七話
鼻から息を吸いつつゴブリンの遅い横凪ぎをスウェーでかわし、口から鋭く息を吐きながら踏み込み剣をゴブリンの腹に突き込む。
ギィギィと耳障りな悲鳴を上げ、後ろに下がろうとするゴブリンの腹を蹴飛ばして剣を抜き、そのまままた、剣を反して踏み込んでゴブリンの首に剣を突き立てると、ゴブリンの体が光になって消えた。
ゴブリンは人間で言う防御体勢をとらない。人であれば腹に剣が刺されば腹を押さえて踞るらしいが、ゲームのエネミーであるゴブリンは痛みなど感じないとばかりに突っ込んで来る。
だが、だからこそ、遠慮無く止めをさせる。
肉を突いた感触を拭う様に血振るいすると、俺は剣を鞘に納める。
「はあ。やっぱり感触が慣れないなぁ」
「ユウジもカズくんも、未だに慣れないらしいから、仕方無いんじゃない? 私は中った手応え位しか分からないけど」
後ろで待機していた優香が、ウサギのリックを抱いて来た。
まあ、何かを斬る感触に慣れても困るのか、この場合。
「私には中った手応えとか、そんなのすら分からないですから、その辺りは心底銃で良かったなと」
ナナクサはウサギを足に絡ませながら歩いてくる。つのまるだ。
「その代わり、銃や弓は魔法障壁相手はキツいと」
剣や槍がプレイヤーの持つ技量で攻撃力が増減するのに対し、弓や砲は武具が持つ攻撃力が増加する事は無い。
弓は引き絞る力を変えれば攻撃力を落とす事は出来るが、砲は弾の種類と武具の相性で攻撃力が決まる。
環境によっては減少するだろうが。
砲は魔物相手の狩りに一番適しているとされている。それなりに当てる技量があれば、遠隔から攻撃して終わりだからだ。弓の様に当てる技量を半端なく求められる訳でも無く、同じ攻撃力を安定して繰り出せる。リアルの戦争が銃主体になったのも納得である。
しかし、ここは魔法のある世界である。魔法の一つである魔法障壁は、防具の持つ防御力の上に更なる属性耐性付防具を纏う様なものだ。
有効属性攻撃なら全く紙の様に意味を為さないが、それ以外の場合、耐性属性なら最大で四〇%、それ以外なら最大二〇%の攻撃力減衰が起きる。
弓や砲の場合は、その射出力で攻撃力が決まるゆえか、魔法障壁に多大な影響を受けてしまう。弓は矢自体の攻撃力、重さがあるので、ましな様ではあるが。
つまり、砲は魔法を持っている敵に対して殆ど有効ではないのだ。PvPでも動きを阻害する程度にしか役に立たない。毎回ヘッドショットを決められる腕があれば話は違うのだろうが。
「ガンカタとかカッコいいけどなぁ」
「あれ、出来る人いたら尊敬します。そもそもあんな無理な体勢でどうやって銃の反動を押さえてるのかも疑問ですし、排莢で火傷しない理由も分かりません。リロードも出来ないし」
そこはロマンでどうにかするんじゃないか?
ナナクサによる銃講義が始まる前に、ドロップを拾いに……と、思ったら、ココが咥えて持ってきた。
俺の足元に拾ったドロップを置き、見上げて鼻をスンスン動かすココ。一撫でしてから、ドロップを収納する。
「しかし、兄さんも大分剣に馴れたみたいね」
既にこの剣で二〇匹以上のゴブリンとコボルトを狩ったのだ。馴れてなけりゃ困る。
半分位はココに止めを刺して貰ったが。いや、ココの魔法も鍛えないといけないし。ヘタレた訳では無いぞ。うん。
コボルトはあった瞬間に攻撃してきた。ウィキの通り、二足歩行の犬って感じで攻撃し辛くあったが、向かってくるなら仕方無いだろう。
早いと聞いていたが、ゴブリン以上イベントの魔物以下って早さで、しかも直線的に向かってくるからカウンターで十分倒せる。
しかし、倒し切れなかった場合はすぐ逃げるので、その時はココのファイアボールで仕留めた。
まあ、そんな感じで既に『ゴブリンの耳』は必要以上に集まっている。序でに『コボルトの牙』も集まっている。
初心者クエストはお菊ちゃんの所に報告すれば終わるだろう。
午前八時三二分。本来なら高校でだらけている時間だが、まだ俺達は南の街道外れの岩場にいる。橘の指示だ。
橘の声明に、やはりというか、かなり反感が集まった様で、今は街に入ってくるな、そして、その間にテイムについての情報を集めろとのお達しである。
