだ。


成功したときはその利益を独り占めする癖に、失敗したときは人にその原因を押し付けるのがおかしいのだ。そんな奴はマジでくたばっちまえ。

まあ人は自分が上の立場になったときにそういう考えを持ってしまうのは仕方ないらしいがな。かといってそれを許せるほど俺は寛容じゃないし、何より後輩たちが絶対に許さないだろう。


「えー、それじゃあ今回の企画の説明を、、」


緊張しているのかところどころ閊えながら佐藤が進行を務めていった。


##


五月三日(金)

明日行われる飲み会のためか妙に部長が張り切っていた。いつもはしない事務作業を手伝い、佐藤にも優しくミスを教えていたどころか、自分で修正していた。やれるなら初めからやれっての。どうせ飲み会が終わったら、しなくなるんだろうな。


今日も意味があるのかわからない仕事を言われるままにこなしていく。パソコンをひたすらたたき続けるという事務作業なだけに精神的疲労がたまっていく。これだったら何か肉体的な仕事をしている方がましなんじゃないかっていうくらいだ。


部長は普段椅子から動かないくせに、今日だけはいろいろとみんなの席に動き回って指示を出したりしている。そんなどうでもいいことにイライラしている自分がいた。


ふう、と長い溜息を吐いたとき、背中をトントンとたたかれた。なんだよと思いながら振り返ると同期の上島が立っていた。要件を視線で問う。


「お前は明日の飲み会に参加すんのか?」


「しねえよ」


一言で切り捨てると、再び彼に背を向ける。


「んだよ、つまんねえやつだなぁ」


「少し用事が入ってんだよ」


「そうか」


本当は用事などなかった。休日は家でダラダラと過ごしているだけだ。俺は自分の時間を他の誰かに割くということが嫌いな人間だった。しかも会社の人間とくだらないことに付き合っていられないというのも少なからずあった。だからこういうノリの誘いはほとんど断っていた。


ふいに窓の外眺めた時、午後五時を知らせる学校のチャイムが聞こえてきた。近くの小学校だろうか。


それを耳にしたのか部長が、


「今日はここまでにしよう。みんな上がっていいぞ」


と手をたたいて切り上げを知らせる。


マジか。どんだけ飲み会のために仕事ずらすんだよ。今日しなくったて週末明けには絶対にやらなくちゃならないんだぞ。どうせ前日から飲みに行くだろうとは思っていたがな。


まあいい。早くに帰れるには越したことないのだから。


部長はまだ何か言っていた気もするが、俺は早々に帰り支度を整えるとフロアを出て行った。


##


「は」


家に着くなり、そんな疑問の声が出た。なぜかって、例の少女がいたのだから。


俺が住んでいるアパートの敷地内に座っていたのだが、俺が帰ってきたのに気付いたのかすっと立ち上がった。そして俺の目をじっと見てくる。


まさか、こいつ。俺をストーカーして自宅を突き止めたってのか。おいおいガチで家出少女じゃねえか。食べ物上げたら、今度は家に泊めてくれっていうのか。


「おい、何してんだ」


少し脅かすくらいの声音で聞いてみる。だが少女には伝わらなかったのかにこにこと笑ったままで何も言おうとしない。


「家出かなにか知らんが、泊めることできねえぞ。さっさと帰れよ」


今度ははっきり伝えてみる。するとわかりやすく悲しそうな表情を見せ、小さく唇を動かした。


「お願いします」


まただ。彼女の声は聞き取れないのに、言葉はちゃんと理解できる。なんというか直接頭に響いてくるというか。なんなんだこれは。


「警察に行け」


家出少女をやすやすと泊めてやれるほど、俺は困っているやつを助けたいという気持ちは持ち合わせていない。自分のことで精一杯のやつに他人を救える力などないのだ。


そんなことを思っていたはずなのに、気付いた時には彼女を部屋にあげていた。何が起きたのかは全く分からなかった。その間の記憶が飛んだように、まったく覚えていなかったのだ。


そのあとは自分でもよくわかっていない。彼女と夕食を食べたのかも分からない。何を話したのかも思い出すことができない。ただ彼女の名前だけは頭に残っている。


若葉と名乗っていた気がする。俺も若葉と呼んだ気がする。


来客用の布団を敷いたあたりで俺は疲労がピークに達したのか死んだように眠った。


五月四日(土)


休日だ。仕事がない。会社に行かなくていい。家に引きこもっていられる。そのはずだったのに、なぜ俺は若葉と電車に乗っているのだろう。遊園地に向かっているのだろう。訳が分からなった。


朝の九時過ぎに若葉に起こされた俺はなぜだか遊園地に彼女を連れて行かなくてはという意味の分からない使命感に駆られていた。


昨夜そんな話を彼女としたのかもしれないが、そもそも無関係の家出少女と外出することになるなんてどう考えてもおかしい。知らない他人と出かけるなんて普段の俺からしたらストレスの何ものでもないが、彼女の場合はそうでもなかった。


