13.イケメンなんて滅べ
真幸が魔法省に帰っていった後、悠李はそのまま診療に入ってきた。悠李の元には、定期的にやってくる患者が多い。まあ、ほぼカウンセリングだから、定期的に来てもらわないと困るのだが。
「悠李さん、お疲れ様です」
ちょうど患者が途切れたころ、コーヒーの入ったマグを手にした章平が診療室に入ってきた。差し出されたマグを受け取る。
「ありがとう」
「いえ。それより、今日、真幸さんが来てたんですよね」
「ああ、来てたね」
悠李はうなずき、コーヒーに口をつけた。章平が壁に寄りかかりながら尋ねる。
「洗脳魔法について、ですか?」
「そうみたいだけど、魔法省の調べが甘かったから、もう少し調べてみるみたいだね」
「……どんなですか、それ」
章平が呆れてツッコミを入れた。彼も悠李も魔法省所属になるのだが、二人とも結構容赦がない。
「悠李さんは、これ、誰かが個人でやったことだと思いますか?」
「そうだねぇ」
悠李は唇に指を当てて考えるようなそぶりを見せた。
「何か、強大な力が働いているような気はするけど、それが組織かどうかはわからない。ただ、私並みに強い精神感応魔法を持つ魔術師がいるんだろうね」
「うわぁ。悠李さん並み……」
「そこで引くんだね」
「普通引きますよ。味方なら心強いですけど、敵に回したらとてつもなく恐ろしいです」
それが、精神感応魔法、洗脳魔法と言うものだ。悠李はマグを置いて腕を組む。
「私の能力が恐ろしい、と言われるのは、距離が関係しないからなんだよね」
そう。悠李の能力は距離が障害にならない。いや、通常の精神感応魔法の場合は制限があるが、『夢』であれば距離は関係なく、それこそ地球の裏側でも届く勢いだ。
距離と言う制約がない代わりに、別の制約が生まれてくるが、とにかく、この『距離が関係ない』という魔法は怖い。どこにも逃げ場がないからだ。
「あー、でも、つまり、それって相手がどこにいても、悠李さんをぶつければほぼ確実に対峙できると言うことですね?」
「章平君。なんで君、そんなに私に矢面に立たせたいの」
悠李のツッコミに、章平は「すみません」と肩をすくめた。悠李は少しぬるくなったコーヒーを飲み干す。
「まあ、そう言うことを考えるのは、私たちの仕事ではないからね」
「確かに」
悠李の言葉に、章平がうなずいた。そう。考えるのは警察や魔法省の役人の仕事だ。
と、悠李のPHSが鳴った。着信番号を見ると、看護師長だ。
「はい。成原です」
『成原先生ですか。すみません。お時間がおありでしたら、第二病棟の屋上に上がっていただきたいんですが……』
「わかりました」
訳が分からないが、返事をしてPHSを切る。章平が「どうしたんですか」と尋ねた。
「看護師長から。第二病棟の屋上に来てほしいって」
「なんですか、そりゃ」
章平が首をかしげたが、悠李にも訳が分からない。どういうことだ。
「ん、まあ、俺が診療室にいますから、行って来ればいいんじゃないですか」
「そうだねぇ。頼んでもいい?」
「ええ。行ってらっしゃい」
章平に見送られ、悠李は一度事務室に入る。章平の指導担当医である早瀬医師がこちらに気付いた。
「悠李さん、何かありましたか?」
「早瀬先生、すみません。章平君にしばらく診療室を預けて、私は第二病棟の屋上に行ってきます」
「はい?」
「何しに行くんですか」
首をかしげたのが早瀬医師。そして、用向きを尋ねたのは同僚の掃部医師だ。気の優しい男性医師だ。ちなみに、新婚さんである。
「いやあ。それがよくわからなくて」
「わからないのに、行くんですか」
「悠李さんって男らしいところありますよね」
早瀬医師と掃部医師がさりげなくひどい。いや、確かにハンサムだと言われることが多い悠李であるけれども。
「とりあえずちょっと行ってきます」
「了解。行ってらっしゃい」
早瀬医師が悠李を見送ってくれた。悠李はそのまま最短ルートを通って第二病棟の屋上に向かった。ちなみに、彼女はエレベーターを使うよりも階段を使う方が早いと判断し、屋上まで階段で登って行くような人物である。
果たして屋上に出ると、数人の看護師と医師が集まっていた。フェンスの向こうに向かって何やら話しかけている。そこに、看護師長の柳谷がやってきた。
「成原先生、よかった」
悠李の母親ほどの年齢の柳谷が駆け寄ってきて、簡単に悠李に事情を説明した。
「消化器内科に入院してる患者さんなんですけど、飛び降りようとしてて、何とかできませんか?」
「……と、言われても」
それだけの情報でどうにかしろと言われても困るのだが。とりあえず現状を把握すべく、悠李は現場に近づいた。
「浜崎さん! ちょっと落ち着いて! 話を聞くから戻ってきてください!」
「いやだぁーっ! 俺はもう終わりだーっ。ここで死んでやるっ」
「お願いだから、やめてください! まだ大丈夫ですってば!」
数人の看護師とフェンスの向こう側にいる若い男性患者とのやり取りである。不毛すぎる……。
「……消化器内科に入院されてるって言ってましたよね。病気は?」
