二話
ODOを始めて既に何回か経験しているが、この"目の前の風景が突然違う風景に変わる"現象には未だ慣れない。
先程まで何処かの部屋の中にいた筈が、今は街の中に立っている。走っている時にこの現象が起きたら、感覚が狂って盛大に転んでしまいそうな気がするのは勘違いではないだろう。
街の中にはさっきの部屋には無かった活気がある。周囲には木造で板張り壁の家が立ち並び、所々に点在する商店と思われる町屋造り風の家は日除けの下に売り物を広げている。家々の裏手からは、竈があるのか、灰色の煙が立ち上っては黒い瓦屋根の上で風に消えていた。
俺の踏みしめている地面は石畳になっていて、見た限りでは土が剥き出しになっている場所は無かった。
少し西洋風の街並みを取り入れた江戸時代の日本。
そんな印象を受ける周囲の風景に、俺は不思議な達成感と共に感動を覚える。
これがODOの世界か。
苦節四時間。
俺は遂にやり遂げたんだっ!! 妹に呆れられ、やる必要もないミッションに意地になり、ログインしたらしたで怒濤の展開。やっと俺はこの頂を昇りきったのだっ!!
なんか変なテンションが家に着いてからずっと続いている気がする。そんなに俺は財布が薄くなったのがショックだったのだろうか。
今の服装は綿で出来たシャツにゴワゴワした茶色いズボン。ズボンと同じ素材で出来たポケット付きのベストと、……木靴か!? これっ!!
へぇ~。木靴ってこんな履き心地なんだ? 裸足に履いてるからちょっと痛い。
視界上部には、半透明なHPバーとMPバーが浮かんで見える。視界右下にメニューボタン。視界に入る風景との遠近感を全無視したハッキリした輪郭や、目だけで視線を移動すると任意のボタンやバーを見る事が出来る事から、網膜投影を意識した表示方法なのが分かる。
現在の携帯機器として主流である網膜投影コミュニティデバイス(RPC)は、耳に掛けた投影器から投影される映像と眼球の動きを連動させず、一定の場所に投影する形式を採っている。そうする事で、検出した瞳孔の位置により使用者が投影された映像のどの部分を見ているのかが分かるのだ。瞳孔の動きに投影を連動させてしまえば、情報を注視する事が出来なくなってしまう。
このVRギアでも、各バーやボタン等、システム情報はまるで眼鏡に表示されているかの様に固定表示されている。
情報を選択する場合、RPCでは一秒程の長い瞬きが必要になるが、VRギアは"選択"を思考するだけでいい。これを思考選択と言い、VRギア操作の基本である。
HPバーを見ると、その値は五三。人より多いのか少ないのかは分からない。この値は、パーソンチップ申請時に行ったテスト結果で算出された理論値だ。体力や筋肉量、骨密度等様々なデータを元に算出されているが、あくまでも理論値である。実際の命を数値化など出来る訳がない。
MPの方はネットの解析厨をして未だに数値化基準が分かっていないが、知識やら性格やらが関係しているらしい。俺の数値は九七。俺はもしかしたら自分で考えているよりもインドア派なのかも知れない。
メニューボタンはそのままメニューである。思考選択で選択すると、視界下部にメニューが展開される。
左から、"クエスト"、"武具"、"魔法"、"アイテム"、"コミュニティ"、"設定"のボタンがある。
"クエスト"は受諾した依頼の経過や報告可能なクエストが表示されるらしい。現在は『案内人に会いに行こう!!』クエストを自動受諾中だ。多分、案内人の所に行けば、完了だろう。
"武具"は武具に関する選択肢が、"武具を装備する"、"武具一覧"、"武具を売る"と並ぶ。武具は入手すると武具箱に入る。その武具箱の中身に関してのボタンだ。
