勝てるきがしない
路地裏に身を潜め、ジョセフが一つの建物に入って行くところを確認する。
手に持っている小さな袋から、何らかの買い物をした帰りだと推測できる。
数人の助手は居た記憶があるので、彼らに任せられないものだということは確かだ。
これはもしかしたら、弱みを握るチャンスになりえるのではないだろうか。
もっと慎重に行くべきかもしれいなが、逃すには惜しい機会だった。
「ここで引いたら女が廃るッ。行くぞ……行くぞ!」
一人で気合を込めて、路地裏を出ていく。
大きく無骨な車が何台も通るエップル・ストリートを、コソコソと移動するのは逆に目立った気がする。
それでも、ジョセフの背中は既に扉の向こうに吸い込まれていた。バレていないと見て、突撃を敢行した。
「入っていったのは、この建物だよな……?」
見上げればそこに、建物の名前を書いた看板がある。
決して派手ではないのに、人目を引くカラーリングとデザインをしている。文字は『ラブズ・アンド・ベリー法律相談事務所』とある。
「か、可愛い過ぎだろ……。誰のセンスだよ、これ」
意外な名称に、女の影を想像してしまう。
いやいや、顔に似合わず可愛いもの好きって可能性もゼロじゃない……。
そもそも、ジョセフに付き合っている女性が居ても困ることはない。懐柔する相手が増えるという問題を除いて。
「こんばんは~……」
入り口のドアを開いて、正面から突撃した。
口実はあるのだから、変にコソコソ調べ回るよりも良いと考えたのだ。
入って直ぐに階段が伸び、横を通路が一本通っている。一階は助手を含んだ社員の居住部分だろう。左右に数枚の扉が見える。
二階への階段脇に、ちゃんと『事務所→』なんて案内がある。
一人も降りてこないということは、聞こえなかったか、迎えにいかない決まりがあるのか。
「掃除は、行き届いてるな。壁紙とかも、なんか笑えるくらいファンシーじゃん」
猫の模様を見て、私は上へ向かった。
右手にまたしても扉が見え、軽く息を整えてからノックした。
「どうぞ」
少し遅れて返事がきた。
「どーも、こんばんは」
堂々と、怪しまれないように扉を開く。
少しフランクなのは、元からかしこまった態度が苦手なだけである。昨日のパーティーみたいなのも、本当に窮屈で仕方がなかった。
ガサツな奴って言わないで頂戴!
さておき、タイル貼りの床にシアンの絨毯を敷いた部屋へと踏み込む。
「いらっしゃいませ。こんばんは。申し訳ありませんが、アポはございますか?」
出迎えてくれたのは、私より少し年上かぐらいの青年だった。
田舎から出てきましたとでも言わんばかりの顔。素朴でがんばり屋な青年ってところだろう。
調度品の少ない、小奇麗な部屋となかなかにマッチした助手だ。
「えーと、アポは無いんだけど。暴漢から助けて貰った件で、ラウキン=ルチアルノの娘が来たって。そう伝えてくれないかな?」
「……わかりました。しばしお待ち下さい」
助手の質問に私が答えると、彼は背後奥のチョコレートを積み重ねて並べたみたいな扉へと近づいていく。
ドンドンと、ドアノッカーで叩くほどだ。
「何かな?」
微かに人の声が返ってきた。
「はい、先生」
助手は、先程私が言った通りのことを伝える。
先生と呼んだ人物が、ジョセフ=プロフであることは間違いなさそうである。
「入っていただきなさい。少しぐらい時間はある」
「わかりました」
そんな会話が聞こえ、助手が扉を開いてくれる。
私は少し緊張した面持ちになりつつも、部屋の中へと足を踏み入れていく。
こちらも、フワリと足を軽やかにしてくれる絨毯が敷かれている。白と黒、シンプルながら重厚な家具の調和したモダンな空間が、目を楽しませてくれる。
漂う花か何かの香りは男臭さを中和し、性別を問わず働きやすい空気を醸し出す。
扉が閉じると、もはや音はその部屋だけにとどまった。
少し重苦しい空気を割って、書斎机に座るジョセフの方へと歩いていく。
「今日は、一体どんな良からぬ相談なのかな? Ms.カンポ」
少しばかり気障に、高級そうだが嫌味のないソファーチェアから体を起こして、ジョセフは訊ねてくる。
伝えた要件とは違う切り口に、私は平静を保てずに僅かばかり表情を曇らせる。
ジョセフは何かを勘違いしたのか、元から挑発のつもりだったのか。冷ややかな表情のまま言葉を続けた。
「失礼、これは養子に入る前の名前だったか。話を聞こうか、Ms.リトルシスター・ルチアルノ」
「名前なんてどうでも良いよ。なんなら、アルシャって呼んでくれても良い。用件は伝えてあったはずだけど?」
そんなことでいちいち、気を揉むほど子供じゃない。
カンポというのは、私を産み育ててくれた両親の姓名だが、感謝する恩などないような人達だ。最後に名乗ったのは、一本目のルートで裏社会に戻った時だったか。
記憶にしかない話だから、最後というのは少し違うか?
