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転生者たち


 やがて、屋敷の奥まった場所にある部屋の前まで使用人に導かれると、彼は亜早紀と頼人に一礼して去って行った。ここからの対応については、亜早紀が把握しているのだろう。

 すぐに亜早紀がドアをノックした。



「保乃さん。亜早紀です」


「あー、入っていいぞ」


「……失礼します」



 女のハスキーな、しかし気だるげな返事の許可が聞こえ、亜早紀はドアを開ける。



 するとそこには若い――おそらくは自分たちの同じくらいの歳の少女がいた。

 黒髪をショートに切りそろえ、前髪はぱっつん。眠そうに開けられた目は黒で、右目にはモノクルを着用。男物のスーツを着崩し、ワイシャツを大きくはだけさせている。



 パッと見た印象は、「粋な別嬪さん」という感じだろう。唇に紅をさし、十二単を着せれば平安時代の美女でも通る趣がある。よくなめされた革の肘掛け椅子にやたらとかったるそうに掛けてさえいなければ、とんでもなく絵になったろうに。



 だがその気だるげな態度の中に、何とは言って表せぬ風格が感じられた。歳は変わっても一つ、二つだろうに、どうして畏まった態度を取らなければならないような気にさせる威厳がある。



 頼人は亜早紀と一緒に執務机の前に行くと、その少女はその娟容に意味ありげな笑みを浮かべる。



「なんだ。亜早紀、今日は彼氏でも紹介してくれるのか?」


「ち、が、い、ま、す! ……さっき電話で話したでしょう」


「ああ知ってる。中々のイケメンを連れてきたからつい(・・)な」


「つい茶化したくなったんですか? 保乃さんは性格がねじくれてますよね」


「ありがとう。この上ない褒め言葉だよ」



 そう言って、愉快そうに呵々と笑い出す少女。一方言われた亜早紀は、いままでの疲労が一気にきたと言わんばかりにうな垂れた。

 少女の亜早紀に対する態度は親しげだ。だが、頼人に対してはそうではないらしい。亜早紀にから外された視線が急に細くなり、そして頼人に突き刺さる。



 そんなどこか高圧的で品定めするような視線をしばし堪えたあと、ふっと威圧が霧散した。

 見極めは終わりか。少女が皮肉気な笑みを向けてくる。



「お前が、亜早紀に殺されそうになった被害者か?」


「はい」


「いやいや、よく無事だったな」


「いえ、寿命が縮んだうえ、女の子にトラウマができそうになって困ってます」


「そこまで冗談が言えるのなら、問題なさそうだ」



 頼人の冗談を聞いて、少女は不敵な笑いを口から漏らす。

 一方、亜早紀はと言えば少しだけ不満げに頼人を見ていた。殺されそうになったことをはっきり認めなくてもいいだろうにとでも思っているのだろう。



 亜早紀は少女の方にも不満げな視線を向けたが、しかし彼女はそれを黙殺して、



「平井保乃だ。まあ名前は適当に呼んでくれて構わない。その方がめんどくさくないからな」


「は、はあ……」


「なんだ。元気がないな。男がそれではいかんぞ。まあ七彦みたくなっても困るが」



 性格はどうしようもない。顔に出さないよう、心の中で余計なお世話だと言っておく。それにしても、この平井保乃という女、やたらとぶっきらぼうで男っぽい口調の少女である。



 そして、



「水下頼人です」


「水下か。今回のことは災難だったな。――よし、じゃあそういうことで、部屋は適当に用意するからほとぼりが冷めるまで休んでいろ」


「……それだけですか?」


「そうだが?」


「…………」



 平井保乃は、それ以上何もいうことはないと言うように、頼人を見ている。

 要領を得ない状況になってしまったゆえ、頼人が切り出す。



「あの、ここに来ればいろいろと説明していただけると聞いたのですが?」


「あー、その件だが、別に無理に聞かなくてもいいぞ?」


「え……?」


「や、保乃さん!? 何を言っているんですか!?」



 思惑と違ったからだろう。逼迫した声を出して保乃に問う亜早紀。しかし、保乃は違う思惑があるようで、



「何を焦った声を出しているんだ亜早紀。本気で無理に聞かなくてもいいことだろう?」


「そういうわけにもいかないでしょう!? 彼は鬼に襲われて、ある程度状況を把握しているんです! 中途半端な知識を持っているよりも、ここでしっかり状況を把握してもらって、今後の彼の身の振り方を考えないと後々に影響が出ないとも限りません!」