「十二指腸潰瘍です」
「ああ……ストレスか」
何となく納得し、悠李はうなずいた。それなら悠李の分野であるが、むしろ何故、今まで彼と接点がなかったのか不思議である。
「入院生活も一週間。新入社員らしいので、心労でしょうか」
「ほかの同僚に置いて行かれるかもってことでパニックになっちゃったのかな」
看護師長と意見を交わす悠李である。言ってみただけだが、あり得るような気がしてならない。
十二指腸潰瘍も魔法で比較的短期間で治すことができる。なのに、浜崎はまだ回復しないらしい。まあ、病も魔法と同じく、その人の感情や体調でかなり左右されるものであるのだが。
「ああ、成原先生! 何とかなりませんかね」
消化器内科の担当医らしい吉川医師が困り顔でやってきた。四十代後半と見えるこの男性医師は、優しいことで有名だ。彼の説得でもどうにもならないらしかった。
「むしろ、念動力系の魔術師を連れてきた方がいいと思うんですが……」
そう言いながら、悠李はフェンスに近づく。実は、悠李はあまり高いところが好きではない。もちろん、これくらいの高さから落ちてもうまく受け身を取れる自信がある悠李であるが、それとこれとは別問題だ。
そして、近づいたはいいものの、何と声をかければいいのだろうか。悠李は少し考え、浜崎に向かって声をかけた。
「浜崎さん! ちょっとお話ししたいことがあるから、戻ってきてほしいんだけど!」
浜崎が振り返った。ばっちり目が合う。なのに、彼は再び顔をそらし、叫んだ。
「イケメンなんて滅べーっ」
「……」
沈黙した悠李に対し、周囲は吹き出しそうだった。笑いをこらえている。看護師たちも医師も、悠李を男と間違えた人は多いが、今ではもう、彼女が男だと思っている人はいないだろう。
だがやはり、知らない人から見れば悠李は『イケメン』に見えるらしい。まあ、近づいてみれば悠李が女性であることはわかると思うのだが、浜崎との間には結構距離がある。
「ちょっと待とうか、お兄さん! 私、既婚者だから!」
「どうせかわいい嫁さんなんだろ!」
「それ以前に、私生物学上は女なんだけど!」
そこで、浜崎が沈黙してまじまじと悠李を眺めた。
「……男の敵だーっ!」
「……」
再び悠李は沈黙した。これ、どうしてくれようか。周囲の看護師たちは肩を震わせているし、吉川医師に至っては爆笑している。
もういっそのこと、本当の男の敵(碧のこと)を連れてきてやろうか。彼なら強制的にフェンスの内側に浜崎を引き戻してくれるだろう。そして、彼こそ確かに『イケメン』で『男の敵』だ。
という阿呆な考えはおいといて。
「どうすればいいんですか、あれ」
「……どうにか、こっちに……くっ」
駄目だ。吉川医師は笑いすぎで役に立たない。悠李はため息をつき、とりあえず浜崎との会話を継続することにした。話している間は、彼は飛び降りたりしないだろう。
「イケメンでも男の敵でもいいから! ちょっとあなたの話を聞かせてほしいんだよ! なんでそんなところにいるの!?」
はっきり言って、この間に念動力系の魔術師を呼んできてほしい。切実に。
「と、飛び降りようと……!」
「なんで!?」
「だ、誰も俺のことを理解してくれない……っ」
「誰かに自分のこと、話した!?」
「……」
「はい、浜崎さん、こっちに戻っておいで!」
悠李がちょいちょいと手招きすると、浜崎はおとなしくフェンスをよじ登ってこちらに戻ってきた。そこを確保される。
「成原先生、すごーい!」
「さすが! イケメン!」
それは関係あるのか? テンションの上がる若い看護師たちに尋ねたい。
「いやー、笑って悪いね、成原先生」
「そう言うなら、その笑い涙を拭いてから言ってください」
まだ引きつり笑いをしている吉川医師に、悠李はため息をつきながら言った。
「で? どうして浜崎君は素直に戻ってきたんだ? 魔法?」
「白状すると、少し裏技を使いました」
悠李は看護師に病院内に連れて行かれる浜崎を見ながら、吉川医師に向かってそう言った。
言葉には力がある。特に、洗脳系魔法に近い精神感応魔法を使う悠李の言葉は力が強いとされる。これの強化版の力を持っているのが、悠李の兄嫁である茉莉だ。
少しずつ、言葉に力を込めて、悠李は浜崎の意識を自分の望む方に誘導したのだ。そして、相手にまったく違和感を与えずにフェンスのこちら側に引っ張り込んだ。これも一種の洗脳であり、これを根気よく続けていくと、複雑かつ深く人の脳を侵す洗脳となるのだ。
心理操作の一種である。少しずつ思考を誘導していくので、あまり脳の機能に負荷を与えない。だが、その代わりに洗脳するまで長い時間が必要になる。今は簡易版なので、すぐに通常に戻るだろう。
「なるほど。便利な力だな」
吉川医師の言葉に、悠李は「怖い力ですよ」と苦笑した。
屋上にさあっと初夏の風が吹き抜ける。
悠李はここが屋上であることを思いだし、すぐさま建物の中に入った。
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