11.使いようによっては凶悪
智恵李と犯人、被害者めぐりをしていた悠李であるが、ついにPHSが鳴って呼び出された。それから患者と次々と話をし、空いた時間に尋ねればすでに智恵李は帰った後だった。いや、別にいいのだが。
帰り際、そう言えば一度も行っていなかったので碧の元へ向かった。病室では碧が暇そうにテレビを見ていた。
「暇そうだね」
「実際に暇だからな」
そう言って、碧はテレビに向けていた視線を悠李に向けた。その表情が少し緩んだ気がした。
「昼ごろ、恭子たちが来た。あと、兄貴とか」
「へえ。と言うか恭子、新婚旅行から帰ってきたんだ?」
恭子とは、悠李と碧の幼馴染である。それこそ小学校前からの付き合いであり、おっとりして見せてズバッと言ってくる結構いい性格の女だ。先ごろ結婚し、新婚旅行に行っていたはずなのだが、帰ってきていたのか。
「ああ。それ、恭子からの土産」
持って帰れ、と碧は紙袋を示す。紙袋を見るに、どうやら新婚旅行先はフランスだったようだ。
「いいねえ、新婚旅行。私たち、行かなかったもんね」
式は挙げたが、新婚旅行には行っていない。これにはいろいろ理由があるが、一番の理由は。
「まあ、結婚した時点でお前、妊娠四か月だったからな」
結婚式の時点で、すでにおなかが少し大きくなっていたのだ。
「いや、一応言っておくけど、君のせいだからね。まあ、そうでなかったとしても、私と君だったら、海外旅行は厳しかったかもねぇ」
言語的な問題ではない。旅行に行くくらいの語学力なら、二人ともある。
問題は、魔術師は海外渡航に許可がいるのだ。力の強い魔術師なら特に。
海外旅行には厳しい制限がかかる。一般レベルの魔術師なら、一か月もあれば許可が下りるのだが、使用制限魔法と言われる強力な魔法を持つ悠李と碧では、許可をもらうのに三か月はかかる。
これは、魔力が電子機器に影響を与えるかもしれない、という前時代的な考えと(現在の研究で、魔力が電子機器に影響を与えることはないとわかっている)、魔術師が一人で強力な戦力になりうるからという理由がある。
だから、悠李と碧の海外渡航は厳しいのだ。何しろ、悠李は十年ほど前、一度許可が下りたのに、空港の出国審査の段階で搭乗許可が下りなかったことがあるくらいだ。
以降、魔術師の公共交通機関利用規定については見直しがなされているが、海外渡航の手続きが面倒くさいのは変わらない。それこそ、国際魔法競技大会(IMT)などの国際的な魔術師行事がなければ渡航できない可能性だってある。ちなみに、悠李が出国をはねられたとき、彼女は大会に向かう予定だった。
「行ってみたいんだけどね、海外旅行」
そんなわけで、悠李は個人的な旅行として海外に行ったことがないのだ。だって出国許可が下りないから。
「……そうだな。梨沙がもう少し大きくなってから……」
「あ、行ってくれるんだ」
少しうれしくなって悠李は微笑んだ。なんだかんだで、碧はちゃんと、悠李の希望を聞いてくれる。
「それで、怪我の具合はどうだい?」
「骨はほとんどくっついてるな。傷口もふさがってきているし……ああ、銃弾も取り除いた」
「じゃあ、もう一泊か二泊ってところ? 何か必要なものはある?」
「今のところはない。と言うか、持ってきてもらっても、持ち帰るのが面倒だからな」
「確かに」
すぐに退院してしまうであろうことを考えると、無駄にものを運び込まない方がいいだろう。
「まあ、無理はしないようにね。とりあえず、茉莉さんにりっちゃんを預けてるから帰るけど、何かあったら連絡して」
「悪いな」
そろそろ勤務時間が終わる。医師ではなくカウンセラーである悠李は勤務時間がきっちりしているのだ。義姉に娘を預けているので、できるだけ早く帰りたいところである。
「それから、悠李」
「ん?」