「別に構わないだろう? 世の中には聞かなくていいことだってある。この件のカタがつくまで匿ってやって、全て終わったら忘れてもらえば、これ以上おかしなものに触れることもない」


「それは……確かに一理ありますが」



 口を挟める余地のない会話を前に、頼人は静かにも黙考する。保乃の言い様は適当な対応にも聞こえるが、要するに彼女は部外者であるこちらのことに気を遣って、今後の生活に支障がないよう考えてくれているのだろう。



 必要以上に知らなければ、今後関わる可能性も各段に少なくなるからだ。

 考えはありがたいが、しかし頼人は自分の状況くらいは把握しておきたかった。



「俺は聞かせていただきたいのですが」



 頼人がそう言うと、保乃はおかしなものでも見るような顔を向けてくる。



「お前奇特なヤツだな」


「普通、おかしなことが起こればそれがどういうことか知りたいものだと思いますが?」


「好奇心はなんとやらだぞ?」


「それでも、お願いします。話すことのできない事柄だと言うのなら諦めますが……」



 頼人が控えめな答えを口にすると、何故か亜早紀が首を横に振った。



「それはダメよ」



 彼女の否定に、頼人と保乃二人して「どうして?」という顔をすると。



「だってさっき私は水下くんに説明するって言ったわ。それを反故にするなんて、口ばかりの無責任よ。保乃さん。水下くんが聞きたいのなら、説明するべきです」


「……相変わらず頭が固いな」


「保乃さんが適当過ぎるだけです」



 ぴしゃりと打ち据えるように言う亜早紀。彼女の物言いは随分と辛辣であった。普通は言われた相手の自尊心が傷つけられそうなものだが、保乃はそれを気にした風もなく、「わかったよ」と気だるげに了承する。



 すると不意に、保乃の表情が切り替わった。気だるげな顔から一転して、どこか大人びた顔だ。頼もしさの印象が随分と増す。



「――で、亜早紀にはどこまで聞いた?」


「ほとんど聞いていないです」



 頼人がそう答えた途端、保乃は「えー……」という顔をする。

 いましがたの真面目な顔は何だったのか。面倒だと言う態度を全く隠そうともしない姿に、頼人の頭が重くなる。



「なあ亜早紀、どうして来る途中で話さなかった? 時間は沢山あっただろう?」


「いままでにないケースでしたので、どこまで話していいかわからず、こういった手段を取らせていただきました」


「そうか。私に丸投げなのか」


「その方が妥当だと思いますが?」


「面倒だが。全くその通りだな」



 同意をして、保乃は疲れたようなため息を吐く。説明がそれほど億劫なのかこの少女は。いや、彼女からはこの世の何もかもが面倒くさいと思っているような節がなんとなく垣間見えるが――ともかくとして。



 頼人がそんなことを考えていると、一転保乃はそうは思わせないような、とびきり真面目な表情を見せる。



「さて、文明の利器を享受し、いまでは夜も昼もない生活を謳歌する人類が作り出した現代社会を生きている諸氏の一人である君の耳には、これからする話は少々ならず、多大に突飛な話になるだろう。つまるところ随分と夢想めいた話になるが、それでも聞く覚悟はあるかね?」



 芝居がかったような確認の言葉に頼人が頷くと、保乃は心底嫌そうな顔をして、耳を小指でほじくり始める。



「あーめんどくせぇ、ホントめんどくせぇなぁお前。あれか? 類は友を呼ぶってヤツなのか? 亜早紀が引き寄せたのか?」


「保乃さん……」



 保乃のうんざりとした声を聞いて、亜早紀は呆れたように呻く。どうも、この平井保乃と言う女、真面目を長続きさせられない性質らしい。



 そんな女は亜早紀に向かって手をひらひらと振って、



「はいはいわかってます、わかってますって。はー、……さっきも言った通り、だ。突飛な話に聞こえるかと思うが、この世には鬼というものが存在する。人を喰らう、もしくは人を害する。尋常ならざる生き物たちのことだ。で、お前が見たのは」


