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まだ、くたばるものか!

作者: 前岡 光明

        第一章 自転車事故


          一 


 五月半ばの土曜、正午前。七十二才の多賀善行はジャージ姿にサブリュックを背負い、少々錆の浮き出た自転車にまたがった。

 いい天気だ。

 十二時から市の総合体育館でソフトバレーボールの開放練習がある。

 ソフトバレーボールというのは、男子用バレーボールよりもやや大きな柔らかいボールを使って、バトミントンのコートで一チーム4人でやる。ネットの高さは2メートルで、一般女子バレーよりも10センチ低い。たぶん、熟年者向きのスポーツとして考案されたものだろう。

 開放練習と言うのは、クラブの練習と違って誰でも参加できる。でも、顔ぶれは決まっていて、だいたい二十人ほど、多い時で三十人近くが集まる。

 善行は週一度のこの日を楽しみにしている。何といっても、高校時代に打ち込んだバレーボールを、この年になっても続けられることがうれしい。六十才でリタイヤしてから、ママさんバレーの練習に加えてもらってバレーボールを再開した。きれいなパスが出来て、体が覚えていたと感慨深かった。腕だけ使うのじゃない。指先のコントロールはもちろん、膝、足裏まで全身をばねにして、遠くまで柔らかい正確なパスを出すのだ。

 はじめのうちは足がもつれ息が切れ体力が続かなかった。二、三カ月もすると動けるようになった。大いに楽しんだ。

 でも、硬い皮のバレーボールのスピードについていけないと、老いを身に沁みて感じた。

 誘ってくれる人がいて、三年前にソフトバレーに転じた。大きくて柔らかいボールだが、強いスパイクも打ち込める。また、サーブの球がよく変化するので面白い。

 初心者もいるし、ママさんバレー出身の熟年主婦や、昔バレーボールをやっていた年配者が、男女混合でやっている。

 精確なパス、トス、強いアタック、ネット際でジャンプするブロック、身を挺してボールを拾うレシーブ、そういうバレーボールを善行は志向するが、なまった体では思うようにいかない。

 やっとパスが出来るレベルの男性もいて、そんな人が四人のうちに二人も入ると、もうバレーボールではない。自分勝手に一発返しばかりして、トスなんか上げてくれない。そして、レシーブでそらすので、ラリーがすぐ切れる。

 だいたいは誰でも参加できるスポーツだから、それでいいのだとしなければならない。

 でも、中にはミスを咎める熟年女性が居て、そんな口の悪い人と組むと、白けた雰囲気になってしまう。試合になると、ついその人の人間性が出てしまう。チームプレイでは仲間を傷つける言動は許されない。そんなことを言えばあとで咎められる。遊びのにわか編成チームだし、大勢の人がいるから口の悪いのがいても仕方がないと、善行は割り切ろうとするが、心中は複雑である。

 初心者はほとんどつっ立っているが、バレーボールの心得のある善行たちはフットワークを利かし、けっこう運動量が多い。まだジャンプができるし、床に飛び込んでボールを拾えるし、正面に来た強い球を受けることができる。ときどき浴びる賞賛の声がうれしい。でも、握力が落ちてパスの精度が狂うし、レシーブで強い球を弾いてしまうし、技術の低下は身にしみて感じる。本当は、短時間でもパス、レシーブの基礎練習をしっかりしたい。そして、失われた体の感覚を取り戻したい。しかし、そういう雰囲気ではないので、「もっとパス練習をやろう」と言うのは諦めている。

 素人の人たちはすぐに試合をやりたがる。苦しい地味な基礎練習を嫌がって、安易な遊びの試合になってしまう。皆がトスを上げられるようになったら攻撃が多彩になるし、レシーブ練習をしてフットワークが身につけば、もっとボールが拾えラリーが長く続くのにと思う。

 素人たちにひっかきまわされて、満たされない思いで帰ることが時々ある。そんなときは、

(本気になってやっても、体力が続くわけがない……)と、諦める。

 仲間には、八十を越した男性が三名いて、もう俊敏さはないが、

(あの年までやれる!)と、善行の大きな励みになっている。

 また、善行は、大学時代、山登りをやった。今でも年に一回仲間が集って交流会をやるから、その日に備え鍛えている。脚力が鈍ったと思ったら、デパートの階段を屋上まで連続四回ほど上り下りする。

 しかし、調子に乗って張り切り過ぎるのが怖い。筋肉の疲労がすぐに感ぜず、翌日、ひょっとしたら翌々日になって急に現われるから、連日激しい運動をすると、どれだけ疲労しているかわからず、つい、ひざとか、ふくらはぎとか、アキレス腱を痛めてしまう。それでバレーボールを一、二ヶ月休んだことが何度かあった。

 毎日ストレッチを心がけているし、ソフトバレーボールをやる時はひざを床に打ちつける衝撃緩和のサポーターが欠かせぬものとなった。そして、背中とか腰の疲れた筋肉をほぐすのに、仰向けに寝て硬球ボールをあて、転がすことを覚えた。また、漢方の芍薬甘草蕩が筋肉の疲れを取るのに効果があることを知り、この頃は重宝している。

 そうやって気をつけていると、筋肉に少し疲労感を覚えても、二、三日すれば回復するのはありがたい。

(老いを労わりつつ、まだまだやれる……)と、善行の体調はよい。



           二 


 青空の下、準備運動のつもりでペダルを漕ぐ。

 体育館まで十五分ほどだ。

 半分ほど来て、住宅地にさしかかって、左手から坂を降りてくる細い道が交差する。

 ここを通る時は、いつも意識してブレーキに手をかけている。


 キ、キ、キーッ、左からけたたましい音。

「あっ!」

 と、左を向いた時は遅かった。

(迫りくる自転車!)

 キーッ、善行はブレーキを握りしめる。

(ぶつかる!)

 瞬間、男の子の恐怖に見開いた目、裂けそうな口が見えた。

 左脚に相手のタイヤが激突し、右足を着く余裕もなく、

(倒れる!)と、意識した。

 その後のことは記憶にない。


 ぐらり、体が揺れ、気づいた。

 寝た姿勢の体が傾いて、一瞬あわてたが、救急車から担架で下ろされるところだった。

 ぼんやりした頭で感じたのは、きつく包帯で縛られた左手小指の圧迫感だった。

 それから治療室のベッドでしばらく放置された。

 だんだん気持が落ち着いて、

(大した怪我ではない!)と、強い気持ちになった。

 あたりを見回すと、そばの椅子に自分のリュックがあった。

 喉が渇いてたまらなかったので、水筒を取ろうと、恐る恐る上半身を起こした。

 ジャージの左腕が小指の血を吸ってドス黒くなっていた。

 ベッドに腰掛け、両足を床に下ろした。

(だいじょうぶだ……)

 立ち上がって、少し左脚がこわばった感じがしたが、痛みはなかった。

 三歩先にリュックがある。

 右足を踏み出そうとして左足に体重をかけたとたん、力が入らず、脚が崩れ、とっさにベッドに左手を着いた。包帯の小指に違和感があって、あわてて尻を落とした。

 左手は痛まなかった。

 水筒は諦めた。

 それから身体の各部を動かしてみた。傷ついているのは左足と左手小指だけで、他は大丈夫だった。

 ふと、善行は、

(足が痛んでいたのでは、胡坐をかけない。瞑想が出来ない……)

 と、気になった。

善行は朝晩二十分間ほど瞑想し、深い静寂を得ることを楽しみにしている。

 でも、すぐに、

(椅子で、瞑想をやれる……)と思い直し、安堵した。



           三 


 入院して三日目の昼過ぎ。四人部屋で、他に二人いたが、順次退院し、今日の昼から善行一人になった。静かな時が過ぎてゆく。

 連日の検査の緊張から解放された善行は、

(こういう静寂ははじめてだ……)と思いながら、目を瞑っている。

 ふと、病室に静かな靴音が響いたので、善行は目を開けた。

 カーテンが揺れ、思いがけない顔が覗き込んだ。

「おい、善行。生きているな」

「やあ、来てくれたのか」 善行は体を起こした。

「大丈夫だな。元気そうだ」

 団子鼻の隆行の大きな目がほほえんだ。

 隣町に居る中学時代の友人である。リタイヤしてからよく行き来している。

(それにしても、事故のことが、どうしてわかったのだ?)

 と、ふしぎに思いながら、答えた。

「だいじょうぶ。念のために検査してるだけだから、検査結果が出ればすぐ帰れる。

 でも、どうしてわかった?」

「今朝さ、電話したら、奥さんから自転車同士の事故で入院したと聞いて、飛んできた。

 たいしたことはなさそうで、よかった」

「うん。ありがとう」

「年寄りの癖に、スピードを出したんだろう」

「いや、小学生が路地の坂を飛ばして、横から突っ込んできたんだ。

 俺は頭を打って気を失った。

 左のふくらはぎと膝を自転車で挟まれたようだ。それと、左手の小指が切れて血が出た。でも、たいしたことはない」

「そうか、子供相手じゃどうしようもないな。

 その子は無事だったんだろう」

「なんともない。すぐ謝りに来たよ」


 善行は、おととい事故のあった日の夕方、見舞いに来た少年と母親の顔を思い浮かべていた。

(あの子も災難だった……)

(見通しの悪いあの角で、俺がいったん停まっていたら、こんなことにはならなかった……)

 と、悔いがある。

 母親に叱られ、こうやって侘びにくるんだから、もう懲りただろうと思った善行は、利発そうな大柄な六年生に、

「俺はだいじょうぶだ。君が救急車を呼んでくれたんだってな。ありがとう」と、礼を言った。

 その時見せた、母親の整った顔の安堵したほほえみが印象的だった。


「けがしたのが、逆でなくてよかったな」と、禿げ上がった穏やかな笑顔。

 その遠慮のない物言いに、そんな慰め方があるかと思った善行だが、はっと、思いついた。

(あの子は、急ブレーキをかけていた。もし俺が、ブレーキをかけなかったら、すれ違ったかも知れない……)

(あの子は、俺が早く通過することを願っただろう……)

(怪我したのが自分でよかった……)


「頭を打ったんなら、こわいな」と、大きな目が善行を見つめている。

「医者は徹底的に検査してくれてる。でも、だいじょうぶだろう。

 頭とか目とかは、老化か、事故のせいか、判断が難しいよ。でも俺は、検査の注意書きなんかもちゃんと読めるし、あれこれ考えることは出来る。昔のことも覚えている。

 左手の小指ぐらい、痛みさえおさまれば、どうでもいい。

 左脚が痛んでいるようだが、たいしたことはないだろう。俺の骨は丈夫で、複雑骨折でなかった。何とか歩ければいい。もう、スポーツは卒業する年齢だ」

 そう言った善行だが、胸の内は寂しい。

 その哀しみを振り切るように言った。

「俺は、頭さえちゃんとしてればいい。それと、右手が動けばいい」

「鉛筆持って、星形成論をやるんだ。もう少し、かかるんだろう」と、隆行が笑う。

 うなずく善行。


 善行の趣味は天文学である。門外漢だったが、もう十年以上も打ち込んでいる。「新しい星形成論を考えた」と、友人連中に触れ歩いているので、隆行に冷やかされたのだ。

 善行にすれば、退職してからのほとんどの自由時間をつぎ込んできたライフワークだ。独創的な星形成論で、これまでふしぎだと思われてきたことが説明出来る。なんとか世に問いたいと執念を燃やしている。

(こんなことで、挫けない!)