"武具を装備する"は、そのまま、手に入れた武器、防具、称号を装備する為のボタンである。
"武具一覧"は武具箱の武具を表示する。
"武具を売る"は、要らない武具を売却し、ゲーム内通貨、Gに換金するボタンである。
現在の装備品は、下着シャツ(C)、下着パンツ(C)、布のシャツ(C)、麻のズボン(C)、麻のベスト(C)、木の靴(C)。称号、アクセサリは無い。
防御力は全部、二だ。つまり合わせて十二……ではない。
防御力は当たった場所の防具の枚数だ。
つまり、太ももに当たれば麻のズボン一枚しかないので防御力が二。
腹に当たれば下着シャツ、布のシャツ、麻のベストの三枚あるから、防御力は六となる。
防御力総数ではない理由としてはこのゲームが部位欠損を可能としている為である。
腕を切るのに、靴の防御力が適用されるだろうか。
ヘッドギアの防御力が高いから、撒き菱が布の靴を貫通しない等という事が起こり得るだろうか。
そういったリアルの追求がこのODOの売りなのだ。
因みに優香達のヘソ出し防具については、魔法障壁やら、エンチャントやら、防具損耗率やらで複雑になってくる。あれはあれで意味があるのだ。
称号とアクセサリは、武具の様に装備する必要はあるが、色々な効果がある、別ゲーで言う処のパッシブスキルみたいな物だ。
基本的には武器、防具、魔法の能力を上げる追加エンチャントである。
続いて、"魔法"は選択出来ない様だ。この辺は初心者クエストで出来る様になるのだろう。
"アイテム"は基本的に武具以外のドロップ品に関するボタンだ。
入手するとアイテム箱に入り、"アイテムを使う"、"アイテム一覧"、"アイテムを売る"でアイテムを管理する。
運営やプレイヤーからのプレゼントもここに贈られるから、定期的に見ておく必要があるだろう。
現在アイテム箱には運営からのプレゼントが三つ。多分、スタートダッシュ用のアイテムだ。
"コミュニティ"は、フレンド登録やギルド登録、プレイヤー同士のゲーム内遠隔通話、優香がやっていた外部に対する電話メール機能、ネット閲覧等々、コミュニティデバイスとしての機能だ。
最後に"設定"。
これはゲーム内の設定で、エフェクトの量とか、BGMの有無等を設定出来る。
あ、電話の転送設定しておかなくては。
システム画面の確認が終わると、不意に木の焼ける匂いに混じって肉の良い匂いが鼻についた。
後ろを振り替えれば、噴水だろうか、円状に石で囲われた人工池とその中央に鎮座する女神像。真っ直ぐ前に伸ばされた両手は掌を上に向けてまるで何かを掬い取っている様に見える。その両掌からは水が溢れ落ちていた。
これがこの街の転移場所なのだろうか。
女神像の周囲は道幅が広くなっていて、周りには大量の屋台が設置されている。これが肉の良い匂いの正体だろう。木が焼ける匂いは、肉を焼く為の薪だろうか。
急速に腹が減るのを感じる。もう少しコンビニで何かを買っておけば良かった。
立ち並ぶ屋台を眺めていると、一角だけ、屋台が途切れている場所があり、そこは何故か大量の人でごった返していた。
「なんだあれ?」
思わず口にすると、女神像の噴水に腰掛けたプレイヤーの男が親切にも教えてくれた。
「あぁ、あれは初心者クエストのNPCだ。初心者クエストが終わっても定期的に簡単なクエストを発行してくれるから、あんな有り様になってる」
薄い緑色の革鎧に身を包み、噴水の縁に腰掛けたまま、にこやかに話し掛けてくる二十代半ばに見える男性。堂に入った座り姿勢だ。
「そうなんですか? あれに突入するのかぁ……。そうですかぁ……」
