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その男の名は、イブキ



 鬼という現実味のない生物に襲われ、図らずもそれらを倒す者たちの本拠地に泊まることになった頼人。

 使用人に届けられた食事を食べ終え、シャワーを浴び、寝間着に着替えて床に就き、そして今後どうしようかと考えながら目を閉じた、その途端だった。



「またかよ。最近多すぎるぞ……」



 吹きすさぶぬるい風に身体を撫でられ、気持ち悪さで目を覚ますと、目の前にはもう見慣れてからいく久しい赤い光景。あんな非日常(こと)があっても、この世界は自分をぐっすり寝かせてくれる優しさは持ち合わせてはいないらしい。



 呆れ交じりの恨み言を吐き出して見回したそこは、苦しみと死の世界、地獄であった。



「…………」



 今宵頼人が降り立ったのは、しゃれこうべの広がる丘だ。波打つ丘陵は全て頭蓋骨の白と眼窩の黒で彩られている。こんな場所にいても、薄気味悪い、という感覚はとうの昔にない。それよりもいまは、辺りに漂う異様な気配の方が、頼人には何よりも優先すべきことだった。



 緊張で後退ると、やがて足もとを埋め尽くすしゃれこうべの地平の中から、黒く爛れた皮膚を持った巨大な腕が、いくつもいくつも突き出てくる。

 がしゃ、がしゃ、がしゃ。まるで脆い陶器を割るような音と共に、しゃれこうべの下から化け物たちが這い出してきた。



 ――ねたましや、ねたましや。



 聞こえるのは、生者をうらやみ、妬む声言葉。

 現れた十数体の化け物の正体は、餓鬼だ。抜け落ちた毛髪、クワシオルコル病で丸く出た腹、そして変色した皮膚。精神科医、愛宕摩耶の言った通りの姿をしているが、この餓鬼どもはよく見る餓鬼とは違い、巨大な身の丈を誇っていた。



 ……あの男はこれを、鑊身餓鬼(かくしんがき)と呼んでいた。財を貪り、生き物を殺した者のなれの果てだと。

 その身は大きく、それに対して腕や足はか細い。そして常に地獄の赤く生温い空気に焼かれ、苦しみの声を上げている。

 ねたましい。ねたましい。焼かれないお前がねたましい。恨み言を口にして、迫ってくる。



 脅威はその大きさだが、ただでかいだけでもある。地獄に来た初めの頃なら話は別だが、地獄を歩きなれた頼人には化け物である餓鬼もなんら脅威ではない。

 苦しみを与える閻羅人(えんらにん)から逃げるだけでなく、自らの犯した罪に追われて強迫行為に囚われてしまう餓鬼どもは、基本的に動き方に統一性がないのだ。ゆえに、頼人という生者の存在に気付き襲い掛かってきても、他のことにかまけだす余分がありすぎるため、与しやすい。この鑊身餓鬼(かくしんがき)は、地獄の風に当てられると逃げまどい、苦しむために比較的楽な方でもある。



 ただ、餓鬼の中でも魔身餓鬼(ましんがき)は例外だ。それぞれが武器を持ち、閻羅人(えんらにん)の持つジンツウを使うことができる恐ろしい怪物どもだ。文献などによれば地獄道と同じ六道の一つ、阿修羅道にいるはずなのだが、頼人の行く地獄にもたびたび顔を出しては、生者であることを妬み頼人を殺しにやってくるのである。



 頼人は周囲を見回す。どうやら、今回は鑊身餓鬼(かくしんがき)しかいないようだ。だが、前後左右に立ちはだかり、逃げられないよう迫ってきている。動きが遅いのが救いだが、いつものように逃走するのは難しかった。



 ――ねたましや、ねたましや。



「……うるさいっての、お前らが悪いんだろうが」



 頼人は迫ってくる鑊身餓鬼(かくしんがき)に悪態を吐く。そして、戦うことを決めた。

 そう、ここで殺される痛みから逃れるには、餓鬼たちに抵抗するしかなかった。

 頼人は身を低くして、しゃれこうべの丘の中から武器を探す。地獄は罪人と罪人、そして閻羅人の戦場だ。どういうわけか、しゃれこうべの下には様々な武器がごろごろと埋まっている。