 むらむらと闘争心が湧く。

「うん、やっと女房を口説いて、出版資金百万円を確保した。まだ先のことだが、電子出版を、もちろん自費出版だが、するつもりだ。

 その代わり、俺の葬式は簡単にする。献体するから焼く必要はない。そして、お坊さんは呼ばない」

 善行には、お坊さんの読経をありがたく思う気持ちはない。そんな、信心のない善行だが、岩波文庫にある中村元訳のパーリ―語の原始仏教の経典に親しんでいて、日本の大乗仏教は、お釈迦さまの教えとはずいぶん違った物になったと知った。

『ブッダのことば(スッタニパータ)』の、素朴なそして清冽なお釈迦さまの教えを読んでいると、気持ちが落ち着く。

 そして、善行の星形成論はかなり仕上がってきた。

「もう少しで俺の考えはまとまる。

 もう少し、もう少しで、ここまで来たが、本当にもう少しで、俺の星形成論は完成する」

 そう言いながら善行は、昨日、もし入院が長引いたら出版どころじゃないと考えたが、障害保険に入っていることに気づいてほっとしたことを思い出していた。

 若い連中に混じってスポーツをしているので万一のため保険に入りなさい、と女房の勧めに従って、よかった。






           第二章 ライフワーク

 

              一 

 

 団子鼻をこすりながら隆行が話す。

「善行のライフワークは、星形成論か。

 オレもよく星空を眺める。宇宙のことを想うと、人間なんて存在はちっぽけなもんだ。

 でも、お前は、どうやって星が出来たか、考えているんだな。

 そんな難しいことをよくやるよ。お前は技術屋だったが、畑違いだろう?」

「俺は、天文学は、まったくの素人だった。退職後に、はまった。

 面白くて、夢中で入門書、解説書を、読み漁った。ずい分読んだ。

 難しくて分からないことばかりだが、なるほど、そんなことがあるのか、と思いながら読んだよ。

 そうしてるうちに、古い本の内容は間が抜けているように感じた。宇宙の知識は日進月歩だから、古い本の記述を鵜呑みにしてはいけないのだ。

 でもさ、新しい本でも、待てよ、どうしてそのように説くの? ぜんぜん理屈が通ってないじゃないか、と思う解説がある。また、その考えは視野が狭いのじゃないか、と言いたくなるものもある。

 そういう目で見ると、天文学の解説書は、記述が断片的過ぎる。研究者は自分の専門は深く研究しているものの全体的な視野に欠けているのだと受け止めようとしたが、極端すぎる。

 さらに観測結果の報告では、細かく分類するばかりで、それらの写真が捉えたことが星形成過程のどういう現象なのかという説明がない。意地悪な言い方をすれば、『どうしてこうなっているのかは、分からない』と書くべきところをごまかしている。

 自分の考えで語られる誠実な先生は、例えば、『宇宙の起原99の謎』という本で、『銀河が回転するのは謎だ』と書かれている。

 そんな肝心なことが判ってないのかと、俺は驚いたよ。星が角速度を得る理由が分からなかったら、星の自転も、公転運動も説明できないだろう」

 一息ついた善行は、湯呑みの残りを飲む。


「天文学というのは、分かってない、ふしぎなことばかりなんだよ。それが、量子論とか相対性理論とかを持ち出し、分かった雰囲気になっている。

 とうとう俺は、天文学は細切れ理論ばかりで、基本の理論体系がないと思うようになった。

 俺には、その理由が分かっている」

 じっと善行の口元を見守る、隆行の大きな目。

 善行は、このことをしゃべりたくてたまらない。


「現代天文学では、『銀河は、量子力学の密度分布の揺らぎで生まれた』としている。

 ここに問題があるのだ。

 星たちが集まって銀河が出来る。銀河が出来るよりも、星の生まれる方が先だよ。

 なあ、そんな大雑把に、銀河が出来たとしたのでは、個々の星の形成論が発展しようがないだろう」

 隆行がうなずいた。

「この宇宙の現象のほとんどは古典力学の知識で説明されている。だったら銀河の生まれ方も古典力学で説明されるべきだ」

 隆行が口を開いた。

「古典力学って、どんなんだね?」

「俺たちが高校で習った物理だ。『遠心力』とか『引力』とか覚えているだろう。これからは、『等速円運動』の『向心加速度』なんていう言葉が出てきて、『遠心力』を使わなくなるらしい」

 隆行の大きな目がぱちくりする。


「天文学の入門書、解説書の安易な説明に、俺は、そうじゃないだろう、それはおかしい、と反発した。そして、俺ならこう考えると、自分の思いつきをまとめるようになった。

 俺は、詳細なデータを持たない。難しい数学、物理学、化学の知識もない。でも、じっくり考えて、物事の本質を追求することはできる。

 門外漢の俺には学閥とか、師とかの縛られるものが何もない。自由に物事を考えられる」

 善行の気持ちが昂る。

「俺は銀河が回転する理由を見つけた。

 星たちが、見かけの力、転向力を受けて回転運動するのだ。

 宇宙空間には転向力が働くのだ」

 だんだん、声が大きくなる。

「俺の最初の発見は『転向力』だ。

 宇宙空間には『コリオリの力』は働かないとされているのはその通りだが、別な見かけの力が働くのさ。

四方八方に膨張する宇宙空間に、生まれたばかりの巨大分子雲が浮かんでいて、その二つが、引力で互いに引き合っていたら、次第に転向力が働くのさ。

 ほら、凧揚げしていて、凧を降ろそうとして凧糸を巻き取ると、凧が回転して地面に激突するだろう。あれは、凧糸が緊張していると、急に吹いた横風成分が、一種の転向力として凧に働いたのだ。

 四方八方に膨張する宇宙空間で、分裂したばかりの巨大分子雲が互いの引力で引きあって、その方向の動きを規制していると、それに対して横方向の動きが出るのさ。ついに互いの周りを回りだす。連星運動だ。

連星関係になると、回転の遠心力と、互いの引力が釣り合うから、もう空間膨張で引き離されない」

 と、善行は息巻く。

「この転向力は、『膨張する宇宙空間に働く転向力』だ。

 次に、そうやって回転運動する巨大分子雲の内部で、別の形の転向力が働くのだ。これは、『分子雲内転向力』だ。

それで、分子雲の中心星として生まれる星は、角速度を得たのだ」

 詳しく語りたいが、素人には無理だ。転向力は、そこで止めた。

 隆行は黙って聞いている。

 それで、次だ。


             二 


「星の材料は、水素分子だ。

 水素分子がどうやってまとまって、星が出来るかが星形成論のポイントだ。

 水素分子がどのようにして一体になるのか? 俺は、ずいぶん考えた。

 とうとう分かった。分子雲にまとまると、凝集作用は中心に向かう。すると、中心の逃げ場のない不動点で凝集圧がかかって、それで水素分子は強制的にくっついて、中心塊が出来るのだ。

 そうやって、星が生まれるのだ」


「いろんなことを考えたが、だんだんつじつまが合ってきて、俺の独自の星形成論がまとまりつつある。誰も考えたことがない、新しい考えだ。毎日、考えている。

 最初は、『素人の星形成論』と題していたが、いつまでも素人ではあるまいと思って、『私の星形成論』とした。でも、古典力学でここまで説明出来たから、『古典力学による星形成論』とすべきかと思っている」

 相手の大きな目が瞬いて、

「善行は、頭はいい方だったが、そんなによかったかな?」と、冷やかす。

 一瞬、善行は、瞑想、TMのことを言おうかとも思ったが、話しが逸れそうなので止めた。

「いや、宇宙の現象を解釈するのは、たぶんに想像力なんだな。いろいろな古い考えが覆されるのは、観測で新しいことが解って、これまで想像していたことが違っていたということだ」

「それは、洞察力だろう」と、隆行が笑みを浮かべる。

「そうだ!」

 と、善行は、自分でも檄していることがわかる。自分の考えを語りたい。

「分子雲の中心に、星は出来る。

 では、微細な水素分子が、どのようにして分子雲にまとまったか、俺はふしぎだった。

 この宇宙空間は膨張しているだろう。そこに浮かぶ微細な水素分子が、わずかな引力で引き合って、分子雲にまとまれないよ。

 散在している水素分子が引き寄せあって、長い時間かけて分子雲にまとまったとするのは、時間をかければかけるほど、空間が膨張しているから、無理がある」

 隆行の大きな目がうなずく。

「まだ宇宙空間が小さかった頃、そこに充満していた水素分子が、そのまま分子雲にまとまった、と思いついた。

 その機会は一度だけあった。

 ビッグバンから37万年後に、最初の分子雲が出来たんだ。

 まだ狭い宇宙空間に水素分子が密集して活発な分子運動をしている。

 空間がどんどん広がる。断熱膨張で、空間温度が下がっていく。

 空間温度が水素分子の沸点、たぶんマイナス260度ぐらい、を下回ったとたん、そのまま分子雲にまとまったのだ」

 一息つく善幸。

 次を促す大きな目。

「そのまままとまったら、大きな分子雲が一つ出来るだけだ。中心に大きな星が出来て、内部分裂するが銀河は出来ない。それだけの宇宙だ。

 ところが、このように複雑な宇宙が出来た。

 それは、冷え切ったところから、分子雲にまとまったからだ。この当時、宇宙空間の温度分布にわずかなばらつきがあったことが分かっている。

 また、空間膨張に抗する現象だから、細かく分かれる傾向にあった。

 それで、無数の巨大な、『最初の分子雲』が出来た。

 それが、『分子雲時代』の幕開けだ。それからは、その分子雲が分裂して中心星が生まれていくんだ」

 得意の絶頂の善行。

「水素分子は、分子雲にまとまれば、全体の凝集力でその密度を維持する、と考えた。

 でも、分子雲の凝集力がとても大きくなければ、説明がつかないことばかりだ。

 例えば、分子雲ベルトはとても長い。どうして切れずに繋がっているのだ? 最初は戸惑った。でも、今は、分子雲は巨大だからそれだけの凝集力があるのだと考えている。

分子雲にまとまると、内部の水素分子は中心に向かって凝集するだろう。

 それで、俺は分子雲の進化を考えたんだ。

 そうやって、ファーストスター、宇宙の重なり合う泡構造、銀河の重層構造、この銀河系の成り立ち、太陽系、そして暗黒星雲中の星の赤ちゃんたちが、どのようにして出来たかなど、俺なりに説明できる」


 隆行の鼻が膨らんだ。

「ファーストスターって、最初の星だろう? それがどこにあるのか、わかるのか?」

「そうさ」

「凄いじゃないか! 電波望遠鏡でファーストスターを探している天文学者がテレビに出てた」

 と、大きな目。

「『最初の分子雲』がまとまるとすぐに、それぞれの中心にファーストスターが生まれた。

 ファーストスターは姿を見せないまま、爆発して、超々々巨大ブラックホールになってしまった」

「どうして、ファーストスターは、姿を見せなかったのだ?」

「巨大な『最初の分子雲』は、進化が速かった。ファーストスターはすぐに進化してしまった」

「それじゃ、ファーストスターは分からないのか?」

「3超巨大ブラックホールになったときの爆発の輝きが、一瞬、何万年かある」

 びっくりした目。

「その3超巨大ブッラックホールは、『重なり合う泡構造』の、ボイド、超空洞の中心に潜んでいる」

 ポカンとした団子鼻。

 そして、善行は、ひとりごとのように言った。

「星たちがどうやって出来たか、俺なりに、大筋は理解した。

 そんなことを言っても、俺の考えを発表する場がない。

 あちこち手紙を送ったが、俺の言うことなんか学者は相手にしてくれない。

 もっとも俺の論文は独りよがりで、支離滅裂だった。誰も読んでくれなかっただろう」

 隆行がうなずくのを見て、善行に気合が入る。


 ふたたび意気軒昂な善行。

「ハップル宇宙望遠鏡や電波望遠鏡でいろいろなことが分かってきたから、古い概念とか用語をさっさと改めてくれればいいのだが、まだ古い術語がまかり通っている。

 そして、量子論、相対性理論でふしぎなことは解決したように、皆、思っている」

 善行は語気を強める。

「なんでも量子論のゆらぎで片付けて、そんなことで思考停止だから、先に進まないのじゃないか。

 衝撃波で星が出来たと言う人がいる。

 衝撃波を浴びて、水素分子がどうなるというのだ? 苦し紛れのごまかしだ」

 隆行の感心した顔。善幸は得意だ。

「それにしても、見当違いの話が多い。

 例えば、高温領域での星形成なんてことを言う人が居る」

 きょとんとする隆行。

「基本元素は、水素だ。星というものは、水素分子が集まって出来る。水素の核融合で星は進化する。

 星形成論とは、水素分子がどのように集まるかがポイントだ」

 隆行の目がうなずく。

「高温領域だと、水素分子は気体分子だろう。

 だったら、活発な分子運動をする。そんな気体の水素分子が、どうやってまとまるんだ? おかしいよ」

「じゃあ、高温領域に星はないのか?」

 と、いじわるな団子鼻が上を向く。

「高温領域というのは、銀河中心部のことで、密集した星たちが衝突して爆発し、しだいに高温となったのだ。そんな高温領域では、太陽より小さな、寿命の長い星が、だいだい色に輝いている。

 大きな星ほど寿命が短い。そんな高温領域には、ブラックホール、中性子星、白色矮星の、星の死骸がいっぱいある。

 高温領域で星が輝き出したというのは、星の死骸同士が衝突したのだ。

 まあ、ブラックホールは違うだろうがね」



         三 


 感嘆した顔の隆行が口を開いた。

「小さいブラックホールは、太陽の2倍の重さだと本に書いてあった。

 そんな小さなブラックホールがあるのか?」

「ブラックホールになる時に爆発するが、芯だけ残して外側を吹き飛ばしてしまうから、残ったブラックホールは小さい。

 しかし、ブラックホールは周りの物質を引き寄せ、飲み込んで成長する」

「ブラックホールはなんでも飲み込んでしまうというだろう。でも、そんな小さなブラックホールが、どうやって呑み込むんだ?」と、団子鼻が膨らむ。

「ブラックホールは、捕らえた獲物を降着円盤で回転させる。高温だから、電離したのを、吸い取ってしまう」

「そうか」


「太陽の40倍以上重い星は、進化して、最後にブラックホールになるらしい」と、善行。

「太陽は恒星の中でも小さい方なんだろう。太陽の40倍の星がブラックホールになるなら、ブラックホールはたくさんあるのか?」と、真剣な大きな目。

「たくさんあるとも。見えないだけだ。

 この宇宙は、ブラックホールだらけじゃないのかな。

 恒星の動きには固有周期があるとか、あるいは、星の摂動なんて言うが、それは、その星がブラックホールと、連星、衛星、惑星関係にあって、ブラックホールの周りを回っているからなのだ」