朝の通勤ラッシュもかくやといった混み様に、若干の気後れが……いや、正直に言えば全力で回避したい。
「今は一番込み合う時間だからな。しばらく待っていれば今よりは大分空くと思うぞ」
そう言えば、明日は平日か。うちの学校は付属大の創立記念日だから休みだけど。そう言う事なら少し時間を潰した方がスムーズだろう。
「君は新人さん?」
「はい。今日からです。あ、リョウって言います。宜しく」
既にあの人混みにトライする気もなく、時間をどう潰そうかと考えていたら、男性が話し掛けて来た。時間もあるし、黙っているのも失礼だろうと自己紹介と共に話に乗る。
あ、ここが転移場所なら何時までも突っ立ってたら邪魔かな。
俺も噴水まで移動しよう。
「あぁ、俺はタイチ。宜しく。これから初心者クエストか。タイミング悪かったな」
近寄ってきた俺を目で追うタイチさん。
腰に帯剣しているけど、右に帯びているから左利きだろう。俺も左利きだから右脇に帯剣する事になる。
左利きの剣使い。うん、妙な連帯感だ。
「いやぁ、VRギア自体の設定に手間取って。四時過ぎに始めてこの時間ですよ」
「四時過ぎって、そりゃ随分手間取ったなぁ。で、友達と待ち合わせ中か?」
苦笑しつつ、話を変えるタイチさん。
ここで、"なになにどうして? 何に手間取ったの?"とか聞いて来ない辺りが大人の対応である。
既にここにいるという事はその問題は対応済みなのだから、掘り返しても意味はない。
珠に"それはこうやればいいんだよ~"とか言い始める輩もいるが、対応済みな案件なのに後から答合わせ然に知識をひけらかすのはナルシスト的な自分自慢でしかないと俺は思う。
「いえ。今日は様子見って感じですね。タイチさんは待ち合わせなんですか?」
本当は初心者クエストを終わらせる命令を受けている訳だが、別に本当の事を言う必要は無いだろう。
今日はパーティ組む必要も無いし。
「ああ。もうそろそろ来ると思うんだけどな」
そう言うとタイチさんはキョロキョロと周囲を見渡した。
俺も釣られて周囲を見渡した。
道幅が広くなっているだけかと思っていたのだが、どうもこの場所は広場的な役割を持っているらしい。
女神像を中心に円形に広がる広場は、俺が最初にみた大きな道と繋がっていて、反対側にも同じ位の道が続いている。マップが無いので詳しい事はわからないが、結構大きい街の様である。
空は真っ青に晴れ渡り、小さな雲がポツポツと浮かぶだけの快晴だ。
小さな路地から人が出て来た。
どうやらこの一角のみ作り込まれた偽街ではなく、裏路地等も存在する様である。
「すげぇ……。ちゃんと街になってる」
タイチさんも俺の言いたい事を理解したのか、目線を路地に向けて言った。
「そうだなぁ。さすがに民家一軒一軒に入れる事は無いが、宿屋の部屋は確りしてるし、NPCの部屋には入る事が出来──」
「お兄ちゃんっ!! いたっ!!」
何かスゴく重大な事を言い掛けたタイチさんの言葉は女性の声で遮られた。
声のした方をタイチさんと振り替えれば、タイチさんと同じ薄い緑の鎧を身に付けた二〇歳程の女性が走って来ている。
あの人がタイチさんの待ち合わせ相手か。
お兄ちゃんって言ってたから妹さんかな。
「よぅ。遅かったな」
タイチさんは軽く手を挙げて相手に挨拶する。
「ごめ~ん。母さん達にまたつかまっちゃってさぁ~」
女性も片手を挙げて挨拶。
光の加減か、少し赤みのある艶やかな黒髪を細い首筋の後ろで結った髪型は、歩く度にフワフワと踊り、白く色っぽいうなじを引き立たせる。少しつり上がった切れ長の目尻と、厚みのある柔らかそうな下唇が大人の女性を思わせる、そんな美人さんの登場です。って、あれっ!? この人……。