碧が手招きするので悠李が少し身をかがめると、碧はやや強引に悠李の手首を引き、自由になる右腕を悠李の背中に回した。
「心配をかけた。すまなかったな」
その言葉を聞いて、不意に、悠李は自分がかなり動揺していたと言うことに気が付いた。
悠李の感情はそのまま魔法にも表れる。精神感応魔術師とはそう言うものだ。
今更ながら、全身は震える。もしも彼を失っていたら。悠李は半狂乱になっただろう。実際に一度、そうなりかけたことがあるのだ。
悠李は震える手で碧にしがみついた。何度か深呼吸をすれば、気持ちが落ち着いてくる気がした。
「おーい。ちょっと邪魔するぞー」
声はかかったが返答は待たずに病室の扉が開いた。悠李は碧から少し身を離し、扉の方を振り返った。声で分かっていたが、そこに立っていたのは敬だった。どうやら碧の見舞いに来たらしい。
「……あのな。お前ら、病室で何してんだよ」
敬のツッコミも尤もである。
△
翌日。やはり義姉の茉莉に娘を預け、出勤した悠李である。いつも通り診察をしていた悠李だが、何故か敬から「電カル壊れた!」と謎の電話がかかってきたので、今は魔法脳神経外科にいる。と言うか、機械が壊れたからと、何故悠李の所に電話がかかってくるのだろうか。
「いや、悪いな」
「悪びれない口調で言われてもねぇ」
次々とコンピューターにデータを打ち込み、さらにシステムを再構築しながら悠李は言った。すでにあきらめの境地である。魔法心療科でも、機械に何かあると悠李が呼ばれるのだ。まあ、これは仕方がないと思うが、何故他科にまで行かなければならないのだろう。
思うが、言わない。それが悠李である。
システムの構築が終わるころ、突然、悠李たちの脳をテレパシーが貫いた。
『緊急連絡! 病院本館ロビーに銃を持った人物が侵入! 繰り返します!』
悠李と敬は目を見合わせた。二人とも今している仕事を放りだして魔法神経外科の部屋を出た。
「二日前にも乱射事件があったばかりなのに」
「犯人が全員つかまってなかったのか?」
「もしくは、便乗犯とか」
普通に考えて駄目なのだが、悠李と敬は廊下を全速力で走っていた。階段を飛びおり、ロビーに向かう。しかし、ロビーに入る前に足を止めた。
患者たちが床に伏せており、カウンターから出てきた事務員も中腰の微妙な姿勢で固まっている。
余談であるが、魔法病院だからと言って、職員がすべて魔術師であるわけではない。医師は全員魔術師であるが、作業療法士や理学療法士など、魔法を使えないものもいる。看護師も魔術師とそうでないものが半々くらいだろうか。
事務員も、魔法病院と言う性質上、半分くらいが魔術師であるはずだ。しかし、実際の戦闘訓練を受けているわけではない。むしろ、予備自衛官にも数えられる悠李がここにいることの方がおかしい。
おそらく、事務員は精神感応能力者が多い。緊急事態があった場合、先ほどのように機械アラームではなく、テレパシーで一斉に職員に伝える、という方法が取られるためだ。
精神感応能力は、悠李くらい力が強くなければあまり効力を発揮しない。それに、力が強くても、その魔法を使用できるとは限らない。主に法律のせいで。
「おい、香坂。お前なら何とかできるんじゃねーの?」
こそっと敬がささやく。ざっと数えたところ、六人、銃を持った人間がいる。五人が男で一人が女だ。全員、二十代から三十代に見えた。
「できると思うけど、その場合、私が魔法危険使用法に引っかかるんだよね……」
「強すぎるのも考え物だな……」
なので、法律に引っかからない範囲で何とかしたいところ。あいにく、悠李は物理的な攻撃を防ぐすべがない。避けることはできるだろうが、それで他の人に当たれば意味がない。
その時、悠李の脳内を再びテレパシーが貫いた。
『成原悠李女史に緊急通達。緊急事態により、魔法使用を特別許可。第二級使用制限魔法の使用を許可します』
