誘拐
「なんだ、意外とすんなりやってこれるんだな」
「そっちこそ、簡単に部外者が入れるようになってるんだな」
ジョセフのソファーチェアを奪ったまま、私は皮肉を返す。
話し合いのために来たのであって、人を娼婦みたいに言わないで欲しい。いや、学生の自由さを羨ましがってるだけか。
「お触りは禁止だぞ」
「残念。まぁ、実を言えばアルシャに特別指示はない」
お預けしてみたが、あまり堪える様子はない。
やはり、呼び出した理由も大したことなかったらしい。
お触り禁止にしといてよかった……。
次に迫られたら、陥落する自信がある。
「昨日だって、電話番号を二つ教えるだけで済んだんだ」
呆れるほど、私を誘い出すための建前しか話してないようだ。
半眼で睨んでやると、顔は笑顔のまま両手を上げて悪びれるジョセフ。いや、悪びれていないのか。
とりあえず、またイタズラされる前に聞き出さなければ。
「じゃあ、早くその二つを教えてくれ。長居すると、また狼が起きそうだからな」
「そう焦るな。形に残るような方法が取れないからな、ミッチリと覚え込ましてやろう」
「なんだよ、そのネットリとした言い方は……。卑猥ですぅ」
「仕方ないだろう? こちらもあまり痕跡は残せないのだから。そっちこそ、誰かの口真似か? 似合わないぞ」
お互いに挑発する形で、牽制する間にも時間が無駄になっていく。
下手にメモなんかを渡すこともできないのは承知の上だ。かと言って、お勉強会も勘弁して欲しい。
高い授業料を支払わなければならなくなりそうだからな。
母親になるにはまだ早い。
「友達の真似っ子だ」
「そうか。じゃあ、よーく聞け。今から言う番号・文字を、しっかり覚えろ」
ジュペッテの真似を軽く流される。
これ、この小馬鹿にされた視線がすんごく刺さるんだよなぁ……。
「一つは俺宛て、もう一つは組織の電話番だ」
ジョセフは言うなり、いきなり数字・文字を言い始める。
自慢じゃないが、私は頭が良いわけじゃない。まるで、肉体面で恵まれる代わりに脳みそが退化しているみたいだ。
なのに心の準備もままならない内に始められ、私だって文句を言う。
「えッ、えッ? そんな数桁、いきなり覚えられるか!」
「む? これぐらいも無理か。仕方ないな」
からかうように言うものの、ジョセフは明らかに喜んでいた。
私に、手取り足取り数字を教え込めるからである。
「ならば、簡単な語呂合わせを教えよう」
ジョセフが言う。
そんなものがあるなら、先に教えてくれ……。
それからしばらくの間、語呂合わせと数桁の数字・文字を叩き込まれる。
二つの番号を覚えるくらいで難儀している私を笑うかもしれない。
しかし、ジョセフが「間違える度にキスを一回でどうだ?」なんて条件をつけるから、頭がのぼせて肝心な部分が入ってこなかったのだ。
ちなみに、私が覚えた切れたら「俺からのキスだ」である。
「これで、計四回か」
なんとか覚えきった時には、それだけの罰ゲームが決まっていた。
本当に、嬉しそうな顔で言いやがる。
どう足掻いてもキスはしなければならないようだが、それこそここでやってしまえば最後まで堕ちてしまう。
「つ、ツケで頼む……」
苦肉の策、借用! 借金!
「ツケ? ツケ、か。クククッ」
「……」
ダメだろうかと、上目遣いになってみる。
「わかった。口惜しいが、無理やりレディの唇を奪うのはいただけないからな」
思ったより素直に引き下がるので、私も拍子抜けしてしまう。
「い、良いのか?」
「良いも悪いも、そういう注文なんだろ? まぁ、貞操観念が強いことは喜ぶべきだ」
「ご、ごめん……」
私なんかに比べて余裕のある態度で許してくれるから、酷く申し訳ないことをしている気がする。
ついつい謝ってしまう。
虚勢と虚飾に塗れた自分だったなら、そんなことを気にせず乱れられるのかな?