「まったく母さんと来たら、顔合わせる度に結婚しろだの初彼は出来たかだの……。私はまだ二五だっつーのっ!! 恋愛に興味無かっただけなんだから、これからいくらでも彼氏出来るんだっつーのっ!!」
あぁ、激昂している。こうなった女性とは目を合わせてはいけない。いくら知り合いだからといって、いや。知り合いだからこそ今の彼女を見てはいけない。
見ざる言わざる聞かざるである。
「あれ? その子って……って、長谷川君っ!?」
「ん? 知り合い?」
あぁ、素性がバレた。タイチさんもキョトンとしてる。もうこうなったら──。
「あれ? 生原さんじゃないっすか。一昨日ぶりです。なにか言ってたみたいですが、他の事に気を取られてて聞いていませんでしたよ? ホントですよ?」
必殺聞いていなかったアピールだ。
生原さんは俺の言葉を聞くと、先程の発言を思い出したのか、顔が赤くなり、青くなり、また赤くなって白くなる。
最後は持ち直して──。
「ん? 聞いてないって何を? 私は何も言ってないわよ?」
無かった事にした様だ。
「あ、そうですね。周囲の声を聞き間違えたんですね。きっとそうです」
「やーねぇ、長谷川君ったらぁ~」
お互いに和気藹々と笑い合う。これでミッションコンプリートだ。
「お前ら怖いよ」
一人、タイチさんだけが戦々恐々としていたが。
//-------------
「改めまして、リョウです。宜しく」
「ミナツキよ。宜しく」
仕切り直しという体で、俺と生原さん、改めミナツキさんは挨拶を交わした。
それにしても、湊さんだからミナツキさんか。
「で、知り合い?」
タイチさんが俺の事をミナツキさんに聞いている。
「ええ。私が勤めてる会社に来たバイトさんなの。私が面接したんだよね」
そう言えばそうだったなぁ。
一年の夏に無許可でやってたバイト中に問題が起きて、クビになった後すぐに入ったのが今のバイトだ。
あれから一年以上経ってるんだ。
「あぁ、そう言えば、感じの良い高校生バイトが入──」
「なあぁに言ってるのかな? お兄ちゃんは。全く冗談も程ほどにしてよね~」
うわぁ、タイチさんの顔面にミナツキさんの裏拳がクリーンヒットですよ。
口を塞ぎたかったのは分かるんだけど、そこは人中だから。下手したら死んじゃうから。
タイチさんが蹲っている処をみると、痛覚遮断判定ギリギリの良い"ツッコミ"が入ったのだろう。
橘から聞いた話だが、"痛覚"に関しては開発段階で大論議がなされたのだそうだ。
人間の皮膚感覚は痛覚によってもたらされている。だから、痛覚を一〇%、一%に落としてしまえば肌に掛かる感覚も同じだけ曖昧になってしまうらしい。
それではVRの醍醐味が失われてしまう。
だからといって、痛覚をリアルと同じ一〇〇%に設定してしまえば脳内麻薬等の肉体防御反応がない精神は一瞬で崩壊してしまう可能性があると言うのだ。
そこで取られた対応策が、"痛覚遮断判定"。ある一定以上の痛みが発生した場合に痛みを緩和、遮断する機能である。俺はまだ経験した事は無いが、優香が言うには、『見た目では足が殆ど千切れている様な大怪我なのに、痛みとしては何かちょっと痒い位で最初は混乱する』との事だ。
その話を聞いた時は、足が千切れる様な事があるのかとゾッとしたが、今考えたら見た目と痛みに齟齬が生じたら、見た目から痛みを想像出来なくなったりして、その方が問題じゃね?
まあ、その辺りも対策されているんだろうけど。
って、あれ? あの戦争デモで俺、結構な勢いで傷付いたよね。あの時痛くなかったっけ?