怒りは人の足を止める。テイムの方法が一つではないと分かっているのなら、その方法を模索する方が建設的だと思っていても、怒りは判断を鈍らせる。怒りが持続する二日間。その間に"皆に教えられる"テイム方法を見付ける事が出来れば全てが丸く収まる。
と、橘の言だ。
なるほど。確かにその通りであるが、その場合誰かに先にテイム方法を見付けられたら橘の立場が危うくなるんじゃないか? と、聞いたら、「その時はその時だよー」と笑っていた。
何か考えがあるのだろう。
で、俺達は未だに南の街道をウロウロしている。
しかし、南の街道と一口で言っても、その範囲は広い。始まりの街から南に行った所にある街までは歩いて八時間程の距離が有るのだ。
歩く速さが時速五キロメートルと考えて、四〇キロメートル。幽玄マップに表示されている範囲だけでも二〇キロ平方に近い広さがある。
疲れがないVRだとしても手間の掛かる範囲だ。
視界の悪い岩場が怪しいのではと、岩場付近を探索して、途中のゴブリンを倒して、五キロメートル程の探索が終了した所である。
「しかし、テイムの方法が複数って、そんなにあるんですかね。この辺りも結構みんなが探索してますよね」
ナナクサが少し愚痴る。体に疲れはないが、精神的には疲れるのかも知れない。
「確かにそうみたいだよな。ウィキにもこの辺りの詳細地図が載ってたし」
「そんな事言うなら、他のマップだって埋まってるわよ。こう言うの専門でやってるギルドもあるし」
そりゃそうか。仮にも全マップほぼ攻略済みと宣言していたのだ。マップが埋まっていない筈がない。
じゃあ、あと考えられるのが、ここの魔物のテイムか、アイテムによる隠しイベント。称号による隠しイベントとかは場所を見付けないといけないのがキツイ。
テイムは、ゴブリンとコボルトはダメとして、他の魔物に会わないのが痛いな。
アイテム箱から、『光の玉石』と、『聖観音の要石』を取り出す。
『光の玉石』は、埋まっていたものとは別に、報酬でも手に入ったので二つある。試しに思考選択しても、何も表示されないのでここでは使えないらしい。
『聖観音の要石』も思考選択したが、なにもない。
「なあ、このアイテム、見覚え無いか? 使い方が全く分からないんだ」
攻略は一人でするものじゃない。
先程の指示を受けた時、俺の称号なのにどう攻略していいか分からない事を謝ったら言われた言葉だ。
こう言うMMOの攻略は一人で全ての情報を得る事など、よほどの運がなければ無理だ。だから、仲間で分担するんだよ。と……。
これは俺だけのゲームじゃない。このゲームをプレイしている、皆のゲームなのだと気付かされた。だから、こんな質問をすれば──。
「二つとも、聞いた事が無いアイテムね。あ、でもこの玉石って言うのは確か帝都の武具店の工房で見た気がするわ。彼処だけ工房に入れるのよ」
「要石ですか。移動させてはいけなかったり、無いと何も出来ない位重要な人や物を比喩で言ったりしますよね? 神話だと地震を起こす大鯰の動きを封じる石だとか」
「大きさや、形的には何処かに置く物? 聖観音が関係してて、無いと何も出来ない所……っ!! 帝都の聖観音寺院の大迷宮!!」
──仲間が教えてくれる。一人でやらなくてはと考える必要はない。俺は気負い過ぎていた。
早速橘に連絡して、帝都と聖観音寺院の情報を貰うと、大迷宮は入り口に丸い窪みが五つ空いていて、それがキーなのではと噂されていたが、誰も見付ける事が出来なかったそうだ。なので、ただのオブジェだと言われていたらしい。
五つだ。
つまり、イベントも五つあるのか? でも、このアイテムは発掘で出たアイテムだ。慎重にやらないと取り零しが出るかも知れない。
始まりの街から帝都までは南に行って、一つの街を経由して二つ目の街。
「帝都に向かう道中でイベントをこなせって事か?」
「アイテムがイベントに関係しないなら、やっぱりテイムが関係してるんでしょうか。この広い場所を探して歩くって……。つのまるー……。お友達紹介してー……」
不思議そうな顔をして首を傾げるつのまるを膝をついて抱きしめながら、ナナクサの愚痴が止まらない。もう駄目かもしれないって、ん?
