試合の結果
頼人と亜早紀の打ち合いは、いまだ続いている。
それを眺めている方はと言えば、両者の立ち合いに感嘆の声を上げていた。
「やっちゃん。あのイケメン君、よく見てるっすねぇ」
「うむ。亜早紀の剣を焦ることなく見極めて見極めて、ほころびが出たところにすかさずに打つ。力強い剣を、慎重に扱っているな。あと、やっちゃんはヤメロ」
七彦のおちょくるような呼び方に対し、保乃はぎろりと睨みを呉れる。しかし七彦はそんなことも特に気にした風もなく、
「いやーしかし前世の記憶もないのに大将軍様と打ち合うとはまた肝が据わっていることでまぁ。それで、隊長が見たかったのはこういうので?」
「いや、違う」
「あれれ。じゃあイケメン君が転生者かどうかってのは」
「私の勘違いだったかな」
七彦の問いに、保乃は自分の思い過ごしを認める。
だが、それでも――いや、それでよくここまで食い下がっているものだとも言えた。転生者でもない人間が転生者と渡り合えるのは驚嘆に値することである。
転生者を強者たらしめるのは、化生を打ち滅ぼす辟邪の武と、転生者の経験にまつわる身体能力と特殊な力の存在だ。辟邪の武は言わずもがな、前世の記憶が戻った転生者は魂自体が前世のものと近くなり、存在が同一化され、同じ力を得るようになる。
RPGで言えば一度クリアして、二周目の状態といったところだろう。そのため転生者は尋常ではない力を持つのだが、それについていける一般人がいるのは驚くべきことだし、もし頼人が転生者であったとしても記憶を持ってない状態であの身体能力は通常考えられないことだ。
亜早紀の剣は閃光の剣だ。目にも留まらぬ踏み込みを主体に、鋭く激しい打ち込みを放ってくる。最高速度は瞬間移動と見まがうほどのものだし、ひとたび剣撃を受ければしびれを伴うような威力が全身を襲う。
この手合せではそこまで力を出してはいないが、しかし、その状態でも市井の剣士では絶対に敵うまい。
滲み出る気迫や、激しい剣撃。目にも留まらぬ突進、かと思えばすぐに間合いの外まで離れていく。大抵の剣士は、彼女との立ち合いを嫌がるだろう。
それゆえか、頼人も亜早紀に対し攻めあぐねている。彼の剣筋からして、本来ならばもっと攻撃的な剣士だろうが、亜早紀の力量のせいで慎重にならざるを得ないのだ。
そこが、保乃の首を横に振らせた理由なのだが――
「ともかく、囮役をやれるだけの力はあるな。なまなり程度相手にするなら、問題もなさそうだ」
「もしかしたら、倒せちゃったりするんじゃないっすかね? 前世がなくても辟邪の武を持っている人間はいるって言うし」
「それはわからん。やらせてみないとな。もっとも、そのつもりはないが」
「へ? 引き込むんじゃないんで? ここまでやらせておいて」
「馬鹿を言うな。転生者の兆候が見えない以上、水下に協力してもらうのは今回限りだ。いくら強いからと言って、一般人を我らの戦いに巻き込むわけにはいかんだろう」
「上手くいけばガチで戦力になるかもしれないのにっすか?」
「当たり前だ。下手に因縁ができれば、水下も私たちと同じ輪廻の輪に組み込まれることになる。だからあくまでやらせるのは囮役までだし、戦わせてもなまなりだけだ」
「優しいっすねぇ」
「当然の対処だ。本来ならば囮役をやらせるのも良いものではないんだからな」
そう言って、保乃は瞳を憂いに揺らす。一般人を鬼討伐に関わらせるのを極力避けたいのは本当だ。ただ、現在の平井隊が転生者不足であるのも事実であるため、頼人を囮役に勧めたのである。
「てか、まだやらせるんっすか?」
「そうだが? それがどうした?」
「イケメン君の実力はわかったんっすから、これ以上やっても意味ないんじゃないかなーって」
