太陽をみつめて、『夜』に会う
「青空の村」には夜がない。
日が沈んだら、反対側から日が昇る。二つある太陽はずっとぐるぐる回っている。
夜があるときに比べて、人が働ける時間が増え、生産効率が上がったらしい。実際、「青空の村」は潤っている。ほかの町や村から、多くの商人がやってくる。常に暖かいため、金持ちが休暇にくることも珍しくない。
だから、この女の子もそのたぐいだと思った。金持ちの両親に連れてこられた、無知でわがままな、どこぞのお嬢様。
「あの、案内係の方はいるかしら?」
「僕が案内係です。ほら、ここに書いてあるでしょ」
自分の胸あたりをちょいちょいと、指す。僕は「案内係」と書かれたプラカードを首から下げている。見えていただろうから、信じれなかっただけだろう。何しろ僕は、目の前にいる女の子とほとんど変わらない、子供だ。
「どこに案内しましょうか。美術館とかどうです?」
「いいえ、私が案内してほしいのは『夜』なのよ」
何を言っているのだろう。この村には夜がないことを知っていて、来たのではないのだろうか。まだ夜があったのは2年前だ。来る直が遅すぎる。
「この村に、『夜』はありません」
「あるわよ、だって二つのうち一つは疑似太陽でしょ」
3年前「青空の村」出身の科学者が作った、疑似太陽。それは2年前から空に浮かび、本物の太陽と同じ仕事をしている。光量も大きさも進み方でさえ、地上にいる僕からすると同じに見える。太陽が二つできた。その二つは交互に仕事をする。
「それでも『夜』はないんだ」
女の子は少し笑った。ちっとも前に進まないのに、必死で回し車の中で走る、ハムスターを見る目に似ていた。
「私、泊まるとこないのよ。申し訳ないけど、あなたの家に泊まらせてくれないかしら」
「なんで泊まるとこないのさ」
「だって、お金持ってないもの。泊まらせてくれたら、あなたに『夜』を見せてあげるから、ね?」
僕はこの女の子に会ったときに思ったことを、取り消さなければならない。お嬢様じゃないし、無知でもない。ただ一つ。正しかったのは、わがままだということ。
「君の名前は、何?」
「私の名前は、由衣よ」
朝、目を覚ます。あいかわず、夜はこなかった。
ベットから這い出て、キッチンに向かう。テーブルにトーストが二枚置かれている。そして、向かい側の椅子には由衣が座っている。
「おはよう、ご飯にしましょ」
由衣がにっこりとほほ笑む。ちっとも朝らしくない、はっきりとした表情だ。
「ここは僕の家なんだけどな。いただきます」
「はい、召し上がれ」
由衣は昨日、会ったときのまま、小さなポーチだけ持って僕の家に転がり込んできた。僕はこのことについて本当のところ、何も思わなかったけど、彼女が家事をできることは、うれしかった。
「私は今日、やりたいことがあるのだけど、何かやらなければならないことはあるかしら?」
「ないよ。何か用があったら声をかけるから」
軽くバターを塗って焼いてある、このシンプルなトーストはかなりおいしい。焼き方が上手い。少し焦がしている、サクサクとした触感は、意外にもなかなか上手には作れない。
「そう、ありがとう。あなたは何をするの?」
トーストは、もうない。時間的にも限界だ。今日もきっと、暑いだろう。
最後にコーヒーを少しすする。
「仕事だよ。ごちそうさま」
この仕事は悪くない。給料も安いし、勤務時間は長い。それでも、他の村の風を感じることができる、貴重な仕事だ。
僕の父親は科学者だ。父の部屋はいつも物が多く、散らかっていた。
ある日、父は疑似太陽を作った。その研究にどんな思いがこもっていたのか、僕は聞いたことがない。
父は、「青空の村」の村長からたくさんのお金をもらうと、村を出て行った。その時すでに僕の母親は亡くなっており、僕は一人で生活することになった。村長が優秀な科学者である父を逃すまいと、僕を村で預かるという形で、人質にとったためだ。
僕は父が帰ってくるまで、この村を出ることは許されていない。それでもいつか村の外に出たいと、そして、夜をもう一度見たいと、強く思う。
たくさんの商人と、2人の観光客に町の案内をして、家に帰った。大抵、道案内するくらいの簡単な案内だが、何しろ利用客が多い。
由衣に貸している部屋を覗き込んだが、彼女はいなかった。まだ帰っていないらしい。
あんまりにも疲れたので、自室のベットに寝転がる。このまま寝てやろうかと思うけど、由衣が帰ってないのに寝るのは悪いかなと思い、やめる。
由衣はなんで『夜』に行きたいのだろう。他の村には疑似太陽はないはずだ。いつでも『夜』なんて見られるだろうに。仮に『夜』が見られない村に住んでいたとしても、『夜』を見るためにこの村に来るのはおかしい。隣の村には『夜』があるのだから。
由衣がなんだかあやしく思えた。この村で『夜』を探す目的が点でわからない。
玄関のドアが開く音がして、由衣が帰ってきたのだと分かった。僕はベットから起き、玄関に向かう。
ー由衣が怖い。
由衣は玄関に立っていた。少しうれしそうな顔をして。
「ただいま」
僕は迷った。由衣を家に入れるかどうか。でも、由衣から悪意は感じない。第一、はじめに招き入れたのは僕だ。少しの間考える。そして、由衣を信じることにする。人を、疑って生きたくない。
「おかえり」
由衣は満足そうにうなづく。
「この村周辺の地図を持っていないかしら?それがあったら、『夜』にたどり着けそうなのだけど」
「たしか、お父さんの部屋にあったよ。ついておいで」
