丸鍔平高帽子
その後姿だけが、今でも脳裏に焼きついたまま放れようとしない。
雪解風にやさしくカタクリが揺れる丘の路。独り歩く少女の姿。
赤いプリーツスカートからすらりと伸びる細い両足に、
今にも土が匂ってきそうな茶色のスウェードブーツを履いて、
ブラウスの雪白色を解かさんと、暖かな橙色をしたチェック柄の上着を羽織り、
着ている上着の色を薄めたようなちっちゃな掌にチョコレート色の小杖を握り、
萌黄色したおかっぱに真っ黒な丸鍔平高帽子、いわゆるシルクハットをチョコンと載せて。
うらうらと晴れた雲ひとつない空の下、薫風に踊るかのごとく歩を進める少女の姿。
遠くで笛吹く小鳥の声以外に聞こえてくるものはない。
なのに、すぐ脇を過ぎていった少女のことに、まったく気づかなかった。
気配のひとつも感じてよさそうなのだが、それすら皆無だった。
それだけ呆けていたか、考え込んでたか。
ふと、こうべをもたげたときには、少女の後姿だけが視界に飛びこんできたのだ。
丘の向こうの眩しさに目を細める。
太陽を真ん中に幾重にも輪を描き、白からうっすらとグラデーションを見せる空の青。
揺らめく水面にたらした絵の具のように、無秩序に斑になった地面の茶色と黄緑、淡い赤紫。
なぜだろう。
見知った少女ではなかった。
なのに気がつけば、夢中で春と踊る少女を瞳で追っていた。
そして、駆けだした。
さほど距離があったとは思えなかったが、
伸ばしたその掌が届きそうになった頃には激しく息を切らしていた。
酸素が足りない。
目の前が霞んでよく見えなかった。
気まぐれに色がドリッピングされた景色の中、
なりふりかまわず何事か話しかけていた。
「・・・・・・under your hat・・・・・・」
質問は何で、返答は何だ?
覚えているのは丸鍔平高帽子だけだ。
曖昧な暖色系の淡色に、くっきりと浮かびあがる真っ黒い帽子。
あまりに場違いで、あまりにアンバランスで。
春の淡色に少女の姿が解けていった。
「・・・・・・ひみつにしてね・・・・・・・」
カタクリが小さく揺れていた。