「ココ。仲間になってくれそうな魔物の所に案内してくれないか?」
俺の足元で座っていたココが、動き出した。
驚いている二人に笑顔を向け──。
「ナナクサ、ナイス!! 」
やっと攻略の糸口が見付かった。
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「……あれ……か?」
俺達は従魔のココに先導されて、一匹の魔物の前に立っていた。
「……あれ、みたいね」
「って!? あれってなんなんですかっ!?」
俺達がいる場所は先程の場所から一キロメートル程先に進んだ、切り立った崖が壁となっている岩場の端だ。崖の壁を囲う様に三方に並んだ、大きな岩の僅かな隙間から入る事の出来る、一〇メートル平方位の空間。そこには岩以外何も無く、ただ空間の地面に写る岩の影と、陽光に照らし出される崖の壁が、まるで厳かな大地の神殿とでも言う様な雰囲気を醸し出していた。
狭い入り口から入った後、暫くその雰囲気に呑まれていた俺達だが、すぐに異変に気付いた。
その異変が、目の前にいる。
「優香。俺は今日の為に色々ウィキを見たり、掲示板を漁ったり、たち──、ユウジから語られたり、本当に色々と調べてきた」
「私はネタバレ嫌な方だからあまり見ないけどね」
「それは置いといて、あれは……何かな?」
「知らないわよ。あんな魔物、初めて見るし」
「そうだよなぁ、まさか、空から降りてくるとは思わないよなぁ」
そう、空間の厳かな雰囲気に、敬虔な信者の様な気分で無言を貫いていた俺たちの前に、突風と共に降りてきた魔物。
睨まれただけで弱い魔物なら気絶してしまいそうな鋭い眼と噛まれたらただでは済まなそうな黄色く大きい嘴。広げれは五メートルはありそうな翼とまるで鋼鉄の様な鈍い光を反射する鉤爪。筋肉質で、しかし瞬発力もありそうな後ろ足の蹄は太く黒光りして、長い毛の生えた尾はスラリと垂れ下がり自身の起こした風に揺れている。
体の前半分が鷲、後ろ半分が馬。ヒッポグリフである。
「このヒッポグリフを……テイムしろと?」
俺は思わずココに問い掛けた。てか、どう考えても、格上だよな。テイム出来るの?
ココは俺の足元で俺とヒッポグリフを交互に見ている。ヒッポグリフからすると、お前エサじゃね? 平気?
後ろの二人を見ると、其々が自分の武器を手に持ち、何時でも攻撃出来る状態で俺を見ている。
分かったよ。行けば良いんだろ? 行けば。
「じゃ、行くわ」
ヒッポグリフに向かって歩き出す。テイムするのだから、武器は手に持たない。
着いて来ようとするココに、後ろに下がる様に指示する。
称号はちゃんと装備してるよな? ヒッポグリフとの距離はもう、間近だ。
お辞儀した方が良いのか? あれは創作か。いや、ODOもゲームだし創作か。
近付く俺をじっと見るヒッポグリフ。じっと見られる事がこんなにも緊張する事だったなんて。後でお菊ちゃんに謝ろう。
既にヒッポグリフとの距離は一メートルを切り、お互いが少し手と頭を伸ばせば触れ合える距離だ。
ヒッポグリフは座ったまま、俺を見上げる。相手から近付く事は無い様だ。なら、俺から踏み出すしかない。一歩近付き、腰を下ろす。
ヒッポグリフは大きな鷲の頭を俺の膝に乗せた。白い羽毛の頭を撫でると、ヒッポグリフは気持ち良さそうに目を閉じた。
暫く撫で続けると、ヒッポグリフに思考選択する。
『??? (ヒッポグリフ)(飼い主: リョウ)』
『名前を付けて下さい: ???』
テイムが成功した様だ。やっぱり分からん。もしかしたら見た瞬間にテイム完了とか訳分からん仕様なのか? 撫でる事でテイムされるなら、ゴブリンとかも押さえ込んで撫で回せばテイムされるのか? それ、女性型の魔物なら、ヤバい構図だけど大丈夫か? いや、それよりもこのヒッポグリフだ。飼い主俺になってるから大丈夫だとは思うんだけど、念の為に名前まで付けるか?
鷲と馬だから、わじま? 馬と鷲でまわし? 相撲かよ。偶然って怖いな。
うまわし……うまし……美味しいのか? あ、デリスでどうだろう。デリシャスから取って。
うん。それでいこう。
『デリス Lv.15 MLv.20 (ヒッポグリフ)(飼い主: リョウ)』
『HP: 226』
『MP: 218』
『Atk: 192』
『Matk: 157』
『魔法障壁(風)』
攻撃されてたら一撃で死んでたな。俺。
そして、中級の魔法障壁持ちか。優香やナナクサの援護も期待出来なかったな。
座ったままもう少し近付くと、頭から背中まで撫でる。羽毛の感触と、馬の短い毛の感触が混じりあい、撫で心地が素晴らしく良い。暫く撫でていよう。
優香とナナクサに目で大丈夫と知らせると、優香達も近付いて来た。
ココも来て俺の膝に乗ろうとするが、デリスの頭があって乗れない様だ。諦めたのか、デリスの頭に乗って伸びている。デリスは少し嫌そうにしたが、すぐに慣れたのか、おとなしくココと一緒に撫でられていた。
心暖まる光景に、にやける顔を隠しきれない。
優香とナナクサが羨ましそうに見ているが、委譲は出来無い。何故ならもううちの子だから!!