「確かにそうだが、このまま最後までやらせるのも一興だろう?」
「まあ面白そうではあるっすけどね」
「というかまず亜早紀の奴が止まらないだろう。あいつはやたら負けず嫌いだからな」
「確かに」
言っている間に、亜早紀の心には火が付いたらしい。いつの間にか、身体に闘気を漲らせている。頼人はその様子にただならぬものを感じたか、後退って距離をとった。
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目の前に伸びてくる閃光の斬撃を、頼人は前に出した竹刀で受け止める。
いまかろうじて亜早紀の竹刀を受けることができるのは、彼女の剣撃があとに引く残像の軌跡を目端で捉え、直後の軌道を予測しているからに過ぎない。
頼人の戦いぶりで火のついた亜早紀が、本気と言って繰り出してきたのは、苛烈極まりない攻めだった。
彼女の竹刀の軌道は、もう目で追えなくなってきて久しい。いまのところ明確な一打は受けてはいないが、浅い一撃や身を削ぐような一閃はいくつか貰っている。竹刀に打たれ、閃光のような剣撃をいくつも掠め、道場着は綻び肌には痺れるような感覚が残っている。
打ち合いを続けてきた結果、こちらの剣筋も徐々に見切られてきていた。自分の剣など所詮素人剣術に毛が生えたもの。実戦をいくつも経験しているだろう彼女にすれば、見切るのもたやすいことだろう。
「やぁああああああ!」
「くっ!?」
気合い共に繰り出された一撃で、吹き飛ばされた。これが転生者の持つ力の一端だろう。少女のか細い腕では到底発揮できないような力でぶっ飛ばされ、間合いを一気に離れてしまう。
目の前には、息一つ切らさぬ少女の姿。竹刀を中段に構え、油断ない瞳でこちらを真っ直ぐ見据えている。対してこちらは忙しない攻防について行くことができず、状況は芳しくない。地獄での戦闘経験があるおかげか呼吸を乱したり、手足に疲労はないものの、追い込まれていることが明確にわかった。
現状からして、おそらくもってあと一合だろう。それ以降は、誰の目から見てもはっきりとした一打を打たれて終わるはずだ。
ふいに亜早紀の脚がゆっくりと動く。
その様を見てこれが最後と断じ、上段に構え、火の位を取る。五行の構えの一つである火の位。天の位とも呼ばれ、攻撃的な構えだが、しかし通常これを理合いを弁えない者や経験の浅い者が剣道でやろうとすると、上段者からこっぴどく叱られ、ひどい時には教育と称し滅多打ちにされる手だ。
剣の理合いを知る者でなければ使いこなせないという構えである。
だが自分にとっては剣道における暗黙の了解など知ったことではない。単純な動きゆえ、上から下への斬りおろしが、自分にとって最も間違いのない一撃なのだ。
構えた途端保乃の口から感嘆の声が聞こえ、一方いつの間にか道場にいた七彦が口笛を吹いている。
亜早紀の脚が再び動いた。竹刀の先端がブレ、軌道の筋が消える。
それを機と読み、頼人の目に真紅が宿った。
――夜も冴えかえる海際に、千鳥の声も我が袖も、光落ちては赤くなり……。
頼人が振り下ろさんとする瞬間、亜早紀の姿が彼の視界から消えた。
「ぁ……」
我知らず、頼人の口から声が漏れる。気が付いた時には、亜早紀の竹刀の先がのど元、ちょうど顎の下に据えられていた。
瞬間移動だったのか。視界の左斜め下側には、膝立ちのまま竹刀の先端にて決着の是非を問う亜早紀の姿。
それは、下段から繰り出された突きだった。目にも留まらぬ突進から身を低くして滑り込み、全身の力を竹刀に乗せ、身を横に開いて片手を伸ばし間合いを広げて打つ、片手突き。真剣なら、頭部を顎下から頭頂にかけて串刺しになっているだろう一手である。