 あるのは大抵、薙鎌、大金槌、大薙刀、大森某の持っていたような大太刀などだ。みな大きく重く、幼いころは扱いやすいものなど一つとしてなかったが、いまでは頼人も多少扱えるようになっている。運よく太刀や、薙刀など使いやすい得物が当たればいいが――



 しゃれこうべの中を漁る頼人の指に、骨とは違う固い感触が当たる。



「長巻か……当たりだな」



 長巻。柄が刀身と同じくらいの長さを持つ刀剣だ。大きな反りを持ち、柄は朱色の拵え、何より刀に比べリーチに秀で、両手で使いやすい。

 朱鞘から長巻を抜き放った直後、頼人は風のような速度で鑊身餓鬼(かくしんがき)に近づく。身を低くしながらもその速度を緩めずに、手に持った長巻を地面と水平にしてそのまま足もとに振り抜いた。狙いは脛。反応した鑊身餓鬼(かくしんがき)が手を伸ばすがすでに遅く、足元を狙う身を低くした突撃からの斬撃で、鑊身餓鬼(かくしんがき)のか細い足は見事に輪切りにされる。



 鑊身餓鬼(かくしんがき)は大きな身体を持つゆえ、足もとに入り込めば手を出しにくく、足を斬ってしまえばそれで終わりである。

 倒れた鑊身餓鬼(かくしんがき)はその場でのたうちまわった。もう起き上ってはこない。絶命させると蘇るゆえに、とどめを刺すことは厳禁だ。


 頼人はそのまま、他の鑊身餓鬼(かくしんがき)を長巻で斬りつけた。武器を持った腕を落とし、先ほどと同じく脛を斬り、胴を薙ぐ。

 噴き出す鮮血は黒。まるで恐ろしい疫病にでもかかったかのような血の色だ。


 斬る数が十を超えたあたりからは、頼人の身体も黒ずんだ血にまみれていた。



 ――終わりか。



 事態が急変したのは、頼人がふぅと安堵の息を吐き出したみぎりだった。



「グオォオオオオオオオオオオオオォ…………」



 背後から聞こえたのは、地の底から響くような怪物の唸り声。その声のした方に振り向くと、そこにはこの地獄で罪人や餓鬼どもに絶対的な存在である、閻羅人(えんらにん)の姿があった。



「きょ、今日はお早いご登場で……」



 頼人の口から、そんなぼけた言葉がこぼされる。顔は引きつった笑み。そんな言葉しか口に出来なかった。

 前回地獄の綱渡しにおいて、自身を追い詰めた相手がいつの間にか距離を詰めてそこにいた。



 閻羅人(えんらにん)は憤怒の表情を見せ、その視線は自分に対して据えられている。手には金砕棒(かなさいぼう)を持ち、がしゃん、がしゃんとしゃれこうべの地面に打ち付けていた。



 冷や汗が止まらなかった。違えようのない死が目の前にいるゆえに。ここまで接近を許している状況では逃げ切ることもできないし、かといって閻羅人(えんらにん)は餓鬼と違い、抵抗しても歯が立たない相手だ。



 地力が違い過ぎるのだ。まともに打ち合ったところで保って三分。一分で刀が折れ、もう一分で腕が折れ、逃げても最後の一分で追いつかれる。

 ならばどうするか。他に餓鬼どもがいれば(なす)りつけることもできようが、それを叶えてくれるだろう存在である鑊身餓鬼(かくしんがき)は、先ほどあらかた殺し尽くしてしまった。



 一か八か、走ってみるか――



 そう考えた途端だった。先ほどまで十間(じゅうはちメートル)は先にいた閻羅人が、頼人の眼前に出現した。



「……あ」


 ――ジンツウ。


 迫る憤怒の形相に、吐息が漏れる。それで、動けなくなった。恐怖が具現化して目の前にいるかのように、恐れが身を縛って動けない。



 そして、蹴り出される丸太のような足。



「がはっ!?」



 真横からの蹴撃に襲われ、頼人はごむ毬のように容赦なく蹴り飛ばされる。反応して蹴飛ばされる方向に飛べたのは、日頃地獄で生きているがゆえの賜物か。しゃれこうべの地面を数度跳ね、「がは、がはっ」と咳と共に、口から反吐を吐き出した。