しかし、デリスは一人なのか? だとすると委譲の確認が出来ないな。
「デリスは仲間はいないのか?」
少し頭を上げて俺を見て、崖の上を見上げる。
「崖の上か。連れて行って貰えるか?」
クエエっと一鳴きしてデリスは大きな体を起こすと、俺の前に膝をついている。乗れって事か? ……乗れ? 俺、乗馬出来ないけど平気?
取り敢えず股がる。ステップが無いからすげぇ不安定だ。鬣掴んでニーグリップで行けるか?って、俺一人で行っても意味無いのか。優香を見ると、顔を青くして、激しく首を振っている。あ、こいつ高所駄目なんだっけ? あれ? でも、観覧車とか大丈夫だよな。
「不安定な高所が駄目なの!! 足が着かないと駄目なの!!」
て事は、鞍があれば大丈夫なのか? つーか、轡とか手綱ってどうするんだろう。
ナナクサの顔は真逆に輝いている。ススス、と近寄り俺の隣に立っている。
「崖の上って、未開マップですよね。一緒に行っても良いですか? 乗ってみたいし!! 鐙がないから乗馬撃ちは出来ないけど!!」
ああ。西部劇とか、カッコいいもんな。
「鞍がないから、かなり不安定だと思うけど、大丈夫か?」
「分かりませんけど、あまり急に上昇とかしなければ大丈夫じゃないかな?」
うーん。俺も乗馬はした事無いし、正直全く分からん。
「この子も連れて行っても平気?」
クエエと鳴く。大丈夫って事かな。じゃあ、後ろに……乗ったね。早かったね。シュタッと速攻で飛び乗ったね。しかし、初タンデムがVRでしかも馬。
緊張する。鞍も無い、安定しない状態でのタンデム。ナナクサが落ちたらどうしよう? とか、色々考えてしまう。出来る限り優しく飛んで貰おう。
ナナクサが乗ってすぐにデリスが立ち上がる。三人乗りは無理らしい。
「って、抱き付かなくて良いから。それやられると動けなくなって怖いから」
「え!? だって掴まる所が無いのでこうするしか!?」
「せめて腰辺りを掴んでくれ。ベルト辺り。で、太股で馬をギュッて挟む様に」
「馬の乗り方知ってるんですか?」
「いや、バイクの乗り方だけどな」
しっかりと俺の胸辺りに手を廻すナナクサを制しつつ、優香の方を見れば、残ったウサギ達を足に絡ませて心配そうにしている。
「大丈夫だ。ちょっと行ってくる」
「心配してないわ。これ、持っていって上に設置して」
渡されたのは、大きめの巻いてある紙、羊皮紙か? なんだこれ?
「転移拠点設置のスクロールよ。私が登録してあるから、それを上に持っていって、地面に拡げてくれれば設置完了。こっちの転移アイテムで転移出来るわ」
へえ。色々アイテムもあるんだな。
「了解。じゃ、行ってくる」
「じゃあ、ユウカちゃん。また後でね。つのまる、ユウカちゃんの指示に従ってね」
デリスが翼を広げ、タッタッタッと前に走り出す。助走か。肩甲骨辺りから生えた翼が大きく羽ばたくと、フワッとする浮遊感と共に地面が遠退いた。
一羽ばたき毎に遠くなる地面。岩で囲まれた狭い空間を器用に螺旋上昇していく。
また、ナナクサの手が俺の胸辺りに廻る。こちらは鎧を着ているから、ナナクサがどれ位の力でしがみ付いているのかは分からないが、廻された手の白み具合からかなりの力が入っているみたいだ。意外と安定して乗れているので、鬣を掴む手を一つ外して、ナナクサの手に添えると、白んでいた手に赤みが戻る。
実はかなり怖かった様だ。
そろそろ岩の空間から、外に出る。下を見れば優香がウサギを抱いて見上げている。
ってあれ? ウサギ、足りなくない? 下にはウサギ二匹。つのまるは下に残った。
……ココは?
デリスの頭の上で寝ていたココ。下ろした覚えが無い。前を見れば、デリスの頭に鹿の角が生えている!? 違う!! ココがデリスの頭にしがみ付いている!!