「さっきの反応から見て、本来の用件はただの建前だろう。Ms.ビッグシスター・ルチアルノを連れてくるだろうし、父上に話を通した方が早いのはわかっていたはずだ」
出会い頭に、軽くこちらの薄い壁が剥がされてしまった。
どこまで見抜かれるのか。流石は、敏腕弁護士の皮を被った辣腕犯罪者である。
内心で感心している間にも、ジョセフは言葉を続ける。
こっちの焦りなど知ったことではないようだ。
「一人で会いに来たのは、人に聞かれたくない話がある証拠。俺を警戒しながらも、そっちのケースには一切注意を払わなかった」
ジュペッテから借りたアタッシュケースにも注目してくる。
「友達から借りた衣装だ」
放り投げて、中身を改めるようにさせる。
ジョセフに警戒されたままでは、情報を集めるのも一苦労だ。
「……ふむ。これは?」
ジョセフが少し中を漁って、一本の抜き身のナイフを取り出した。
「と、小道具だな。玩具だろ、そんなの?」
「玩具か」
刃が潰してあるらしい二十センチ程度のナイフだ。バネで押し込まれる仕掛けのようで、ジョセフはそれを少し弄ぶ。
柄には輪っかが着いていて、腰だめに吊り下げておくことができるようだった。劇の小道具なら珍しくもない。
「武器などなくとも、俺を脅せるということか。最悪、殺すぐらいは可能という自信の現れとも取れるが」
ナイフをうまい具合にクルクルと回し、妙な深読みをしていくジョセフ。
しかし、半分は当たっているので侮れない。
不安が顔か態度に出てしまった。ジリッと足を半歩ほど踏み出した。
それだけ。
するとジョセフが、机の引き出しに手を伸ばすのだ。
武器を取り出されては拙いと、慌てて机の角を掴んで引っ張ってしまう。
ズズズッ――。
重苦しい音を立て、小型のピアノぐらいはある机が動いた。
女の細腕では、まず微動だにしないような代物だ。
「……」
シマッタ……!
後悔したところで遅かった。
ジョセフは僅かに目を見張ったものの、「なるほど、なるほど」と仕切りに呟いている。
あれで驚かずにいられるか……。
またしても引き出しに手を伸ばし、中から楕円の小さなケースを取り出す。メガネケースと言う奴だ。
「何を警戒して馬鹿力が働いたのかは知らないが、眼鏡くらい取らせて欲しいな。実は目が悪いんだよ」
口調に、どこかからかうようなアクセントが含まれた。
手の内を明かしてしまった以上、言葉での説得は難しいか。力ずくでの説得も、それこそ悪手。
この場は引いて、エドガーやストリート・チルドレンの手を借りるのが正解だろう。
「今日のところは失礼するさ……」
言って、アタッシュケースに手を伸ばす。そこで思い出した。
小道具のナイフはまだ戻ってきていない。
「か、返せッ。大事な借り物なんだよ……っと」
ジョセフの涼しい顔に良い予感がせず、私は彼の座っている側に回り込む。ナイフを取り上げようとするが、軽く空かされてしまう。
机に手を着いて、直ぐに体勢を立て直すもジョセフは既に立ち上がっていた。
私を追い詰めるように正面へ。右腕で一方の逃げ場を封じるが、もう片方の手はフリーにしている。
ナイフをアタッシュケースへ放り出し、無理やり手玉に取る気はないと示す。
状況は冒頭へと移る。