 身を起こし、口もとに付いた吐しゃ物を拭う。目の前には迫りくる閻羅人(えんらにん)。身体がしびれて動けない。進退は、ここに窮まった。

 頼人は手に持った長巻に目を向ける。



(破壊される前に捨てて、いっぺん死ぬよりほかはないか……)



 打ち出したのは苦肉の策だ。下手に抵抗せず長巻を捨てれば、武器破壊は免れる。そしてその場で死んだとしても、ここではまた蘇ることができるのだ。地獄は死ぬことがない永遠の責め苦を受ける場所。餓鬼や罪人にあらゆる責めを受けさせるために、どこからともなく「よみがえれ。よみがえれ」という響きを持った風が吹き、全て元通りにしてしまうのだ。



 それは、頼人とて例外ではない。ゆえに、閻羅人(えんらにん)に与えられる一度や二度の死を堪え、隙を見て長巻を拾い、一撃入れて逃げおおせる。



 責め苦から逃れるための賭けだった。あきらめに近い選択だが、いまはその賭けに縋るしか、手は残されていなかった。

 蘇ると言っても、慣れたものではないのだ。吹き返しの風が殺される時の苦痛と恐怖を忘れさせてくれるものであれば、どれほど良いか。いままで願ったことは数知れない。



 閻羅人(えんらにん)が、どす、どすと、地を揺るがすほど重たい響きと共にしゃれこうべを踏み割り、仁王のような厳めしい表情で近づいてくる。



 一思いに頭を叩きつぶされるのか、それとも嬲られるのか。これまでの苦痛の記憶が蘇り、手や足の先が震えてくる。



 頼人が来るだろう痛みに歯噛みしながら長巻を捨てようとしていると、突然閻羅人(えんらにん)の身体が縦一文字にかっ捌けた。



「な――!?」



 頼人は真っ二つとなった天敵を前に、驚きの声を漏らす。ここ地獄で最悪とも言える存在が、あっけなく絶命した。あまりのことに、目の前の事実が受け入れられなかった。

 しかしてそんな中、左右に崩れ落ちる半身と半身が噴く血しぶきの向こう側から聞こえたのは、



「――かくとだに、えはやいぶきのさしも草、さしもしらじも、燃ゆる思ひを」



 男の美声が詠い上げたのは、切ない片思い、燃えるような慕情を詠った和歌。藤原実方(ふじわらのさねかた)が詠んだ百人一首にもある、有名な一文だ。



「イブキ……」


「よぉ頼人。相変わらず辛気臭ぇ顔してんなぁお前は。ろくに足掻きもせずあきらめるなんて、おもしろくねぇことしやがって」



 そう、呆れるような嘲るような物言をして、閻羅人(えんらにん)を縦に真っ二つにした男が歩み寄って来る。

 卯の花色の着流しに線の細い体躯を包み、一方の手にはどこぞで拾ったか錆びた大太刀を、もう一方の手には注連縄ほどもある麻紐が結ばれた、身の丈を超えるほど大きな玉徳利を持っている。真紅の長髪、真紅の眼。初めて地獄に来た頼人を殺した男、名をイブキと言う。



 閻羅人の死体を境にして、立ち止ったイブキは面白くなさそうに鼻を鳴らした。



「なんだ? なんか言いやがれよ? 黙ったまんまじゃつまんねぇだろうが」


「悪いがお前を楽しませられるような気の利いた話は持ち合わせてなくてな」


「ふん? で、むっつりかよ。相変わらずしけてるぜ」



 そう腐すような言葉を放ったイブキに、頼人は非難の視線を向ける。



「俺がこんな風になったのはほとんどお前のせいだ」


「だろうな。随分と殺してやったからな」



 一瞬前の態度から一転、イブキは愉快愉快と哄笑を上げる。何が愉快なのか。毎度己を殺しに来る、亡者でも餓鬼でも罪人でもない謎の男。頼人が忌々しそうにイブキを睨むと、彼は獰猛な笑みを向けてくる。



