ニューゲームらしい
それは、軽い耳鳴りから始まった。小さい内は虫の這うような感じだった。
大きくなるにつれ、会場の賓客達が騒ぐ音が徐々に遠のいて行くのがわかる。
頭の軽い痛みは、どんどん強くなって行く。酒瓶で殴られたくらいの痛みだろうか。
普通の人間には大げさだろうが、私にはそれほどではない。
来やがったか、畜生めッ!
私は内心で吐き捨てる。元々だと、単なる二日酔いの頭痛だ。
これだ、これだと痛みに耐えながら喜ぶ。
でも、よくやった、私!
多分、酒気が残った状態ではこの後の出来事を、ただの妄想だと片付けてしまうから控えたのだろう。
そして、脳裏に見えるのは目まぐるしく換わるサイレント映画のような映像群。
「大丈夫?」
私にかけられたであろう声が、映像を締めくくって沈んでいく。
ハッと顔を上げて、声の主を仰ぎ見た。
私を心配して潤んだ、碧眼の瞳が美しい。軽くウェーブした小麦色のセミロングが愛らしい。
清楚な純白のドレス姿など、フラッパースタイルの私に比べてなんと可憐なことか。
「麗しの君か。いや、大丈夫、ちょっと酒に当てられただけさ」
「どうしたのです? 私はお姫様ではないですし、学園で行われる市議主催のパーティーでお酒なんて出せるわけありません」
気取って誤魔化す。
美少女は訝しい表情をするも、語気は荒くないみたい。しかし、怒った顔も可愛いので悪いとは思わない。
彼女の心配を他所に、私が気を使っている。
事情を知らなければ酷くチグハグな状況だが、もう少し待って欲しい。
「こういう空気はまだ慣れないだけだよ。ほら、そんな顔すると化粧が崩れるよ」
「アルシャ、あっちで休んだ方が良いですよ? 酷い汗……。貴女こそ、笑ってる暇ではありませんッ」
「本当になんでもないんだ、ハピナ」
私の名前を呼んで、ハンカチを差し出してきた。私も彼女の名を呼んで、手を押し返した。
いけない。崩れた化粧で綺麗なハンカチが汚れてしまう。私の顔なんかよりも、貴女の髪の毛一本に至るまでの方が尊いんだから。
そう思えるほどに、ハピナは大切な人だ。これまでの言葉はお世辞ではない。
ただ、正真正銘の乙女であるハピナとの力比べは力加減が難しかった。
え~いとひと押しするだけで、後ろに転がってしまうだろう。
「大丈夫、大丈夫ッ」
「大丈夫ではありませんッ」
「大丈夫だって!」
「大丈夫には見えません!」
「大丈夫じゃないからッ!」
「大丈夫ですッ!」
膠着状態は解けた。
「……こほん。とりあえず、お水を持ってきますから」
言って、ハピナは少し離れたところの長机にある水差しを取りに行った。当然のように、男達に囲まれてあれやこれやと話しかけられていた。
相変わらずの光景に、思わず苦笑が漏れる。
「これだから、私が着いていてあげないといけいないのよね」
助け舟を出すために、私も人混みへと歩み寄って行く。
流石は市議会議員ラウキン=ルチアルノの娘、どこへ言っても引く手あまたというわけだ。
「こらこら、散ってくださ……」
「あぁ、ハピナ、ここにいたのか」
男どもを追い払おうとしたところで、白髪をオールバックに固めた初老の男性がやってくる。
言うまでもなく、ルイヨーカー市議のラウキンさんであった。
柔和な顔つきをしながらも、周囲に畏敬さえ漂わせる。長身痩躯に見えて、年を感じさせない歩みでもある。
「お前は人混みにいても直ぐわかるな」
それでも娘に向けるのは、敏腕市議の顔でもなければ、車貿易に成功した経営者でもない。一人の、父親がそこにいた。
「いやですね、お父様」
「ハハハハッ。お前に紹介したい人がいてね」
親子の語らいが和やかに始まり、悪い虫達はそそくさと退散していく。
一撫で視線を滑らせるだけで、誰もが軽く会釈していなくなるのだから相当だね。
「アルシャ、お前もご挨拶なさい。こちら、ルイヨーカー市保安隊長官のご子息達だ」
傍に来ていた私にも気づいて、ラウキンさんが輪の中へと促してくれる。
「はい、おと……ラウキンおじさん」
進められるまま輪へと近づくも、入り込み過ぎずテーブル傍で待機する。
ラウキンさんは僅かに目を細めてから、にこやかに笑って二人の男性を紹介してくれた。
ごめんね。そう、私は声に出せない言葉を養父に伝えた。
「彼らも優秀な保安隊員でね。これまでにも幾つも功績を挙げているんだ」
自己紹介やら他愛ない活躍自慢などを話半分に聞き、私は最初の一手を打つために行動する。静かに、こちらに視線が向かないよう、少しずつ立ち位置をずらしていく。
机に置かれていた水差を、手の側面で軽く小突いた。本当に柔らかく、扉をノックするくらいの力だった。
バリーンと透明な瓶が砕けた。
割れた、ではなく、砕けた。
「あれ? 貴方は、わる。アルシャッ!?」
絶対に言わせてはならないセリフより早く、会場に響き渡った音にハピナが気づく。
それなりに分厚い水差が容易く砕けるという現象に、誰もが銃撃か何かを疑ったことだろう。早とちりしたレディからは、悲鳴も漏れる。
保安隊の二人がハピナやラウキンさんをかばうように立ち、周囲を警戒している。
ハピナも私に駆け寄りたかっただろうが、美男保安員に守られている状態では難しい。
「ご、ごめんなさい。ヒビでも入ってたのかな?」
なんでもない。事故だ。
それをアピールするために私は慌てたフリをする。
銃声がないため、使用人達も動き始めてガラスの破片を片付けた。緊張が解けると同時に、ハピナも私に駆け寄ってきた。
「大丈夫ッ? 体調も悪そうでしたし、本当に休んだ方が良いですよ?」
「何だ、そうだったのかい、アルシャ? 無理をせずに部屋で休んでいなさい……」
ラウキンさんも健康を気遣ってくれる。ふらついて水差をこかしたのだろうと、彼は思ってくれたのかもしれない。
けれど、私は渋る。
「でも」「嫌と言っても私が連れていきますからッ」
食い下がろうとする私を、ハピナが無理やり退席させようとしてくる。
背と腕に手を添えて、直ぐ隣を歩いてくれるだけで元気になっちゃえるから。ホント、ホント。
ワタシウソツカナイ。
「……すみません、ラウキンおじさん。せっかく、支持者の皆さんにお礼をするためのパーティーなのに」
私は頭を下げつつ、ハピナに連れられ立ち去った。
傍にいてくれる分、こちらの方が安全だろうと考えた。最愛の親友にして義姉でもある彼女を守るためには……。
これまでに閉じられた二度の未来を、私は信じて進むしかないのだ。