5.うちの母の魔力はおかしい
いくら悠李が体格に似合わぬ小食であろうと、昼食を半分しかとらなければすぐに腹が減る。とまあ、こちらはともかく。診療室で向かい合った香音の様子は不自然だった。
まず、目の焦点があっていないし、いつもきっちりポニーテールにされている長い髪は降ろされ、ほつれている。眼鏡もない。かろうじて香音だと認識できるが、ポニーテールと眼鏡がないので最初、誰かと思った。
「式部さん。大丈夫?」
「成原先生……私……」
焦点の合わない目が潤んだ。悠李の視線が険しくなる。
「……君、誰だい?」
「先生? 何言って……」
香音が首をかしげる。だが、悠李は強い口調で言った。
「この私をだませると思うな。式部香音ではない君は誰だい?」
その瞬間、香音が悠李に襲い掛かった。首を絞められそうになったが、悠李は素晴らしい反射神経で伸ばされた両手をつかんだ。ほっそりした香音から考えられない力で押され、悠李は押し負けそうだった。もともと、彼女は力が強いわけではない。
「っ! 章平君! ちょっと助けてくれないかな!」
叫んでいる間に足技がかけられ、悠李は香音を巻き込んで転倒する。足を足で押さえ、両手を床に押し付けた。ちょうどそのタイミングで章平と彼の指導医師早瀬がやってきた。
「ちょ、なに襲ってるんですか!」
「私が襲われたんだよ!」
見た感じ悠李が襲っているが、彼女は襲われた側である。もともと体重の軽い悠李は香音に突き飛ばされて椅子に頭を打った。
「~~~~~っ!」
頭を抱えて悶絶する。だが、その間に香音は捕らえられた。ぶつけた後頭部をさすりながら悠李は章平が取り押さえる香音に近づいてまっすぐに目を見た。
「その力は式部香音のものではない。式部香音は私を襲うことは望まない。速やかに式部香音に肉体の所有権を返上せよ」
今度は小手だましではなく、強力な暗示だ。最後にぱん、と柏手を打つと、香音ががっくりと気を失った。
「相変わらずえげつないですね……」
「私ほどじゃないけど、強力な洗脳能力者だね……と言うか、頭が痛い」
「あとでケイさんに見てもらいましょうよ」
章平が苦笑して言った。頭にたんこぶができている気がする。
「というか、式部さんは大丈夫なのか?」
早瀬医師が香音の脈をとりながら言った。生きているか確認しているらしい。
「大丈夫ですよ。洗脳魔法に洗脳魔法を上掛けしただけです。あとでとかないといけないけど」
緊急事態だったのだ。大目に見てほしい。とにかく、香音は緊急入院とした。彼女には悪いが、隔離させてもらう。時間をかけてゆっくりと洗脳を解いて行かないと、脳に負荷かがかかってしまう。
呼びつけると、休憩時間が終わってすぐだった敬は早速やってきた。悠李の頭を治癒魔法で治しながら言う。
「つーかお前、なんで頭打ってるんだよ。IMTの魔法剣術部門の準優勝者だろ」
「それは関係ないって。相手は患者さんで、一般人なんだから技をかけるわけにもいかないでしょ」
「まあ、そりゃそうか」
補足しておくと、敬が言った『IMT』とは、国際魔法競技大会(インターナショナル・マジックコンペティション・トーナメント)の略称である。いわゆる魔法競技の世界大会で、国際魔術師連盟が主催している。
普通の世界大会などと同じで、各国から代表者を選出して競い合うのだ。魔法を使用するいくつかの競技が存在するが、その中で、悠李は魔法剣術と呼ばれるシュヴァルツ・ヴァルトの選手だった。三年前の大会では準優勝している。
まあ、それはともかく。
「ほれ、もういいぞ」
と、後頭部をたたかれたが痛くなかった。悠李は頭に手をやり、たんこぶが引っ込んでいることを確認した。
「うん。ありがとう」
「どういたしまして」
敬に礼を言った悠李は、立ち上がって言った。
「ちょっと式部さんの様子を見てくる」
「了解」
津田医師が手をあげて了承した。悠李と一緒に敬も事務室を出た。
「いやあ、悪いね。呼びつけちゃって」
「別にいいって。そんなに時間取られるわけじゃねーし」
からりと笑って敬は言った。こういうところが、彼が人に好かれる理由なのだろう。悠李は目を細めて微笑んだ。
「そう、その表情。お前、その顔が無駄にハンサムだよな」
「……」
何となくいらっとしたが、悠李は何も言わなかった。失言に気付いた敬は肩をすくめる。
「悪かった。じゃあ、俺、もう行くわ」
「……ああ。ありがとう」
そこで敬とは別れ、悠李は病棟の方に向かった。魔法心療科の病棟は第二病棟にある。その三階に香音の病室はあった。暗証番号を打ち込み、中に入る。すでに、香音は目覚めていた。悠李を認めた瞬間、顔色を悪くした。
「な、成原先生……!」
「うん。調子はどうかな、式部さん」