「ブラックホールは見えないからね」と、あいずちを打つ隆行。


「この太陽だって、周期二億年で銀河系中心の周りを公転しているが、その時、縦方向に五回うねっているのは、大きなブラックホールの周りを回りながら、いっしょに銀河系中心を公転しているのだ。

 俺の計算では、太陽を直接支配しているのは、太陽の22万倍重い、横向きのブラックホールだ。22万倍の質量というのは、巨大ブラックホールとその周りを取巻く質量群だろうけどね」

 隆行が驚いた顔をした。

「なあに、公転周期と半径が分かれば、その中心質量は簡単に計算できる。

 また、この銀河系宇宙の中心の超巨大ブラックホールは、太陽の350万倍強の重さがあると、俺は計算した。

 中心部の半径5光年に秒速100㎞以上の逆回転リングがあるが、そのデーターから求めたんだ」

 隆行が、あっけにとられたままなので、善行は次を言う。


「あのさ、暗黒物質、ダークマターは何かって、騒いでいるだろう。ニュートリノだとかさ。

 銀河とか銀河団の回転の釣合いを計算すると、現在分かっている星たちだけでは質量が大幅に不足するようなんだ。それで、宇宙空間には、未知の物質が隠れているというんだ」

「それがブラックホールだと言うのだろう」と言って、大きな目が笑う。

「確かにそうだが、聞いてくれ」

 耳を傾ける隆行。

「いいかい、古い大きな星ほど寿命が短い。

 例えば、太陽の寿命は100億年だが、太陽の10倍重い星の寿命はたった2600万年しかない。大きな星ほどすぐに燃え尽きてしまう。

 過去に生まれた星ほど、大きな分子雲から生まれて大きいから、ブラックホールになっている。

この銀河はブラックホールだらけだ」

 目を丸くする隆行。

 善行はゆっくりしゃべる。

「分子雲の中心に星が生まれるというのは、俺の理論の基本の考えだ。

 最初、分子雲はとても大きかった。

 そして、星を生んだ後の分子雲は、残りが内部分裂して、それらが次の世代の星を生んで、これを繰り返して、だんだん分子雲の規模が小さくなってきた。

 もっとも、再編分子雲があるから、分子雲の規模は一概には言えない。

 ともかく、大きな分子雲の中心部は進化して、銀河を形成する。そして、その外側部分の、とても大きい部分が、進化せずに水素分子のまま残っているのだ。その質量は銀河領域質量より何十倍か大きかろう」

 隆行の丸い顔が聞き入っている。

 そして、善行は断じた。

「暗黒物質、ダークマターなんていうのは、ほとんどが水素分子だよ。そしてブラックホールだ。

 水素分子は写真に写らないから意識されてないが、たくさんあるよ。

 どの銀河も分子雲に包まれているんだ。

 この銀河系の外側ハローにダークマターがあると言われるのは、それは、分子雲の外層の水素分子だよ。

気づかれない水素分子の量は、ブラックホールよりもっと多い」

「それは、お前の考えか?」と、いぶかる団子鼻。

「そうさ。そう思わない人ばかりだ」



              四 


 しばらくして、隆行の大きな目が輝いた。

「じゃあ、この宇宙の始まりのビッグバンはどう考えているんだ?」

「138億年前に、何もないところから、火の玉宇宙が誕生した。爆発するように空間が広がる。膨張する宇宙空間は、断熱温度膨張で冷えていく。

 ビッグバン後、37万年経って、空間温度が下がって、エネルーギーが物質に転換した。最初の物質、水素元素が現われ、すぐ分子結合した。

 まだ宇宙空間は狭い。そして、全物質に相当する量の水素が一度に現われたから、水素分子はとても密集していた。水素分子は活発な分子運動をしている。

 空間温度が絶対温度で十数度に近づいて、水素分子の沸点より下がると、水素分子は動きを静める。

 そして、水素分子は、そのままの密度で分子雲にまとまったのさ。

 それが『最初の分子雲』だ」


 隆行がまじまじと、善行の顏を見る。

「そんなことを、よく考えたな」

「そうだ。

 俺は宇宙空間に最初の物質、水素が現われてからのことを、『分子雲の進化』として捉えたんだ。 

『最初の分子雲』でファーストスターが出来る。それが爆発して3超巨大ブラックホールになった。

 その爆発で水素分子のない空洞が出来て、その壁面から内部分裂して、ちぎれ分子雲が中心に引き込まれ、その3超巨大ブラックホールが大きくなった。

 そのあとに宇宙の基本構造の、『重なり合う泡構造』が出来た。

 奇想天外な発想だが、俺はなんとか、『最初の分子雲』の『外層』のダイナミックな再編としてまとめた。

『ボイド』は、空間膨張を吸収して広がる。そして、『ボイド』の中心には、3超巨大ブラックホールが潜んでいる」

 団子鼻の顔が、ついて行けないと言うふうに首を振るので、善行はひと休み。



             五 


「俺は、詳しいデーターを持たないし、相対性理論とか量子力学とかは分からない。でも、本質は何だ? と直感的に追求することは出来る。

 例えば、俺は、宇宙空間の、無圧下の水素分子の沸点も融点も知らない。しかし、宇宙空間の水素分子は、気体分子ではないと気づいた。なぜなら、分子雲としてまとまっている。

 宇宙空間の水素分子は、マイナス260何度Cで、おそらく液体の相だ」


「宇宙空間の水素が液体分子なら、どうして液状にならないで、分子雲になるのだ?」

 と、隆之の大きな鼻がうごめく。

「液化するには凝結核が必要だが、宇宙のはじめには、そんなものはない」

 そう言って、善行はほほえむ。

「でも、お前さんの指摘は鋭いよ。

 液体、固体の相の分子同士は、互いの引力で引き合う。しかし、電荷を持たない分子は近づきすぎると反発し合う性質がある。

 だから個々の分子は独立していて、一体になれないのだ。それで分子雲がまとまっている」

 隆行の大きな目がほほえむ。

「宇宙空間では、水素分子は液体の相だと思うが、固体の相であってもいい。ともかく水素分子は、分子雲にまとまっている。そうすると『分子雲の進化』をするんだ。俺の大発見だ」

 これこそ、まさに善行の力説したいことなのだ。


「分子雲の輪郭がまとまると、水素分子は質量の大きい中心に向って凝集する。

 中心の密集して逃げ場がない不動点で、圧力がかかる。

 すると水素分子は、互いに押し付けられて、液化なり固化なりして、塊になる。星の卵さ。

 だから分子雲の中心に星一つ生まれるのが、原則だ。

 これは俺の考えの基本だ。そのあと分子雲は内部分裂するんだ。その内部分裂には空間膨張が絡んでいる」

 団子鼻が膨らむ。

「でもさ、分子雲の中心に向かって凝集するなんてことは、誰でも考えそうなことじゃないか?」

「あのな。水素分子というのは電波を発しないから、写真に撮れないんだ。分子雲なんて言っても、その姿は見えないのだ。

 誰も、分子雲の中心に星の卵の塊が出来るなんて想像してない」

 隆行が大きな目を見張って聞いている。


「じゃあ、この宇宙はどうやって出来たんだ?」と、無邪気な声。

「俺が興味をもつのは、最初の元素、水素が現れてからのことだ。

 その前の、この宇宙がどうやって出来たかと言う宇宙論には、俺は興味はない。

 この宇宙は創造主が創った」

 予想外の答えだったのだろう、隆行が目を丸くする。


「宇宙開闢のビッグバンは、数学的には特異点で、その先に遡れない。だから、理論的に説明することは無理だと思われていた。

 でも、天文学者たちは、それじゃ出番がないから、ビッグバンの前に、無の状態から急激に膨張するインフレーションという過程を考え出した。東大の佐藤勝彦さんが、一番最初にその考えに到達した人だが、ノーベル賞をもらい損ねた。

 量子論の考えでは、真空というものは、『真空のエネルギー』に満ち満ちているそうだ。

 何もないところから、量子論のゆらぎで、そしてトンネル効果というので、ひょっこり、この宇宙が現われたということだ。

 いろんな宇宙論が述べられている。

 どれも難しい数学を解いて得たものだろうが、俺にはピンとこない」

 と、善行は首を振る。

「何もないところから、この宇宙が生まれたって、本気で考えているのか?」と、隆行が呟くように言う。

「そのとおりだ。

 宇宙開闢のビッグバンというのは事実だろう。

 そして、膨張し続ける宇宙の先行きのことは、わからない」

「それじゃ、神様がこの宇宙を創ったと言うのと、同じだな」と、団子鼻が膨らむ。

 うなずく善幸。


 そして、善行が言いたかったことがある。

「古代インドには、ヴェーダという世界最古の聖典がある。リシと呼ばれる賢者たちが瞑想で絶対界と交信しつむぎだしたもので、天啓の聖典と言われる。

 インド哲学のヴェーダンタ学派は、ヴェーダの最終章ウパニシャッドを遵守しているのだが、彼らは、ヴェーダの主神ブラフマン、日本語で梵天、の歓喜の戯れでこの宇宙が出来たとしている。

 この世界は歓喜が満ちているということだ。

 量子論の宇宙誕生の考えは、表現こそ違うが、そして、歓喜は別にして、まさに、このとおりじゃないか」

 大きな目がじっと見つめている。


「俺は、最初の物質、水素元素が現われたところから、宇宙の進化を考えた。

 ずい分考えた。だいたいのことは整理できた。もう少しで終わる」


 善行は、いくら宇宙に興味があるといっても、言葉足らずの、聞き慣れない話は理解できないだろうから、この友人に話すのはここまでにした。

 それでも善行は、鬱屈した胸の内を、思い切り吐き出した思いがした。

 善行は、何とか自分の考えを世に問いたいのだけど、その手段がない。知己の居ない天文学会は敷居が高い。

 これだけ斬新な、独創的なアイデアがたくさんある論文だから、どれか一つが話題になれば、自分の考えは陽の目を見ると思って励んできた。

 そして、何回か入門書、解説書の著者に手紙を書いて草稿を送ったが、誰も関心を示さない。

 それにしても、例えば、

「膨張する宇宙空間には、転向力が働いている」という善行のアイデアに専門家が飛びついてこないのがふしぎだった。

 でも、自分の論文が読みにくく、支離滅裂のところもあり、これでは誰も相手にしてくれないと、気づいた善行だった。

 ともかく、読みやすいものに仕上げねばならないと毎日悪戦苦闘している善行だった。


 その時、ふと、善行は、左脚が傷んで胡坐がかけないので、いつもの姿勢で瞑想出来なくなったことを、口にしそうになったが、自分のことばかりしゃべるのもどうかと思って、止めた。

 瞑想こそ、善行の後半生を支えるものである。

 この瞑想は、寝た姿勢では入れない。

 昨日の朝、ベッドに腰掛けて瞑想を試みた。しかし、壁に寄りかかれないので、背中がふらふらするのが気になって、無心になれなかった。

 それで、看護師さんに頼んで折りたたみ椅子を借りた。

 椅子に座って、すぐに瞑想に入れた。瞑想中、お腹の緊張がほどけ、ぐうぐう鳴った。

 一安心した善行だった。


 気が済んだ善行は横になって、この友人の、誠実な人生をまっとうした証である邪気のない顔を見上げていた。






           第三章 ガン患者たち


「それより、隆行は、大腸ガンの方はいいのか?」

「ありがとう。三月に、術後一年の検査を受けた。転移してない」

「それはいい」

「腹の調子もずいぶんよくなった。

 大腸は糞袋というらしいが、オレは大腸の三分の二を失ったから、日に何度もトイレに駆け込んでいる。そして、しょっちゅう大きなおならが出る。でも、家で居るぶんにはなんともない」

「しかし、よかったな。俺の知っている大腸ガンの人は、皆、手遅れで亡くなった」

「そうだよ。俺は転移してなくて、助かった。運がよかったと思う。

 紙一重の差だよ。

 もし、肝臓に転移してたらと考えると、ぞっとする。

 末期ガンは惨めだぞ」

 この友人は胸に鬱屈した思いを抱いていたのだと観察しながら、善行はその顔を見守った。


「この部屋は、お前一人だから、しゃべってもいいな」

 と、ドアの方を見た隆行が、話し出した。

「オレが入院した時、最初に入った四人部屋はガン患者ばかりだった。

 一人うるさいのがいた。大手の建設会社の名前を語っていたが、周りの迷惑もおかまいなしで、大声でしゃべりまくるやつだった。病院の食事は手をつけずに、うなぎの弁当を食べていた。

