10.母の交友関係が不思議
旦那が入院してしまったので、悠李にはいろいろな事務的手続きが待っていた。あまりにもいろいろと呼び止められたので、魔法心療科にたどり着くのに時間がかかった。
「遅かったですね、悠李さん」
「いろんなところで捕まったんだよ……」
章平が半笑いでそんなことを言ってきたので、ぐったりしていた悠李はぐったりしたまま言った。
「おかげで、同意書に香坂で署名しちゃったよ」
印鑑が成原だったのでツッコまれたけど。
「いや、悠李さん、結婚してもう三年目ですよね。何してるんですか」
章平に突っ込まれた。自分でも思ったので、悠李は苦笑して席に着いた。
「成原さん、旦那さんもだけど娘さんも大丈夫だった?」
津田医師が尋ねてきた。昨日は娘がぐずるから、と早退したのだった。
「ああ、大丈夫。兄嫁に預けてきました」
「……お兄さんもいるのね」
兄どころか、弟もいる。悠李は津田医師に向かって肩をすくめるだけにとどめた。
診療時間になり、悠李は早速診療室で患者と向き合っていた。最近思うのだが、人生相談のようなことをしてくる人が多い気がする。悠李がうんうん話を聞いてあげれば、満足そうに帰っていくけど。
「最近、不思議な夢を見ることが多くて……」
「そうしたら、夢を誘導する魔法をかけておきましょうか。ああ、洗脳とは違いますから大丈夫ですよ」
悠李はニコリと笑って言った。夢と言う能力は、洗脳に向いている。しかし、そうではない使い方もあるのだ。
「成原先生、医事課からお電話です」
患者が途切れたところで、事務の東野に呼ばれた。悠李はPHSを耳に当てる。
「はい、成原です」
『医事課の崎村です。あの、先生のお母様だとおっしゃる方が受付においでなのですが……』
「ああ。名前は?」
『香坂様とおっしゃるらしいのですが』
「わかった。そのまま待ってもらって」
『かしこまりました』
悠李は通話を切ると、そこにいた津田医師に言った。
「津田さん。ちょっと母が来たらしいので、受付まで行ってきます」
「はーい。と言うか、成原先生のお母さんて」
「ドクター香坂ですね」
「……やっぱり」
悠李の旧姓は香坂である、と何となく知られているので、津田医師もそんな予想はしていたようだ。何しろ、よく遊びに来る敬が香坂香坂呼びまくっている。
受付ロビーに行くと、自分とよく似た女性がこの病院の院長と話し込んでいるのが見えた。
「母さん」
小走りに駆け寄ると、智恵李が振り返って「悠李」とこちらの名を呼んだ。
「あ、院長。お疲れ様です」
「お疲れ様。改めて見ると……うん。似てるなぁ」
しみじみと言った院長は、門倉という名だ。ちなみに。
「朝ぶり。出がけに梨沙に大泣きされたわ」
「……はは」
ちょっとわがままに育てすぎただろうか。どれくらいから教育を始めればいいのだろう。悠李と碧の子供だけあって魔力の強い梨沙には、魔法に関してはすでに厳しく言いつけている。彼女は下手なところには預けられない。万が一梨沙の魔法が暴走した場合、それを押さえられる人間がいなければならない。それが悠李であり碧であり、そして茉莉もそうなのだ。
「それはともかく。悠李も一緒に行くわよ」
「は? 私も?」
ちょっと挨拶に出てくるだけのつもりだった悠李は思わずぽかんとした。
「当然でしょう。相手は洗脳を受けているのよ。日本中探しても、あなたよりおあつらえ向きの人はいないわ」
「そうだね……たぶん、そうだけど。でも、仕事残ってるんだけど」
「あなたの処理能力ならすぐ終わるでしょ」
「……」
強引である。まあ、初めから悠李に拒否権はないのかもしれないが。
悠李はPHSを魔法心療科につないだ。電話に出た事務員の東野になかなか戻れないであろうことを伝え、何かあったらPHSに連絡を、と言い残した。
「じゃ、行こう」
「ああ。潔いところはさすがね」
「それ、ほめてないよね」
親子の気安いやり取りをしながら、智恵李について悠李は歩き出す。その智恵李を先導するのは門倉院長だ。
例の洗脳された犯人は隔離病棟に隔離されているらしい。まあ、当然と言えば当然だ。他の入院患者が襲われても困る。厳重な機械式ロックと、魔法による障壁を通り抜け、三人は犯人の一人に面談していた。
智恵李があれこれと拘束されている犯人を検査していく。身体の自由は? と言うところだが、これは危険時における対応マニュアルに記載されている一つで、『他人、もしくは自分に害を与えると考えられる場合に限り、身体拘束を許可する』という例に該当するのだ。
「どうですか、ドクター」
門倉院長が智恵李に話しかけた。智恵李は眼鏡を押し上げ、うなずく。
「脳波パターンに不自然なところがある。今はともかく、洗脳を受けていた、と考えるのが自然だろうね」
となると、悠李に限らず魔法心療科の出番であろう。早速、悠李は智恵李に言われた。
「洗脳方法を特定できる?」
「はいはい」