「えっと、大丈夫です……でも、成原先生に、ご迷惑を……」
震える声で話す香音に、悠李は微笑んだ。椅子をベッドサイドに寄せて座る。それから「すまないね」と謝った。
「君に強い暗示をかけてしまった。申し訳ないけど、しばらく入院してもらわなければならない」
「えっ、じゃあ」
「もう、元の洗脳の効果は薄れていると思うよ。でも、洗脳に暗示を上掛け下だけだから、それを解かなければ日常生活に不都合が生じてしまうからね」
「……わかりました」
物分かりの良い娘だ。物わかりが良すぎて、ちょっと心配であるが。この子、将来他人に流されたりしないだろうか。
「本当に申し訳ない。ご両親にも連絡しておいたから」
「……はい。ありがとうございます」
返答までに少し間があった。立ち上がりかけていた悠李は、再び椅子に腰を下ろす。
「どうかした?」
「えっと……」
香音は言いづらそうにしながら、視線をさまよわせる。悠李は辛抱強く待った。
「あの、成原先生は、私は魔法について勉強した方がいいとおっしゃってましたよね」
「ああ。自分の魔力をコントロールするすべを学んでおいた方がいいと思うよ。魔力が強いけど、訓練を受けていない人間は狙われやすいから」
「そう……ですか」
香音は顔を曇らせたままだ。悠李は首をかしげて「どうかした?」と尋ねた。
「いえ。両親が、あまり魔法に対して理解がなくて」
一応、香音も近所の魔法教室に通おうと考えたらしい。しかし、まだ学生である彼女は扶養家族である。親に話しておこうと思ったとしても不思議ではない。
自分がないものを理解しろと言うのは難しい。自分がないからわからないのだから。
香音が魔法教室に通うのを止めはしなかったが、理解もしていない様子で、そんなもの無くても大丈夫でしょう、と言う態度なのだそうだ。
「わかった。お会いしたら、私の方からも話しておこう」
「ありがとうございます」
ほっとした様子で香音はうなずいた。その顔に笑みを浮かぶのを見てから、悠李は立ち上がった。
「それじゃあ、私が式部さんの主治医だから、よろしくね。まあ、十日も入院すれば日常生活に差し障りがないくらいまで洗脳が解けると思うよ」
悠李の暗示は香音を縛らない。なので、先にもとの洗脳を解けばいい。ある程度弱くなれば、日常生活に問題はないだろう。香音は魔力が強いので、並行して魔法について学べればより効果が大きいだろう。
香音の病室を出て、悠李は魔法心療科の事務室に戻った。悠李が戻ってきたことに気付いた章平が尋ねる。
「あ、悠李さん。式部さんの様子はどうでした?」
「落ち着いていたよ」
「まあ、悠李さんの精神感応魔法が破られるとは思ってませんけど」
何となく、章平の言うことがひどい気がするのは気のせいだろうか。
「成原さんって、そんなに魔力強いの?」
隣の津田医師がささやくように尋ねてきた。少なくとも、精神感応魔法では一番強いと思う。
「まあ、魔力だけならうちの母が一番強いだろうけど」
母であるドクター・香坂は強力な放出魔法の使い手で、すでに五十代半ばであるのに、その力はいまだに衰えていない。
そんなくだらないことを話しているうちに、香音の両親がやってきた。入院に同意してもらい、主治医として少し対話に入る。
「あの、うちの子は確かに魔力がありますけど、魔法を習った方がいいんですか?」
香音の母が尋ねた。パッと見た感じ、香音はやや母親に似ている。父親は背が高く、ややがたいがいい。
悠李は少し首を傾けて言った。
「魔力が強い人間は、ある程度の魔力コントロールを学ぶべきですね。自分の魔力をコントロールできないと、魔法に対して無防備な状態になりますから。つまり、魔法教育を受けていないと、逆に魔法耐性が低くなるんですね」
そう説明したが、香音の母は不安そうだ。悠李が若いせいもあるかもしれない。見た目は知的な美人であるのだが。貫録は確かにないかもしれない。
仕方がないので早瀬医師を連れてきて説得してもらい、悠李はほっと息をついた。
「ありがとうございます。早瀬先生」
「いや。俺はただ相槌打ってただけだし。成原さん、しっかりしてるよな」
「それはどうも」
悠李は微笑んで適当に受け流す。基本的に、悠李はこんな感じである。
「式部さんのことは完全にお任せするぞ」
「わかってますよ。というか、私の指導医師でないのに、すみません」
「ああ、いや。科長が成原さんの指導医師になった時点で、ある程度は想像してたことだから」
と、早瀬医師は疲れた笑みを浮かべた。本当に、この魔法心療科の科長はやる気がなかった。
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