 ゼイタクなヤツだと思ったが、もう、あいつの口は好物しか受け付けないのだと判った。

 抗ガン剤治療で何日か入院していたようだが、退院の日に、これから蕎麦屋に寄る、と実にうれしそうに話していた。

 見舞いの娘に、一階の売店で売っている毛糸の帽子を買ってくれと、ねちねち無心していた。高額な品とは思えないがな。

 これから暑くなるのに毛糸の帽子だよ。七十前に見えたが、髪の毛を気にするなんて、哀れな奴だった。

抗ガン剤は二回目がすごく効くが、だんだん利かなくなると、そいつは話していた。

 娘が、『そのうち玉川温泉に行きましょう』と慰めていたが、家族にとって、末期ガン患者の扱いは、腫れ物に触るようなものだね。

 あいつは、横柄に振舞わなかったら、居たたまれないのだ。

 でも、あんなガサついたやつでも、子供たちが見舞いに来て、いい父親だったんだ」

 と、隆行はその禿げた頭を少し傾けた。


「七十ぐらいの落ち着いた感じの小柄な男がいた。やさしそうな奥さんが見舞いに来て、半日睦まじく語り合っていた。他の病院から移って来て何日か経ったようだった。

 夕方遅く、回診の若い医師に、『検査結果が出ました。明日退院していいです』と言われたが、喜ぶどころか、『ここに居させてくれ』と頼み込んで、医師は当惑していた。

『入院していると保険が降りる、女房孝行はそれしかない』と、後で、その人はその建設の男に語っていた。

 どんなガンか知らないが、あの男は覚悟は出来ていたようで、ベッドの上で何やら書類を整理していた。

病院は、末期ガンの年寄りでベッドを占有されているというのは、本当だね」


「もう一人居た五十ぐらいの男は、ガンの転移を宣告されたばかりのようだった。厳粛に現実を受け入れようと必死だったのだろう、静かな男だった。

 あの建設の男は、自分の抗ガン剤の経験を、この男に話してたんだな。

 その後、会社の同僚が見舞いに来て、気心の知れたやつだったんだろう、ぽつりと、抗ガン剤を打つかどうか迷っている、と洩らした。

 治療しても先は見えている。

 ガン保険に入ってなければ、高額医療のつけを家族に残したくない。

 見舞いの同僚は、相づちの打ちようがない。

 まだ若いだけに、気の毒だった。

 オレは、手術を受ける前の検査入院だったが、身につまされたよ」

 と、瞬きしながら語る隆行。

 この篤実な友人は紙一重の差で助かったのだと、善行は思った。


「オレも、いま少しで、あの仲間に入るところだった。

 毎回同じように便に血がついて、どうもこれまでの、痔の出血ではないと感じたんだ。そして、女房に強く言われて、医者に行って採便して、それで分かったんだ。内視鏡検査を受けて、すぐに手術した。末期ガンでなくて助かった。

 これも何かの因縁だ。もう少し生きて、何かせいということだと、オレは思った。

 しかし、オレには善行みたいなライフワークはない。

 この年になっても、善行は打ちこめるものがあるからいいな」

 善行はうなずいた。

(確かに自分は老後に打ち込めるものがあって幸せだ……)


「そうだね、オレは女房と仲良く連れ添うだけだ」

 と、隆行。

(のろけか……)と、冷やかそうかと思ったが、まじめくさった顔をしているので止めた。

「オレは、もう何もお役に立つことは出来ないが、やれることはやろうと思って、毎朝、道路のゴミ拾いをしている」と、神妙な禿頭。

 その時、夕食の配膳が届けられた。

「おっ、もうこんな時間か。ずいぶん、夕飯が早いんだな。オレは帰る。

 じゃあ、論文がんばれよ」

「ありがとう」

 そして、善行は気になったことをたずねた。

「俺に、何の電話だった?」

「きのう、街で、常夫とぱったり出会ってな、常夫がぜひ三人で会おうということだったが、しばらく延期だな」

 善行はうなずく。

「それじゃ」と、隆行は出て行った。

 やはり隣り町で暮らす同級生の常夫は、つい何年か前まで総合病院の事務長をやっていた。幼馴染は、すっかり変身したようでも、昔の面影は残っている。善行は常夫に会いたいと思った。

 善行は、友人に胸の内の星形成論ををぶちまけ、早くその推敲作業にかかりたいと、闘志が湧く。





          第四章 超越瞑想


            一


 翌日、入院四日目の夕方に、善行は退院した。

 検査結果、異状はなかった。

 頭が少しぼんやりすると思ったが、ちゃんと本を読めるから、あとは集中力の問題だ。右目の視力は事故の前から少し落ちているから気にしない。

 左手の小指は添え木をして包帯を巻いている。ときどき治療に通わねばならない。

 左脚の打撲はそのうちよくなる、と医師は言った。

 歩く時、左足を少し引きずる。力をかけると左膝が痛むようなので、自転車は無理だ。

 退院時に、障害者の手続きをとるよう勧められたが、車椅子とか松葉杖を求めるのは大げさだと思い、しなかった。

 何とか自力で歩けるようになりたいと、その日からリハビリに励んだ。

 最初は、怖くて、そしてひざが痛むような気がして、十歩ぐらい歩いて立ち止まった。毎日少しずつ歩数を伸ばした。


 軽い負傷だったが、老いた善行にとっては大きな境遇の変化である。

 いずれスポーツを諦める日が来ることは予期していたから、さびしい思いは振り払える。

 何とか歩けるから、このくらいの傷で済んで助かったと思っている。

 ソフトバレーの仲間は、顔を見せなくなった善行を、入院したと思うだろう。そうやって仲間は入れ替わっていく。

 善行は、これまでに止めていった何人かの仲間たちの、老いた顔を思い浮かべていた。

 また、山仲間たちのことも思った。

(山登りの連中にはいずれ手紙を書こう……)


 善行は、毎日、歩いた。左足を引きずりながら、家の前を歩く。

 ひと月後に、家の周りの路地の大回り一周、三百メートルに挑戦した。途中何度も立ち止まりながら、歩けた。

(回復している!)と、大きな自信を得た。


 入院中の四日間のブランクは、善行が頭を冷やすいい機会だった。

 二百ページを超える『私の星形成論』を、最初から見直し始めた。

 これまでは、見直すと、必ずのように論理の飛躍した箇所に気づいて、考え込んだ。そして、何日も考え、壁にぶつかったと思うこともある。そして、いい考えを思いついて、大発見をしたと興奮する。

 修正して文章を書き直すのは根気が要った。何週間もかかかるが、だんだんまとまるうちに、楽しくなっている。そうやって五十回以上書き直してここまできた。

 今度も、新しい考えを思いついた。

『棒状渦巻銀河』と分類される銀河が多い。この銀河系もそうだ。でも、なぜ、中心部に棒状の構造が出来る? 銀河系にはそんなものはない。中心部に3キロパーセクの傾いた公転面がある。その傾いた面を斜めに見て棒状と考えたのだろう。

 でも、なぜ、銀河の中心に傾いた面が出来るのだ?


 この問題が解決出来れば、自分の理論は、また一段高みに登ると思う。

 それにしても、次から次へと、たくさんのことを考えたものだ。

 後は、いかに読みやすくするかである。

 見直して、説明が足りないと思って書き加えると、そのことはうしろの方の別なところで詳しく書いている。一箇所いじると関連して修正しなければならないところが出てくるが、それがどこかは、全体を読み直さねば気づかない。

 善行は、精神衛生上、決して頭が衰えたとは思わないことにしている。構成が成ってないからだと考える。

 それで、目次構成を練って、「前述したように」とか、「後述する」とか、あるいは(参照)の記述を多用した。


 善行は三週間かけて、二百余枚の論文を見直したが、

(長すぎるし、独りよがりのごてごてした説明がある……)と、気持が晴れない。

(いっそのこと、論文を短くしよう!)

 ともかく専門家に見てもらいたいものだから、短い方がいい。

 そして、善行の考えの試行錯誤の経緯などは、切り捨てた。

 通説への批判なども、最小限しか載せてなかったが、すべて削除した。

(自分の考えだけで、星形成論はまとまる!)

 観測結果は別にして、ほとんど他の人の論文の世話にならずに、星形成を論ずることが出来るのは、まったくの独創の説なのだ。我ながら驚きであった。

 題名を「古典力学による星形成論」とした。善行の論文では遠心力という言葉を外せない。それよりも、 ごく簡単な物理学しか使わずにこれだけのことを説明出来たと胸を張りたかったので、そうした。

 内容が多岐にわたっていて、論文というよりは解説書のような体裁だった。

 善行はその作業に没頭した。

 文章をまとめるのは忍の一字である。頭の中ではわかっていることだから、つい記述が飛躍していても、気づかない。それに前に考えたこと、書いたことに愛着があって、簡単には削れないから、ごてごてした表現になってしまう。

 時間を置いて、頭を冷やさないと整理できない。リハビリの歩行と、交互にやった。


 善行は、権威のある「シリーズ現代の天文学」が出版されていると知って、一週間かけて目を通した。細かい説明ばかりで、難解な数式が多いという印象で、このシリーズの書には自分が考えたようなニュートン力学による星形成の基本的なストーリーはなかった。

 ハップルによる銀河分類の音叉図を掲載している。善行は、この図はナンセンスだと思う。中央のレンズ状銀河は合体銀河だろう。そして、渦巻銀河が退化して、楕円銀河になったから説明は逆だ。楕円の形は、渦巻銀河の中心部に傾いた面が出来て、ベルトたちの引き込みの勢いが異なったから、そうなったのだ。

 こんなことを言ったら人は笑おうが、自分の「古典力学による星形成論」を持ち込めば基本理論が成る。

 なんとか完成させたいと意欲が湧いた。

 善行はなんとか元のように歩けるようになりたいと、毎日必死である。その思いは論文の推敲と重なり、交互に励んだ。まだしょぼくれないぞという執念だった。



               二 


 それにしても善行がこのような独創的なアイディアを思いつくのは我ながら愉快、痛快なことである。今度の検査でも、頭のMRIを見た医師に、年齢より脳味噌が詰まっていると言われ、うれしかった。

 六十を過ぎれば頭の働きは少しずつ鈍くなるわけだが、「どうしてだろうか?」と考えていると、いつの間にかその答えを思いついている。

 こうやって星形成の考えをまとめることが出来たのは、日々やっている瞑想の賜物、直感力のお陰である、と善行は信じている。


 善行は朝晩の食後に瞑想をする。

 この瞑想は無邪気に、教師に教えられたとおりに自分に授けられた「想念」の音を思い浮かべ、意識を超越する。

 初心者の瞑想は、まったく形、姿勢に囚われない。首をうなだれてうつむいてする人もいるし、壁に寄りかかって寝てしまう人もいる。それでいいのだ。


 この瞑想は、マハリシというインド人聖者が、インド古来の瞑想を現代風に整理して、そして理論づけて世界中に広めてくれたものである。彼は大学で物理学を修め、それからシャンカラチャリヤの導統を継ぐ師のもとに、修行の道に飛び込んだ人だ。

 この組織は、現在オランダに本部がある。マハリシ師が育成した専門の教師がきちんと教えてくれて、現在、世界中で五百万人の人がこの瞑想をやっているそうだ。日本でも大勢の教師が養成されている。

世に瞑想の方法はたくさんあるので、特にこの、マハリシ師がシステム化してくれた瞑想を、超越瞑想(TM Transcendential Meditation)と呼んでいる。師は「超越瞑想・存在の科学と生きる技術」の著で、この瞑想の背景にある哲学を述べている。善行の座右の書である。


 善行は古代インドに伝わった瞑想、そしてインドで起こった原始仏典に親しむうちに、古代インドのことを勉強するようになった。

 岩波文庫に、オランダ人のインド学の世界的泰斗、ゴンダの「インド思想史」がある。とても難解な本だが、善行は何度も読み返した。

「仏陀は、すべてのヨーガ行者と同じく、悟性に基づく思惟を意識的に抑制した」(「インド思想史」p108)という記述を見た時、善行は深く思うことがあった。

「悟性に基づく思惟」とは、知力でもってあれこれ思案することである。

 お釈迦さまは、観念をもて遊ぶことを避けられた。それでは何に頼って行動するかと言うと、無意識のうちにひとりでに体が動いているのである。それは、瞑想修行で得られる境地である。ひらたく言えば直感だろうと善行は解した。

 そして、お釈迦さまは、何ものにも囚われない、何も考えることのない境地に達せられていた。

 しかし、そんなお釈迦さまが、それとは全く反対のことをなされたのだ。縁起説を考えられた。理法を説かれた。争論を教えられた。

 そのようなお釈迦さまの二面性は、なぜなのか? と善行は考えるようになった。



             三 


 善行がこの瞑想を知ったのは、三十年前である。

 四十代半ばの善行が建設会社の現場勤務から設計コンサルタントに転職したとき、不慣れな職場に飛び込んで戸惑った。善行の技術を見込んで後輩たちが回してくれた調査・設計の仕事が五件あった。まだ、信頼できる部下の育っていない中、意地でも仕上げなければならなかった。ほとんどの主要な検討を一人でやった。

