事件の予兆
こっそり寄宿舎に戻った私は、まだ少し濡れた服のままハピナの部屋に向かう。
もちろん、必要なものは隠した。
「ハピナッ?」
ノックの後に呼びかける。
「アルシャ……?」
それほどせずに応答があった。
扉が開き、これと言って怪我のなさそうなハピナが出てくる。
「ハピナ、ごめん……。私も、ゴロツキ共に追いかけられて……」
「良いのです。アルシャも、私も無事だったのですから……」
ハピナは許してくれた。
落ち着くと、ハピナはゴロツキ達に襲われた後のことをゆっくりと話してくれた。
「えっと、どこから話せば良いでしょうか?」
「悪い人達に囲まれたあたりまでは見てたよ」
「では、その後からですね」
そこからの流れは、私がゴロツキ共をぶっ倒し終わる。直ぐ側で戦っていたのだから、知っての通りだ。
保安隊が駆けつけてきて、ハピナは保護された。彼女自身も、気絶していたからほとんどフランシズからの聞きかじりだったらしいが。
ゴロツキ達も命に別状はなかったらしく、保安隊本署に連行されるか病院へ運ばれたようだ。
手厚く保護されたハピナはというと、フランシズに送られて寄宿舎へ戻ったというわけである。
「そっか。あ、途中まで見てたけど、ハピナを守るMr.ビッグブラザー・コーポの姿は」「そ、それは知っていますッ」
私の言葉を途中で遮り、顔を赤くしてみせる。
おうおう、これはもはやゾッコンですなぁ。
一応は決まっていたルートではあるものの、変に流れが変わってないようで安心した。
「ハハハッ。わかった、わかった」
「もぉ……。あんまりからかわないでくださいッ」
ショックでトラウマなんかも残っていないようだ。
「それはそうと、アルシャはどうなんです?」
「へッ?」
急な話題の転換に、私は何いかヘマをしたのかと焦る。
直ぐに、私のことを心配しての発言だと気づく。
「あ、あぁ、こっちは別段どうってことないぜ?」
「でも、服が濡れていますよ……? ちゃんと乾かさなければ、風邪を引いてしまいます」
「これは、あれだよッ。逃げてる間に、ちょっと公園の池にさ」
「町の中央あたりで、池のある公園なんてありましたか?」
「えッ? えっと、川だったかなぁ? めっちゃ急いでたから、どうして濡れたのか覚えてないな」
「そうですか?」
流石はルイヨーカー出身。表のことは完全に知り尽くしているようだ。
私なんて、中央にある公園の位置すらほとんど覚えてないから……。どこにモグリの酒場があるか、どうやって隠して店に持ち込んでるか、そういうのなら負ける気はしない!
とりあえずとぼけておけば、ハピナはそこで追及を止めてくれる。
ありがとう、優しい義姉さん。
しかし、中央から短時間で南東へ向かったことについては、説明のしようがないため黙っておく。自然と、ジョセフに匿って貰ったことも話せない。
「じゃあ、私は着替えてくるからッ。ジュペッテが帰って来たら、一緒に飯行こうぜ!」
勢いで誤魔化し、私は急ぎハピナの部屋を出た。彼女は、訝しげに私を見ていたと思う。
それでも、以後も追及はしてこなかった。
今夜も。明日も。
ただ、その明後日についてはどうなるかわからない。
――翌日、放課後までの流れ――
朝から昼に掛けては、これまでとかわらない。ただ、少し色が変わって見えた気がする。
校門のところに、白いチョークで目印があったことを除けばいつもの景色だ。
私の心が、昨日の昼までと違うからだろう。
どこかの犯罪者が、どっかの薄暗闇でネズミの餌になったというニュースがあったくらいで、世界は変わらず回っていた。
「それで、昨日はナイト様に守っていただいたのですかぁ?」
「もぉ、どこから聞いたんですかッ? 確かに、守っていただきましたけど……」
「その様子を見ると、賊は良い仕事をしていったのですねぇ」
「え?」
「いえ、無事で良かったとぉ」
昼食時、ジュペッテとハピナが話していた。