「はせが……リョウ君? どうしたの?」
俺が首を捻っていると、ミナツキさんが心配そうに覗き込んで来た。
いかん。考え込んでいたらしい。
つーか、顔が近いです、ミナツキさん。
「あ、すんません。大丈夫です。ちょっと痛覚遮断判定って何処まで有効なのかな? って疑問が……」
未だに蹲ったタイチさんを見ながら苦笑する。
「そうだっ!! 何でお前はいつも判定ギリギリを狙うんだっ!! モンクの拳は凶器だと何度言ったら分かるっ!!」
「えー? 大丈夫よ~。痛かったって事は"ツッコミ"の範疇だから」
復活したタイチさんがミナツキさんに食って掛かるが、ミナツキさんは素知らぬ顔だ。
そしてミナツキさん。モンクって事は、まさかの無手ですか。バイト先でミナツキさんは怒らせない様にしよう。
俺の言葉をタイチさんの事だと勘違いしてくれたらしい。
あの時は興奮していたのでよく覚えていないが、多分痛覚遮断判定は仕事をしてくれていたんだろう。
この痛覚遮断判定、HP減少判定や、PK判定にも使われている。
痛覚遮断判定が機能する程の攻撃を受けたらHPが減少する。プレイヤーに攻撃された場合、HPの減少が発生した時点で、攻撃したプレイヤーはPK認定されるのだ。
逆に言えばHPが減少しない範囲での攻撃は"ツッコミ"なのである。
因みにプレイヤーが起こしたアクションで、結果的に他のプレイヤーのHPを減少させた場合でも、一時的にPK認定がされるが、状況次第で認定を取り消す事が可能である。
"ちょっと押したら転んで足を擦りむいた" と、"崖から突き落とした" では、行為は一緒でも罪の重さは違うのである。
「それは良いとして、本当に買ったんだねぇ。VRギア、高いのに」
"よくねえよっ!!"と言いたげなタイチさんの事はまるっとスルーする様だ。
歴とした社会人でもこの買い物はやっぱ高いんだなぁ。
「まあ、先行投資って事で、今日……。ミナツキさんもODOやってたんですね」
「ええ。とは言っても、私の場合は殆どコミュニケーションツールだけどね」
「嘘つけ。一ヶ月前、始めた途端にハマった癖に」
どうにか怒りを押さえ込んだ様子のタイチさんが意趣返し気味に暴露すると、呆れた様な眼でタイチさんを見返すミナツキさん。
「お兄ちゃんが辺鄙な所に引っ越さなければ始めなかったわよ」
「辺鄙? どこに住んでるんですか?」
関東にお情けで入れて貰えているこの地域の人間に辺鄙と言われる所って……。
「東京だよ?」
え? 確かに東京も端の方は田舎もあると良く聞くけど、ここより辺鄙な場所かと言われると疑問なんですが。
「確かに東京は東京だけど、小笠原諸島じゃない」
「小笠原諸島!?」
「小笠原をバカにすんなっ!! 観光分野という意味では田舎よりずっと栄えてるし、生物研究には持ってこいの環境なんだぞっ!?」
小笠原って、東洋のガラパゴスとか言われてるあの小笠原? あそこって東京だったんだ。つーか、世界遺産だろ? 人住めたんだ?
「長男が結婚もせずに一〇〇〇キロ離れた洋上に行っちゃったから、私が母さん達に……。」
ミナツキさーん。また話が良からぬ方向へ向かってますよー。
//-------------
「あ、そろそろ空いてきたので、チラッと初心者クエストを覗いて来ます」
大分長く話をしていた様で、初心者クエストNPCの周りはパラパラとプレイヤーが疎らにいる程度に空いていた。
時間ってどうやって確認するんだ? メニューの"設定"から、"表示設定"を選択すると、その中に時計表示も存在した。早速チェックを入れる。視界の右上にデジタル表記で時刻が表示された。
二一時四二分か。
「あ、もうそんな時間か。一人で大丈夫?」
ミナツキさんはバイトでも世話好きで有名だ。ここで甘えてはいかんだろ。
タイチさんと待ち合わせしていた事から察するに、用事があるんだろうし。
「大丈夫っすよ。様子見なので」
「まあ、初心者クエストは基本ソロだからな。じゃ、フレンド登録しないか? 後で一緒に狩りに行こう」