「なまなりとかいう奴ですね」


「そうか。見間違いだって現実逃避してないなら、この話が信じられないということはないな?」


「はい」


「いいだろう。それで、私たちのことを簡単に説明するとだ。その鬼を倒すことを役目としている者……という立場になる。組織立っていて、一応国家から支援を受けて活動しているちゃんとしたところの人間だ。わかりやすく言うと、人間に害をなす怪物を倒すためにできた正義の組織であり、そこの戦士だということだな」



 やはり鬼を倒す組織があり、亜早紀も彼女もそこの人間らしい。

 だが、ここで頼人の中に、少し疑問が生まれた。



「何故鬼を倒すのが警察や自衛隊ではないんですか? 組織として大きい分、そっちの方がいいように思えますが」



 亜早紀が金色の光を振るい、なまなりを黒い砂に変えていたことについては、いまは置いておく。普通は、犯罪者相手や戦うことを生業とする人間たちの方にそういった案件が回ってくるのが至極真っ当だと思うが。



「簡単だ。鬼は警察や自衛隊では手に負えない相手だからだ」


「と、いいますと?」


「鬼という怪物はな、銃火器が効かないほど強靭な肉体を持っているんだよ。もちろんなまなり程度ならばその限りではないが、亜早紀がお前と勘違いした相手、いわゆる本物の鬼は、彼らでは対処できない域にある」


「銃火器が通用しないと?」


「一体一体倒しているわけではなから、まったくとは言い難いが……まあ、それを主武装(メインアーム)にして戦いたくはないな」



 誰もが脅威に感じる現代の武器を、自分たちには不要だと、保乃はむっつりと言い退けた。



 そして、



「まあ、他に理由を挙げれば、警察や軍隊をおおっぴらに動かすと、鬼の存在が公になるから、我らのような人間に任せられているといったところだ」



 鬼の存在が非日常と化している理由は、ここで氷解した。犯罪者の存在ならともかくとして、鬼という危険な存在が人々の生活の中に紛れ込んでいることが発覚すれば、パニックは免れないだろう。


 だが警察や自衛隊で対処しきれないのにもかかわらず、どうして保乃や亜早紀に任せられているのかという話になるのだが――頼人がその質問をする前に、保乃の方から質問が飛んできた。



「――水下、お前は生まれ変わりというものを信じるか?」


「生まれ変わり。……復活とか転生とかのことですか?」


「ほう? 良く知っているな。そうだ。いま私が言ったのは、そういうものを指していると考えてくれて構わん。どちらかといえば転生の方だが」



 ――輪廻転生。リ・インカーネイション、トランス・ミグラシオン、などという呼び方がある、世界中に普遍的に存在する思想の一つだ。その思想が一般的である仏教では、輪廻とは苦しみの詰まったこの世に再び生まれ変わり生死を繰り返す『苦』とし、その輪廻の輪から外れ死から解き放たれることを理想としている。

 まあ、一般人には解脱なんてなんのこっちゃなことではあるが、



「その転生が、この話とどんな関係があるんですか?」


「鬼を倒す役目を任せられた者たちは、いわゆる転生や生まれ変わりをした者たちなんだよ」



 一瞬、頼人の頭が保乃の言葉を拒否する。しかし、耳に残った声がすぐに頭の中に浸透し――



「…………は?」


「……そうだよな。そういう反応になるよな。あーめんどく」


「や、す、の、さ、ん!」


「わかってるって。私に説明を丸投げしたんだから少しは多めに見ろ。私がこの反応をどれだけ見てきて、どれだけうんざりさせられているか、想像くらいできるだろう? この説明をするたびに、『あんた頭おかしいんじゃないか?』っていろんな奴に思われてるんだぞ? ちなみにいまも」


「それも私たちの仕事です」


「いまそんなめんどくさい仕事を押しつけたのはお前だ」


「そういう立場なんですから、諦めてください」


「いつでも代わるぞ? むしろ代われいますぐに」


「無理なことを言わないでください」


「お前の方が適任だと思うんだがなぁ……」


「そんなことはありません。能力から判断しても精神的な年齢(・・・・・・)から判断しても、私より保乃さんの方が適任です」



 亜早紀にきっぱり言われ、保乃は顕著に肩を落とす。彼女にとってはこの説明が随分と嫌なことらしい。まあ確かに、そんな突拍子もないことを一般人に大真面目に説明しなければならない煩わしさを考えれば、顔を歪ませるのも頼人とて頷けなくもない。



