ドラッグ2
「グッ!」「ギャッ!」「グワッ!」「なッ!?」
山高帽の男が驚愕の声を上げ、注射器を首筋から遠ざける。
それでもハピナから離れないのは、新たな襲撃者が銃を使っているからだ。盾の価値があるとわかっているからだ。
その証拠に、先の攻撃で狙われなかった。
そして、襲撃者が堂々と木製シャッターから入って来たのがわかっていたから。
「待たせたな。あぁっと、君は……」
フゥとリボルバーの銃口に息を吹き、ジョセフが私に微笑みかけた。
何かを言いたそうなのは、私をアルシャと呼ぶ訳にもいかないからだろう。
「ジョーだ。えーと」
「なら、俺はジョンで良い」
互いに偽名の交換を終えて、山高帽の男に向き直る。
私も物陰から出ていく。
助かったけどさ、気になるからやっぱり突っ込ませてもらうわ……。
「ジョン、それで変装してるつもりか?」
眼鏡を掛けて、長髪を一本に束ねたオールバックという格好。
それほどいつもと変わった様子が見られないので、変装というのは杜撰だろう。
「もう少し顔を隠そうかと思ったんだが、囚われのお姫様は寝てらっしゃるようなのでな」
「目が覚めて、見えるようになったら……まぁ、それまでに私が連れ出すよ」
いささか抜けて見える。
あ、ジョセフの見た目って意味じゃない。いつもと変わらず格好良いに決まってるだろ!
「格好良いから問題ない……じゃなくて。他の奴らはどうするんだ? 顔がバレるのは困るんじゃないのか?」
「そっちも大丈夫だよ。ここで消えるか、我々に与するかだ」
事もなげに言ってみせるジョセフ。
「そ、そーうですか! 貴方が、ギルドのボースですか! ただのドーブネズミかとおーもってみれば、とーんだ怪物だったみたいですね!」
流石に余裕を振りまいていた山高帽の男も、ジョセフという大物の登場に焦り始めた。
ゴロツキ達も、最悪の状況にあることを察して呆然としている。
ジョセフもそれを見越して、ゴロツキ共へと交渉を持ちかける。
「今、こちらに付くなら檻から出てきたときに、ギルドへ入れてやろう。弁護もついてくるぞ?」
「何を馬鹿な! ウチのボースが許すはずないです! ブタ箱まで、裏切りもーのを消しに行きますよ!」
ここで同僚に手を切られたのでは、命がないとわかっているのだ。
必死になっている反面、私でもその言葉がデタラメだとわかる。
「無理だ。スカリスは、お前達のことなど便利な道具としか思っていない。裏切るも裏切らないもなく、奴にはいくらでも逃げ道がある」
ジョセフの言う通りだ。
フランク=スカリスは大きな権力こそ持っていなくとも、輸出入の要所である埠頭を管理している。
後ろ暗いお金を溜め込み、なおもお酒の密売で成功した。続いては、怪しい薬の密輸入と売買をこなしている頭の切れる奴だ。
ここに置かれた薬の量は多分、埠頭で働く従業員の独断。要するに、ゴロツキ達が勝手に仕入れて売りさばいていた分ってことにされる。
スカリスは事が公になっても、ここの管理から外されても裏で動き続ける。
「今後、このようなことがないよう気をつけます」と上辺だけで謝ればオシマイ。
「お前達などトカゲの尻尾切りで終わりだ」
「く、クソッ……」
ジョセフの通告に、ゴロツキ共も立場を理解したようだ。
そして、最も最悪の場所にいることのが山高帽の男である。
「ま、待ってくださいッ。じゃあ、こーうしましょう!」
今後に及んで、ハピナを人質に交渉を続ける。
「そこにある樽は、それなりに純度の高いお酒です……。一樽、捨て値でも50万ロッドにはなるでしょう。どーうですッ?」
命を買うってことらしい。
「私が無事に逃げ切った後は、このお嬢さんお返ししますよ」
ここで無駄に争ってハピナを傷つけるよりかは、男の交渉に乗っかる方が良いのかもしれない。
しかし、ジョセフはそう思っていないようである。
「そう言う割に、注射器は手放さないのだな。逃げる途中、レディに薬を打つつもりだろう? 元々、お前達の目標はレディの口を封じることだからな」
「ッ……」
図星を突かれたらしく、山高帽の男の挙動がおかしくなる。
薬を使うことは決めていたということだ。
薬で口を封じるってどういうことだ?
「なぁ、その薬ってどんなもんなんだ?」
「あ? あぁ、ジョーはこっちのことには詳しくなかったか。ま、ここ1~2年のことだからな」
町の裏側にいたときに、こんな薬のことは聞いたことなどない。
やっぱり、私が裏側から抜けて平穏に浸かっている間に広まったようだ。
「わかりやすく言えば、酒に溺れた人間を簡単に作り出せる薬だ」
酷くわかりやすく、最低に私の心を抉る説明だった。
私がそうであるように、ストリート・チルドレンに堕ちた発端があったように。
そんなものを、ハピナに打ち込ませるわけにはいかない!
「……私は、酒は嫌いでね。度数の高い酒なら、余計に匂いだけでダメだ」
交渉は決裂だ。
私は、目でジョセフに指示を出す。「やれ」と。
「バカめッ!」
僅かな油断が隙を生んでしまう。弱点さえも口に出してしまったのだ。
山高帽の男は注射器を持ち替え、そのチャームポイントを投げ捨てる。
空いた手で取り出した拳銃で、私の近くにあった樽を撃つ。
当然、溢れた酒は私の鼻腔をくすぐり、力を沿いで行く。
「ジョー、レディを外に出ていろ。お前達も行け」
私の異常に気づいたジョセフが、気遣ってくれる。ゴロツキ達にも外に出るよう指示する。
その間に、元山高帽の男はハピナを捨てて奥の扉へと走る。
出口があるはずはないが、もしかしたらという可能性もある。ただ単純に、助けがくるまで籠城するつもりかもしれない。
「っと。あいつめ……。ジョンは、一人で大丈夫か?」
「あぁ、お礼はツケの支払いで良いぞ」
「……わかったよ。一つぐらいは返す」
こんなときも調子に乗るジョセフ。
半眼で睨んだところで、頼らなければならないことに違いはない。
渋々了承して、ハピナを背負う。酔いで力が落ちても、彼女の細い体を背負うくらいわけはない。
「よし、保安隊はまだ来てないな」
外の様子を確認する。
少し離れたところにジョセフの乗ってきた車と、ギルド員の姿が二人ほど見える。
保安隊は、誘拐事件ということもあってか音すら聞こえてこない。
私はさっさと倉庫を離れて、ギルド員にハピナを守って貰うため足を早めた。
それなりの距離ができたときだった。
ドガーン――!