妹がそう言うだろう事を予想していたのか、さらっとフォローを入れてくるタイチさん。フレンド登録と言う落とし処も用意する周到さだ。大人の男性である。
「じゃあ、お願いします」
早速送られてくるフレンド申請に"許可"を選択する。
「あ、私も私も」
ミナツキさんもにこやかにフレンド申請を送ってきた。
ヤバい。ここはボケを狙って"却下"を選択するべきか? いや、リアルでもお世話になっているミナツキさんにそんな不義理は出来ない。
「えーと、……はい、登録オッケーっす」
「うん。じゃ、またな」
"許可"を選択すると、タイチさんが右手を差し出してきた。
おぉ。俺も左利きだから分かるが、こういう何気無い握手の時、左利きの人間はつい、左手を出してしまうものなのだ。握手慣れをしているな。
「また宜しくね」
ミナツキさんとも握手して、俺は『案内人』に向けて歩き出した。
普段、リアルではあまり機会の無い、ミナツキさんとの接触に動揺したとか、手が柔らかくてゾクッとしたとかは無い。
無いったら無いのだ。
//-------------
『こんにちは!! 私、この始まりの街"幽玄"の案内役を努めるお菊と申します!! よろしくお願いしますね!!』
『この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださーい!!』
『最近街の外が物騒になっています。気を付けてくださいね?』
『こんにちは!! 私、この始まりの街"幽玄"の案内役を努めるお菊と申します!! よろしくお願いしますね!!』
『この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださーい!!』
『最近街の外が物騒になっています。気を付けてくださいね?』
『こんにちは!! 私、この始まりの街"幽玄"の案内役を努めるお菊と申します!! よろしくお願いしますね!!』
『この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださーい!!』
『最近街の外が物騒になっています。気を付けてくださいね?』
巫女装束に身を包んだ美人が元気にエンドレスである。
この方こそが自動受諾されたクエストの『案内人』、お菊さん。
「こんにちは」
『こんにちは!! 私、この始まりの街"幽玄"の案内役を努めるお菊と申します!! よろしくお願いしますね!!』
「宜しくお願いします。で、何をすれば良いんです?」
『この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださーい!!』
「なるほど。そうすればクエストを受けられるんですね」
『最近街の外が物騒になっています。気を付けてくださいね?』
「ありがとうございます。気を付けます」
中々、会話が弾んでいるじゃないか。
"お菊さん"を正面から見ると、クリッとした大きな瞳と、小鼻がチャーミングな若いお嬢さんである。
唇は少し薄いが、プリっとした瑞々しさがあり、細い首は小さな頭を支えるだけでも手折れそうな儚さを見せ付ける。
しっとりと纏まった黒髪は正に濡れ髪と言える色っぽさだ。
素晴らしく美人さんである。
しかし、いつまで現実逃避をしても事態は変わらない。
彼女は歴としたNPCだ。
そう。由緒正しい、いかにもNPCなNPCさんである。
「そりゃそうだよなぁ。NPC一人一人に個別に人間並みのAIを搭載するなんて無茶ぶり過ぎんだろ」
よくあるNPCとの恋愛ストーリーとかあり得ないって事か。
実は少しだけ期待していたのだが。
大体、人間の様な思考能力を持つAIなんて完成したら世界が変わるんじゃなかろうか。
「動きは本当に滑らかだし、質感もリアルだけど、決められたモーションを繰り返すだけか」
ジーっとお菊さんの瞳を見る。
ピクッ
「……ん?」
今、瞳が游いだ様な?