 会社に泊まり込む日が続いた。そして、打ち合わせの出張の車中で爆睡した。最初の年の正月が過ぎ、年度末の納期が迫ってきて、家に帰る余裕がなくなった。寝不足で頭がぼうっとなり、新宿の駅でたむろするホームレスたちを眺めるうちに、一切を投げ捨て自由人になった方が楽だろうと思うほど追い詰められた時に、この瞑想の講習会のことを知った。

 わらをも掴む気持で参加し、瞑想の仕方を授けてもらった。その日から夜眠れるようになった。あれもこれもと、やり残した仕事を考えて寝付けなかったのが、すぐ眠れた。

 そして、会社で、疲れて頭の中が白くなって限界だと思ったら、机の上で瞑想をする。頭の中のこんがらかった糸がすーっと解けていく感じである。こうやって自分のストレスが拭われていくと思った。

 瞑想しているうちに二、三十分ほど寝ていることもあった。そうやって、睡眠不足を補った。

 瞑想から覚めたあとは、無意識のうちに仕事にかかっていた。

 いくつもの仕事を抱え込んでいたから、どれから片付けるかが問題で、常に葛藤があった。どの仕事も簡単ではない。手掛けて一区切りつけるには何日かかかる。そして、複数の仕事を同時に進めるなんてことは無理だ。

 ある仕事をやってるときに、違う顧客から電話がかかってきて、

「所内の打合せがあるから、出来たところまで送ってくれ」と注文される。

「こないだの打合せから、まだ、進んでません」

「なんだ、まだやってないのか。急いでやってくれ!」となる。

 そういうのが重なるとパニックになる。

 しかし、瞑想をやっていると、あれこれ考えずに、その時一番先にやらねばならないことを手掛けていた。そんなことは、その時点では誰にも分からず、あとになって分かることであった。まさに、その時、直感が働いていたのだった。

 このように瞑想に浸ることは、善行にとっては、直感力という能力開発だった。

 この瞑想を知ったお陰で、善行は、周りからスーパーマンと一目置かれるほど、仕事を片付けることができた。


               四 


 今は、たっぷり時間のある善行は、朝夕の二回の他に、頭が疲れたと感じたら瞑想をする。そのひとときが楽しみになった。

 老いて、静かに独座の時間を過ごせることはありがたいことだ。

 そしてこの瞑想中にいろいろなアイデアを思いつく。

 本当は、瞑想中は何も考えてはいけないとされる。そんなことをしていては、深い境地に入れずもったいないということだ。

 でも、目を閉じて意識が心の底に沈んでいくと、いつのまにか、善行の脳裏に星形成理論の懸案事項の解決策が浮かんでいる。それは、自分の心の葛藤、ストレスが解消していることで、絡み合った思考のもつれがひとりでにほどけているのだと、善行は思っている。

 きちんと一日二回規則正しく瞑想をしていれば、そんなアイデアはあとで浮かんでくるはずだから、この瞑想をそんな雑念で費やすのはもったいないのだ。

 でも、頭の中の思考の成果に気を取られてしまう未熟な善行であった。


 瞑想という言葉を国語辞典で引くと、「目を閉じて静かにある物事を考えること」とある。

 しかし、古代インドの「正しい瞑想」は物事を考えるのではない。ただひたすら絶対なる者の世界、絶対界、超越界に浸ることである。

 お釈迦さまの瞑想修行は、解脱をめざす修行である。

 でも、善行が瞑想をやっているように、師に教えてもらえれば誰もがやれるものである。


「正しい瞑想」と言うのはゴンダの言葉であるが、彼の洞察は深い。

 お釈迦さまの後半生の四十五年で、仏教が全インドに広まったのは、それまでバラモン階級のものだったこの瞑想を庶民に解放したからであると、ゴンダは看破している。「正しい瞑想」は、師に教えてもらえばごく簡単なものだ。人々は瞑想のとりこになったのだ。


 この瞑想をするには、古代から伝わる、ある技術が要る。その技術は訓練された教師以外は人に教えてはいけないし、また、みだりにその内容を人にしゃべってはいけないことになっている。それは、これから学ぼうとする人に誤った先入観を与えてならないということだし、そして、大事なことは、この技術を純粋に後世に伝えるということである。よこしまな教祖様が現れてこの技術を自己流にアレンジして変質させないよう警戒しているのである。

 そうやってこの瞑想法が、何千年も、ヒマラヤの山中の修行者の間で、純粋に、師から弟子へ伝えられてきた。

 その技術は、教師から口伝で授けられる、音というか短い言葉の「想念」である。心の緊張を解いて、無邪気にその響きを思い浮かべながら、意識を心の奥底に沈めていく。やがて吐息が柔らかになっている。そうやって意識が絶対界に超越し、心が純化するのだ。その時、体の代謝が低下している。

 瞑想中は、窓の外の風の音や人の話し声が耳を通過していくのが分かるから、意識はある。呼び掛けられれば、すぐに反応することが出来るが、急に立ち上がって体を動かすのは、体内の血流が巡ってないから、よくないと教えられた。でもだんだん体が順応しているようだ。


 TMは微妙なものである。教師に導いてもらえばすぐにある境地に到達するが、何日も飲酒が続いてTMを怠っていると、すぐに忘れてしまう。与えられた自分の「想念」をいくら思い浮かべても、だめである。そんな時は、グループ瞑想に加わるか、あるいは教師に個人チエッキングをお願いして取り戻せる。長年、規則正しく瞑想を続けていると、しっかり身につくようだ。


 マハリシ師が語っているが、信仰のある人にとっては、この超越している時間こそが、信じる神の膝元に触れる時である。

 信仰のない善行は、絶対界の「純粋意識」というものに自分の意識が触れるのだと理解している。

 善行は若い頃から哲学書とか仏教の入門書を読み漁っていたが、ついにこの瞑想を身につけ、精神行脚は終えた。

 そして、善行は、岩波文庫の中村先生訳「ブッダのことば」の原始仏教の書を読むうちに、この瞑想が、お釈迦さまが人々に勧められていた瞑想であることを確信した。

 善行は、お釈迦さまのことをずいぶん勉強した。

 岩波文庫にある七冊の原始仏典のうち、「ブッダのことば(スッタニパータ)」や「仏弟子の告白テーラガーター」、「尼僧の告白(テ―リーガーター)」には、素朴で迫力のある、お釈迦さま、そして弟子たちの言葉がある。しかし、他の書では、後世の弟子の手にかかって、教えが形骸化した部分があると思った。



              五 


 善行は、朝晩、瞑想をしている。

 そして、年とるほどに死と老いの恐怖、不安が募るものだろうが、この瞑想によって心を純化すると、そのような感情が生じないのがありがたいと、近頃の善行は意識するようになった。

 また、いつ終わるか分からないライフワークの焦り、そして世に認められない苛立ちが、瞑想によってずいぶん静められていると善行は思っている。老いた自分はこの瞑想によって救われている。

 お釈迦さまは、「般若波羅蜜多」(プラジニャー・パーラミター)、すなわち「知恵の完成」は、瞑想修行によって得られるとされた。弟子たちはひたすら瞑想修行に励んだ。そして、清らかな境地で得られる「知恵の完成」こそが、悟りへの道である、と善行は理解した。

 しかし、善行は、自分は修行者を志すような精神性の高い人間ではないと承知している。悟りの境地などは、なまくらな自分には無縁なもので、ただ枯れるだけだと考える。

 でも、枯れることも難しい。

 善行は息子家族と、同居している。

 ある晩、仕事にくたびれて不機嫌な息子寛治に対して、珍しく善行は怒声をあげた。

 年寄りの分別が働けば、善行は言葉少なに諭すことも出来たのだが、この時はむらむら湧き起こる怒りを抑えることが出来なかった。

 その瞬間、自分は取り乱していると感じたが、荒ぶる感情はそのまま噴き出てしまった。ここで我慢しようとする自制の気持は起こらなかった。どうなってもいいと自制心を失ったのは、たぶんに甘えがあるのだろう。

 妻がとりなし、また息子も耐えて、その場はおさまった。我ながら大人気なかったと善行は悔いる。


 そんな善行でも、若い頃にくらべればずい分穏やかになった、と自分でも思っている。

 妻とは仲良く暮らしている。快活で笑顔の絶えない彼女はかけがえのない伴侶だ。

 彼女だって、これまで仕事一筋で来て、またリタイヤしてからは趣味にのめりこんでいる善行に不満がたくさんあろう。それを超えて付き合ってくれていることは分かる。感謝している。

 勝気で芯が強い妻である。彼女が体調を崩した時は、顔をしかめてじっと耐えている。彼女には、自分で対処しなければならないことに、甘えはない。

 そんな彼女はこちらの気配りを「ほっといて」と、拒む。善行は不本意でも見守るしかない。もし彼女が倒れたら、その時は、心底看病してやろうと思っている。

 同居している、息子夫婦はしっかり生きている。

 二人の孫たちは、小さい頃はあんなにまとわりついていたが、大学生と高校生となった今は、もう祖父母にはあまり近づかない。


 善行は、星形成論さえ片付ければ、すべての執着を捨てて枯れるつもりでいる。

 生きるということは煩わしいことだ。いつかは、お釈迦さまの言われるようにこの世の愛着を捨てねばならない時がくる。

 老いて、体の器官はいつのまにか劣化し、あちこち傷みだす。苦しさが募らぬうちにおしまいにしたい。

 でも、なぜ、人は生きるのだろう。死んだらどうなるのだろう? 地獄とか、業とか、生まれ変わりを考えることはないが、ひょっとしたらあるのかも知れない。そのような、いくら考えても解決の手がかりのないことは、どうしようもない。

 また、お釈迦さまの語られた涅槃ニルヴァーナというのは、幼いころに祖母から聞かされた、そして絵本で読んだ、天国、極楽とはまったく違う、静寂な境地であると知った。


 善行は、マハリシ師の著にある、インド哲学、ヴェーダンタ派の考えを学んだ。

 インドの修行者たちも、お釈迦さまも、輪廻転生からの解脱を願って修行していた。

 輪廻転生など自分には考え及ばないことだ。もし、生まれ変わりがあったとしても、自分の精神は、輪廻転生から抜け出ようとするほど強くない。

 善行には信心はない。ただ、お釈迦さまの、苛烈とも言える、空の教えに心惹かれる。

 でも、すべてを捨てるほどの覚悟の気持ちは湧かない。

 思うのは、生まれてきたからには、死ぬまで生きねばならないことだ。そして、いずれ死ぬ時がくる。

 生まれる時に自分の意志が働いたとは思えない。何もわきまえずにこの世に出てきた。死ぬ時もままならない。お迎えは、たいがい、不意にやってくる。その時にあがらわずに素直に死の使いに同道できるようにしておきたい。理性がある今のうちに身の回りは片付けておきたい。

 でも、まだ慌てることはない。

 先日の自転車事故で善行の体は少し傷ついたが、生きることに支障はない。

(まだ、自分は生きる!)と、強く思う。


 善行は、この論文が成就して、人々に誉めそやされている自分を夢想することがある。大勢の前で、とくとくとしゃべっている自分を想像することがある。

 何とか、この星形成論が認められることを願う、名誉欲はある。自分はこの論を唱えるために生きてきたのかも知れないなどと、妄想することもある。

 でも、人前では弱音は吐かないが、年々自分の頭は劣化している。今、やることは毎日何ページかずつでも推敲して論文を仕上げることだ。

 変な名誉欲にこだわって焦ったら、人生の最後を誤るだろう、という理性がある。


 善行は二ヶ月かけて論文を短くした。ページ数が百五十枚とずいぶん短くなった。

 そうやって、善行の「古典力学による星形成論」の筋書はほぼ完成した。しかし、まだ、すらすら読めるものではない。推敲しなければならない。

 そして、説明図をきれいに仕上げることと、NASAの写真を使わしてもらうことも問題である。でも、それよりは理論構成だ。

 ともかく、論旨を明確にすることだ。

 拙速は避けよう。より明解な、充実したものにしたい。

 ここまできたら、慌てなくともよいと思うようになった。

 毎日の楽しみごととしてやろう。


 今も、善行は、銀河中心部がなぜ傾くか考えている。

 銀河系の中心部が、棒状構造になる必然性はない。傾いた公転面が新たに出来たのだ。

 では、なぜ、中心部に傾いた回転面が出来たのか? 

 銀河系中心部の半径150光年あたりに高密度領域があるが、なぜ、これが出来たか?