休日の遊園地なぞマゾヒストでもない限り行きたくないのだが、彼女はそうでもないらしい。純粋に楽しんでやがる。俺の手を引っ張ってあれやこれやといろいろな乗り物に連れて行った。


三十人以上は並んでいるジェットコースターに並んでいるときに、カップルや子連れの家族を見てふと思った。


俺たちはどう見られているのだろうか。


カップルにしてはさすがに年の差がありすぎる。父親と娘にしてはおかしいか。俺はそんなに老けてないだろうが、おそらく十四五ぐらいの彼女では俺がいつ結婚したんだということになってしまう。


順番が来て列に従って前に進むと、係の人に変なことを言われた。


「はい、お一人ですね。こちらにどうぞ」


「いや、二人ですけど」


何を言ってるんだ。俺に隠れてたせいで若葉が見えなかったのか?それともこいつの存在感がうすいせいか?


すると係の人ははあ、と首をひねって一瞬止まったが、すぐに案内を続けた。そしてなぜか俺に奇異な視線を向けた。なんだこいつ、感じ悪いな。


スルーされたのがショックだったのか若葉は少ししょんぼりした様子で俺の服をつまんできた。

ったくなんだよ。しおらしくしやがって。そっちがテンション低いとこっちまで怠くなるんだっつーの。


そのあとは普通に二人で乗り込んだが、ジェットコースターが終わって降りた時に一瞬若葉が悲しそうな顔をしていたのが記憶に残ってしまった。


楽しくなかったのだろうか。柄にもなくそんなことを思ってしまった。

他人の気持ちを慮るなんていつぶりだろうか。自己中だったわけではないが、誰かを気にするという何気ないことすら久しぶりに感じた。


気を取り直して昼食にしようと、近くの売店で彼女の好みのものを買った。


どこにでもあるようなたこ焼きだというのに、やっぱりあの時と同じように目を輝かせて嬉しそうにほおばった。気に入ったのだろうか。もしかしたら今までたこ焼きというものを食べたことがなかったのかもしない。いやそんなことあるわけないか。


俺も習ってほおばったが、熱々のたこ焼きをそれほどおいしいとは感じなかった。彼女の嬉しそうな顔を見ている方が心が温かくなったくらいだった。


##


「今日も泊まるのか」


こくりと彼女は頷いた。泊める前はさっさと帰れとか思っていたのに、なぜだか彼女が俺の質問に頷いてくれたことをうれしいとまで思い始めていた。


どうかしてしまったのか。自分で自分が分からなくなってきた。


どうしたの?と彼女が聞いている気がした。


「なんでもねえよ。てかそろそろお前は何なのか教えろよ」


私?と首をかわいくひねってみせる。


「そうだ」


いつまでも泊めてやるわけにもいかない。彼女が家出してきたのなら親元に返してあげなければならないし、迷子や孤児なら然るべき機関に任せないといけない。それがこのクソみたいな社会のルールなのだ。


私はやりたいことがあるの、と彼女の言葉が頭に流れ込んできた。


「やりたいこと?それをするまで帰らないってか?」


だから明日もあなたといるの、そんなことを言われた。


何言ってんだこいつと一蹴することもできたが、明日も彼女に付き合えば自然に帰ってくれるってことか。休日がつぶれるのは解せないが、いつまでも居候してくれるよりましってもんだ。仕方ない、もう一日だけ相手してやるか。どうせ子供の他愛事だ。


明日も俺は彼女のために道化になるとしようではないか。


そんな冗談を考えながら彼女の安らかな寝顔を確認すると、俺も毛布をかぶって深い眠りへと沈んでいった。


五月五日(日)

今日も会社はない。いつもなら昼過ぎまで惰眠をむさぼっているはずだが、今日だけは違った。

彼女のためにこの身を動かさなくてはならない。どうやら今日はペットショップに行きたいらしい。なんでも猫が好きなんだと。俺にはよくわからんかったが、見るだけでも楽しいようだった。


自宅から近場にあるペットショップへと足を進ませた。若葉の歩幅が小さいために俺はゆっくりと歩かなければならなかった。誰かのペースに合わせて歩くなんてことも久しぶりに感じた。自分のペースで歩くことが当たり前だったせいか、そんな単純なことも俺には難しく感じた。


若葉は着くや否や、やや小走りで店へと入っていく。


「おい、待てって」


俺が後から来るのが待てないのか、戻ってきて俺の手を精一杯引いて前へ前へ行く。


ペットショップに来るなんて何十年ぶりだろうか。


キャンキャンと鳴く子犬の声が響く中、小鳥のさえずりが彼女の来店を歓迎しているように思えた。まるで彼らが若葉を来るのを待っていたのではないかと思えるくらいに同時に泣き始めた。


