7.それってどんな不運
救急科で即日入院となった碧であるが、入院した病棟は外科病棟だった。第一病棟四階である。この病院のほとんどはそうなのだが、個室である。
中には何故かいつもいる敬と、初めて見る若い女性がいた。ブラウスの襟に魔法省の徽章がついているので、碧の同僚と思われる。
「パパぁ!」
梨沙がベッドに上半身を起こしている父親を見て叫んだ。床におろしてやると、とてとてと走って行き、碧の側による。ベッドに登りそうな勢いであるが、碧が頭をなでてやるとにま~っと笑って落ち着いた。
「か、かわいい……!」
女性が頬を押さえて顔を緩ませる。
「成原さん、娘さんですか?」
「娘の梨沙だ。そっちが母、ハンサムな方が嫁だ」
「誰がハンサムだ」
「お前だ」
いつも通りの碧と悠李のやり取りに、早苗は「相変わらずね」と微笑む。一方の女性はバッと立ち上がった。
「す、すみません! 私がとろかったばっかりに、成原さんが怪我をしてしまって」
「まったくだ。ああ、これは同僚の二木だ」
「二木と申します。本当にごめんなさい!」
勢いよく二木女史が頭を下げる。悠李は苦笑した。
「いや、うちの夫は丈夫だからね。君が怪我をしなくてよかったよ」
顔をあげた二木は、じっと悠李の顔を見て、それから言った。
「本当にハンサム! 紳士!」
「……」
碧の視線が痛い。悠李は視線を逸らした。これはもう、悠李の性格として出来上がっているのだから仕方がないじゃないか。
「いや~! けんか、いやぁ~!」
いつの間にかベッドによじ登っていた梨沙が声を上げる。一気に空気が柔らかくなった。
「『いやいや』の時期かぁ。可愛いなぁ。成原似だな、梨沙ちゃん」
敬もでれでれと梨沙の頭をなでる。人懐っこい梨沙は親の友人の男に頭をなでられても嬉しそうだ。いつかこの子、誘拐されないだろうか。大丈夫か?
「……とりあえず、不審な魔術師がいるという情報を得てその場所に出向き、そこで銃の乱射事件に巻き込まれて碧は二木さんをかばって今に至る、と言うことでいいの?」
「ああ。おおむねその通りだ」
碧がうなずいたので、悠李はメモに大体の成り行きを書き込んだ。あとで警察に話を聞かれた時に応えられないと困る。
「っていうか、警察は? 普通、民間から通報が行くのが警察でしょう? それで、魔術師が関わっていたら魔法法執行部が出動するわけだ。現場に警察はいなかったのかい?」
「いたが、初弾でやられたからな。狙撃の利点はどこから撃たれたかばれにくいことだ」
「撃たれた方だからね、君は……」
碧が悠李に突っ込むという場面の方が多いが、悠李が碧に突っ込むこともある。というか、初弾にあたったにしても怪我がひどい。おそらく、二木をかばったせいでもあるのだろう。
ともあれ、碧たちは不運であったのだろう。何しろ、おみくじを引くと半分は凶を引くほどであるから、引きはよくないはず。ちなみに、悠李も三割の確立で凶を引くから薄幸夫婦なのかもしれない。
「そう言えば、碧。保険証持ってる?」
「いや。家だな」
医事課の職員に頼まれていたことを思い出して尋ねると、やはり家だと言われた。病院に勤めるようになった悠李は持ち歩いているが、さすがに碧は持っていなかった。
家、というと、現在碧・悠李夫妻が暮らしているマンションだ。官営であり、碧が務める魔法省の近くにある。
「じゃあ、明日私が探して持ってくるよ。今日は、りっちゃん。香坂家に泊まろうか」
碧がいないのにマンションに戻るのは億劫であるし、いくら仲が良いとはいえ、成原家に行くのもちょっと。なので、悠李の実家、香坂家に行こうと思っていた。
「あら。うちに泊まってくれてもいいのよ」
早苗がにこにこと言うが、悠李は苦笑した。
「いえ、私の魔法の件もあるし、実家の方が」
何度も言うが、悠李の精神感応魔法は彼女の精神状況に強く左右される。そして、彼女を押さえつける碧が入院する今、成原家に行くよりもドクター香坂がいる香坂家に行った方が安全だ。碧も同意する。
「ああ、それがいいだろうな。お前の場合、暴走するとシャレにならん」
「FCUを強めろっていう勧告が来ているけどね。これ以上強くすると、頭が痛くなるんだよね」
悠李が動くと、しゃらり、と音がする。手首に大量につけられたブレスレッドはFCUである。悠李のFCUは定期的に更新されていて、常に最新のものを身に着けている状況だが、それでも完全に精神感応魔法を押さえることはできない。だが、これ以上強くすると悠李の体や脳に影響がある。
そもそも、魔法力をFCUで完全に抑えることは不可能だ。特に、精神感応魔法は人の精神に作用されるのだから、抑えることなど不可能なのだ。
まあ、それはともかく。
「そう言えば荷物は? 魔法省?」
「ああ、そう言えば置きっぱなしだな」
現場から病院に直行してきたので当然である。碧はしばらく入院なので、取りに行けないだろう。
「あ、じゃあ、私持ってきます」