『こ、こんにちは!! 私、この始まりの街"幽玄"の案内役を努めるお菊と申します!! よろしくお願いしましゅね!!』
「今、噛んだ?」
『この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださーい!!』
ジーっと見る。
『最近街の外が物騒になっています。気を付けてくださいね?』
ジーっと見る。
『こんにちは!! 私、この始まりの街"幽玄"の案内役を努めるお菊と申します!! よろしくお願いしますね!!』
ジーっと……って、もういいか。
取り合えず、クエスト受注をせねば。
瞳から目を逸らして、「クエスト」と唱えると、『クエストが完了しました!!』と視界の隅にポップアップされた。
『ほっ……。この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださーい!!』
「……え?」
『最近街の外が物騒になっています。気を付けてくださいね?』
……まあ、この位で今は許してやろう。
初心者クエストは始まったばかりなのだから。
//-------------
『第一のクエスト 観音像に拠点登録をしましょう』
『初めまして!! あなたがこの"東方"で依頼を受けてくれる傭兵、リョウさんですね』
『既に何人もの傭兵さんがこの"東方"の地で依頼を受けてくれているんですが、まだまだ全然手が足りてないんです』
『良かったら、幽玄で拠点登録してくれませんか?』
『街の中央にある観音像に祷りを捧げるだけで、あなたの身に何かあっても最後に祷りを捧げた街に帰って来れるんですよ』
『クエストを受諾しますか? Yes / No』
思考選択でクエストを受諾する。
つーか、あれって女神じゃなくて観音様なんだ。
広場中央にある噴水に行くと、既にタイチさん達はいなかった。
改めて女神……じゃなく観音像を見る。
あー。確かに着ている服は着物? 法衣? だし、アクセサリーや、頭に被っているヴェールみたいなのも観音様っぽい。
しかし、うちの近くにある観音様と顔付きが違うのでちょっと観音様っていうイメージじゃない。こっちの観音様は、そう、人間っぽい顔付きだ。
体勢も、両手を前に突き出して俯く姿はまるで何かを唱えている様である。この位愛嬌があった方が信者は集まりそうだけどな。
ま、チャッチャと終わらせるか。
てか、祷りを捧げるってどうやるんだろう。
取り合えず、正面に向かって、膝をついた方が良いのか? で、手を合わせる……とか?
……なにも起こらないけど。
あ、目を瞑ってはダメなのか? 今度は観音様を見たまま、手を合わせる。
……ダメだ。なにも変わらない。
もしかして、真言でも唱えるのか?
ダメ元だし、やってみるか。聖観音様で良いんだろうか。
「オン アロリキヤ ソワカ」
『クエストが完了しました』
視界の端にポップアップが表示された。
なるほど。これで良いのか。俺は跪いた姿勢から立ち上がると、お菊ちゃんの所に向かう。
そう言えば、完了したクエスト報酬をまだ貰ってない。歩きながら、メニューを操作する。
『案内人に会いに行こう!!』クエスト完了を選択する。
『『案内人に会いに行こう!!』が完了しました』
『クエスト報酬: ガチャポイント25P』
あー。ここでガチャポイントを貰うのか。ガチャが一回五ポイントだから、五回分だ。橘によれば初心者クエスト全体で十回分のガチャポイントが手に入るらしい。
ここで運良く自属性のスーパーレアを当てれば、序盤はかなり楽になるそうだが、当然ガチャなので何が当たるか分からない。武器は剣以外が出ても装備出来ないし、金属鎧とか出されても、自身の体力の問題で装備出来るが動けなくなる。
軽いレア金属鎧とかも存在はするのだが、鎧だけでも頭、胴、腕、足、靴と五種類のパーツがあるので、ガチャだけで揃えるのは無課金では至難の技だし、露店を駆使した所で高が知れている。偶々出た人気のスーパーレア装備を売って、その金でレア装備を揃える位にしか使えない。
正直に言えば、このゲーム、課金ゲーなのだ。
廃課金のみがより良い武具を手に入れる事が出来る。攻略ギルドは殆どのプレイヤーが廃課金プレイヤーだ。掲示板とかを見ると、平気な顔して十万円とかガチャ課金している。
しかし、そんな彼らでも勝てない相手が居たりするのだが、それは今は良いか。
変なのが出たら橘達のギルド内で交換して貰おう。
そんな事をつらつらと考えつつ、次の『観音像に拠点登録をしましょう』クエスト完了を選択する。
『『観音像に拠点登録をしましょう』が完了しました』
『クエスト報酬: ガチャポイント5P、10000G』
『クエスト特殊条件クリア報酬: 称号"聖観音の加護"取得』
『特殊条件: 聖観音像に敬意を持って祷りの真言を捧げる』
思わず足を止める。なに? この称号。
橘ウィキでは聞いた事がない称号だ。
それ以前にODOで最初に貰える称号は、初心者クエスト完了時に貰える"見習い傭兵"だった筈である。もしかして、レア称号か?
