転校生はめんどくさい
「ReReReReRe‼」
そんなけたたましい音で、目が覚めた。
「ん……」
頼人は無意識のうちに持ち上げていた目覚まし時計を天井にかざし、眠気眼で見上げる。
そしてすぐ、ほっとした表情で見つめて、布団の中から起き上がった。
持っていた時計をそっと定位置である枕元へと置いて、神棚を拝むように二拝二拍手一拝の礼を取る。
たかが千円ちょっとの目覚まし時計に対して大仰なことだが、頼人がそうするのには理由がある。この目覚まし時計は、これまで幾度となく頼人を地獄から救ってくれた救いの神なのだ。受けた恩は計り知れないし、おそらくはこれからもずっと助けてくれることだろう。
大事に扱わなければならないものであるし、たとえ壊れたとしても、頼人は一生枕元に置いておく所存だった。
地獄から舞い戻った朝の大事な行事が終わると、頼人は布団の上にいたまま、テーブルの上に置いてあるリモコンを移動させる。やがてそれを掴み、テレビを点けると、市内でまた殺人事件が起こったというニュースが報じられていた。
被害者はなんでも、刃物で滅多斬りにされたらしい。七不思議、いや八不思議の一つ、「暴力中毒者」にでもあったのかと思っていると、コーナーキャスターも同じことを考えたか、四方市内にある都市伝説と似通った部分があるということを冗談めかして語り出し、即座に知識人らしい辛口コメンテーターに否定されていた。
「……単純で悪かったなハーゲ」
そんな風に、コーナーキャスターと頼人共々腐したコメンテーターに悪態をつく。どうせ聞こえないからと思っていると、コメンテーターが三度くしゃみをした。
くしゃみの噂は何通りかあるが、けなされた時には三回出てしまうともある。画面から「風邪ですか?」の声が聞こえるがそこは「いや俺のせい」と言っておいた。
ふとそこで、しょうもないことをしているのに気付いて、頼人はリモコンをテーブルの上に置く。こんなことをしている暇はなかった。
『――なお、県警は警戒を強めており』
「学校、行かなきゃな……」
頼人はそう言って、ニュースを聞くでもなしにかけたまま、学校へ向かう準備をし始めたのだった。
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学校での授業中、ふと件の転校生、隣にいる坂村亜早紀に声をかけられた。
「ねぇ。ちょっといい?」
意外に思いつつも、そう言えば反対側には誰もいないのだなと思い出し、頼人は彼女に用件を訊く。
「なんだ?」
「その資料集、見せてもらえないかしら? 私、まだ持ってなくて」
亜早紀の視線の先は、自身の手元に向かっていた。辿って行くと、開かれたカラー写真付きの資料集がある。転校してきたばかりで、発注した物がまだ手元に届いていないのだろう。
頼人はページがずれないように維持しつつ、資料集を亜早紀に手渡す。
「どうぞ」
「ありがとう」
彼女からは、笑顔のお礼が返された。大人びた美しさの中にある稚さが際立ち、可愛らしい笑顔だ。大抵の男はこれでころりとやられてしまうのだろう。
だが頼人は特に何か意識するでもなく、再び教師の板書に集中する。
しばらくすると、亜早紀が居心地悪そうにしているのに気付いた。
「どうした?」
「あの、水下くんも見るでしょ? その……机近付ければ二人で見られるから」
「俺はいい。君一人で見るといいよ」
「…………」
机をくっ付けて一緒に見ようという申し出を、頼人は素気無く断る。すると亜早紀は一瞬呆気に取られたような表情をして、それから口をむっと結んで、
「そっけない」
「こういう性分なんだ」
「別に一緒に見たって構わないでしょ? 私のこと嫌い?」
「そうじゃない。俺のことはほっといて欲しいんだ」
「なにそれ?」
