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それより八年後の日常



 水下頼人が地獄へ行くようになってから八年の月日が経ち、彼は高校生になっていた。


 残暑の厳しい九月の初め。照り付ける陽光はいまだ恨めしく、爽やかな秋の風を待ちわびる時節。行きなれた道を通り、学校に到着した頼人は二年生の教室に入り、自分の席に腰を下ろす。

 もうしばらくすれば始業ということもあり、教室内にはもう多くの生徒たちがいた。

 しかし教室に入っても、誰も頼人に挨拶などしない。みな、誰が来たのか確認して、すぐまた元の作業や、会話の輪の中に戻ってしまう。



「…………」



 大概、こんなものだ。クラスメイトのほとんどは、頼人のことをいないものとして扱う。頼人のいる現世ではクラスメイト≒友人という式さえ成り立たないのだ。

 それは、頼人自身が積極的に友達を作ろうとせず、あまり人と関わろうとしないためということもあるが、どこからばれたのか精神科通いということが知れ渡ってからは、クラスメイトが寄り付くことはなくなった。



 頼人は外を眺める。夏の日差しが枝葉の影と入り混じり、地面を万華鏡のようにきらめかせている。その美しい眺めを見ている者は、頼人以外ほかにはいない。



 頼人はどこにいっても大抵一人だ。少しの例外を除けば、いつも人の作る輪から外れている。

 それは家族だって同じだ。初めは父も母も、彼に愛情を持って接してくれた。だが、あの日以来地獄へ行くと言って騒ぎ立て、睡眠を取ることを拒む頼人に、次第に両親の心は離れていった。日に日におかしな行動をとるようになる息子に、ほとほと愛想が尽きてしまったらしい。



 高い社会的立場にあった父はそんな頼人を最も強く疎んじた。弟が生まれると父は露骨に頼人を避けるようになり、会話さえしなくなった。そのうえ頼人の訴えをまともに聞き入れずに、精神科にまで通わせた。主治医からは病棟への入院も勧められたようだが、それについては世間体を気にして、入院をさせられることはなかった。だが、それでも頼人の存在を切り捨てるつもりはあったようで、中学の途中で一人暮らしを強要した。



 母も、弟もそれを止めなかった。いつの間にか頼人は、あの家族の一員ではなくなっていた。

 当時は冷ややかだとも思ったが、いまでは無理からぬことだと理解できる。頼人に家族を責めることはできなかった。



「…………」



 いまでは頼人も、地獄に行くことで心を乱すことはなくなった。

 慣れ、である。

 人間は慣れる生き物だ。この場合、「麻痺」とも言い換えることができるが、あのような恐怖と苦しみの中にあっても、それは例外ではなかったらしい。

 頼人もあれから何度も命を捨てることを考えたが、「絶対の死」に対して躊躇する中、ずるずるとここまで来てしまった。



 彼を一人にした原因であるあの地獄。血と火と煮え滾った鉄と銅でできた赤い世界。

 頼人は自分の主観であの世界を地獄と定義付けることにしたが、しかし実際あそこが本当に地獄なのかは、いまだ定かではない。何せあそこを地獄だと断言する者が一人もいないからだ。

 そう、あそこには閻魔王も十王もいないし、懸衣翁(けんえおう)奪衣婆(だつえば)も見たことがない。いるのは現世で悪事を働いた罪人たちや、それらが身を窶した餓鬼と、それに終わることなく罰を与え続ける閻羅人(えんらにん)と呼ばれる怪物、鉄野干(てつやかん)と呼ばれる巨大な狼、そしてあの男がいるだけ。



 そう、地獄に行けば必ず自分を殺しに来る、あの男が――



 そんなことを考えていると、不意に頼人の瞳が近づいてくる影を捉える。



「おう、おはよう頼人。黙ったまま動かねぇが、お前もしかして目開けたまま寝てねぇか?」


「寝てない。ぼーっとしてただけだ」


「なら良かった。叩き起こさないで済む」



 物騒なことを言いながら、そのクラスメイトは頼人の肩を叩いてカラカラと笑う。そんな彼に、頼人は「おはよう」と遅ればせて挨拶を返した。

 そう、このクラスメイトこそが、一人でいることを余儀なくされた頼人の少しの例外、つまり友人だ。名前を胆沢塁(いさわるい)。バスケやバレーなどをさせれば活躍できそうな身長と、引き締まった身体を持ち、快活で、誰にでも好かれる男子生徒である。顔も端正な細面。体格も良いが汗臭さはなく、もちろん女子からの人気も高い。