「では、俺の隣にいる坂村や平井さんもその……輪廻転生をして生まれ変わった人間なのですか」


「そうだ」


「にわかには信じがたいですが……」


「公にも二千五百件ほど報告例があるのを聞いたことがないか? テレビでもよくやっているだろう? 全てが全て本物とは限らんが」


「…………」



 神妙に言う保乃の様子を見て、頼人は少なからず衝撃を覚える。

 横を見ると、亜早紀も保乃と同じように頷いた。



「ですが、どうして転生した人間が鬼と戦い、鬼と渡り合えるのですか?」



 頼人がそう言うと、亜早紀と保乃は一瞬、頭の上にクエスチョンマークを浮かべたような顔をする。言われたことがピンと来ず、随分ともやもやしているようだが、やがて保乃が頼人の言葉の意味に気付いたらしく、得心がいったような表情を見せた。



「なるほどな。確かに」


「どういうことですか保乃さん」


「水下は名もない一般人が輪廻転生して、鬼と戦っていると思ってるんだ」


「あ……」


「我々転生している人間は説明を受ける前にも多少なりわかっているから、転生の話さえ受け入れられれば、すんなり落とし込める。だが、水下はそうじゃない。わからないからな(・・・・・・・・)。……やれやれ本当にめんどうなケースだよ」



 保乃はそう言ってため息を吐いたのち、頼人への説き明かしを再開する。



「水下。お前はいま、転生者の事情を先ほど私が亜早紀が説明したように思ってるんだろうが、私たちが認識しているこの転生は、歴史上の有名な人物の中でも鬼に関わった人物が生まれ変わりを果たしている」


「鬼に関わった人物ですか?」


「日本各地には、鬼伝説というものが多く残されているだろう? その中に出てくる鬼退治をした人物の中には、歴史上の有名人もいるはずだ? 十数年も生きていれば、多少なり聞いたことくらいはあるだろう?」


「はい。いくつかは」



 ある。鬼が出てくる絵本やおとぎ話は幼い頃何度か読んだ覚えがあった。

 すると、保乃が忍び笑いを漏らし出す。



「ちなみに亜早紀は、坂上宿禰(さかのうえのすくね)の生まれ変わりだ」


「さか?」


「そうだ。わかりやすく言うとあの坂上田村麻呂のことだ。授業で習ってるだろ?」


「それは中学の時にはもう習ってますが…………って、ええ⁉ ええええええ!?」



 周囲を憚らず、頼人の驚きが口から盛大に飛び出す。

 坂上田村麻呂と言えば、平安時代の人物で、学問の神様と呼ばれた菅原道真と並んで武の神とされた武将のことだ。彼の名前を出せばほとんどの者が征夷大将軍と答えを返すほど有名な人物である。



 だが――



「な、なに? なによ?」



 頼人が亜早紀に向かってにぎこちなく首を動かし、疑いともつかない驚きの視線を向けると、彼女は困惑したように顔を見た理由を訊ねてくる。

 その答えになる言葉を、しかし頼人は返せない。田村麻呂には、武者姿をした髭面で巨躯のおっさんというイメージがある。絵などは残っていないため、そのイメージも正しいものとは言えないだろうが、しかしどうあってもそのイメージがこの目の前の可憐な少女と重なるとは思えなかった。