「どうだ? 最近は、何か面白いことでもあったか?」


「ねぇよそんなもの。なまなりとかいう化け物に襲われたばっかりだ」


「ほう?」



 吐き捨てるような頼人の言葉に、気のある声を出すイブキ。この男が現世のことに反応を示すとは、また珍しい。



「お前、知ってるのか?」


「そりゃあな。よぉく知ってるぜ?」



 と言って、イブキは「ハハハハ」と心底おかしそうに笑い出す。そして未だ何も掴めていない頼人に対し、訊ねかけた。



「なまなりか。で、斬ったのか?」


「いいや。上手く切り抜けた」


「そうだな。餓鬼どもはともかく閻羅人(えんらにん)に比べればなんてことはねぇ相手だからな」


「アレはなんだ?」


「なんだも何も、鬼で、人間だろ。ま、もとって言葉は頭に付くが」



 なまなりが人間だということに、頼人は少なからず衝撃を受ける。すると、イブキはそのわずかな気後れを見抜いたのか、



「なんだお前。まさか、人間が鬼になるって聞いて魂消(たまげ)たのか?」


「……別に」


「おーおー、同じ人間なのに薄情なヤツだな」


「悪いか?」


「いいや」



 頼人も確かに驚いたが、だからと言って残念に思うことや、大きく怒ることもなかった。



「奴らはな、人間の悪い部分を少しだけ後押ししてやると、なるんだ」



 ということは、だ。



「後押しした奴がいるのか」


「俺が言うまでもなく答え知ってるんだろ? 大元がいなけりゃ、ヤツらは生まれてこない。その大元は」


「なまなりよりも強い鬼、だな」


「そうだ。なまなりが出て来たってことは、必然的にそれも出てくるってこった。そっちでそんなモンと出会ったんならお前、死ぬんじゃねぇのか?」


「死んでたまるか」


「いい答えだ」



 と言って、イブキはどこか嬉しそうに答える。

 それはそうと、



「さっきなまなりは人間だって言ったが、もとには戻るのか?」


「あ? いいや? なっちまったら終わりだ。二度と人間には戻らずに、化け物に変わっちまう。水を混ぜた酒と同じだな。二度と同じものには戻らない」



 そう言うと、イブキは背負っていた玉徳利をその場に置く。そして、閻羅人(えんらにん)の死体を玉徳利の中に放り込んだ。イブキはその作業を終えると、再び頼人の方を向いて、



「で、どうすんだ? お前はなまなりや鬼に関わるのか?」


「……何でお前がそんなことを訊く?」


「いいから答えろよ。ノリが悪いな」


「関わり合いになりたくないって言ったら?」



 頼人がつれなく否定すると、イブキはまた笑い出す。そして、ひとしきり笑ったあと、ピタリとその哄笑を止め、嘲りの視線を頼人に向ける。



「ふぬけ」


「なんだと……」


「女々しいこと言うんじゃねぇよ。あれだけ死んでおいて、今更死ぬのが怖いとかふざけたことぬかすつもりかよ? 違うだろ?」


「……俺だって死ぬのは怖いぜ?」



 自問に一拍の間を使い、頼人が答えると、イブキはまた嘲笑うように牙を剥く。



「嘘吐きめ」


「…………」


「死ぬのが怖いだと? ッハハハハハ! 自分の命なんて半ばどうでもいいとさえ思ってるお前が、よく言ったもんだな! 生きるのももううんざりしてきた頃合いなんじゃねぇのかよ? ええ?」



 そんなイブキの嘲弄めいた物言いに、頼人は軽口さえ返すことができなかった。図星とは思わなかったが、その指摘に対する反論が何故か口から出て来なかったのだ。



 イブキの哄笑を振り払うように、訊ねる。



「お前、鬼のことどこまで知ってる?」


「全部さ。お前が知ってることから知らないことまで、全て」


「全てだって?」



 しかし、イブキは答えず、



「戦えよ頼人。お前にはそれしか道は残されてない。地獄(ここ)で剣を取った以上、お前は死ぬまで戦うことから逃れられないのさ。お前だって生きていられるなら、生きていたいだろう?」