「デリス!! ココがヤバそう!!」
俺の必死な訴えに、デリスはクエエと呑気な声を上げた。
いやそうじゃないと口にしようとした直後、不思議なエフェクトが俺達ごと、デリスの体を覆った。何だ?
「多分、魔法障壁です。こんな使い方もあるんですね」
先程まで、轟音で聞こえる筈の無かったナナクサの声が聞こえる。
ココを見れば、心持ち余裕がありそうにへばりついている。風に吹き飛ばされる心配は無さそうだ。
「ありがとう。デリス。楽になったよ」
と、ずっとナナクサの手を握ったままだった事を思い出した。俺も余裕が無かった様だ。
離そうとすると、逆にナナクサから握ってきた。呼吸も楽になり、風の抵抗も薄れたからこそ、空を飛んでいる事に対する恐怖心を感じる暇が出来たのかもしれない。
まあ、ナナクサは今日色々あり過ぎてるからな。テイム関係で困ってしまったり、突然攻略に巻き込まれたり、終いにはヒッポグリフで空の旅。暫く様子を見るべきだな。
突然、目の前が真っ白になった。明る過ぎて白飛びした視界に思わず目を瞑ってしまうが、次に目を開くと、そこには絶景が写っていた。
うわぁ、と、感嘆の声を上げるナナクサ。
「綺麗だな。これがODOの世界か」
「はい。すごく綺麗」
眼下にはどこまでも続く大地と、手前に陣取る幽玄の街。青々と繁った森や林は草原の薄い緑に映えている。遠く、小さく見える街が次の街だろう。真っ青な空に緑の大地。現代では数少ない光景がそこにある。
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地面に降り立つと、そこは鬱蒼と繁った草と木に埋もれた樹海であった。
未開地──崖の上は、様々なプレイヤーがトライし挫折した、高さ五〇〇メートルにも及ぶ断崖絶壁に囲まれたエリアで、地質は脆く、足場も無い為に死に戻りの壁とも言われている前人未到のエリアである。
場所は幽玄の南西に位置し、幽玄の南にある"久遠"と、西の"紅蓮"への街道、"久遠"と"紅蓮"を結ぶ街道に挟まれた三角地帯である。
その前人未到のエリアに立っている事を考えれば心踊るが、その実、不安の方が大きい。
後ろを見れば、俺を降ろした事で次の指示を待つデリスの姿がある。デリスのレベルが一五であった事からも、ここにはレベル一五位の魔物がいるエリアだ。
ヒッポグリフはテイム出来る可能性が高いので問題無いと思うが、未開の地であるからには知らない魔物がいてもおかしくない。
少なくとも魔法障壁は必要だが、俺は魔法を覚えていないし、ココが覚えている魔法はウォーターボール、ファイアボール、後は攻撃力増加のバフだけだ。
ゴブリンとコボルトを倒したのでココのレベルは上がっているが、それでもレベル九で魔法レベルに至っては五だ。魔法障壁が使える中級の魔法レベルが二〇なので、まだまだ先が長いのだ。
どうするか。このイベントがかなり時間を掛けて挑む事を想定しているなら、俺は負ける。
まだ一日目の新人なのだ。しかし、時間がないのも確かだ。テイム方法だけはどうにかしないとまずい。橘もまずいし、隣にいるナナクサもまずい。
「取り敢えず、ユウカちゃんのアイテムを設置しませんか?」
ナナクサが真っ赤な顔で言う。飛行中ずっと手を握っていた事が恥ずかしいみたいだ。正直、怖いものは怖いんだから仕方ないと思うが、割り切れないものがあるのだろう。
「ああ。そうだな」
アイテム箱からスクロールを取り出すと、座って地面に広げる。すると、淡い光と共にスクロールが消え、後には魔法陣が残った。
「これでいいんだよな?」
「だと、思いますけど……」
ココは魔法陣の光が面白いのか、スピスピと鼻を鳴らしながらスクロールが消えた場所でジャンプしている。
「じゃあ、連絡してみるか」
メニューからコミュニティを選ぼうとした所で、設置した魔法陣から虹色の渦が立ち上った。
ビックリしたのか、ココが魔法陣から飛び退くと、幻想的な渦が四方へと拡散し始め、徐々に消えていく。後には数人の男女と複数のウサギがいた。橘達だ。
「リョウター。流石にこんな面白そうなイベントに呼んでくれないとか無いんじゃないかな?」
「ヒッポグリフどこっすか!? ヒッポグリフ!!」
「あ!! 居たよカズくん!! 触って良い!? 撫でて良い!? 頬擦りして良い!?」
「崖の上はこんな森になってたのね。で、イベントはまだ始まってないの?」
いきなり激しく混沌だった。
「落ち着けお前ら。こちらがヒッポグリフのデリス様です。とく敬いたまえ。イベントって言うか、今からデリスに仲間の所まで連れていって貰うつもりだった。たち──ユウジは優香が連れてくると思ってたらやっぱり連れてきたこのラブァカップルめ」
早速デリスを撫で始めるカズヤ&ミッチーカップルと、肩を抱き抱かれて辺りを見回すユウジ&ユウカカップル。
ウサギ達はココも一緒に皆でじゃれ合っている。一匹だけ、つのまるはナナクサに会えて嬉しいのか、ナナクサの足に擦り寄っていた。
ナナクサと俺がヒッポグリフで見た空からのこの世界を自慢したら、目を血走らせてヒッポグリフのテイム委譲は可能なのか聞いてきたミッチーとユウジ。
カズヤとユウカは俺から目を逸らした。あ、お前ら高い所苦手か。しかし、ミッチーとユウジがテイムしたら、多分お前ら強制でタンデムだぞ。ペットシーツはベッドに用意してインしとけ?