「うるさ」


俺はたまらずしかめっ面を披露したが、彼女はそんなことさえも楽しいのか笑って奥のスペースへと入っていく。そこにはきれいに彩られた水槽が置かれていた。金魚などをはじめとした魚類関係に加え、亀やエビなどの変わったものまで置かれていた。


「へー、ドクターフィッシュねえ」


人間の垢などを食べるらしく、水槽に手を入れていいらしい。ずいぶん変わり者だ。


「おい、若葉。これ見ろよ」


彼女に手を入れてみるように誘導すると、ゆっくりと近づいてきて恐る恐るといった感じで手を入れた。やがてドクターフィッシュは彼女の手にくっついていく。餌を食べているのか、口をパクパクと動かすばかりで他に珍妙な動きはなかった。俺が期待したほどこいつも変わっていないのかもしれない。


そんなことを思っていると、若葉はひゃっ、と声を上げて勢いよく水槽から手を引き抜いた。どうやらくすぐったかったようだった。少し目じりが赤るんでいるところから、こいつは泣き虫なんだろうか。こんな魚ごときでそんな怖いもんか?


「どした?痛かったのか?」


まさか怪我してないだろうなと思いながら聞いたが、彼女は首を振るばかりだった。


少し遅れてこんな声が聞こえてきた。


__私に、気づいた?


はあ?何を言ってるんだ?手を入れたんだから、水が振動して魚が気付くのも当たり前だろうが。だけどなんでそんな表情をしているんだ?どこか驚いたような、うれしいような。


やっぱりこいつのことはわからねえ。まったく、全てが不思議だ。存在も思考も気持ちも。俺にはわからない。


そのあと、猫や犬がいるコーナーに行ったが、展示されている彼らにガラス越しに手を伸ばすが、ため息を漏らしているだけだった。なんだ、こっちの方が目的じゃないのか?てっきりペットをみたいというから犬猫がメインだと、、、。


残念そうな顔で眺めていたかと思うと、やがて彼らに手を振り俺のもとへと戻ってくる。


「よかったのか」


__いいの。もう満足したから。大丈夫。


けれど彼女の視線は依然彼らの方を向いているばかりでその足は動こうとしない。俺ははあとため息を吐くと、指をさして言った。


「ふれあいコーナーってのもあったぞ」


別に彼女のために探したわけではない。たまたま目に入ったから言っただけだった。すると一瞬だけ顔をほころばせたかと思うと、すぐにもとの悲しそうな表情に戻った。


__本当にいいの。彼らは気付いていないから。


またか。なんなんだ、『気づいていない』って。動物たちがなんなんだっていうんだ。


だが彼女がいいというのならこれ以上勧めるわけにはいかない。無理やり行かせても逆効果では意味がなくなってしまう。彼女が楽しくないというのなら意味がなくなってしまう。


「じゃ出るか」


来た時とは真逆の感じで俺が彼女の手を引っ張ってペットショップを後にしたのだった。


##


__ありがとう。


「あ?」


__今までありがとう。私はこれでもう大丈夫だから。


家に着く数メートル手前で、彼女はこんなことを言った。急に何だってんだ。


てっきり今日も家に泊まると思っていた。彼女が泊まることをどこが期待していた。


__私はこれでもう満足したの。わがままに付き合ってくれてありがとう。私に気づいたのはあなただけだったから。


「おい、意味が分かんねえって。ちゃんと説明してから、っつぶ」


肝心なところでくしゃみが出てしまった。言い直そうと彼女をもう一度見ようとした時。


そこには誰もいなかった。


「は?」


間抜けな声が漏れる。


「は?いや、おい、え?」


若葉は。若葉はどこに行った?


慌てて周囲を見回しても、俺以外には人ひとりとていない。どうなってる?いくら自問しても誰も答えてくれなかった。だけど!若葉だけは、あいつだけはあの無表情な顔でどうしたの?って聞いてくれるはずだろ!!?


なんだよ、どこに消えたんだよ!神隠しなんてふざけんじゃねえぞ!


俺は息を切らして近場を探し回った。あいつがいそうな所を手あたり次第探し回った。警察に頼る考えも頭をよぎったが、あいつと俺の関係を聞かれたらなんて答えればいいのかわからず躊躇してしまった。なによりあいつが、イタズラが成功した子供のような満面の笑みを浮かべて出てくるなんてありえないことを想像して、探し回ったのかもしれない。


結果から言えば、あいつは見つからなかった。見つけることができなかった。


結局は若葉が何だったのか何もわからず、あいつと俺は別れてしまった。


その日俺は久しぶりに一人暮らしを孤独だと感じた。自由だと思って愛していた独りを初めてさみしいとさえ感じてしまった。


「なんだよこれ、ふざけんじゃねえぞ」


一人ベッドに入って眠りにつこうとするが、彼女のことが脳裏に焼き付いて目がさえてしまう。まだこの近くをさまよっているんじゃないか、なんて考えてしまう。、、、そうだ!