「言ってろよ。どうせお前はまた俺を殺しに来たんだろうが」


「当然じゃねぇか」



 そう言って、イブキは麻紐を引っ張り、巨大な玉徳利を持ち上げて、ぐびりと中に入った血酒を煽る。飲み終わるとぞんざいに口もとを着物の袖で拭い、また笑い出した。



「…………」



 悪魔が発するような哄笑が地獄の空に響く中、高まっていくイブキの殺気。彼が錆びた大太刀の柄を握る手に、万力の如く力を込めると、(なかご)が軋むような悲鳴を上げて、剣に宿った剣精が青白い燐光を放って応えた。



 もう、お喋りの時間は終わりらしい。

 イブキの体勢は整った。いつでも斬りかかってこれるだろう。



 ……果たしてこの男がどういう理由で自分に執着するのかは分からない。ただ、自身の前に現れては、狂喜をもって殺しに来るのだ。時には後ろから奇襲をかけ、時には正面から堂々と立ち合いに来る。こちらの剣撃を待ったりもするし、容赦なく刃を突き立てることもある。それらのまとまりない行動の意図はいまもってわからぬが、ただ一つ分かっているのはこの男が自分を千や万の数殺しても、まだ飽き足りぬということだ。



「――さて、そろそろ身体のしびれも取れたはずだ。やろうか」



 イブキの声に合わせ、強張った身体を無理やりほぐす。脱力にほど近い程度の力の込め具合。その状態で、イブキを迎え撃つ体勢とする。

 錆びた大太刀を下げたまま、イブキが近寄ってくる。無防備だ。まるで警戒がない。いや、警戒するまでもないのだろう。彼我の力量はそれほどまでに離れているのだ。



 それでも、頼人は閻羅人(えんらにん)の時のようには諦めない。いくら敵わぬことがわかっていても、この男には、この男にだけは一太刀くらい浴びせなければ気が済まないのだ。



 正面から歩いてくるイブキに対し、頼人は横に回り込む。しゃれこうべを踏み砕き、蹴り飛ばしながら、ぐるりとイブキを中心に円を描くように後ろへ。しかしイブキは振り向こうともしない。お前の剣撃を早く寄越せと言わんばかりに、後ろへ到達した頼人に背を差し出したまま。



 その背中に、頼人は一足飛びで袈裟に斬りかかる。対するイブキは振り向き様に身体を回転させ、大廻しに片手での横薙ぎ。

 あとに出されたはずのイブキの剣撃は頼人の長巻を違わず捉える。速度と威力と剣精の乗った一撃が長巻を弾き飛ばそうとするが、頼人もさせてなるものかと両手に力を入れて堪え、後ろに飛び、体勢を立て直す。



「おら――」



 直後、イブキが大太刀を無造作に振り上げた。上から下への、オーバーアクションな一撃だ。剣筋が丸わかりで遅々としており、ともすれば簡単にかわせそうなものだが、イブキの繰り出すこの剣はどうしてもかわせない。何故か剣撃に、身体が吸い寄せられてしまうのだ。ゆえにいまも、頼人の身体は動かないし、長巻の腹を掲げるだけで精一杯。



 鋼と鋼がぶつかる音が鳴り響き、ずん、と、尋常ならざる力が両腕、そして全身にかかる。足元のしゃれこうべは砕け散って舞い上がり、押し込まれる両足は次第に骨の山にめり込んでいく。



「ぐ、あぁああああああ……」


「ほら、頑張れ頑張れ、よっ!」



 ふいに、頼人の腹に爆発にも似た衝撃が走った。



「ぐぶっ――」



 気息が口から漏れると同時に、頼人の身体はあっけなく吹き飛んだ。しゃれこうべの地面を二転三転し目を向けると、突き出した足を下げるイブキの姿が。


 無防備になった腹を蹴られたらしい。



「ぬるいぞ頼人。まだ身体があったまってねぇんなら、屎泥(しでい)の池にでも浸かってくるか?」


「ガッ、ハッ――」


 冗談ではない。煮え滾った銅と糞尿でできた池になど、誰が入りたがるものか。せり上がった反吐を吐き出して、長巻を構える。



 この男に負けたくはなかった。この男の前で、これ以上の不様は晒したくはなかった。



「はぁああああああああああああああ!!」


「一丁前な気合いを放つじゃねぇか!」



 頼人の咆哮に、握り締めた長巻が赤い燐光をもって応える。無銘の刀でも、まだ剣精が残っていたか。寿命を迎える灯火が、最後に激しく燃えるように、剣精の輝きが刀を最高の状態に変じさせる。