二人の会話にちょっとした食い違いがあることを除けば、それほど問題はなさそうだ。保安隊襲撃の件がニュースペーパーに乗って、私がほとんど役に立ってなかったことはいずれバレるだろうけど。
私と含む関係者以外は、何の話をしているのかさえわからない。事が公になるのは、もう少しだけ後だ。
この時の私に、それを知る術などなかったのが悔やまれる。
――放課後の先――
寄宿舎へと戻り、着替えを終えた私はさっさと出掛けた。
ハピナもついてくると言った時、私はちょっと慌てたな。ただ、行く方向が違うのは助かった。
要するに、私も親友もこっそり逢瀬のために出かける訳である。昨日の今日で、ハピナを外に出すのは不安だった。まぁ、それはお互い様と言ったところか。
デートの前に、私には先に寄り道するところがあった。
「で、どうだった? エドガー?」
ルイヨーカー第一橋の下、石段を降りたところで最初の密会だ。
橋脚にもたれかかり、影に身を潜めて情報を受け取る。
「あ、うん……。後手になってごめんよ」
昨日のハピナを襲撃した件で、情報収集が遅くなったこと悔やんでいる。
言葉に覇気がないエドガー。それについては無事に済んだのだから、「気にするな」と肩を叩いてやる。
「えっと、奴らはフランク=スカリスとこの下っ端だ。流石に、今回の件で傍観できなくなったらしい」
末端とは言え、組員が保安隊に捕まったのだ。
こうなった以上、悠長にはしていられないのだろう。
スカリスのまとめる『集う亡者』は、基本的に他所の市から流れてきた奴らである。規模だけで言えば、犯罪者ギルドに匹敵する。が、反面で目的意識が希薄でまとまりがない。
言い換えると、スカリスに雇われた傭兵みたいなものか。
マリオみたいな奴が与するにはちょうど良い。
「詳細まではつかめなかったけど、近い内に大々的な動きがあるみたいだよ。いっぱい集まってたから、気をつけて。こればかりは、マリオの奴も予想してなかったみたい」
「気をつけろったってなぁ。ま、この件がマリオから離れたなら安心だ」
私達とマリオの間で確執がなくなるだけでも、気持ちが楽になる。
何を企んでいるのか、少し気味悪いところだが。
「サンキュー。これ、報酬な」
私はエドガーに情報料と手間賃を支払う。
「ねぇ、アル……。ッ」
エドガーが何かを言いかけ、さっさと走り去ってしまった。
何事かと後ろを振り返れば、バツが悪そうに佇むハピナ。
「!?」
「アルシャ、今の子は……? そ、そうだよね、一人だけ幸せになれませんよね……」
今の会話を聞かれたかと不安になったが、どうやら思い違いをしてくれている。
ストリート・チルドレンの仲間に、恵んでいたと思ってくれたのだろう。
「あ、あぁ……。小遣いの範囲だし、できればおじさんには言わないでくれよ」
「わかっています。アルシャは優しいですね」
ハピナは答えた。
これは単なるビジネスで、私なんて比べようもなく打算的である。
優しいか否かはさておき、誤魔化せたようなのでボロが出ない内に退散することにしよう。
ハピナも気不味いところを見たからか、あまり言葉を交わさずに石畳の階段を登った。
「あッ、今日も声を潜める必要のある場所には行きませんよね?」
可愛らしくドレスを翻したかと思えば、いつものように訪ねてきた。
今日もモグリの酒場にはいかないことを確認したいのはわかる。
「大丈夫よ、今日もブーツじゃないでしょ? まぁ、別の種は仕込むかもしれないけど……」
ブーツなら平べったいヒップボトルの1本2本は隠せただろう。
用件が違うため、もしかしたらという可能性がある。そのため、後半は酷く小さな声で言った。
いや、まだ互いの気持ちを伝え合って二日ですよ? そんなことはもう少し仲を深めて雰囲気を整えて、だなぁ。
「もっと時間を掛けて……あ、いや、なんでもない」
「スカートをたくし上げるなんてはしたないですよ。でも、これで安心していけます」
危ない発言などは聞こえてなかったようで、先へ歩いて行ってしまった。
一緒に向かうのは気が進まなかったから、私はハピナに少し遅れて目的地へ向かう。