 このように球状に分布することが、回転面が傾くきっかけを与えたように思う。

 そして、この段階で流れ込んだのが分子雲ベルトであったことが、傾いた回転面が広がったカギを握っているのではないか、とにらんだ。

 そうやって、善行は日夜、考えている。






         第五章 それぞれの道


             一 


 退院して四ヶ月が過ぎた。

 小指の包帯はとっくに取れた。

 善行は、走ったり跳んだりは恐くて試みてないが、ゆっくりならずいぶん遠くまで行けるようになった。常に左足を引きずらないよう意識している。

 膝が心配で自転車は乗ってないが、差し障りなく日常生活を送っている。

 散歩から帰ってびっしり汗をかいていることもある。

 少しずつ鍛えて筋力を取り戻そうとしている。

 以前のように思いっきり体を動かしたい、と思う気持ちが強く湧くときがある。


 隆行から電話があった。

 そして、秋の盛りの土曜の夕方、善行はバスに十五分ほど乗って駅に行った。

 退院後一人で町に出るのは初めてだった。

 常夫を交えた三人が、夕方の私鉄駅前の居酒屋に集まった。

 小太りの丸禿の隆行はラフなシャツにセーター姿だった。白髪の小柄な常夫はきちんと背広を着ていた。背の高い善行はジャンパーで、めっきり髪が薄くなった。三者三様の姿だった。

 まずは、ビールで乾杯。ひとしきり、互いの無事を祝った。そして、同級生たちの消息を交換した。

 常夫が、「リタイヤした俺たちが集るのは、混んでいる土曜でなくともいい」と、さりげなく、今回の幹事の隆行に注文したが、「まあね」と、あいまいな返事だった。そんな隆行は、いつもの元気がないように見えた。

 七十まで病院経営に携わった常夫が、元気でよくしゃべった。医師、看護師の頭数を確保するのが大変なことだと語った。

 それから、若者のことが話題になった。

「就職出来ないと言う若者が多いと思ったら、会社に勤めても、仕事に喘いでいるヤツが多いようだ。

 上司が止めさせてくれない、退職願を出しても受理されない、そんなことをテレビのインタビューで語るやつが居たが、もっと自分を大事にしろってんだ。

 労働者の権利がある。能力、技術があって、こき使われるのだろうから、もっと自己主張しろ。

 こすっからい社会になった。経営者、株主は利益を追求しすぎる。会社の社会的な貢献などの理念は、どこかへ吹き飛んでいる。

 それにしても、ひ弱な若者たちだ。どうして、パートやアルバイトの非正規雇用に甘んじているのだ。どうして、将来を見据えて努力しないのだ」

 と、常夫の語気が止まらない。ジョッキを口にして、しゃべりだす。

「結婚しない若者が多い。友人、同級生たちでも、結婚しない子供と同居している人が多いし、訳ありの子供を抱えた人もいる」

 ふと、善行は思った。

 自分は孫が二人居るが、隆行には孫がいない。常夫のことは知らないが、孫の話題は避けよう。

(孫のいない人は気の毒だ……)

 当たり障りのないのが、病の自慢だ。


「俺は、もう何年か生きたい。

 そのあとは、心臓が停止しても電気ショックは受けない。

 担がれて入院しても、点滴とか酸素吸入は拒否する。あんな管を巻きつけられた惨めな姿で生き永らえたくない」

 と、善行が言うと、常夫が白い唇を結んで、向き直った。

「お前さんは、何のために病院に入るんだ? 

 延命治療は拒否すると言いたいのだろうが、点滴の水分補給とかエネルギー補給とか薬とか酸素吸入を拒むのは、救急治療が出来ないということだ」

「いや、このあいだ救急車のお世話になった。おかげでこうやってピンピンしている。

 でも、この次に俺が倒れる時は脳溢血かなんかで、もっと深刻なことだろうから、もう、救急治療はいい」

「それなら、何しに病院に来るんだ? もし、病院を死に場所だと思っているなら迷惑な話だ。他へ行ってくれ。病院から葬儀は出したくない」

 病院の事務長だった男に、かみ合わない話をしたと善行は思った。

(俺は自分で病院に入ることはないつもりだ。もし、倒れて、担ぎ込まれた時の話しだ……)


 急に、常夫が笑みを浮かべ、穏やかに語り出した。

「年寄りが倒れたら、家族は見境なく110番する。家で死ぬなんて考えないものな。

 そして、いったん救急車に乗せられたら、生命を助けなければならないことになっている。

 本当は、医師は、家族の覚悟を問わねばならないことがある。なんとか一命を取り留めることは出来るが、元には戻りません。延命処置になりますがよろしいですか? 保険に入っていますか? とな。

 でも、そんな余裕はない。救急車で運ばれた人は、救急処置を受けて生かされる。そして、一度、延命処置したら、その装置を外したら殺人だ」

 そして、常夫が呟いた。

「でも、ぶっちゃけた話、病院経営は厳しいから、ベッドを何とか埋めておきたい。そうしないと、医師、看護師を雇っていけない」

 そう言って、ビールをあおった常夫が続けた。

「そうだよな、お前さんみたいな往生願望の病人を受け入れる施設、ターミナルケアの病棟が要るんだ。

 でも、保険が利かない分、値段が張るぞ。医療報酬が少ないから宿代で埋め合わせしてもらう。薬代だとか治療代がない代わりに、高級ホテル、せめてシテイホテル並みの部屋代を払ってもらおう」

「万事、金か。金がない奴は死に場所もない」と、善行。


 そして、善行が語った。

「インドでは死者を祀る風習はない。生まれ変わると考えるからだろう。

 インド人の、理想の人生は、四住期に分けている。

 第一は学生期、すなわち、若い頃の訓練と教育の期間。

 第二は家住期、すなわち、一家の主人として積極的に社会活動する期間。

 第三は林住期、すなわち、俗世との縁を断って森に退く期間。

 そして、第四は遊行期。

 彼らは魂の輪廻を信じるから、今生の肉体は脱ぎ捨てるぐらいの気持でいる。墓なんかない。死に場所を求めて聖地に旅立つのが、遊行だ」

「おれたちは、その第三の林住期から第四の遊行期に差し掛かったのだ」

 と、常夫。

 善行は二人の顔を見回しながら続ける。

「日本では、姥捨て山というのがあったが、こうやって自分も老いると、あれは、そう悲惨な話ではないな。

 年寄りの食い扶持なんか知れている。食料事情よりも、介護の問題だ。寝込んでしまうと、下の世話などの面倒を見切れなくなる。

 布団を汚してしまう。

 家人も大変だが、本人も哀しいことだ。

 老いさらばえて周りに負担をかけて生きるのは苦痛だ。自ら姥捨て山に行くことを言い出すのだろう。そして、岩陰に身をひそめて、お迎えを待つ。

 今の核家族でも、年寄りに寝込まれたらどうしようもない。病院へ押し込むことになる」

 と言って善行は、常夫の顔を見る。

 うなずいた常夫がしゃべる。

「そして、延命されるわけだ。半ば意識を失って、病院のベッドで横たわっている。

 平均寿命が延びても、少しも幸福ではない。医療関係者の飯の種になるだけさ」と、自虐的な常夫。

「まだ意識のしっかりした年寄りは、早くお迎えが来ないかと待っている。でも、白い服を着た人たちがお迎えを追い払う」と、善行。


 うつむいていた隆行が、団子鼻を上向け、口を開いた。

「女房に、痴呆が出た。独りにしておけなくなった」

 善行と常夫がその大きな目を見守ると、

「今日は、娘が来ている。オレが帰るのを待っている」

 隆行が独り言のように続ける。

「オレはあいつの面倒を看る。

 今、あいつは元気だから、徘徊するのが心配だ」

 善行は、この前、隆行が、自分は女房と連れ添うと言ったのは、こういう運命だったのかと感慨深かった。

 常夫が、

「大変だな。いくら監視していても、行方不明騒動を起こすことは覚悟しな。住所、氏名、電話番号の名札を縫い付けておくことだ。

 そして、火事だけは気をつけな。お前が留守する時は、ガスの元栓を締めておくんだな」

 隆行はうなずく。

 常夫が善行の焼酎お湯割りのグラスのお代わりを勧めた。

「お湯だけでいい。

 お釈迦さまは、飲酒を戒められた。『ブッダのことば』(スッタニパータ 三九八頌)にある。俺は禁酒は無理だが、慎んで飲んでいる」

「般若湯とも言うぜ」と、常夫が笑う。



              二


 それから、常夫が話しだした。

「おれはこの頃、よく仏像を拝んでいる。静かに仏像に向っていると、気持が落ち着く。

 暇ができたから、あちこちのお寺に足を伸ばしている」

「常夫は、前から仏さんを拝んでいたのか?」と善行が聞くと、

「いや、若いころはお寺なんか関心がなかった。老いを意識してからのことだ。

 善行は、どうだった?」

「俺は、宗教の本はずいぶん読んだ。インド哲学もかじった。若いころ、座禅もやってみた。

 今は、瞑想をしている。

 そして、原始仏教の、スッタニパータを読んでいる。岩波文庫の中村元先生の訳で「ブッダのことば」という本だ。素朴なお釈迦さまの教えがある」

 常夫の反応はなかった。

 善行はマハリシのTM、超越瞑想のことを常夫に語りたかったが、思い留まった。

(自分は、お釈迦さまの教えの真髄である瞑想をたしなんでいる。ありがたいことだ……)

と、善行は満ち足りた気分でいる。

 善行は、しゃべりたいことがたくさんあるが、止めた。

 人それぞれの感性がある。

(仏教芸術の美の世界はあろう……)


「隆行は、何か信じているのか?」と、常夫。

「そうだね。家の仏壇に時々手を合わせているから、オレは仏教徒だろうが、今いち、信心は薄いね。

 十年ほど前に般若心経を読んで、空思想というものに、なるほど、と思った」

「俺も読んだ」と常夫。

 二人は般若心経について語りだした。

 善行は般若心経について思うことがあるが、水を差すようで、話すのは止めた。

 お釈迦さまの教えは変質してしまったと言いそうで、善行は友人たちに語りたい気持ちを、抑えた。

(彼らの話の邪魔はしない……)

常夫があちこちのお寺のことを話していた。

「秘佛ってあるだろう。年に一回ぐらい御開帳する。あの秘佛ってのはたいしたものはないな。素朴過ぎる。稚拙だ。最初、寺を創建した時に祀っていたのだろうが、立派な仏像に取り換えたのだ」

 それから、常夫が仏像の印について講釈しだした。善行は、まったく興味のないことなので、薄いお湯割り焼酎のグラスを手に、黙って聞いていた。

 この友人たちに自分の学んだことを押し付ける気はない。皆、人生の経験者、自分の世界を持っている。

 三人とも酒量が落ち、食べる量も少なくなった。隆行も善行もまだ本調子でない。そして、隆行の家庭がそんな状態だから、早々に解散した。

 今日は星形成論を語る機会はなかった。







          第六章 変わってしまったお釈迦さまの教え


             一 


 善行は、布団の中で、先ほど語りたかった想いを反芻していた。

 今、人気のある「般若心経」は、お釈迦さまよりもずっと後の時代のものである。

「般若心経」の主題の「空思想」は、お釈迦さまの大事な教えで、スッタニパータでも強く説かれている。

 善行は「般若心経」の、簡潔に述べられる「空思想」の教えには惹かれるものの、「舎利子」という二度の呼びかけは、「舎利子、よく聞けよ」「舎利子、分かったか」という調子のもので、これは二大高弟のひとり、舎利弗サーリープッタを、小僧っ子扱いして貶めるものじゃないか、と気になっている。

 大乗仏教では自分のことよりも他利を重んじるというので、お釈迦さまの弟子たちの中で、抜きん出て精神性の高い境地に達した舎利弗を軽んじたのだろう。でも、舎利弗は、後輩を導く心やさしい人だ。それは「仏弟子の告白」の彼の頌にある。

 お釈迦さまの没後、二、三百年して大乗仏教を起こした人たちの、従来の宗派を小乗と蔑視する底意地の悪さを感じ、「般若心経」への関心は失せてしまった。

 また、「般若心経」では、お釈迦さまの教えで最も大事な『智慧の完成』が、『般若波羅蜜多』の呪文になってしまったと、知った。


 善行は原始仏典に親しんでいる。

 パーリ語の古い仏典のひとつとされるスッタニパータ(岩波文庫「ブッダのことば」)の登場人物は、修行者やバラモンばかりで庶民の姿はあまり出てないが、実に素朴なお釈迦さまの教えが載っている。

 お釈迦さまの時代には文字がなかった。教えは、覚えやすく語りやすい韻文で伝えられた。岩波文庫に収録された一連の原始仏典は、学術書だから、過去の研究成果を踏まえて、仮名遣いが現代風でないし、注が多いし、やたら括弧ばかりで、すらすら読める文体でない部分もある。でも、素朴な語り口をじっくり味わい、浸る喜びがある。



             二 


 お釈迦さまの頃はヴェーダが色濃い時代であった。

 ヴェーダは、英知、知識という意味の、世界最古の経典である。膨大な内容が、バラモンの読誦家の家系で何千年も吟詠によって一字一句そのまま伝えられた。そして、ヴェーダはその響きが大切なので、文字が出来た後も現在まで吟詠で伝わっている。