「じゃ、そろそろ行くか?」
デリスに仲間の所に連れていって欲しいと頼んだら、すっくと立って先導を始めた。道はない。叢を分け入って、デリスの後に続く。
途中、猿の様な、動きが速く不規則な魔物に何度か遭遇したが、ユウジが一瞬で倒した。お前、スゴいな。
しかし、猿も新発見の魔物らしく、鑑定アイテムを使う暇も無く倒してしまい、ユウカに怒られていた。
暫く皆で歩くと、少し開けた、小さな祠が設置された巨木の元に辿り着いた。
「ここか」
デリスに聞くと、その場に座り込み、首を伸ばしてクエエと鳴く。途端にザワザワと巨木が騒ぎ出し、揺れた枝の隙間からヒッポグリフが顔を出した。
俺とデリスを確認したのか、次々と降りてくるヒッポグリフ。その数は一〇頭を越え、まだ増える。狭い巨木の広場に、恐ろしい数のヒッポグリフがいる。
そして、それは現れた。
ヒッポグリフより二周りは大きく、前半身の作りはヒッポグリフと変わらないが、眼光も嘴も鉤爪もその力強さと鋭さが増している。
下半身はヒッポグリフが馬であるのに対し、大型肉食獣のそれであり、鞭の様にしなる尾をゆらゆらと揺らして歩いてくる。
グリフォンである。
「このゲームって、グリフォンは……」
「そう言えば出てきてないねー」
俺の質問にユウジが暢気な声で答える。
「え? まさかこのままグリフォンと戦うとか?」
「ヒッポグリフをテイム出来るんだから、それはねえだろ。親玉っぽいし」
ナナクサの疑問にはカズヤが答えた。
グリフォンは祠の前まで悠然と進むと、そこでこちらを向いたまま座る。視線は俺から離さないが、警戒されている訳でも無さそうだ。
ここは思考選択の出番らしい。
グリフォンに思考選択すると、視界の隅にポップアップが表示される。
『イベント発生 グリフォンのお願い』
『聖観音の加護を持つ人の子よ。我が眷族を従える人の子よ。願いを聞いて貰えまいか?』
『ここから暫く南に下った人の街。その街に入る手前の森の奥に、我が眷族が狂気の鎖を以て捕らえられている場所がある』
『従魔の絆を使うて従えるのならば、我もその眷族も納得出来ようものを、狂気の鎖などという忌まわしき鎖で縛るとは我らも赦す事かなわん』
『されど、我が征けば多くの人との争いが起こる事、想像するに容易い。我はそれを望まぬ』
『人の子よ。我に代わり、我が眷族を解放し、狂気の鎖を回収してくれぬだろうか』
『もし、やってくれるのであれば、我が宝珠と我の知る限りの知識を与えん』
『お願いを聞きますか Yes / No』
当然ここは"Yes"だ。
某ゲームの様に"Yes"を選択するまでエンドレスになるなら一回位は"No"を選んでも良いが、そんな博打は打てない。
「てなお願いをされた訳だが、"Yes"を選択した」
俺はお願いの文言をスクショで写し、皆に送る。
「で、今グリフォンを思考選択すると、質問が表示されるんだが取り敢えずこれもスクショで送るわ」
『我に聞きたい事は何か』
『狂気の鎖』
『人が魔物と呼ぶ、魔力と業で変質した者達を縛る鎖だ。元は業により狂うた者どもの狂気を奪うが為だけに聖観音様が作られた呪具だが、赦せぬ事に購いの為心を奪う使い方をされておる。作り方は"飛頭蛮の首輪"に"セイレンの涙"と"マンドラゴラの若芽"を使うだけだ』
『従魔の絆』
『使えば魔力で変質した者達と従魔契約が出来る。契約が成功するかいなかは、使うた者の性根に寄るだろう。狂気の鎖と違い、心を奪う訳では無く信頼関係を以て従える事になる為に、心が離れれば魔の者も去る事になる。作り方は西にいるトレントから取れる"トレントの枝"を、聖観音の泉で清め"魚人の鱗"と"シルフの葉"を使う』
『聖魔の祠』