亜早紀の疑問に、しかし頼人は答えなかった。
……やがて授業が終わると、再び亜早紀が声をかけてくる。
「ねぇ水下くん。さっきのことなんだけど」
「さっき?」
「資料集のこと」
「それか、別に気にしなくてもいいよ」
再度謝意を口にするのか。そう思って頼人が不要だと返すと、亜早紀はそういうつもりではなかったらしく、どこかムッとした表情を向けてくる。
「そうじゃなくて。一緒に見なかったこと」
「いや、だから俺は別にいいってさっき……」
「それじゃ私が納得いかないの」
「見れたんだから特に問題ないと思うが?」
「あるわよ。水下くんから借りてる間、私が気負うはめになったもの」
(えぇ……)
この少女は、他人の不利益を気にするタイプらしい。先ほど申し出を断ったことで、思った以上にぷりぷりとして不機嫌になっていた。
気を揉ませたことに苛立ったのか、それともこちらの態度にお冠なのか。いずれにせよ正義感が強い……というよりは意外とお節介な人間なのかもしれない。
だが、
「そんな、怒らなきゃならないことか?」
すると、亜早紀は周囲に配慮してか、小さめに声を荒らげる。
「怒ることよ!」
「どうして?」
「私は水下くんの資料集を独り占めするつもりなんてなかったの! それなのにこれじゃ不公平でしょ!?」
「別にそう思ったのは君の勝手だろ? 俺は不利益を被った覚えはない」
そう頼人が突っぱねると、亜早紀は驚きを表情に織り交ぜ、
「ちょ、勝手って、そんな言い方ってないでしょ!?」
怒鳴ったときだった。
「おい」
不意に、銀鈴をならしたような声が割って入ってくる。
頼人と亜早紀が振り向くと、そこにはクラスメイトである男子生徒、次原奈津の姿があった。
背は頼人よりも少し低いくらい。顔立ちは男子らしくなく中性的で、髭などとは無縁の美形。全体的に髪が長く、黒髪を高い位置でポーニーテールのように縛っており、一見少女のようにも見える。
その一方で前髪が中央で左右に別れ、八の字になっている。前にその髪型を誰かが時代劇に出てくる小姓のようだと言っていた覚えがあるが、本来の小姓は月代を剃っているため、彼の髪型とはだいぶ違うのだが、麗しい容貌も合わせ違和感がまるでなかった。
割って入ってくるということは、言い争いを聞きつけたのだろう。そんな彼が、銀鈴のような声を、鋭いものに変えて、頼人に非難めいた言葉を言い放つ。
「水下。お前と坂村さんの話が聞こえたが、お前、クラスに入ったばかりの転校生に対して随分な言い方だな」
「別に悪し様に言ったつもりはないけど」
「もう少し言い方があるんじゃないかということだ。まだクラスに慣れていなんだから、対応の仕方があるだろう? さっきのやり取りは聞いていて気分のいいものじゃない」
「それは申し訳ない」
「謝るのは僕じゃないだろう」
どこまでも真面目を思わせる発言をする奈津に、頼人は辟易としたため息を一度吐いて、
「はっきり言わせてもらうが、いまのも全部お前の気分の問題だろ?」
「なんだと!?」
頼人に詭弁を用いられ、奈津は激昂する。クラスではクールで通っている彼の、らしくない昂りに、一部周囲の生徒が何事かと視線を向けてくる。
話しの行方が不穏になり、大事になるのを危惧したか、亜早紀が奈津に声をかけた。
「あの、次原くん、だったわね。私は別にそこまで気にしてないから、そんなに怒らなくても……」
「……わかった。君がそう言うのなら」
亜早紀が一歩引いたことにより、怒る理由が失われたか。奈津はそう言って引き下がった。
だが去り際、一度立ち止まり、鋭い視線を向けてくる。
「水下、覚えておけ。そういう態度がいつまでも続けられると思うな」
「…………」
忠告か。奈津の残したチクリとする言葉に、頼人は答えぬまま。
一方、亜早紀は去って行く彼の背中を見ながら困惑したように言う。