悠李は適当にうなずき、眼を閉じると意識を集中した。
「ん?」
智恵李がモニターを見ながら声をあげた。魔法を発動させようとしていた悠李ははっと目を開き、その場から飛びのく。目の前を果物ナイフが通り抜けた。
「拘束衣は!?」
門倉院長が叫ぶが、悠李に言わせれば四肢をただしばりつけるだけの拘束など、どうにでもなる。ナイフを持っているのだからきればいいのだし。悠李はナイフを持つ手をつかむと、後ろにひねりあげて寝台に乗り上げ、動きを拘束する。
「構わないわ、悠李。そのまま落としなさい」
智恵李が言った。落とせ、と言うのだから、そのまま気絶させろと言うことなのだろう。悠李は精神干渉の力を増幅させる。
「! 駄目! ストップ!」
今度は制止がかかった。どっちだ! と叫びつつ、悠李は干渉力を弱める。智恵李がすぐに鎮静剤を打ち、男はおとなしくなった。
「どうしたの?」
「何かありましたか」
悠李と門倉院長が尋ねた。智恵李はモニターを睨みつけながら言った。
「精神干渉を使うと、プロテクトが働くようになってる……」
悠李は犯人の一人である男を何とか寝台に戻し、智恵李の持つ計器を覗き込んだ。……理解できなかったけど。
「つまり、私が強制的に洗脳を解こうとすると、そのプロテクトが働くってこと?」
「まあ、そう言うことね」
智恵李がうなずいたので、悠李の理解でほぼ間違いはないのだろう。プロテクトが自殺のものか、それとも精神崩壊系のものかはわからないが、強制解除は不可能らしい。そうでなくても、悠李の魔法はやや力技だ。順に解除していくのなら、かなりの段階を踏まなければならない。例えば、式部香音の時がそうだった。
「私が外科なので詳しくはないですが、洗脳の方法が少し雑なのではありませんか?」
男をうまく寝かせてやりながら、門倉院長が言った。智恵李がちらっと悠李に視線をくれた。説明しろと言うことか。
「確かに、雑だと思います。洗脳がうまくかかっていれば、はた目にはおかしな行動はしないし、自分の意志で動いていると、自分も誤認するものです。今回のものは、短時間で精神破壊的な方法で洗脳をかけられたのかもしれません」
洗脳にも種類がある。一時的なものと、長期的なもの。自分が変だと認識できるもの、できないもの。精神が破壊されるほどのもの、精神が改変されるもの。
悠李は洗脳魔法を本当の意味で使ったことがないのでわからないが、彼女の魔法はどのタイプの洗脳も行えると思われる。現在日本国が把握している生維新感応魔術師の中で、悠李は屈指の力を持つのだから。
ちなみに、通常の洗脳魔術師として多いのは一時的な洗脳を行うものと、強力すぎて精神崩壊を起こすタイプの魔術師だ。今回の黒幕は、おそらく後者のタイプ。
「プロテクトを解除するしかないと思うんだけど、できるの?」
悠李がしゃがみ込んで計器をいじる智恵李に尋ねた。彼女は「わからん」と即答した。
「このプロテクトが何に起因するものかもわからないもの。やっぱり、洗脳なのかしら」
「どうだろう。別々の洗脳を一人の人間に短時間で植え付けるのは難しいと思うんだけど」
「ああ。よほど複雑な魔法式を組み立てないと出来なさそうではあるわね……ということは、また別の魔法なのかしら」
「一定の魔力に反応する時限爆弾式火炎魔法とか?」
「なるほど」
そんな殺伐とした会話を繰り広げる母娘の隣で、門倉院長は青い顔をしていた。
「そんな恐ろしいことを、さらりと言わないでください……」
言うだけなら別に怖くないと思うのだが。実際にやったら怖いけど。この辺の思考回路は、智恵李と悠李でよく似ていた。
「そう言えば、鈴村科長は犯罪心理学が専門だったと思うんですけど、彼には頼まないんですか」
院長に尋ねると、彼はははっと軽く笑った。
「鈴村科長はやる気がないからね……」
「……まあ、そうかもしれないですね」
残念ながら否定はできない。いや、腕のいい精神科医ではあるのだが。あのけだるげな態度はどうにかならないものか。
「それに、洗脳だと犯罪心理学が当てはまらないことも多いらしいんだよね」
「それもそうですね」
門倉院長が言うことも尤もだ。洗脳されているのなら、犯罪心理学が当てはまらないかもしれない。
「そう言えばドクター。娘さん、患者さんに人気みたいですよ」
「ほお。やっぱりその性格イケメンのせいかしらね」
「母さんまで何言ってるの。と言うか、院長も何言ってんですか」
確かに悠李は最近ご指名が多いが、やはり彼女は臨床心理士であり、医師ではない。だから、精神科医たちに丸投げることも多い。
「と言うか、母さんと門倉院長ってどういう関係なの」
気安すぎるだろう。どういう関係なのだろう。
「ああ。元同級生」
マジか。智恵李の言葉に、悠李は心の中でつっこんだ。
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