ブンブンと頭を横に振り、私は考えを払う。
そんな恥ずべき行為は、ハピナ達が知れば悲しむから拒絶しているだけだ。
「いや、建前か、こんなの……」
ついつい口から出てきてしまうボヤき。
「まだ、どちらの自分を選ぶのか悩んでいるのか? だが、安心しろ。俺は、どちらのアルシャも好きだからな」
スッと耳元へと顔を近づけて、ジョセフは言った。
頬への口づけも。
ウワァァァァァッ! だから、そういうのはズルいって!
「ふしゅぅ~……」
「今のは利息だ」
私の体から力が抜けて行き、ソファーチェアにすっぽりと収まる。膝を折り、腕で抱えて沈んだ。
私の中の『女』が溢れそうになる所為で、気を抜けなくなった。
さっき覚えた大事なものが飛んでいかないのは救いか。
「じゃあ、後は間違いなく、ツケで。ちょっと、暑いから、窓を開けて」
だが、私は直ぐにでも飛んで行きたかった。
どこでも良いから。
ジョセフがスライド窓を押し上げたところで、その隙間から飛び出した。
――ドンッ、ゴロンッ!
男に酔って力の抜けた私では、正直なところ二階くらいの高さでも結構な衝撃だ。それでも怪我をしない皮膚の厚さは流石だ。
なんとか転がって、着地のダメージを抑えることに成功した。
「お、おいッ?」
「だ、大丈夫……!」
頭上からジョセフが心配してくれるが、服が汚れたぐらいで傷などはない。と思う。
とりあえずは走れるので、私は急いでその場を離れた。
きっと、音などを聞いた助手が、相変わらず「どうかしましたか、先生!?」などと慌てることだろう。
ジョセフはそれをなんとか説得する、そんな光景が目に浮かんだ。
「ごめん、ジョセフッ」
聞こえない謝罪を口にして走る。
今の私は機関車だッ!
考えなしに走り続け、気づけば町の中央へとたどり着いた。保安隊本署のある場所から、少し西へズレたあたりだった。
「ハァ……。ここは、えーと、あそこか?」
頭の仲を整理して、状況と位置を確認していく。寄宿舎への道も把握できたので、私はクールダウンするように歩く。
それほど進まない内に、耳へ何か音が飛び込んでくる。
最初は痴話喧嘩か口論程度のものだと思った。
あまり人通りの多くない道に入った時、目に飛び込んできたものがあった。
「……ッ」
私は咄嗟に隠れた。
ハピナが、数人の男達に連れ去られようとしている場面があったからだ。あれは間違いなく、ハピナだ。
口を塞がれ、背後から抱え上げられて、車に押し込まれた。
飛び出して行って、助けても良かった。
いや、ダメだ……ッ! アイツら、ハピナに汚い手で触れやがって! がぁぁぁぁぁぁぁッ!
「むぅぅぅ~ッ!! ッ!」
必死の抵抗も虚しく、ハピナは連れ去られてしまう。
今飛び出したところで、私の見た目はただの女学生だ。
例え誘拐犯達を倒してハピナを救っても、奴らを生かして帰す限りは報復の恐れがある。ジョセフに保護をお願いするにしても、ハピナの自由を奪うことになる。
どう動いても、今はハピナに迷惑をかける未来しかない。
「どうする……。どうするッ?」
考えても、それを口に出しても、決まりきった答えだけ。
私は寄宿舎へ向かって走った。男に酔って力も弱まっている。周囲にバレないため、全力疾走できないのがもどかしい。
それでも数十分走り続ければたどり着く。
部屋へと戻り、切り裂きジョーの衣装を取る。
アタッシュケースを握り、また外に飛び出して人目につかないところまで疾走。
「急げッ。奴らが逃げた先は、北西に向かう道だ……」
路地裏とかに入る前に、まずはつい覚えたての番号へと連絡を入れた。
ジョセフへと繋がる番号をプッシュする。
「もしもし……」
『アルシャか。もうこの番号を使うことになったのか?』
ジョセフも、この時点で異常を察知してくれる。
「義姉が、親友が……。3~4人くらいの男共が車で北西へ。ハピナを誘拐した!」