「びっくりした」
第三者が怒ったことで、冷静さを取り戻し、毒気を抜かれたか。さっきの怒りは今のでどこぞへ吹っ飛んでしまったというように、彼女の語気は弱まっており、いまは目をまん丸にさせて奈津の背中を見送っている。
やがて驚きも収まった亜早紀が、頼人に話しかける。
「次原くん、まるであなたのこと目の敵にしてるみたい」
「そうだな。それは同意する」
「でも、いくらなんでもあんな風に言うなんて」
味方をしてくれたはずの奈津に不満を呈するとは、これ如何にである。亜早紀としては厳しすぎると思ったのかもしれない。
だが、
「でも、悪い奴じゃあないんだよ」
「そうなの?」
「まあ、俺みたいなのにああやって忠告してくれるしな。ちょっと態度がキツイだけだよ。まあでも、俺のことは嫌いなんだろうとは思うけど」
頼人がそう言うと、亜早紀は眉をひそめた。
「変なの」
「あと、君よりも正義感が強くて頭が固い」
「それ、褒めていないわよね。一言多いわ」
亜早紀はそう言うと、その蒼鷹のような金の瞳を鋭くして、
「で、さっきのことなんだけど」
「おいおい蒸し返すのか?」
「まだ話の決着はついてないでしょ?」
「気を揉んだのは、資料集の使用料だと思ってくれよ」
「あのね」
「怒りの焦点がずれてることに気付いてるのか? 別に誰も損してないんだから、悪いことじゃないだろ?」
「それで解決したら私が納得できないの」
彼女はこの件に関しては、退くつもりはないようだった。
「わかった。ありがとう」
笑顔を作って、頼人はお礼を言う。すると亜早紀は、顔をほんのりと赤くさせて、戸惑い始めた。
「へっ? えっ? なんであなたがお礼なんて言うのよ?」
「君は俺のことに気を揉んでくれた。だからお礼を言うことにした、それについては、筋は通っているだろ?」
「え、あ、うん……それは確かにそうかもだけど」
「俺は謝るようなことはしていないし。だから、いまのお礼でこの件についてはチャラにしてくれよ」
「う……」
彼女はやっと、謝らせる筋がないことに気付いたか。言葉を返せずに、そのまま口ごもってしまう。お礼がどうだという話も、結局は謝罪のすり替えであるため姑息な手段であることは否めないが、非を認めず穏便に終わらせるにはこれしかないだろう。断固として謝りたくない頼人の策である。
だが、彼女も、だまくらかされていることには気付いているようで、
「で、でも覚えておきなさいよ。この借りは必ず返すわ」
「結局、根に持たれるのかよ」
「当たり前でしょ」
借りを返す。状況から言って普通は何かお礼を返してくれるような言葉だが、亜早紀の目はそう言っていなかった。まるで宿敵に対して向けるような、そんな挑戦的な眼差しだ。
負けず嫌いな性格なのだろう。お礼によって一度は退くが、次は覚えておけということだ。
そんな風変わりな宣戦布告をしてきた彼女に、頼人は一転真面目な表情を見せ、
「それとなんだが」
「なに?」
「俺にあまり関わらないでくれ」
「……? それってどういうこと?」
「その方が良いから」
そう、いまの自分に、彼女はかかわるべきではないのだ。力のある塁ならまだしも、女の子である亜早紀は困るのだ。
そんなことを彼女に告げると、不意にクラスメイトの一人が声をかけてくる。
「おい、水下……」
「ん?」
クラスメイトが声を掛けてくるとは珍しい。何かのっぴきならない用事でもあるのかと考えていると、そのクラスメイトは廊下の方に視線を向ける。
「隣のクラスの吉井が、お前に用があるって」
廊下には、一人の男子生徒が立っていた。
「水下くん、ちょっといいかな?」
「…………」
頼人が先ほど言ったかかわらない方が良いという言葉。あの場に立つ男が、彼女に向けて言った意味深長な言葉のその答えの一つだった。