追って武道場に響く、七彦の称賛。
「金剛嘴鳥剣が決まり手っすかぁー。いやさっすがあさっち、見事なモンで」
「当然です。そう簡単に負けられません」
「いよ! 日本一!」
「止めてくださいって大森さん……」
調子に乗ってほめちぎる七彦に、呆れ混じりの吐息を漏らす亜早紀。そんな彼女に、頼人は竹刀を置いて惜しみない称賛を贈る。
「すごいな。最後のは全く見えなかったよ」
負け。それも圧倒的な負けを喰らったバツの悪さに対し、頼人は苦笑いを浮かべる。
その一方亜早紀は、彼に快い笑みを返した。
「水下くんも強かったわ。びっくりしちゃった」
「いや、まだまだだよ。いまの立ち合いでよくわかった」
思い掛けなく漏らした言葉は、自分がいかに力不足だったかを知ったという、そういった意味だった。
……だったのだが、彼女は違う風に受け取ったらしく、
「なぁに? 私なんかに負ける程度じゃあってこと?」
「いやさ……そんな邪推しないでくれよ」
「ふふふ、うそ、冗談よ。思った以上に食い下がられたから意地悪したくなっただけ」
亜早紀とそんなやり取りをしていると、保乃が拍手をしながら近寄ってくる。
「いや、なかなか面白いものを見せてもらった」
「途中からボロボロでしたけどね」
「亜早紀にあそこまで食い下がれる奴はそうはいないだろう。それにお前が果たせなかった最後の手」
「ああ、あれですか? まあちょっと……」
頼人が言葉を濁すと、亜早紀は気付くものがあったようで、
「奥の手?」
「いや、そんなすごいもんじゃないけど」
「そう? 私は構えを見たとき背中がぞくっと来たけど?」
「単に上から下へ振りおろすだけのものだよ」
踏み込んでくる亜早紀に謙遜していると、保乃が訳知り顔で口を挟む。
「その手は馬鹿にしたものじゃないだろう? 上から下に振り下ろすだけのその動きでも、極意としている流派だってあるし、実際極めれば恐ろしい手だ。だからお前はさっきあの動きを選んだ。違うか?」
「剣術なんて誰に習ったものでもないんですがね」
「それでここまでできるんなら、とんでもないよお前は」
呆れた声を出しつつ、褒めるように肩を叩く保乃。評価の方はどうやらかなりいいらしい。亜早紀ぐらいの力量の者と戦えるということは、転生者にとっては一目置かれるようなことなのかもしれない。
そこでふと、頼人は昨夜の鬼との戦いを思い出す。
「そういえば昨日の夜、坂村は光みたいなものを持って戦ってたように見えたけど、あれは?」
「標剣? あれは私の……田村麻呂の剣よ。閃光と共にある、鬼に対抗するための武器」
「昨日は気にしてなかったけど、いつの間にかなくなってたよな? あれって?」
「それは……こういうことよ」
そう言って、亜早紀が血振るいをするような仕草をすると、雷鳴のような轟音と共に彼女の手の中に眩い光が生まれる。
「うわっ……」
突然の閃光に驚いた頼人は、眩しさを嫌い一瞬目を背ける。そして再び彼女の方を向くと、そこには剣の形に安定した黄金の光があった。
「こうやってどこでも出せるの。剣というよりは、特殊な能力みたいなものね」
「べ、便利なんだな……」
驚きに囚われたままの頼人に、亜早紀は「そうね」と一言返す。便利という一言で片づけられるようなものではないが、それはともかくとして。
黄金の輝きを放つ剣は眩しく、近い場所では直視するのが中々に目に痛い。目測だが、腰反りのような形をしており、刃渡りは小太刀程度だが光を放って鬼を斬っていたゆえ、長さ自体はあまり関係ないようにも思える。
ふと隣にいた保乃が補足を挟むように、口を開いた。
「転生者の持つ前世の武具は、悪鬼を滅ぼすために特殊な力を持っているのさ」