 だって、「まろ」だし。



 そんな中、先ほどから忍び笑いを漏らしていた保乃が、



「く、くく……」


「……なんです保乃さん。その意味深な笑いは」


「いやなに、いま水下はお前と坂上田村麻呂のイメージをどうにかしてくっ付けようと腐心しているんだと考えると、どうも笑いが止まらなくてな。はははははっ!」



 亜早紀は保乃の嘲笑うような態度に、苛立ったか。彼女に眼光だけで人を射殺せそうな視線を保乃に向ける。

 ひとしきり保乃を睨んだあと、彼女は改めてこちらを向いて、答えた。



「水下くん。私の前世、つまり坂上田村麻呂も女だったのよ」


「……マジで?」


「ええ、マジよ」


「…………」



 あまりのことに、頼人はそれ以上言葉を口にできなかった。

 突飛な話をされるとは聞いてはいたが、これはさすがにとびきりだ。鬼は見たゆえまだいいが、その次に輪廻転生が来るとは思いも寄らなかった。



 頼人が反応に困っていると、保乃が口を開く。



「坂上田村麻呂も鬼退治をしていたというのは、いくつか有名な伝説があるから一つくらいは知っているだろう? まあ、それだけではないが……」


「保乃さん。そんな話いまは関係ないでしょう」


「そうだな。転生を果たした人間は前世の記憶とその力を引き継いで生まれてくる。記憶の状態は転生者によってまちまちで、今世の自我が強く本人だと言う自覚が薄い者もいるが――ま、それが関係して、亜早紀も私のところに来たというわけだ」



 頼人は再び二人を見る。二人の表情は真剣で、彼女たちが嘘を言ってこちらを惑わせようとしているという風には思えなかった。実際に鬼や、亜早紀の常人をはるかに超えた力を目の当たりにしたため、信じざるをえないということもあるのだが。



 亜早紀が頼人の方を向く。



「そういった理由で私は四方市に転校してきたの。都内や四方市にいる鬼を倒すためにね。もちろん当分四方市にはいるつもりだけど」


「そうなのか……」



 彼女の転校には、そんな裏事情があったのか。鬼と戦うために転校までするとは、よほどの気概が窺える。


 頼人がそんなことを考える中、ふと気になることを見つけた。



「平井さん」


「どうした?」


「鬼とは一体なんです?」



 その訊ねに、保乃は眉をひそめる。



「……? 水下、それはどういった意図を持った訊ねだ?」


「いえ、ふと疑問に思ったことを口にしただけで特に深い意味はないんですが、鬼と一口に言ってもいろいろなものがあると思いまして」


「ああ、私たちが言っているのは、節分のお面や、各地の銅像みたいな赤い顔や青い顔をした鬼ではないからな。アレらは完全に創作だ。本物の鬼は姿も意識も普通の人間と変わらないぞ。鬼の証左である角も隠すしな」


「そうですか……」


「納得したか?」


「はい」


「そうか。なら、説明しなければいけない話はこれくらいだな」



 そう言って、保乃は頼人の疑問に対する回答を終え、締めくくる。静かに瞳を閉じ、落ち着き払った表情を見せる彼女に、頼人が訊ねる。



「では平井さん。俺はこのあとどうすればいいのでしょうか?」


「さっきも言ったが、事態が終息するまで部屋を貸してやるから、そこで大人しくしていろ。なまなりを取り逃した以上、再度襲われる可能性は否定できないからな」



 命令に近い保乃の言葉に、しかし頼人は弱ったような表情を見せる。



「いや、大人しくしていろと言われましても、俺にも学校がありまして……」


「は?」


「……何言ってるの? 水下くん」


「いや、だからさ」



 学校に行かかなければならない。頼人がそのことを伝えると、保乃は呆気にとられたような顔になり、亜早紀は怪訝な表情を浮かべる。

 やがてすぐに保乃が、頼人がいまの説明で上手く理解できなかったのは自分の落ち度だというように、謝罪を入れた。



「……私の説明が足りなかったな。すまん。お前が住んでいる四方市には人を襲う化け物がいて、お前はそれに狙われるかもしれないんだ。だから、亜早紀がその化け物を倒すまでここで大人しくしていろ、ということを私は言ったんだ。わかるな?」


