6.美人夫婦ってことですね!
香音が無事に退院し、数日後。まだ通院は続けているが、だいぶ奇行もなくなったと言うことで喜んでいた。魔法教室にも通っているらしい。
「それで、今度、魔法教室の友達に誘われて、道場に行ってみることにしたんです」
「へえ」
診療の合間の雑談で、香音がにこにこと言った。彼女が通っている大学はそれほど有名なところではないが、本人の頭は結構いい。
「はい。香坂魔法道場っていうらしいです。成原先生、知ってます?」
魔法道場は日本にいくつかあるが、有名な道場と言えば、悠李の実家、香坂魔法道場である。香音に尋ねられた悠李は苦笑した。
「そこ、私の実家だよ」
「ええっ!?」
驚かれた。香音はあまり魔法の世界に触れていないから、知らなかったようだ。悠李の母ドクター香坂のことも知らなかったし。
香音を見送った悠李には、まだ仕事が残っている。カルテを書かなければならない。こいつが結構厄介なのである。慣れてしまえばパターンは決まっているのだが、それまでが大変だ。悠李もまだ、テキストを見ながら書いているような残念な状況。
しかも、こんな時に限ってことは起こる。急患が運ばれてきた。近くで数人組の男が銃を乱射したらしい。よくわからない世の中だ。すぐに警察所属の魔術師が鎮圧したらしいが、巻き込まれた通行人が多数運び込まれているらしい。
「すみませーん。救急科から、数人派遣してくれと要請で~す」
間延びした声で東野が事務室の中に話しかけてきた。ちょうど暇だった津田医師が立ち上がった。
「じゃあ、あたしが行ってきます。成原先生、行こう」
「なんで私」
「いや、他出払ってるし」
残っているのは津田医師と鈴村科長、そして悠李の三人。章平は悠李と入れ替わりで診療中だった。
「じゃあ、行ってきますね、科長」
「あー。行ってらっしゃい」
鈴村科長は相変わらずやる気がなさそうに言った。津田医師は悠李を連れて一階に降りる。そこは戦場だった。いや、比喩だが。
次々と救急車からストレッチャーが運ばれてくる。自力で歩いてくる人もいる。救急科の手術室、診察室のある廊下はけが人であふれかえっていた。看護師や医師も総動員で動いている。警察の人間も何人かいた。
悠李は医師でも看護師でもない。一応、戦時中に応急手当てができる、という資格は持っているが、今は戦時中ではない。彼女は臨床心理士の資格はあるが、根は研究員であると思っている。
それでも彼女は手際よく手当をしている方だろう。もともと器用であるし、止血くらいなら彼女もできる。時々、通りかかった医師から指示を受けることもあった。
「いたいた、香坂!」
「はいはい、何でしょう!?」
普通に返事をしたが、旧姓で呼ばれた。旧姓で呼ばれたということは。
「PHS鳴らしても出ねえから」
やはり、敬だった。ちなみに、急に出てきたのでPHSは置いてきてしまった。
「ちょっと来い!」
「え、ちょっと!?」
敬に手をつかまれ、引っ張られる。医師と看護師、そしてけが人の間を足早にすり抜ける。
「成原! 嫁連れてきたぞ!」
壁に寄りかかって床に座っていた男が顔をあげた。悠李は悲鳴を上げる。
「碧!? 何してるんだい!?」
床に膝をついて無駄に整ったその顔を見た。苦しげに息をしており、肩が上下している。服は血に染まっていた。
「撃たれたんだよ」
「見りゃわかる!」
「やめろ。傷に響く」
碧が目を閉じて深く息をついた。
成原碧。悠李の夫かつ幼馴染だ。官僚の夫とは彼のことである。ちなみに、魔法省に所属している。敬が治癒魔法を使う前に止血をしながら言った。
「平然としゃべってるけど、こいつ、肋骨折れて肺に穴空いてるからな。ついでに腹も撃たれて内臓も傷ついてる」
まぎれもなく重症患者である。薄く目を開けた碧が手をあげて悠李の頬に触れた。
「何泣きそうな顔してるんだ」
「……っ」
悠李は頬に当てられた碧の手に自分の手を重ね、きつく目を閉じた。
「大丈夫だって香坂。これくらいで成原が死ぬはずねえから」
敬が治療を続けながら言った。それはわかっている。しかし、悠李も今は『成原』なので、旧姓で呼ぶ敬の呼び声はややこしい。
「……そう言えば、ケイって脳神経外科じゃなかったっけ」
「……お前、意外と余裕だな」
敬が呆れ口調で言った。
△
役に立たない、と判断された悠李は、まず碧の両親に連絡を取った。悠李にとっても幼いころから親交がある義理の親だ。いつも、碧の両親に娘を預けていた。
当たり前だが、電話に出たのは義母だった。碧の現状を伝えると、娘を連れて行く、と言ってくれた。通話を切ると、診療を終えていた章平が尋ねてくる。
「碧さん、大丈夫なんですか?」
「……まあ、死にはしないと思うよ。たぶん」