「じゃあ平井さんも坂村みたいにどこでも取り出せるようなものなんですか?」
「いや、そう言うわけではない。亜早紀の標剣の力が特殊というだけで、それに関しては普通の武器と一緒さ」
と、なるとだ。まさか転生者が武器と一緒に生まれてくるわけなどないのであって、
「転生者にゆかりのある武器って、探さないとならないってことですか?」
「そう、現物を探すのに随分苦労するんだこれが。私も見つけるまで随分太刀を駄目にしたな」
そう言って、十や二十ではきかないと小声で漏らす保乃。ということは、自分たちと同じような年齢でどれだけ鬼を狩っているのだということになる。
「それを踏まえ、あの破邪の閃光だ。亜早紀のは転生者たちが扱っていた武器の中でも最も強力な武器の一つだろうな」
「つまり、坂村が転生者中最強ってことですか?」
坂上田村麻呂。いわく伝承では武神と呼ばれ、神に列せられるまでになった人物だ。保乃の言い回し以外にそういった謂れからも、彼女が最強の名を冠するに十分だと思われたのだが――
それには神妙な表情をして頭を振る亜早紀。
「記憶が全て戻って、田村麻呂の性格もしっかり引き継げていればそうなんだけど、昨日言った通り私はどちらかと言えば今世の自我が強いから」
「水下の予想と違って、そこまでのものではない、ということだな。だから転生者もいろいろと大変なのさ」
「なるほど……」
記憶の引継ぎの状態で能力に差が出るということは、思わしく戦えないもどかしさというものがあるのだろう。
そんな中、ふと気になったのが、
「聞いていなかったですけど、平井さんの前世は一体?」
「私か? 私は……内緒だ」
「えぇ……」
言う必要などないというようにツンとする保乃。勿体ぶるとはあまり言いたくない前世なのかとも思うが、それはそれで腑に落ちないことでもある。
そのせいで何か悪名高い人物なのかとも思ってしまうが。
頼人がそんな風に考えていると、亜早紀が口を開く。
「藤原保昌」
「おい、こら」
「別に言ってもいいことだと思いますが?」
咎めるような保乃に、しれっと言い放つ亜早紀。彼女の言い様から、別に悪い風聞のある人間ではなさそうなことがわかる。
だが、藤原保昌。どこか聞き覚えのあるような気もするが……
「藤原さんって日本にいっぱいいらっしゃるしなぁ……」
頼人はその人物のことを思い出そうとするが、出てこない。藤原姓で有名人と言えば藤原鎌足や藤原不比等、藤原道長などが有名だ。だが藤原保昌なる人物の名は、学校の授業などで習った覚えがとんとない。
頼人が知らないのに気分を悪くしたらしく、保乃はふてくされたようにブー垂れ始める。
「はっ! どうせマイナーな前世だよ! 悪かったな! あーそうですよねー! 私の時代は他にすごくすごーく有名な奴がいっぱいいて、私なんか影薄かったですしー! それに亜早紀ほど有名じゃなかったですしー!」
聞こえよがしに大声を道場に響かせる平井保乃。らしくなく子供っぽいことをする彼女に、亜早紀が苦言を呈する。
「保乃さん拗ねないでください」
「拗ねてない! 拗ねてなんかないよオレは!」
とは言うものの、口調も一人称も変わるほどだいぶぷんぷんしておりご立腹である。この様子だと、「どんな人だったんですか?」など聞いた時はどうなるかわかったものではない。いまは口を閉じておいて、あとで亜早紀にそれとなく聞いておくのがベストだろう。
亜早紀がひとしきり宥めすかしたあと、保乃はいつもの調子を取り戻したようで、
「……ともあれだ。いい立ち合いだった。囮役の方も頼む」
「わかりました」
気付けば先ほどまでそこにいたはずの七彦や金陽、銀陽はいつの間にか武道場からいなくなっていた。