「了解」
口に出して了解を返し、悠李は前を見た。魔法使用について管理しているのは、悠李の夫・碧が務める魔法省だ。魔法省からの連絡もテレパシーで来る。おそらく、病院側からの通報もテレパシーで行ったのだろう。
基本的に使用を制限される強力な魔法も、制限はあるものの、一時的に使える用許可が出た。でも。
「あっちから手を出してくれないと、正当防衛が成立しないんだよね」
「お前、本当に成原に似てきてるぞ」
大丈夫か? と敬が妙に心配してきた。そりゃあ、あれだけ近くにいれば、思考も似てくるだろう。それに、相手から手を出したか、こちらから手を出したかの違いは、悠李たち魔術師にとっては死活問題なのだ。
男のうち一人が、銃を乱射した。その男が持っているのはアサルトライフルである。連射された銃弾に、人々は悲鳴を上げる。
と、犯人の一人と目があった。気がした。
「……なあ、香坂、ああっ!?」
どうやら本当に目があっていたようだ。敬も気づいていたらしく、悠李に話しかけたがあわてて防御姿勢をとった。魔法障壁だ。残念ながら、悠李にはそう言った念動力に起因する魔法が使えない。精神感応魔法に特化し過ぎて、攻撃魔法の適性がほぼ皆無なのである。
だが、それ故に彼女の魔法は凶悪だ。
「過剰防衛の判決くらいは、食らってやろうじゃないか」
キーン、と、耳には聞こえない高い音が脳に直接響いたような気がしただろう。続いて、テレビの砂嵐のようなザー、というノイズ。
一応、銃を持っている犯人たちに向けた精神感応魔法であるが、驚いて銃を発砲したりしないように負荷を強めにかけているので多少は周囲の人間にも影響があるだろう。現に、頭を押さえて顔をしかめている人がいる。
「う、がぁぁあああっ」
一人の男が引き金を引こうとした。悠李は支配力を強める。
「させない」
その男の脳に直接介入し、四肢に命令を伝達する信号を無理やり切った。男の手がだらんとさがる。
だっと警察が突入してきたのを見て、敬がほっとしたように息を吐いた。悠李は支配を継続したままだ。
「ドクター! 協力、感謝します!」
一人の警官が悠李の目の前まで来て敬礼した。悠李は犯人全員が拘束されたのを見て支配を切る。
「いや。こちらも少々やりすぎたかもしれない」
「いえ。おかげで被害者も出ませんでした。ありがとうございました!」
元気に礼を言われ、悠李は複雑な気持ちになった。助けたい、と言う思いがなかったわけではないが、私怨もある。
警官が離れて行ったのを確認し、腕を組んだ敬がささやいた。
「お前、絶対今の、成原がやられた意趣返しだろ」
「……まあ、否定はしないけど」
銃の乱射事件で怪我を負った夫である。同じ、銃に関連した事件の犯人に、悠李が八つ当たりしてもあまり不自然ではないだろう。
「香坂はさ。怒ってるのかわからないから怖ぇえんだよな」
敬が苦笑気味に言った。悠李は肩をすくめた。
「まあ、私の場合は感情がそのまま魔法になってしまうからね。怒りと悲しみは最悪だよ」
「自分で言うんだな」
敬は苦笑して、それから不意にまじめな表情になった。
「まじめな話、お前の力は確かに医療向きだけど、お前が派遣されてきた理由はそれだけじゃねぇだろ」
悠李は敬を見つめ返した。悠李は自分がこの病院に派遣されてきた正確な理由を聞いたことがない。もしかしたら夫の碧が何か知っているかもしれないが、業務上機密であれば教えてくれないだろう。彼は公私がはっきりしているから。
だが、洗脳魔法に関連していることはわかる。今回のことも、おそらく、洗脳魔法が原因だ。
解き明かせと言うのだろうか、原因を。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
何だかんだで仲のよい成原夫妻です。