二木が責任を感じてかそう言ったが、悠李は「いいよ」と苦笑した。
「どうせ保険証取りにマンションに行かないといけないし。ついでに魔法省にも寄ってくるよ」
「重ね重ね悪いな」
「いやー、夫婦だしね、一応」
悠李と碧のやり取りに、敬が「お前ら、中学高校のころからそんな感じだったじゃん」とツッコミを入れている。
「成原さーん。ちょっといいですか」
病室にノックがあり、声が聞こえた。入ってきたのは外科の室木医師だった。碧の主治医になるらしい。
看護師を連れて入ってきた室木医師は「大所帯だな」と感想を漏らした。
「お邪魔しています」
悠李が振り返って言うと、再び敬から「いや、邪魔してんのは俺だから」とツッコミが入る。
「お前は嫁さんだからいて当然だろ」
「それもそうだね」
悠李は納得してうなずいた。代わりのように敬が立ち上がる。
「じゃあ、俺戻るわ。実は診察抜けてきてるんだよ」
何してるんだ、お前は。まじめそうに見せかけて結構手を抜いている敬である。
「まあ、瀬那先生が帰ったところで。一応、主治医の室木です。こちら、看護師の原田」
ニコリと笑って看護師の原田が頭を下げた。悠李も何度か話したことのある、顔見知りの女性看護師だった。
「成原さん……碧さんの容体としては、まず左肩に弾痕、腹部に弾痕三、肋骨が二本折れて一本ヒビ、折れた骨が肺に刺さっています。一応魔法で治療しましたが、完全に固定されるまでは入院。よって、三日ほど入院していただくことになるかと」
思ったより短い。悠李はほっとして「だってさ」と碧を見た。碧は「むしろお前の方が心配だ」と言いだす。どれだけ信用がないのだろうか。
「仲いいですねぇ。ま、この病院、奥さんもいるし入院するにはいいでしょ」
室木医師はそう言って笑った。いくつか碧に質問と触診をして病室を出て行く。そこで、二木が立ち上がった。
「そろそろ、魔法省に戻ります」
「それがいいだろう。部長には謝っておいてくれ」
「わかりました。成原さん、お大事に」
九十度近くまで頭を下げ、二木も病室を出て行く。だからか、早苗も「私たちもそろそろ行こうかしら」と立ち上がった。
「りっちゃん。帰るわよ」
父親にくっついてうとうとしていた梨沙の肩を揺さぶり、早苗がそう言うと、梨沙は「いやーっ」と叫んだ。
「いやなのぉ! ママとパパとかえるもん!」
ぎゅーっと碧にしがみつく。左手が固定されている碧は、右手を拘束されて身動きが取れない状況。なのに、若干嬉しそうなのは気のせいか?
「りっちゃん。あとで迎えに行くから、おばあちゃんと一緒に待ってな」
「やだーっ!」
梨沙は碧にくっついて離れない。頬を膨らませる様子は可愛いが、とりあえず一言言ってくれようか。
「碧。頬が緩み過ぎて気持ち悪いよ」
「うるさい」
一瞬で無表情に戻った。早苗が苦笑する。
「仕方がないから、悠李ちゃんの仕事終わりまでここに居ようかしら」
「そうします?」
悠李は腕時計を見た。本日の診察終了まで、あと二時間はある。
「あと二時間はあるけど」
「……まあ、二時間くらいなら」
早苗がそう答えたのを見て、悠李は「今から半休取ってきます」と言った。
「いいのか? 今日の診察は?」
「予約の人はいないし、章平君に丸投げしていく」
申し訳ないが、緊急事態だ。そうと決まれば、悠李は梨沙の頭を撫でて言った。
「じゃあ、お母さんちょっと行ってくるから、いい子で待ってるんだよ。そうしたら私と一緒に帰ろうね」
「うん!」
碧も一緒、とは言っていないのだが、梨沙はうまくだまされてくれたようだ。ちょっと罪悪感を覚えるが、どちらにしろ碧は帰れないので一緒だ。
魔法心療科に戻った悠李はまっすぐ科長の元に向かって、言った。
「科長。半休ください」
「いいけど、いつ?」
「今から」
「は?」
鈴村科長がぽかんとしたので、悠李は簡潔に事情を説明する。
「夫が銃の乱射事件に巻き込まれまして。娘が夫の元を離れたがらないので、連れ帰ります」
「って、成原さん、旦那さんどころか子供もいたの!?」
背後から入ったツッコミは津田医師のものだ。津田医師は未婚である。ちなみに。
「あー、それは大変だねぇ。うん。有給届は明日でいいから、今日はもう帰りなさい」
「ありがとうございます」
津田医師の発言は受け流し、鈴村科長が言った。悠李が帰ると聞いて、今度は章平が悲鳴をあげた。
「つーことは、俺に丸投げですか!」
悠李は机の上に広げた書類を片づけて鞄を手に持ちながら言った。
「ごめん。今度、何かおごるよ」
「……」
章平は死んだ顔になった。
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FCU……Force Counter Unitの略。日本語で魔力相殺装置。その名の通り、魔法を制御するための機械である。
詳しくは『繰り返す、その世界』の用語解説参照です。←番宣?