 ならば小細工はいらなかった。最高の状態で最高の斬撃を放つべく、イブキに真正面から斬りかかる。



「あ、ぁああああああああああ!!」


「おらぁああああああああああ!!」



 頼人の斬撃に、イブキも同じように合わせる。辺りに両者の裂ぱくの気合いが響き渡り、刀と刀がぶつかった衝撃が生み出す威力の波に、砕けた骨の欠片と粉塵が吹き飛んでいく。



 地獄の天地をどよもす、激しい鍔ぜり合いの合間、



「この前厄介な餓鬼を倒してただろ!? その時に使った技を見せてみろよ!?」


「あれはとっときだ!」


「弱いクセに出し惜しみするなんざ命取りだろうがこの阿呆!」



 自分から弾かれるように離れた頼人は、イブキを見据えたまま。しかし長巻は構え直さなかった。



「お?」



 イブキが意外そうな声を上げる中、



『――九重の、雲居を出でて行く月の、憂き身の業こそ(ものう)けれ。武帝詔勅(ぶていしょうちょく)無忤為宗(むきょいそう)何世何人非貴是法(なんぜなんにんひきぜほう)!』



 頼人が刀印の切っ先を向けると、イブキに向かって目に見えない圧力が発生する。その様はまるで突風の如し。空に舞う塵はおろか地面であるしゃれこうべの表層までも吹き飛ばされる。



 しかし、イブキは何事もなかったかのようにそこに居て、



雑魚相手(・・・・)に使うシキなんざ俺には効かねぇって言ってるだろうが!」


 シキをものともしないイブキに、頼人は突きかかると見せかけて、彼の横手を身を低くしてすり抜けた。そして間髪容れずに、イブキの横合いから胴を決めるかのように身体を大きく回し、大廻刀を繰り出す。

 遠心力の十分に乗った斬撃は、すぐさま振り返ったイブキの太刀に止められた。



 柄を頭に掲げ、切っ先を垂らした状態での受け。右に円を描くようにして頼人の長巻を弾き、そして回し切った太刀を今度は左切り上げの要領で打ち込む。赤錆色の風が輪を描くように、頼人の喉元へ。



「くっ」



 頼人は慌てて身体を落とす。見れば頭上を通り過ぎた太刀の柄尻まで、イブキの右手が滑っていた。八寸の延べ金だ。柄の分だけ滑らせて、間合いを伸ばす妙技である。反射的に後ろに身を引いていたとすれば、以前のように、喉が伸びてくる太刀の餌食となっていただろう。



「覚えたじゃねえか――」


「そう何度も同じ手を喰ってたまるか!」



 刀を振り切ってしまったイブキには大きな隙が出来た。その隙を好機と断じ、頼人は渾身の力を込めて斬りかかる。


 だが――


 空いていたイブキの左手が伸び、逆に頼人の首をむんすと掴んだ。

 喉をひしゃげさせんと万力のようにかかる、イブキの強大な握力。



「ぐぁ……ぁがっ……」


「甘いな。そんなんじゃあまだまだ俺には届かないぜ?」



 そう言って、イブキは頼人を放り投げる。そして喉を押さえ膝を突く頼人を前に、イブキは再び玉徳利を引き寄せ、血酒を口に含んだ。


 ごくりと中身を嚥下して、頼人に愉悦の視線を落とす。



「戦え頼人。折角戦(いくさ)に誘われたんだ。話に乗るのが武士の棟梁ってもんだろうが」



 酸欠で朦朧とする頼人の頭上に振ってくる、謎の言葉。

 目覚めるまで終わらない、決して勝てぬ戦いが、今宵も幕を開けたのだった。




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