『この聖魔の聖域の神木に聖観音様が作られた祠だ。人との争いを好まぬ我が眷族が安穏にいられる様にと建てられた祠がある限り、我らに害をなす者がこの聖域に入る事叶わぬ。猿どもも多くなった故、我らに害をなさぬのならば祠を使うて構わぬが、害をなせばその者必ずや討ち倒す。心せよ』
これ以外にも色々項目があるが、今必要な情報はこれだけだ。加護についてとか、要石についての情報は無かった。まあ、あったらネタバレだよな。
しかし、『狂気の鎖』と、『従魔の絆』か。
『狂気の鎖』は完全支配だけど心ある魔物の反感を買う。『従魔の絆』は契約出来るかは個人の資質で変わるし、魔物との信頼関係が破綻すればいなくなってしまう。
プレイヤーがどちらを好むと言ったら、『狂気の鎖』だろうな。しかし、グリフォンが言っている様に魔物からすれば許せない行為だ。グリフォンは人と争う姿勢は見せていないが、他の魔物は分からない。『狂気の鎖』が氾濫すればグリフォンだって分からない。人と敵対するかも知れない。
「『狂気の鎖』は秘匿、と言うか、封印だねー。ここで忘れよう。『従魔の絆』は信頼出来そうなギルド員で試してみて、大丈夫そうなら上に上げられるかな」
腕を組み、顎に手をやって考えるユウジ。
狂気の鎖は見なかった事にするつもりらしい。
グリフォンはイベントキャラらしいから、ヒッポグリフをテイムしたプレイヤーがここに訪れたとしても、問題は無いだろう。当然そいつが聖観音の加護を持っていなければ、が前提だが。
「行動査定値がテイム出来る魔物の種類に関係してそうなテイムっすね。あぁ、食料が買える様になった理由もこの辺りが関係してるんすか」
チラチラと横になっているグリフォンを見つつ、カズヤが言う。確かにこの、"性根に寄る"って表現は全員がテイム出来る訳では無い、と取れるが、求められる行動査定値が魔物毎に違う可能性もあるのか? と言うことは──。
「もしかしたら、このアイテムを使えばスライムやゴブリンとか、アクティブ相手も契約出来るのかもな。肉とか、どう考えてもアクティブな魔物用だろ?」
周囲を見ると、沢山のヒッポグリフがこちらを見たまま座っている。俺はグリフォンを撫でてみたい衝動に駈られながらも、我慢する。いや、怒られそうだし。ココには広場内の発掘をお願いしてある。
「アクティブの目前でアイテム使うって……あ、テイムする時に肉を落としたら、そっちを優先するとかがあればアイテム使い易いですよね」
ナナクサは、デリスの前に座り込んで頭を撫でている。デリスも気持ち良さそうにしている。
「逆に餌付けだけでテイムしようとする猛者が現れそうだねー」
なるほど。ウサギはリンゴでテイムとか? ありそうだな。しかしミッチー。その猛者は君なんじゃないか? 絶対やるだろ。ハウンドドッグ辺り。
「テイム方法は一つじゃねえってか。色々考えねぇとダメなのは面倒臭せぇっすけどね」
とか言いつつ、自分のウサギにキャベツをあげ始めたカズヤ。信頼関係とか言われると取り敢えず何かしてやらないとって気になるよな。俺は我慢出来ずにグリフォンに近付き、撫でてみた。無反応。イベントキャラはやっぱダメか。
「都合の良い事に"トレントの枝"、"魚人の鱗"、"シルフの葉"は全てレアドロップ。こちらの声明の言い分に当て嵌まるわね」
ユウカはユウジと今回の発見を、どう扱うのか話している。
「聖観音の泉ってどこですか? 拠点登録する噴水の事ですか?」
いや、俺に聞かれても分からんのですよナナクサさん。俺、今日初インなんで。まあ、ウィキにはそれらしい情報は無かったな。
「他には思い付か無いなぁー? 試してみればいいよ。ギルドのアイテム在庫に材料はあるし、ハリス君なら行動査定値まっさらっぽいしぃー」
ミッチーがなんかギルドの人に丸投げしそうな感じで虚空を見る。多分早速メールでもしているのだろう。つーか、ハリス君は今日平日だから、今頃学校か会社なんじゃないのか?