「はい」


「よし」



 今度こそしっかりと理解させられたことに、保乃は満足そうに頷く。すると頼人が控えめな態度で声をかけた。



「あの、平井さん。一つお願いが」


「なんだ? もしかして部屋のことか。ああ、男だものな。考慮するぞ。ちゃんと個室を用意するし、オ(バキューン)用にエロ本もいくつか……」



 男子高校生の赤裸々な事情を考慮した保乃の提案に驚き、そして焦り始めたのは、頼人ではなく亜早紀だった。



「や、やややや保乃さん!? いいい一体何を言ってるんですか!?」


「うん? だからエロ本だエロ本。亜早紀も(バキューン)ニー用で十冊や二十冊は持っているだろう?」


「そ、そんなに持ってません!!」


「なんだ。恥ずかしがる必要はないだろう。別に私やお前くらいの歳の子がエロ本を二桁単位で持ってたって、なんらおかしくはない」



 真っ赤になって叫ぶ亜早紀の前で、保乃は自分の答えに間違いなどないと言わんばかりの表情で、うんうんと頷く。

 二桁単位が普通とはいくらなんでもおかしいだろう、というかアンタは持ってるのか、というツッコミは心の中で入れておいて、頼人はまず収集の付きそうにない会話に飛び込むことを試みた。



「あの……」



 呼び掛けに反応した亜早紀が、ぎゅんっと風を切るような音が鳴りそうな速度で、頼人の方を向く。そして、いつになく逼迫した表情で目を瞑って叫んだ。



「だめよ! オ(バキューン)とかエロ本なんて! 自分の家ならともかく他人の家でなんて言語同断なんだから!」


「女の子がでっかい声でそんなこと言うなよ……」



 頼人が複雑そうな表情で突っ込みを入れると、彼女はしまったというような表情を見せる。会話の流れに乗せられ、きわどい発言をしていた自覚がなかったのか。思い出して再び慌てふためき始め、もう遅すぎた取り繕いを敢行する。



「こ、これは! や、保乃さんが言ったからで……」


「亜早紀、自分のはしたなさを人のせいにするのはよくないぞ?」


「~~~~!?」



 羞恥で一気にゆで上がった亜早紀を見て、保乃は忍び笑いを漏らす。



「くくく、まあ亜早紀がオ(バキューン)大好きなのはいまはどうでもいいとしてだ」


「みゃぁああああああああああ~!」



 恥ずかしさが限界を超えたらしい亜早紀は、猫のような叫び声を室内に響かせる。保乃も保乃で、恐れ多くも武神坂上田村麻呂の生まれ変わりにそんなことを言うとは、肝が据わっているというか、恐れを知らないというか、結構食えない人間らしい。

 羞恥で震えて赤くなった亜早紀を、ひとしきりにやにやと眺め満足したか保乃は、改めて頼人の頼みごとに耳を傾ける。



「で、冗談はさておき水下。お前のお願いとやらは一体何だ?」


「はい。学校に通わないとならないので、日中は学校に行かせてください」


「…………」


「…………」



 頼人の言葉で、執務室が再びおかしな空気で満たされる。そして、



「……もういい。めんどい」



 保乃はぐでん、とデスクに上半身を投げ出した。

 ……虚ろな視線を部屋の隅に向け、頼人や亜早紀の方は見ようともせず、あらゆることを放棄したいと態度で示す保乃。目の前のことを投げてしまったそんな彼女に、亜早紀が再度訴えかける。



「保乃さん!」


「亜早紀ぃ、私は持てる力の限りを尽くして説明したつもりだ。それでも理解させられなかったということは、私にはこれ以上このバカに説明する力はないということだ。連れてきたお前が責任を持ってどうにかしろ」


「どうにかしろって……」



 弱ったような表情を見せる亜早紀に、保乃はまるで呪詛を口から吐き出すように「命令だ。命令……」と垂れ流す。



 しかして亜早紀は、頼人の方を向いて、



「水下くん。本気で学校に行くつもりなの?」


「行かないとマズいからな」



 そう、頼人にも登校しなければならない事情がある。地獄の件での精神科通い以外に、このうえ学校に行かないとなれば、どうなるかわかったものではない。確かになまなりも大きな脅威だが、頼人にとって入院はそれ以上の脅威になりえるものなのだ。