 塁は後ろで結んだ黒髪を撫で払い、頼人の机に腰かけると、手に持ったスポーツドリンクを豪快に飲み干した。

 彼の首筋に汗が残っている。ということは、



「またいつもの助っ人か?」


「夏前からラブコールが絶えなくてな。来週試合があるから、助けてくれってよ」


「ご苦労なことで」


「まあ、暇はあるしな」



 そう言って、塁はとん、と空になったボトルを机に置く。助っ人とはつまり、部活の助っ人のことだ。塁は見た目通り、運動ができるため、よく人手の足りない運動部に駆り出されているのである。その関係で、今日は朝から部活の練習に参加して来たのだろう。近くにいると運動をしたあとのほてりが、空気を通して伝わってくる。



 塁はクラスでも、いや、校内でも人気者だ。その快活さが、人を引き付けるようで、粗っぽい言葉遣いながらも誰からも慕われている。



「でさ頼人、聞いたか? 例の七不思議の話」


「七不思議? ああ、最近八不思議になったって話か? それ、この前話しただろ?」


「ああ、そうだな。でも今日のはそれじゃなくってな」


「……?」



 頼人は奇妙に思う。いま塁が切り出した話は、頼人たちが住む四方(しかた)市で最近話題となっている、いわゆる都市伝説のことだ。都市伝説(フォークロア)と名がつく通り、昔からあるものではなく、四方市内で噂される全ての話がつい最近できた物で、いま風な「暴力中毒者(バイオレンスジャンキー)」や「ブラックライダー」などのものから「屋根付橋に消える夜叉姫」「大鬼火」というどこか昔からあるようにも思える噂。他には「笛吹きおじさん」「金曜日の地下鉄迷宮」「黒い目の子供」などがある。



 これらの話が、一年ほど前から世間を賑わせていたのだが、つい数日前、これに新しく「金色の殺人鬼」というのが追加され、めでたく八不思議となった。学校でも大きな話題となり、先日彼とこの話をしたのだが、



「昨日保田が塾帰りに夜叉姫を見たんだってよ」


「蛍橋で?」


「らしい」


「気の毒なやつ」



 塁はニヤニヤしているが、一方の頼人はクラスメイトに同情を禁じ得なかった。頼人たちが住む四方市には、蛍橋という橋があるのだが、そこで夜にその「夜叉姫」なる人物を見ると、数日の間に夢に出てきて、その人物に追いかけまわされるのだとか。


 地獄で化け物に追い掛け回されて久しい頼人にとっては、他人事のようには思えない。



「暗くてよく見れなかったらしいが、その夜叉姫っての、すげー可愛かったみたいだぜ?」


「夜の蛍橋でだろ? どうだか」



 あの辺りは外灯も少ない。暗がりとあっては『可愛い』の信憑性は甚だ皆無である。夜目遠目笠の内だ。だが、本人がそう思っているのなら、夢の中では幸せだろう。なにせ、美人に追い掛け回されるのだから。



「なあなあなあー、俺たちも見に行かね?」


「遠慮しとく」


「ほんと誰も行きたがらねぇなー」


「当たり前だよ。そんな物好きこのクラスじゃあお前くらい」


「へいへいそうですかー」



 と言って、笑い出す塁。他にも誘いの声を掛けたのだろうか。おかしな目に遭うと専ら噂になれば、誰もそんなことにかかわりたくはないし、頼人も普通の夢の中にまで追っ手など出てきて欲しくない。いや、少しだけ、ほんの少しだけだが、地獄にそんなのが入り込んでしまったらその夜叉姫が一体どんな反応を示すのか、気にはなるが。



 そんなことを考えつつ、塁がつまらなさそうに足をぷらぷらさせているの隣で見ていると、誰かが横を通る。

 その生徒に、塁が声を掛けた。



「おう、次原(つぐはら)。おはよう」


「ああ」



 塁が次原と呼んだ男子生徒は、素っ気ない返事をして立ち止った。

 彼は二、三、塁とあいさつ程度のやり取りを交わしたあと、ふいに頼人を一瞥する。

 彼から向けられたのは冷ややかな視線だった。やがて次原は挨拶もせず自分の席へと向かっていく。


 いまのやり取りを見る通り、彼の性格はクールだ。余談ではあるが、見た目の麗しさも相俟って女子生徒からの人気も高く、クラス内では塁と双璧を成すほどの少年である。

 気付けば、塁が困り顔を作っていたのが見えた。どうやら彼も、次原のあの視線に気付いたらしい。



「相変わらず次原はお前のこと嫌ってるらしいな」


「そりゃあな。あいつは俺みたいなの、嫌いそうだし」


「アイツとなんかあったのか?」


「いや、別に。声かけてもデフォで無視されるからさ。そう言ってないとやってられないの」


「お前も大変だな……」



 と、塁は同情の言葉を掛けてくる。それ以外何とも言えないというようで、複雑そうだ。

 そんなやり取りをしていると、クラスメイトの一人が塁を呼んだ。



「胆沢ー。今日転校生が来るんだってよー」


「へぇマジで? 男か? それとも女か?」


「女だってよー」



 クラスメイトの言葉に、塁はひゅーと口笛を吹いた。


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