「じゃあ、ヒッポグリフを撫でてみるか」
取り敢えず、ヒッポグリフがテイム委譲出来るかを試してみよう。しかし、個人の資質に寄ってテイムする従魔の数が変わるなら、誰が主になる? 資質が見れないから、結構賭けになる。自分のスタイルに合わない従魔では、あまり相手に出来なくなって逃げられてしまいそうだし。ウサギの時の様にノリで全員とか、やめた方が良さそうだ。
等と説明すると、皆が考え出した。ユウジは良い。長物だし、騎乗攻撃を前提にした技もあるらしいから、練習し甲斐もあるだろう。
しかし、カズヤは双剣。騎乗には向かない。
ナナクサも銃を使うので合うと思うが、優香はどうだろう。流鏑馬とか出来るのか?
ミッチーはそもそも攻撃に特化していない。武器も魔法攻撃力増加のメイスで光属性だから、従魔が火力と言い切って良い。正直、今、ヒッポグリフを従魔化して、有効に活用出来ると思えるのはユウジとナナクサ位だ。
「どうする? って、まだ委譲出来るかは分からないが」
ナナクサが手を挙げる。やっぱりナナクサは迷いが無い。
「私は出来るならして欲しいです。魔法攻撃はつのまるに任せるとして、魔法障壁が搭乗者にも及ぶのが便利ですし、移動力が魅力ですから。乗馬撃ちは練習しなければですが」
ナナクサならそう言う結論に達するだろうな。
「じゃあ、早速やってみるか」
俺はナナクサとヒッポグリフを見て回る。個体差があるのかは知らないが、やっぱり自分で決めた方が何かと良いだろう。
「っ!! この子がいいです」
デリスとあまり変わらない感じだが、少し精悍な顔をしたヒッポグリフだ。目付きが鋭い。ナナクサがいきなり手を叩くと、周囲にいるヒッポグリフは一斉にナナクサを見たが、ナナクサが選んだ子はピクリともせずに俺を見ている。え? ダメじゃね? 鈍感君?
「やっぱりこの子が良いです」
え!? 良いの!? 鈍感君だよ!?
「図太いんです。背中でバンバン拳銃を撃っても平気な顔してる位じゃないとダメだ……と、雑誌に書いてありました……」
あぁ。その雑誌はあれですか? コン◯ットとか、G◯nとか。まあ、ナナクサが良いと言うのだし、良いんだろう。
俺はそのヒッポグリフの頭を撫でた。
「なあ、この女の子がお前を従魔にしたいらしいんだけど、良いか?」
ヒッポグリフに話し掛ける。ヒッポグリフは目を離さない。じゃあ、ナナクサ。撫でてやってくれ。目でナナクサに合図すると、一つ頷いて撫で始める。
「あなたを従魔にしたいの。お願い出来ますか?」
ヒッポグリフはナナクサが撫で始めると、ナナクサを見た。了承する様にナナクサの腹に頭を付けるとクエエと鳴く。
ナナクサが思考選択したみたいだ。俺に頷いて、従魔になったヒッポグリフを両手で抱きしめた。
ナナクサのヒッポグリフを撫でる手を止め、ユウジ達に振り向くと、既に誰がヒッポグリフを従魔にするか、決まっている様だ。
ユウジとミッチーがテイムしたいヒッポグリフを選んでいる。
「お前らは?」
先の場所から動かずに、ナナクサへのテイム委譲を見ていたユウカとカズヤに声を掛けると、軽く首を振ってユウカが答える。
「私は両手を使う弓だから、騎乗するメリットが少ないし、移動する時はユウジに乗せて貰えば良いし」
ああ、タンデム前提なのか。
「俺も同じ様な理由っすけど、双剣の俺を途中で降ろして、ミッチーが上空から回復補助っつーのが良いんじゃねぇか? って感じっす」
ウサギも居るし、ミッチー空中魔法要塞化か。つーか、上空から地面にだと、どれ位の範囲に魔法効果を拡げられるんだろう。今度のPvP、いつあるか知らんけど、従魔有りになるなら、やり方次第で"プロ"が負ける可能性も出てきたな。
二人と話していると、ヒッポグリフを選んでいたユウジとミッチーに呼ばれた。決まったのだろう。
その声が妙に弾んでいて、俺は苦笑しつつユウジ達に向かって歩いて行った。