僕は父の部屋に向かう。父の部屋は2階にある。階段を上る。2年間、使っていなかったから、端には埃がたまっている。由衣は何もしゃべらない。父の部屋の、ドアを開ける。
紙が舞う。2年前と変わらず、散らかっている。小さな半円の窓には、夜空のポスターがはられている。
地図は机の上の壁にピンでとめてあった。
「近寄ってもいいかしら」
「好きなだけ使って。僕にはもう、使えないものしかないから」
由衣は紙を踏まないように壁に近寄ると、そっと、地図に触れた。そして、村の外の一つの場所に向かって手を動かす。そこがどんな場所なのか、僕は知っている。
「ここね」
僕は息を吸う。微笑む。そして、今まで生きていた中で一番穏やかな声で言う。
「正解だよ」
相変わらず、外は明るい。でも今、村を照らしているのは疑似太陽。本物の太陽はとっくに仕事を終えて、眠りについている。
「ねえ、本当にいいの?」
由衣が心配そうに、僕の顔を覗き込む。案外、几帳面なのかもしれない。
「覚悟なんて、2年前からできていたんだ」
僕は村の外に出る。由衣も続いて、村を出る。ずっと禁止されていたこと。見つかったらきっと、こんな疑似太陽でさえ、拝めなくなる。
それでもいい。僕は『夜』に会いに行く。
由衣が話してくれた。遠い村に住んでいたこと。星が好きなこと。ある科学者に会って、「青空の村」の夜空が世界で一番きれいだと知ったこと。
全部知っていた気がした。彼女に会ったとき、その目にとても驚いた。父の目に、よく似ていた。星が好きな、父の目に。
疑似太陽の光は村から少し出たくらいじゃ、失うことはない。今もまだ、空は明るい。
僕と由衣は、目の前にそびえたつ、塔を上る。名前は確か、「はじまりの塔」。何のために建てられたのかはわからない。「はじまりの塔」はものすごく高い。
塔の扉を開け、中に入る。真っ暗な空間の中には、上へと続く、らせん階段しかない。僕はポケットから懐中電灯を出すと、その光を頼りに上り始めた。
足の感覚がなくなる。視界がぼやけて見える。自分の息切れの音が遠い。
由衣とは手をつないでいる。なんとなく、こうしたほうがいいと思ったから。由衣はたぶん、自我が強いほうではない。それでもきっと、譲らない強さがある。彼女の道を、誰も邪魔することはできない。
空気が薄くなってきた。体の感覚なんて、もう、捨ててしまった。
階段が終わり、扉を開ける。力が全然入らなくて、一人では開かなかったから、由衣にも手伝ってもらって、二人で開けた。
それを見たとき、明るいと思った。僕は今まで太陽から目を背けていたのかもしれない。ぼんやりと、でも強く、光っている半円の月。小さなビーズをこぼしてしまった時のように散らばる、たくさんの星。ここは紛れもなく、『夜』だった。
疑似太陽は本物の太陽と違って、小さい。軌道も違う。一番の違いは、裏側は光を発していないことだ。本物の太陽と同じくらいの光量を村に届けるためには、どうしても地上からは見えない、空側を光が出ないようにしなければならなかった。
「きれいね」
由衣がごろんと、コンクリートの上に寝転がる。体力的に限界なんだろうし、寝転がったほうがきっと、夜空がよく見えるからだろう。
「ここは『夜』までが大変な村なんだよ」
「そんなこと、知っていたわよ」
由衣が笑う。一人で旅して、ここまで来るのはどんな大変なことか。由衣がそうまでした理由が、ここの『夜』には詰まっている。
「お父さんは、元気だった?」
「元気よ。今は私のいた村で、教師をしているわ」
僕は村を出て行った父を、少しも恨んでいなんかない。むしろ、父らしくてうれしかったくらいだ。唯一怒るとすれば、手紙を出してくれなかってことくらいだ。父が元気かどうか、わからない。
「よかった」
「なんでここに行けば、『夜』に行けると知っていたの?」
「疑似太陽をお父さんと打ち上げた場所が、ここだからだよ」
2年前疑似太陽を打ち上げたとき、『夜』はまだ、そこにいた。疑似太陽は「はじまりの塔」では、意味をなさない。
「案内してくれてありがとう」
「由衣と一緒じゃなかったら、『夜』に来ることなんてできなかったよ」
父は、母が死んでしまったから、疑似太陽を作ったのだろう。母と見た、この星空をなくすために。でも父は由衣に話した。この星空はきれいだと。ここの『夜』は美しいと。まだなにかを諦められないでいる父は、やさしすぎるのかもしれない。
「そういえば、あなたの名前を聞いていなかったわ。あなたの名前は何?」
「僕の名前は、月人。月の人と書いて、月人」
「とてもいい名前ね」
僕は旅に出ようと思った。月のないこの村に、僕は何よりも似合わない。『夜』に毎日会おう。そして、太陽とともに起きよう。僕は旅に出ようと思う。きっと、それが一番自然だ。
「由衣。僕と一緒に来てくれないかな」
夜空がきれい。それはきっと、由衣がいるから。彼女がいなかったら、もっと冷たかったと思う。
視界の端で、由衣がうなずく。
僕は涙が出そうで、夜空を見上げた。
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読んでくださり、ありがとうございます。
私は河野裕さんという、作家さんが好きで、ほんの少しでも彼に近づきたいと思い書いた作品です。それこそ月より遠い存在ですが、少しずつでもにじりよれたらなぁと思います。
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