一つの考えが浮かんだ俺は急いでコートを着ると、家の鍵も閉めずに飛び出した。


あいつは絶対いるはずだ。あのコンビニに!いるはずだろ。いてくれよ!


確信というよりは直感だったが、それでも行かずにはいられなかった。彼女がいることを願って走った。


だが。


小さな明かりが漏れ出ているあのコンビニには、俺が通っていたコンビニには彼女はいなかった。


「ふっ」


自嘲に似た声が聞こえる。


俺はそのコンビニに背を向けると、ゆっくりと自宅へと戻っていった。


五月六日(月)

今日からまたいつもの日常へと戻る。日がまだ昇っていないうちから体を無理やり起こし、あのくそみたいな感覚へと自分の体に適応させていくだけだ。何か大切なこともあった気がするが、覚醒しきっていない頭では、そんなことは忘却の彼方へ消えてしまった。


「おい、十連休どっか行った?」


「俺はずっと家に引きこもっていたわぁ」


会社に向かういつもの電車を待っていると、後方からそんな会話が聞こえてきた。同じ電車を待っている学生だろう。


そうか、このゴールデンウイークは十連休もあったのか。ほとんど仕事をしていたせいで、そんな感覚は全くなかったな。いや、休日は休めたのかもしれない。ん、どこかへ出かけたような気もするか。


「つーかこのゲームやってるか?」


「どれどれ」


ちっ、年甲斐もなくはしゃぎやがって。周りの迷惑も考えろっての。騒いでいい場所があるだろ、T

POを知らないのかよ。


はあ、黒い感情が俺の体を支配していく。っと。


ふわり、と。誰かに背を押されて体が前に倒れていく。おい、嘘だろ。このまま線路の上に落ちたらまずいだろ。


周りの景色がゆっくりと流れていくのを感じる。くそ、あの学生たちかよ!


まったく、ついてねえな、、、。


俺が落ちるのを覚悟した時だった。ぎゅうと誰かに手を引っ張られて、無理やりホームに戻され、勢いのまま尻から倒れてしまった。


「いって」


た、助かったのか?でも誰が、俺を?


「君!大丈夫かね!?」


明らかに俺よりも年配のサラリーマン風の男性が俺に駆け寄ってきて、助け起こそうと手を差し出してくる。それほど大した怪我じゃなかったようで、俺はすんなりとその手をつかむことができた。


「あなたが助けてくれたんですか?」


「いやいやあ、小さな女の子がね。ぱっと飛び出して君の手を引いたんだよ。ほらそこに、ってあれ?」


男性が指さした方を見ても、そこには少女などいなかった。


その時俺の頭にふっと何かが舞い降りてきた。


「その子は!その子はどこに行ったんですか!?」


これは確信だ。きっとあいつに違いない。あいつが俺を助けてくれたんだ。


近くに若葉がいるはずだと思い、辺りをきょろきょろと見まわしてみるが、それらしい人影を見つけることはできなかった。困惑している俺に男性は少し驚いたような顔で先の言葉を続けた。


「さっきまでそこにいたんだけどあんたが振り返った瞬間に、こうばっと消えるかのようにね。いなくなっちまったんだよ。いやあ私は幽霊でも見たんじゃないかって思ったよ」


「幽霊、だと」


あいつじゃないのか?ただの幽霊が俺を助けたってのか。そんな偶然があるってのか。


そうこうしているうちに電車が来たのか、プラットホームに音楽が流れ始めた。


「あ。では私はこれで。気を付けてくださいね」


男性は俺に一礼すると、優先席専用の場所へと歩いて行った。


##


この社会はクソだ。


それでもって不思議なことだらけだ。


俺が会った彼女のことも、会社であったむかついたことも、駅で体験したことも。


全てわからない。わからないままで終わってしまった。


だけど。そんな日常は嫌いではなかった。


愛しているとまでは言わないが、それでもこの生活と、この社会と共に生きていくための努力ぐらいはしていこうと思う。それぐらいの疲れなら心地よいってもんだ。


これは。


これからも社畜として生きていく俺が、この一週間で体験した経験だけを語った物語だ。


不思議な少女がどうなったのかは俺が一番知りたい話だ。










































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― 新着の感想 ―
[良い点] 今までの作品と傾向が違うおもしろさがありました。 [気になる点] 結局…。少女は何者だったのだろう? この世の人間ではない存在と理解していいのかな? ひょとしたら…。主人公の男性にも判…
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