 ヴェーダは天啓の書と言われるように、リシと呼ばれる賢者たちが瞑想により絶対界と交信して紡ぎ出したものである。

 インダス文明を征服したアーリア人が、基本のリグ・ヴェーダを祀っていた。


 当時の学問はヴェーダを学ぶことである。

 お釈迦さまは8歳からヴェーダを学ばれていた。そして、お釈迦さまは出家されヴェーダの学生がくしょうとなった。お釈迦さまは、人々から「ヴェーダの達人」(スッタニパータ、四七九頌、一〇四九頌)と、呼びかけられた。

 そんなお釈迦さまが、ヴェーダの主神ブラフマン(梵天)の権威を否定されたのだ。

 お釈迦さまは釈迦牟尼と称されるように、古くから伝わるムニの道(瞑想修行)に励まれていた。そして、乾慧を嫌われた。そんなお釈迦さまが、どうしてブラフマンに反抗されたのか? 善行は不思議だった。


 インドは征服の歴史を繰り返した。だが、ヴェーダの司祭権を握るアーリア人は、身分制度の頂点のバラモンとなり、その地位を守り続けた。そんなバラモンは、下層階級に生まれた者が虐げられるのは、前世の報いだから仕方がない、苦しむのは当然だと見なした。また、バラモンは、頻繁にヴェーダの祀りを催し、いけにえの動物を火にくべた。

 お釈迦さまは、このようなバラモンの行為に心を痛められ、人々に慈悲の心を植え付けようとされた。そのためには、ヴェーダ体制を打ち破ろうと決意されたのだ。善行はそう思うようになった。


 お釈迦さまは、ヴェーダの主神ブラフマン(梵)がこの世界を創造したというヴェーダの考えに対し、そうではない、この世は真理と理法で成り立っている。そして、すべて物事にはそうなる理由があるのだという、縁起説を打ち立てられた。当時とすれば画期的な考えであった。

 そして、人々を説得するもろもろの理論体系をまとめられた時こそ、三十七歳のお釈迦さまが悟りを開かれたとするときであろう、と善行は思った。

 そうやって、お釈迦さまは、ヴェーダの司祭者であるバラモンたちを釈服していったのである。スッタニパータには、「争論」の教えがある。それは、「二種の観察」から「四諦」の教えに繋がると善行は理解した。これは、議論で相手を言い負かす思考方法なのだ。

 スッタニパータには、お釈迦さまがバラモンを釈服する場面がたくさんある。

 庶民はあまり出てこないが、殺生を戒める言葉とか、日常生活の戒めの言葉もある。

 スッタニパータには出家を勧める記述が多い。病老死の苦しみから逃れるには、すべての執着を捨て出離しなさい。物事に執着しないようよく気を付けていなさい、と教えられた。これが空思想である。その根本には瞑想修行がある。



              三 


 スッタニパータには、お釈迦さまは瞑想をやられていたことが記されている。(スッタニパータ、一六五頌、一一〇五頌。)そして、お釈迦さまは人々に瞑想を勧められている(スッタニパータ、三三〇頌、七〇九頌など)。

 岩波文庫にある「仏弟子の告白」(テーラガータ―)では瞑想のことがたくさん出てくる。

 シャカムニと称されたお釈迦さまの教えの本質は、瞑想修行による智慧の完成(般若波羅蜜多)なのだ。

紀元前、四世紀か五世紀かは定かではないが、お釈迦さまが悟りを開かれてから、わずか四十五年であの広いインドを席巻した仏教の教えの本質は、この「正しい瞑想」にあると、先述のゴンダは喝破した。「正しい瞑想」(「インド思想史」p122)とはゴンダの言葉である。

 それまでバラモンのものだった瞑想の技術を、お釈迦さまは人々に解放された。人々は瞑想のとりこになった。そして、お釈迦さまの慈悲の教えは人々に浸透した。

 そして、アショカ王は、仏教の慈悲の教えに心打たれ、インド国教とした。そして、国外へも布教した。そうやって、お釈迦さまが志された、慈悲の心の人々への浸透は成ったのである。


 でも、仏教では、すぐに「正しい瞑想」は途絶えてしまった。

 瞑想の技術は口伝の微妙なものである。専門の教師に教えられればごく簡単に瞑想に入れるが、自己流では、努力すればするほど、心の緊張、意識の集中を解き放てず、瞑想に入れない。瞑想のやり方は絶対に書物からは学べない技術だから、マンツーマンの伝承が一代でも欠けたら、復活しようとしても、形をなぞっているに過ぎなくなる。

 現在の仏教界にも瞑想はあるだろうが、それは形骸化していて、お釈迦さまが教えられた「呼吸を整える思念」(仏弟子の告白、五四八頌 大カッピナ長老)とは、変わっていよう。

我が国にも密教の瞑想の技術の『陀羅尼』の呪文が伝わっているが、瞑想を指導してくれる師が居なければ、猫に小判である。そして、『陀羅尼』自体が飾り立てられ大げさなものになっている。

 西暦紀元の頃にインドで起きた大乗仏教では、すでにこの「正しい瞑想」は失われていたようである。大乗仏教の経典は、大げさな空想の、観念的な世界だと、善行は思う。

 なお、瞑想で得られる境地、「三昧」(サマーディ)を、漢訳経典では「禅定」と訳す習わしである。だから、お釈迦さまが坐禅をしていたなどという解説書が出てくるのだと、善行は解した。

練達の人が結跏趺坐して瞑想する姿はまさに坐禅の形である。でも心に緊張を強いる坐禅では素人は超越できない。坐禅は遠回りの道である。

 瞑想が形骸化して坐禅になったのだろうと善行は考える。禅宗は、中国で生まれた宗派である。


 善行はお経の中に瞑想の痕跡があるはずだと考え、調べた。

 そして、「四神足」(「ブッダ最後の旅」p96、訳注p234)、少年僧問答(「お経の話」p100)にある「八正道」の瞑想、「九有情居」など、いくつか見つけた。

 そして、いわゆる漢訳経典では、お釈迦さまの教えの本質である瞑想は形骸化して、その境地は想像すら出来ぬ、手の届かぬものとなっていると知った。その象徴的な話が「般若心経」の呪文の「般若波羅蜜多」である。

「プラジニャー・パーラミター」という言葉は、原語では「智慧の完成」という意味だが、漢訳経典では訳すこと不能ということで、原語の響きをあて、「般若波羅蜜多」としている。

 しかし、「般若波羅蜜多」こそが、お釈迦さまの教えの真髄で、瞑想修行により得られる、悟性による思惟を離れた、「智慧の完成」である。知力を離れ、清らかな念いの智慧を得なさいと、お釈迦さまは言われているのである。

「般若波羅蜜多」は、そのまま「智慧の完成」と訳すべきものなのだと、善行は知った。


 現代風に言えば、頭であれこれ考えることを止め、何ものにも囚われずに、ひたすら瞑想に励むのが瞑想修行である。そのやっていることは、絶対界へ意識を超越させて、意識を純化させるのである。それが清らかな境地で得られる智慧である。

 善行のように、瞑想をやって星形成のアイデアを思いつくなどの直感力の鍛錬は、お釈迦さまの意図されたことではない。そんな乾慧は、清らかな智慧ではない。

 なお、瞑想は誰でも師に教えてもらえば簡単に体験できる。そして、瞑想に浸ることは心地よいものである。

 しかし、専念して修行するとなると厳しいものである。お釈迦さまは睡眠を貪るなと言われている。聖者たちには一日二時間しか寝ない人もいるそうだ。

 そして、瞑想修行によって、神通力などの超能力を身につけることが目的ではない。あくまで智慧の完成による解脱なのだ。


 善行の学んだ結論である。

「釈迦牟尼」と称されたお釈迦さまの本領は、若い頃から励まれていたムニの道(瞑想修行)であった。お釈迦さまは、他のヨーガ行者と同様、悟性による思惟を避けられた。お釈迦さまの本当は、知力によりあれこれと考える人ではなかった。

 しかし、お釈迦さまの慈悲の心がヴェーダ体制を打ち破って、虐げられた人々や動物を救わねばならないと決意されたのだ。

 お釈迦さまはヴェーダの主神ブラフマンの権威を認められないというふうに、反抗されたのだ。それは知力による行為である。そして、お釈迦さまはあれこれ人々を説き伏せるための理屈を考え出された。お釈迦さまは頭の明晰な方だった。そして、議論に絶対に負けなかった。

 だから、お釈迦さまの教えには、二面性がある。そして、争論にしろ、縁起説の理法にしろ乾慧であり、お釈迦さまにとっては方便であったろう。

お釈迦さまの本領は瞑想修行による「智慧の完成」であった。



               四 


 お釈迦さまはヴェーダの主神ブラフマン(梵)の権威を否定された。

 当時のインドの人々は、この世界はブラフマンによって創られたものであり、自分の深奥にブラフマンの分身が居ると考えた。自己の内なる存在アートマンは、最後にブラフマンのもとに帰入、合一ヨーガするのが理想と考えていた。「梵我一如説」である。

 お釈迦さまのように、ブラフマンの権威を否定すればアートマンの帰入する先がない。

 それで、お釈迦さまは、アートマン(個我)の存在も否定された。

 そして、お釈迦さまは、人は五蘊に過ぎないと言われた。


 五蘊については、「少年僧問答」を引用する。

 五蘊とは、人間的存在の主観客観を含む五要素である。第一のしきは物質的要素、第二の受は外界から受け取る印象や感覚、第三の想は外界の形象を心理的に構成する知覚や表象、第四のぎょうは前三項以外のあらゆる心理作用、特に意志作用、第五の識は総合的な純粋精神活動。人間的存在はこれらの五要素の集合に他ならないから無我である、と考察する。(「お経の話p101 少年僧問答」)


 その五蘊が、前世の業によって固まっているので、人は輪廻転生するのだ。だから、瞑想修行で智慧を完成させ、業を解いてニルヴァーナへ行くのだ、とお釈迦さまは言われた。

 ニルヴァーナは何もない静寂なところである。

 しかし、お釈迦さまは、ニルヴァ―ナの詳しいこととか、そこへ行った聖者がどうなるかなどを語られなかった。死んだ者のことを知るよすがはないとされた。

 そんなお釈迦さまの教えは、宗教でもないし、哲学でもない。

 お釈迦さまの教えられたことは、自己研鑽して独力で解脱する道である。

 だから、後世の弟子たちは、お釈迦さまの教えに背くことになる。

 お釈迦さまの教えでは拝む神仏は居ない。

 それで後世の弟子たちは如来を祀って拝んだ。

 それは、後の弟子たちは、宗教として、仏教の形を整えていったと言える。


 そして、人は五蘊に過ぎないとされたのを、お釈迦さま没後すぐに、ピユアな「自己」という存在を意識するようになったようである。お釈迦さまの従者のアーナンダも、「自己」を語ったようである(「悪魔との対話」第Ⅷ篇ヴァンギーサ第四節アーナンダ、参照)。

 そして、後代になると、「梵我一如説」に習って、自分の深奥に仏が居ると考えるようになる。仏教の「如来蔵思想」である。

 何よりも、瞑想の技術が廃れてしまって、とてもありがたい教えだと伝えられる「智慧の完成」が、何のことか分からなくなってしまった。ハンニャハラミタの原語の響きに、般若波羅蜜多の字を当て、呪文になってしまった。


 お釈迦さまの教えはすっかり変わってしまった。でも、教えの一番大事な瞑想を学んでいることの幸せを善行はしみじみと味わう。






          第七章 放下の時は、未だ


              一 


 善行は、次々に、新たな疑問が湧く。そして、何日も何十日もかけてその答えをまとめていく。

今も、銀河系中心部が傾いたわけを考えている。

 銀河系宇宙の、半径2000光年の中心核円盤の公転データから求めた、太陽質量の57億倍という中心部質量は、きっと半径150光年の高密度領域の質量である。

 その高密度領域の成因は、中心部が高温となったために、分子雲ベルトの先端の水素ガスが気化してしまって、ベルト上の「子渦の核」(星)が、遠くから中心に引き込まれたことにある。

「子渦の核」の星たちが転向力を受けて弧を描いて流れ込む。そうすると、もはや中心の超巨大ブラックホールには引き込まれずに、半径150光年あたりで公転しているのである。

 そうやって高密度領域が形成された。

 密集しているから、互いに衝突して傾くのが出てきて、球状に分布するようになる。そうすると、密度分布に偏りが生じ、回転面が傾く可能性が出てくると、思いついた。

 この段階では、分子雲ベルトが中心引力に引き込まれていた。すなわち、回転面の傾きは、初めは、ベルトの先端に届くだけの狭い範囲のもので、よかった。

ベルト先端が新たに傾いた面に矯正され、だんだんベルトが乗り移り、そこから、「子渦、孫渦の核」が傾いた面上に流入した。

 そうやって、中心部の傾いた面の天体が増え、傾いた範囲(半径)が広がるのである。

 中心部が傾くと言っても、中心の超巨大ブラックホールの姿勢、そして古い天体たちの公転面が傾くわけではない。新たに傾いた公転面上の天体が増えるのだ。 

(銀河の中心部は、傾き得る!)