 そんな事情を知らない亜早紀は、呆れたような様子で、



「あのね、鬼に襲われる方がもっとマズいと思うけど?」


「確かにそうだけど、まさか奴らも人気(ひとけ)の多い真っ昼間から襲ってくることはないだろう?」


「それは、確かにそうだけど……」


「学校が終わったら、電車に乗ってすぐここに来ればいい。まあ出費はそれなりにあるだろうけど」


「私はそんな金は出さんぞー。めんどくさいからなー」


「平井さんにそこまで甘えるつもりはありません」



 頼人が首を横に振ると、保乃は一転デスクに預けた上半身を上げ、細めた黒の双眸で見据えてくる。



「ふん……お前はそうまでして学校に行きたいのか」


「勉学は学生の本分ですから」


「すげー見上げた精神。私はさぼれるならなんでもするのに」


「保乃さんは水下くんを見習うべきですね」


「はは……まあ、今後の生活もありますし」


「その生活を棒に振るかもしれないのにか?」


「はい」



 頼人がそう言うと、保乃が不敵に鼻で笑う。



「いい度胸してるよお前。鬼が怖くないのかよ? ええ?」


「怖いですけど」


「…………」



 頼人は怖いと言い切った。にもかかわらず、保乃は頼人がこの部屋に来た始めのように、品定めするような視線を頼人の瞳に向けてくる。その油断ない視線で何を見極め、何を見抜こうというのか。しばらくの視線の交錯ののち、保乃は頼人の瞳から何を読み取ったのか、不敵な笑みを浮かべながら提案する。



「水下、なんならお前、私たちに協力してみないか?」


「保乃さん……?」


「協力、ですか?」


「そうだ。囮役がいると、いろいろ捗るだろう?」



 困惑気味の頼人の訊ねに、保乃が口の端を獰猛に吊り上げる。

 一方亜早紀は感情が高ぶったのか、デスクに両手を突いた。デスクの上にあった書類が舞い、雑品が震えるほどの力と音。そして行き過ぎとも言えるような提案をした保乃に対し、懐疑の交じった鋭い視線をぶつける。



「保乃さん、それは正気の言葉ですか?」


「ああ、もちろんだとも。なあ水下。私たちの部隊は出来てから日が浅く、慢性的に人手が足りてなくてな。いまのところ四方市に割ける人員は亜早紀しかいないんだ。さすがに一人では時間がかかる」


「それで俺に囮役になれと」


「なまなりに襲われたお前が四方市を無防備にうろついていれば、再び奴らが襲い掛かってくる可能性があるからな。それを逆手に取れば、鬼共を探す手間も省けると言うわけだ」


「保乃さん、それはいくらなんでも!」


「無茶苦茶な話、か? だが、このまま鬼を倒すのにまごついていれば、四方市の被害は増える一方だ。私のところに届いている非公式の被害報告も、馬鹿にならない数になっている。なら、こちらからそういった策を打ち出すのも一つの手だと思うが?」


「彼にそんな危ない役を負わせるのは筋ではありません! 水下くんは私たちとは違う普通の人間なんですよ!」


「だからいい。その方が奴らも襲いやすい。亜早紀。お前はいま筋と言ったが、確かにお前の言う通り筋はないだろう。だが筋はなくとも、道理は立っている。改めて訊くが、この手をお前は悪手だと思うか(・・・・・・・・・・・)?」


「それは……」



 保乃の問いに、亜早紀は答えを返せない。彼女が反論に困ったのは、彼女自身も保乃が提案した方策に有用性を見出したからだろう。彼女たちが四方市で相手をする鬼が餌をぶら下げれば寄ってくるような単純な相手ならば、悪くない方策だと言える。



 しばらく亜早紀と視線を交わしていた保乃が、ふと頼人に向き直る。



「それで水下、お前の返答はなんだ?」



 向けられた凛々しい表情と氷刃のような視線は、転生者ゆえのものか。彼女の見せる面差しそれは、先ほどまで仕事を厭っていたような相手の顔ではなかった。

 ……果たして、己はどうするべきか。頼人はそう自分に問いかける。自分が危険な目に遭う義理はない。命の危険を冒さずとも、いずれは転生者である彼女たちが鬼を退治してくれるのだ。安全を求めるなら、無理をせず待っているだけでいい。


 だがそうわかっていても、それで本当にいいのかと問いかけてくる己が心の中にいることは、否定できなかった。


「……少し、考えさせて下さい」


「み、水下くん!?」


「わかった。答えは気が向いたらでいい。今日はもうゆっくり休め」



 そう言って保乃は、手元に置かれた使用人を呼ぶベルを鳴らしたのだった。




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