早速、メニューから、"武具一覧"を選択して称号効果を調べる。
『称号: 聖観音の加護(SR)』
『特定条件下で聖観音像に敬意を持って祷りの真言を捧げる事により得られる称号』
『武具に光属性を付与』
『立ち回復力を10%増加』
『魔力総量、魔法攻撃力、魔法継続時間を50%増加』
スーパーレアっ!! 何もしてないのにスーパーレアっ!!
要はこれ、初心者クエストの観音様クエストで観音様に向かって真言唱えるって言うのが取得条件だろ?
俺の家の近くにはでっかい観音様があって、そこのお寺さんの息子と仲良かったから、良く遊びに行っていた。
仮にSと言っておこう。
序でに一緒にお参りとかするんだけど、その時にSがいつも真言を唱えるから俺も面白くて真似してたから覚えてたんだ。
そんな要らない経験がこんな所で役に立つなんて!! ありがとう!! 寺生まれのS君っ!!
つーか、冗談抜きでこれ、かなりいいんじゃないの? 光属性の称号だから、基本回復系統の強化称号だけど、魔法関係が軒並み五〇%増加してるし。
あと、立ち回復が一〇%増加って、立ったまま座ってるのと同じ位回復する訳だろ? 戦闘時とか弱い回復バフがずっと掛かってる様なもんじゃん。
これ、情報提供した方が良いのかな?
このゲームにはセカンドキャラクターがない。そして、サーバ上でパーソンチップ情報を管理している為に、別アカでログインするとか、VRギア側のデータを削除する等で初心者クエストをやり直す事は出来ないのだ。
つまり、既に初心者クエストを終わらせたプレイヤーは取得する事が出来ない。
しかし、新規のプレイヤーは俺が情報提供すれば全員持つ事も可能。
うーん。判断出来ない。ここは橘に判断を委ねよう。ギルドマスターだしな。
もしかしたら、他の取得条件を見付けてくれるかもしれないし。
橘に丸投げメールをして、じゃ、早速装備してみるか。
スクリーンショットの撮り方が分からんので名前と効果だけ書いてメールした後、メニューから"武具を装備する"を選択して、称号欄にセットする。
途端にキラキラと輝きだす俺の体、っていうか服。
そうか、武具に対しての光属性付与ってあったからエフェクトが出るのか。
腕を振るとシャラララとでも擬音が鳴りそうな感じに光の軌跡が残る。
布の服なのに。
プレイヤーが減ったとはいえ、それでも相当数の人がいるこの広場。かなり目立つ。
別に目立ったとしても、問題はないけど。
じゃ、次行こう。現在、二二時一一分。早く初心者クエストを終わらせて少しは寝たい。
//-------------
なんか、お菊ちゃんを観察するのが趣味になりそうなリョウです。
ジーっ。
『さ、ささ、最近街の外が物騒になっています。気をちゅけてくださいね?』
うん。順調に噛んでいる。
これだけ噛んでいれば周りのプレイヤーも不審に思うんじゃないかと見渡しても、誰も注目していない。不思議だ。
不思議だから聞いてみる。
「なんで?」
お菊ちゃんに。
『こ、この街に来たばかりの方はこちらで案内を承ってまーす!! 私を見て、"クエスト"と唱えてくださぁ~いぃ……』
答えてくれなかった。これはあれか? 某ネズミの着ぐるみ着た人は喋っちゃいけない的な。
だとしたらこれ以上は迷惑になるよな。
俺は次のクエストを受諾した。
去り際にチラッと振り返って笑い掛けたら、お菊ちゃんの笑顔が引き吊った気がする。
気のせいだろう。