転生者の精神とは
先ほど保乃の部屋まで案内してくれた初老の使用人に、再び屋敷を案内され、最後に客室に通された頼人。
使用人に開けられたドアの先にはホテルの一室と遜色ない内装が広がり、薄型テレビやシックなソファ、東側にはベッドが二つも置かれており、豪華な様からデラックスルームを彷彿とさせた。
「ここが水下様のお部屋になります。寝間着は置いてあるものを。ご夕食は準備ができ次第お部屋まで運ばせていただきます。他にご用向きがあれば、内線をお使いくださいませ」
「ありがとうございます」
頼人は丁寧な応対をしてくれる使用人に折り目正しく礼を言い、部屋の中に入る。こんないい部屋にタダで泊まれるとは望外の幸運だが、そのいきさつを考えれば複雑そのもの。むしろここには救いの神がいないため、運勢ゲージはマイナスの値を記録している。
頼人がベッドに備え付けられた目覚ましに「いざとなったら助けて下さい」と心の中で念じていると、保乃の部屋から付いて来ていた亜早紀が、部屋の中に入ってきた。
亜早紀は入れ替わり出て行った使用人の気配がなくなったのを見計らって、口を開く。
「水下くん。さっきの言葉、一体どういうつもり?」
「どういうつもりってのは?」
「さっきの保乃さんとの話のことよ」
亜早紀の問い詰めるというような口調、若干トゲがあるその訊ねに、頼人はあっけらかんと答える。
「どういうつもりも何も、そのままの意味だけどな」
「囮役なんて危ないこと、普通一も二もなく断るはずでしょう? そうでなくても、尋常じゃない事柄なんだし……」
「そうだな」
「なら、どうして考えるなんて言ったの?」
「鬼に襲われるんだったら、それを回避するために何かしなきゃいけないんじゃないかって少し思ってさ」
頼人がそう言うと、やはりと言うべきか亜早紀は、
「自分の身が可愛いなら、ここで大人しく待ってればいいだけでしょ? 囮役を買って出るなんて無茶としか言いようがない」
「坂村は反対なのか?」
「…………」
頼人の訊ねに、しかし彼女は答えなかった。彼女には激情もあるが、冷静さも兼ね備えている。ゆえに彼女も本心はおそらく賛成なのだろう。
だが、それでも答えないのは、最後まで頼人の意見を尊重したいがためだ。保乃の提案に加え、亜早紀まで賛成してしまえば、頼人の良心がやるやらないの両天秤を計り損ねてしまうと思ったからに違いない。
室内が気まずい沈黙で満たされる。そんな要因を作り出した頼人は、嫌な空気を打破せんと話題の変更を試みる。
「なあ、坂村。さっきの坂上田村麻呂の生まれ変わりって話、ホントにホントなのか?」
「ええ。さっきも言ったでしょ? 私は征夷大将軍、坂上田村麻呂の生まれ変わり。もちろん坂上田村麻呂も女よ」
「そうでおじゃるか」
と、頼人がおどけて言うと、亜早紀が笑顔で迫ってくる。
「水下く~ん、おじゃる言葉が使われ始めたのは室町時代以降からよ? あなたは私にケンカ売ってるのかしら?」
「あ、いえ、すいませんでした」
亜早紀の笑顔が一瞬般若を孕んだことを見て取った頼人は、ふざけ過ぎたと素直に謝る。空気を和ませようと画策した発言だったが、亜早紀をイジるのはマズかったらしい。花瓶をむんずと掴んだ彼女の姿を見て、額から冷や汗が流れてくる。
「ほんとあなたとは一度白黒つけないといけないかもね」
「いや俺はそういうの遠慮したいんだが」
「ダメよ。これはもう決定事項だもの。いつか何かしらで負かしてあげるから覚悟しておきなさい」
「えぇ……」
「で? 訊きたいのはそれだけ?」
イジられたことの怒りがまだ残っているか。亜早紀の視線は非難に細められ、声のトーンもわずかに落ちていた。
そんな彼女に、頼人は今度こそ気になっていたことを訊ねる。
「いや、やっぱこう、なんだろうな。田村麻呂の記憶とかってのはあるのか?」
「断片的にだけど、あるわ」
「断片的っていうと……思い出みたいに?」
「そうね。大体そんな感じ」
ということは、身に覚えのない記憶があるということなのか。だが、それで彼女自身が田村麻呂本人と確信できるのも腑に落ちないし、だからといっていま目の前で会話している彼女が田村麻呂本人だとも思えない。
「おかしな顔してる」
「だって、なぁ……」
「言いたいことはわかるわ。私が田村麻呂なのか、それとも坂村亜早紀なのか混乱してるんでしょ?」
亜早紀の答えに頼人が頷くと、彼女は、
「田村麻呂の記憶があっても私は私よ。でも、私も田村麻呂だっていう自覚はある。だから、やっぱりそういう部分は上手く説明できないわ」
「平井さんが言ってた、記憶の状態が曖昧ってのは?」
「転生者にもいろいろなタイプがいるのよ。人格が形成していくうちに性格が転生前の人物に引っ張られて完全に転生前の本人になるタイプや、私みたいに今世の自我が強いタイプ。極端に言うと記憶があって、性格も行動指針も近い大体同じな別人……かな?」
「平井さんや大森さんは?」
「保乃さんは完全に本人タイプ寄り。ただ記憶の方は私と同じで完璧じゃないから、当時のことは少し曖昧ってところがある。大森さんは……よくわからない。前に訊いたときは「おれっちはおれっちですよー」って言ってはぐらかされたし、あれで意外と当時のことはっきり覚えてるみたいだから。とある木の名前とか口にしただけですぐ真顔になるし」
転生者にも、いろいろと分類があるらしい。転生である以上、外見上はそうでなくても中身は当時の本人なのだろうかと思っていたが、そうでもないようだ。
ならば、目の前にいる生まれ変わりを果たした少女は、確かに坂村亜早紀という人間なのだろう。
「そうか」
「納得した?」
「いいや、余計こんがらがったよ。だからあまり深く考えないようにする」
「それがいいわね。転生者の私だってそういうの考えるとわけわかんなくなるし」
亜早紀はそう言って、ドアの方へ歩いて行く。そしてドアを開け、思い出したように一度振り返った。
「じゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。あと、今日はありがとう」
「…………」
頼人がお礼を言うと、亜早紀は呆けたように動きを止め、口をポカンと開け放つ。
「どうした?」
「あ、ううん。なんでもない。それじゃ」
そう言って、亜早紀は部屋から出て行った。