 そして、善行は、3キロパーセクの腕の平面形状が長軸方向で2万4千光年、短い方向で1万2千光年だから、60度の傾きと計算した。ただし3キロパーセクの腕は円弧ではないので、中心部は60度より小さく傾いている。



           二 


 善行は、銀河分子雲の中心部がなぜ傾いたのか、章をまとめた。

 そして、善行は、気に入った本の著者や出版社、全部で五カ所に「古典力学による星形成論」を送った。

ひと月経っても、反応はない。目に留めた学者なり編集者が、善行のアイディアに飛びついてくるだろうと考えたのは甘かった。

 専門家は、素人の考えなんか見向きもしないのは当然だ。

自分のやっていることは自己満足に過ぎないのか、と自信を失いそうになる。

 でも、自負心はある。

 自分の星形成論は、これまでの定説とはまったく異なる視点のものだから、もし、これが認められたら多くの人が研究基盤を失う。反発され、無視されるのは当然だ。

 気を通り直して最初から「古典力学による星形成論」を読んでみると、まず、「はじめ」の文章が独りよがりで拙くて、愕然とした。これでは放りだそう。

 また、失敗したと思った。つい過信してしまう。

 すらすら読める文章にしなければならない。そうすれば、目次を眺めて、系統立てた星形成論に興味を持ってくれる人も現れるだろう。そう思って、覇気を取り戻す。


 善行は論文を、テーマごとに短く仕立てたらどうか、と思ってやってみた。しかし、「分子雲の進化」という流れの中で、その局面だけを切り取るのは難しかった。きちんと説明しようとすると、長くなってしまう。それで、短い論文は諦めた。厚い解説書のような形になるのは仕方がない。


 老い先短い身である。いつまで頭が働くか不安がある。成し遂げられるか、分からない。このままだったら誰にも注目されずに埋もれる可能性が強い。

 でも、理性はある。

 焦っても、肝心の論文が仕上がらなければしようがない。変な功名心を捨てないと、無様な末路になりそうだ。

 今は、理路整然としたものに仕上げることが先決だ。論旨を明快にし、読みやすくする。

 そうだ、いっそ、題名をすなおに、難しい言葉だが、「分子雲の進化論」としよう、と開き直った。

 これは、まるで、ダーウインの進化論の宇宙版だ。でも、それだけの内容はある。

 いや、ダーウンの種の起源は突然変異についてだが、自分の進化論は、分子雲の形成、すなわち星の進化の原点から論じている。そして、内容は、観測結果は別にして、ほとんど他の論文を引用しないでまとめた。独創の理論だ。

 理解者のいない今は、猪突猛進、ドンキホーテでいい。

 今度、隆行に会ったら、鈍輝呆帝、と名乗ってやろう。


 自分は、まだ思いつくことがある。この論文を推敲するのは、文章を練ることもあるが、考えを練っていくことが重要だ。

 最後の幕引きの時に、やるだけのことはやったと満足できるように、毎日、一歩でも二歩でも前進さすことだ。


 今も、善行は、「分子雲ベルト」が湾曲して、渦巻く理由を整理している。

 ベルトが流れ込むとき、先端は拘束されてないので、転向力を受け、弧を描くだろう。しかし、中心に到達してベルトが緊張すればそれ以上転向力は働かない。

 その後は、単独のちぎれ、ごく短いベルトが、弧を描いて流れ込み、それらが途中にぶつかることがあるだろう。また、後続が続かず途切れたベルトの末尾が弧を描いて、それがぶつかることもあるだろう。

 他にもいろいろな理由が考えられる。爆発で出来た逆回転リングに突っ込んだり、中心部の公転面が傾いたりして「分子雲ベルト」の先端がつかえ、ベルトがたるむと、転向力が働き、ベルトが湾曲の度を増す。そして、回転運動する。

 いったんベルトが角速度を得れば、中心に向かって引き込まれ半径が小さくなるに従って、角運動量保存の法則で角速度を増す。また、ベルトが湾曲すると回転運動をするから、巻き取り作用が生じる。。


 そうしたら、次の疑問が湧いてきた。

 銀河系の星たちは、なぜほぼ同じ速度で公転運動しているのか?

 中心引力をもたらす中心部質量、それは星だけでなく、星の死骸、水素分子を含めたものであるが、その分布に理由がある筈だ。それに、緊張した「分子雲ベルト」の移動速度が各点で一定なこと、そして「分子雲ベルト」の老化の仕方に鍵がありそうだ。


 自分は終生、宇宙のことを勉強するだろう。そして、どうしてそうなるのか? 考え続けるだろう。

 そうやって、この論文は一歩ずつ高みに登る。

 頭の方はだいぶ劣化したようだが、まだ何年か維持できよう。

 いつ、くたばってもいいように、論文は常に整理しておこう。

 しかし、まだ、死に支度を慌てることはない。焦りは禁物だ

 着実にこなしていこう。

 もしも、大きな事故に遭って倒れたら、あるいは不意の病に寝込んだら、途中で終わっても、それは、仕方がない。



             三 


 善行は、朝晩二十分ずつ、そして、疲れたと感じたら随時、瞑想を楽しんでいる。絶対界の純粋意識に同化するように浸っていると、意識が浄化されるようで、不安がなくなる。心穏やかに暮らせる、

 そして、常に前向きの思考になる。そして、これから待ち受ける老衰、死に対する恐れが拭われるのがありがたい。

 そして、いろいろと宇宙のことを思いつくのは、直感力の賜物である。脳の老化は否めないが、考えることが出来て、整理して答えを思いつくのはありがたいことだ。


 瞑想を覚え立てのころは、瞑想をやった後の充実感がとてもあった。しかし、すぐにそのような充実感は感じなくなった。でも、瞑想を怠ると体が落ち着かない。そして疲れやすい。そんなときに瞑想すると、救われた気がする。

 自分の体はストレスが少ないものなっているのだ。それで、疲れに敏感になる。自分の体は瞑想に慣れ親しんでいると思う。


「病老死の苦しみから逃れるための理法は何ですか?」と人々はお釈迦さまに教えを乞うた。

お釈迦さまは、「すべてを捨てて、執着を離れなさい」と言われた。「見たり聞いたりしたことに執着しないよう、よく気をつけなさい」と言われた。

 それは、「悟性に基づく思惟を避ける」ということである。

 それは、必然的に出家に繋がる生き方である。

 そして、深い瞑想の境地が、悟性に基づく思惟を離れることである。

 善行の直感力云々とはレベルの違うことである。

 でも、善行のような瞑想によっても、それなりの効果、功徳が得られるのはありがたいことだ。


 悟りに向かって精進する道がこの瞑想なんだが、自分は精神性が高くないから、ここまでだ。

 飲酒を絶つ気もない。

 せっかくの瞑想の技術がもったいない。

 あるいはもっと老いて、死が間近なものになったら心境が変わるかもしれない。

 きっと自分は、どこかの時点で、放下することになろう。いつまでも連綿と星形成論にしがみつかずに、「これまでだ」と開き直る時がこよう。。

 子、孫は、皆元気で暮らしている。これから試練があろうが彼らは自力で乗り越えていくだろう。自分には心残りがないことが一番の幸せだ。そして、妻も元気で快活に生きている。美しく、芯の強い妻は強く生きることが出来よう。


 そんな善行が用心しているのは不意に倒れることだ。中でも脳溢血、脳梗塞を恐れる。毎朝、納豆を食べている。そして、寝る前にお湯を飲む。夜中に小便で起きるぐらいのことは、たいしたことではない。

 脳卒中で倒れたら、救急車は呼んで欲しくない。そのままベッドに寝かしたままにして欲しい。

(半身不随で生かされたくない!)

 それは、常々家族に語っていることである。

 その本音は、ライフワークが未完のまま、突然、自分の手が届かない状態になることを想像すると耐えられないのだ。

 もし、なんかで倒れて、担がれて入院しても、点滴、酸素吸入は自分で拒否する。

(治っても、もう頭の働きは元に戻るまいから、それまでにしたい……)

 手術は一切受けない。何週間かの入院中に頭がぼけて、そうなると取り戻せまい。

(今のまま、くたばるまで、頭を働かし続けよう!)

 昔の人は水を絶ったり、食事に手を付けなかったりしてお迎えを待った。病んだら、自分もそうするかも知れない。

 どんなことがあっても、自ら命を絶つことはしないが、何とか寝込まずにいたい。


 長野の人たちのように、ピンピン生きてコロリ、ピンコロリと逝きたいものだ。

(家庭で寝込むことは無理だ……)

(いよいよ、頭が衰えて文章をいじれなくなったら俺は終わり。そのときは、遊行の放浪に出るか……)

「往生志願につき、行き倒れても救急車を呼ばぬようお願いします」と、帽子かどっかに縫い付けておこう。

 でもまだ、俺の頭は考えることが出来る。そして、体力は取り戻している。

 俺が放下するのは、まだ先のように思える。

 あと五年も経ったら、頭もひどく衰えていよう。感性も鈍くなろう。それまでやることはやろう。



             四 

 

 日本人男性の平均寿命が八十一歳、健康寿命が七十二歳だと、テレビで知った。自分は健康寿命の平均に達したのだ。感慨深い善行。

 善行は、ソフトバレーに復帰してみようという気持ちが強く湧いた。

 もう一度、パスをやりたい。

 左足さえ気にしなければ、やれる。

(汗をかいて、ボールを追いたい……)

 円陣でよいからパス練習をしたい。

 試合をするのは本意ではないが、その道しかない。

 ソフトバレーに戻ったら、みじめな思いもするだろうと、弱気な善行がいる。

(俺がびっこを引いて出て行ったら、哀れまれよう……)

 これまでの善行は上手な方だったが、これからやるとなると、皆の足を引っ張る側だ。試合は一セットずつ、四人のメンバー組み合わせが自動的に変わっていく。技術の劣る年寄りが入ると不利だから、嫌な顔をする五十代の女性たちがいる。

 悪気はないが、つい、試合中に人の失敗を咎めてしまう人がいる。そうやって注意され、叱られると、本人だけでなく周りの気持ちが萎縮してしまうということに気づかないのは、チーム競技で苦しんだことのない人だ。そして、自分が失敗した時は唇をかんでいる、哀れな女性の性だ。

 ソフトバレーボールに来る者は、誰も皆、体の衰えを意識した連中だ。俊敏さを失ったが、それでも、夢中になってボールを拾いたい連中だ。あるいは、スポーツに無縁だったが、リタイヤしてからソフトバレーをやってみて、その面白みに、そして汗をかく快感にはまった人もいる。

 一生懸命やっていても、つい、失敗する。気を抜いた瞬間もあるが、たいがいは筋力がついていかずに失敗する。

 気のいい人は、失敗すれば「どんまい」と声をかける。「惜しかったね」と慰め、うまくいくと「すごい」とほめ、和気あいあいとなる。そんな気の合った心の寛容な四人がまとまったチームは楽しくて、そしてボールが繋がって、結果的に勝つことが多いし、負けても善戦する。

皆の笑顔が浮かぶ。


 善行に勇気が満ちる。

 だいたい、このソフトバレーボールというスポーツは、老人のスポーツとして開発されたものだろう。下手な者でも楽しめるところに意義がある。

(よし、ソフトバレーボールをやってみよう……)

(左足を庇って突っ立っているだろうが、パスは出来る……)

(思うように身動きできない惨めな立場で、いろいろな感情を味わうのも面白い。汗を流す快感は、それに勝る……)

 フットワークを利かす練習をしよう。小さく飛び跳ねてみよう。

 ジャンプができなくとも、トスを上げられれば、仲間に加われる。

 もう、左手の小指は完治した。

(挑戦しよう!)

 まだ、朽ちてしまうことはない。

 ぎごちない動きだろうが、バレーボールに復活したい。

(次のソフトバレーの練習に顔を出してみよう!)

 よし、試しに自転車に乗ってみよう。

                                   了





引用文献

・「宇宙の起原99の謎」 冨田憲二 SANPOBOOK サンポウジャーナル

・「インド思想史」 J・ゴンダ著 鎧淳訳 岩波文庫

・「超越瞑想・存在の科学と生きる技術」 マハリシ・マヘーシュ・ヨーギ―著

 マハリシ総合教育研究所翻訳 マハリシ出版発行

・「超越瞑想と悟り」(永遠の真理の書「ガヴァッド・ギータ―」の注釈)

マハリシ・マヘーシュ・ヨーギ―著 マハリシ総合教育研究所監訳 読売新聞社発行

・「ブッダのことば」(スッタ二パータ) 中村元訳 岩波文庫

・「ブッダ最後の旅」(大パリニッパーナ経) 中村元訳 岩波文庫

・「仏弟子の告白」(テーラガータ) 中村元訳 岩波文庫

・「ブッダ悪魔との対話」(サンユッタ・ニカ―ヤⅡ) 中村元訳 岩波文庫

・「お経の話」 渡辺照広著 岩波新書 

・「分子雲の進化論」 前岡光明Hp。http://ippei4.my.coocan.jp

・「幸せの空の色」 前岡光明Hp。http://ippei4.my.coocan.jp



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