「……相変わらず悠李さん、身内のことになると弱いですよね」
章平が苦笑気味に言った。魔法は使用者の精神状況に左右されると言う。特に精神感応魔法の使い手である悠李は、その影響を受けやすかった。彼女がいつも微笑んで飄々として見えるのは、彼女がそう見えるようにしているからだ。どちらかと言うと、彼女は精神がもろいと言われることの方が多い。
「にしても、そこまで重症って、珍しいですよね。碧さん、強いのに」
悠李の夫の碧も、国際魔法競技大会(IMT)の長距離魔法狙撃で優勝したことのある遠隔狙撃魔法の使い手である。そう言う意味でなら、確かに強い。
「警察の要請で怪しい行動をする魔導師の様子を見にいったら、巻き込まれたらしいよ。間近で撃たれたって言ってたね……」
「ああ。至近距離からの銃弾をよけられるのって、悠李さんくらいですもんね」
「私にだってできないよ」
本当に、章平は悠李をなんだと思っているのだろう。さらっと失礼だ。まあ、悠李がそれくらいで怒らないとわかっているからこその発言だとは思うが。
「碧さんが怪我したのを見て動揺して、戦力外通告を受けたわけですね」
「……そうだね」
悠李は精神感応魔法を使うため、動揺が魔法に現れやすいのだ。敬に「邪魔!」と言われて魔法心療科に戻ってきたのである。津田医師はまだ手伝っているはずだ。
「成原先生~。医事課から、旦那さんの保険証持ってますかって。っていうか、成原先生、結婚してたんですか?」
「あー、持ってないね。さすがに。あとで旦那の荷物探しておく。あと、結婚指輪してるでしょう」
受付から話しかけてきた東野にツッコミを入れると、彼女は微笑んで「FCUかと思ってました」と言った。確かに、悠李は全身FCUまみれなので、そう勘違いしても不思議ではないのかもしれない。一応、性能はFCU……魔力制御装置の性能は上がってきているのだが、同時に悠李の魔力も強くなっているので、彼女はFCUの数が五つから減ったことがない。ちなみに、魔術師の平均FCU数は今のところ1.8個である。
「旦那さん、どんな人ですか? イケメン?」
「ああ、美形ですよね」
「おおっ! 美人夫婦!」
「……」
章平が東野に乗ってしまったので、収拾がつかない。他に医師はいないのだ。鈴村科長はいるが、役に立っていない。
「東野さん! 早くしなさい!」
「あ、すみません、長谷川さん」
東野が受付の所定の席に戻っていく。悠李はため息をついた。
「ちょっとロビーまで行ってくる。そろそろ義母が来ると思うから」
「わかりました」
章平がひらひらと手を振って送り出してくれる。悠李は再び事務室を出ると、ロビーに向かった。
慣れているが、視線を受ける。髪を束ねていると、悠李は中性的な顔立ちの男性に見えるのだ。患者だけでなく看護師からも視線を感じる。女性だけでなく、男性の視線もある。たまにねたみを感じるけど。
自動ドアを通って、六十歳前後ほどに見える女性と、二歳程度に見える女の子が入ってきた。女の子は悠李を見てぱあっと顔を明るくした。
「ママー!」
「おや、りっちゃんも来てくれたんだ」
とてとてと駆け寄ってきた女の子を悠李は抱き上げた。この子ももうすぐ二歳で、そろそろ反抗期が始まるころだ。というか、すでに父親に対する反抗期は始まっているようだが。
娘の梨沙である。六月生まれなので、もうすぐ二歳になる。かわいらしいし愛想もいいのだが(親ばか)、顔立ちはほぼ碧である。いや、美形の碧に似ていると言うことは、将来美人になると言うことだが。
「碧の着替えもいくらか持ってきたわよ~」
のんびりとそう言ったのは、義母の早苗だ。碧はどちらかと言うと母親似なので、早苗と碧は似ている。つまり、碧と似ている梨沙も早苗と似ているのだ。
「ありがとうございます、お義母さん」
「いいのよ。それで、大丈夫なの?」
「あー、大丈夫なんですかね? 肋骨が折れて肺に穴が空いていると聞いていますけど」
「ああ。碧じゃなくて、悠李ちゃん」
「……」
義母に微笑まれて、悠李は微妙な表情になった。実の母がこうして気遣ってくれる人ではないので、不思議な感じがする。
悠李は、自分が碧に依存している自覚がある。精神感応魔法を持つ魔術師は、程度の差こそあれ何かに依存することが多い。悠李は、それが夫であると言うだけだ。
「……大丈夫です」
「ならいいけど」
早苗はにっこり微笑んだ。そこで、梨沙がぐずり始める。
「ママ~。いや~!」
「ああ、はいはい。もうちょっと我慢しようね」
抱きかかえた梨沙をあやしながら、悠李は「こっちです」と病棟の方に向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
碧→悠李の旦那、梨沙→悠李の娘、早苗→碧の母親。