田中・ザ・カミングアウト
中学の時に、田中と知り合った。
少し癖のあるくしゃくしゃの茶色っぽい髪、同じく結構茶色い目、日焼けし辛いとかで白い肌。田中は全体的に色素薄目の外見だった。それとほんわりと笑う癒し系スマイル、およびのんびりとはしているが気が利くセリフのせいで、女の子と普通に会話できる。羨ましいにもほどがある。勉強もそこそこできるし、運動はちょっとどんくさいけど壊滅的にだめってほどでもない、いわゆる文化系。だけど嫌味じゃないのは、ちょっとどんくさい部分があるからだろう。よくできた友である。わりかし授業中に睡眠学習常習犯の俺は何度もノートを借りることになったし、モヤシ系の見た目通り、どっちかというと読書やらネットが好きな方だから、サブカルチャーにはライトであると自認する俺にはいつもふかーい話を提供してくれる。たまに言ってることわかんなくて眠りかけても怒らない。どちらかというと身体を動かす方が得意な俺とは対極で、ふとしたきっかけからゲームの趣味で意気投合しなければ、仲良くなれなかったかもしれない。でも、俺はこの友達を持ててよかったと思う。
……思ってたんですよ?
うららかな春。卒業の季節。桜舞い散る中、ブレザー姿の田中に、俺は告白――いやカミングアウトされた。
「山崎、僕ね。男が好きなんだ」
――こういう時、どういう顔をすればいいのかわからないの――。
待て。笑えるわけないだろ。アニメのパロディなんてやってる場合じゃないぞ。
俺はひとまず、混乱の最中声を絞り出した。
「ごめん。二、三日時間くれる?」
が、自分で言っておきながら、一日でいたたまれなくなって近所のファミレスに呼び出した。田中と俺はそこそこ家が近いから、用事がなければすぐに呼び出しし合える。ちょうど春休みだったせいもあって、互いに暇だったのが幸いした。ちなみに閉鎖的なカラオケじゃなく、開放的な場所を選んだのは万が一の貞操のためだ。ポテチを齧り終えてまず確認したことは、
「お前は俺を掘りたいのか」
これだった。当然だろう、高校一緒だってもう決まってたし、死活問題だ。いやだって、今まで親友とまで思ってた相手にある日押し倒されるとか怖すぎるだろ。
「いや、別に?」
田中はオレンジジュースをすすりながらはんなりした笑顔で答えた。氷だけになっても音を立てて続行する行儀の悪さはこいつの癖だ。ついでにオレンジジュースとチョコレートケーキを一緒に食っても大丈夫な味覚もこいつのアイデンティティだ。俺は一瞬安心しかけ、
「抱いてほしいんだったら抱くけど?」
とさらりと付け加えられた言葉に盛大に噴いた。犠牲になったメロンソーダは速やかに片づけられ、お代わりをドリンクバーから田中が持ってきてくれた。俺はむせ返りながらも、最低限言っておかなければならないことは死守した。
「誰が好き好んでやるかボケ!」
「じゃ、抱く?」
「男相手にたっ――」
寸前に昼間のファミレスであることを思い出し、おほんと咳払いする。ついでにちょっくら落ち着いた。
「その気にならん。俺はノンケだ」
「ん、了解」
田中は澄ました顔で、俺の分を取ってくるのと一緒にお代わりしてきたらしい、自分のオレンジジュースを静かに吸ってやがる。俺はしばらく言うべきことが見つからず、奴が飲むさまを見ていた。ちゅー……。あ、やべ、なくなった。どっ、どうにかしようぜ、この無言タイム。
「……田中さん?」
「ん? ああ、山崎」
「はい!」
思わず威勢よく返事をすると、田中はオレンジジュースを脇に置いて、やはりやわらかい笑みを浮かべる。
「一つ言っておきたいけど、別にホモだからって可及的速やかに掘る掘られるの関係になりたいわけじゃないからね。まあ僕だってお年頃だから、ゼロとは言わないけど」
「お、おう」
さ、さようか。とりあえず安心できたような、そうじゃないような。ゼロではないのか田中。そのゼロでない部分に俺は入ってないよね田中頼むから。目を泳がせていると、奴はうーんと声を上げた。
「……あ、それと男は好きだし山崎はぶっちゃけ好みなんだけど、別に友達のままでいてくれっていうなら全然僕はそれで構わないから。むしろそれならそれですごくありがたい。あと、もし、気持ち悪いからもう近づくなって言うなら、それもわかるから。僕、もう山崎に近寄らないから」
田中は何でもない事のように言うが、後半はわずかに声が震えが混じっていた。――だからなんでこういうところ気が付いちゃうんだろうなあ、俺。普段は朴念仁だの、そんな風にお馬鹿でデリカシーないからいつまでも童貞なんだって妹にぐっさりやられたりしてるのになあ。俺はゆっくりと、できるだけ自分の考えを述べてみようと口を開いた。
「田中」
「うん」
「……俺、大丈夫かもしれない」
目を見開いた友に、あわてて補足を付け加える。
「いや、その。今すぐ恋人になってくれとか、お前の事そう見ろとか、そんなんだったら悪いけど無理だと思うんだわ。だけど、なんていうかその――別に、いいんじゃねえの? 男好きでも。誰にも迷惑かけてないじゃん」
「――山崎」
「ん……そう、すげーびっくりしたけどさ。だけど、要するに俺たち友達なんだよな。そこは変わらないんだよな? だったらなんつーの、別にヒトの好みにそんな口出すつもりはねーし。俺は女の子好きだけど、うん」
あんな風にふわふわぷにぷにしてる生き物よりむさくるしい方がいいって感覚は、ちょっと共感できないけど。野郎は野郎だ。JCJKの魅力には勝てん。JS? 対象外。あれはお菓子を献上して愛でるものだぜ、うん。まあ、その代り男友達というのもJCJKに変えられぬ魅力があるのだよ。だからせっかくできた得難い友を、俺は簡単に失ってしまいたくなかった。
しばらく経ってからようやく細々と絞り出された田中の声は、今度こそしっかり震えていた。
「僕――僕。なんでだろう、昔から、男が好きだったんだ」
そ、そうか。若干また視線が彷徨いだしたが、田中の真剣そうな様子に、こっちもリラックス体勢になりかけていた姿勢を正す。
「初恋の人は小学校の体育の先生でね。僕も最初は懐いてるだけだと思ってたんだよ。だけどさ、五年生のころかな。夢に見ちゃって、先生の事。――先生に、キスする夢をさ」
真面目に聞いてたらこれですよー、ハハッ、刺激が強いなーもー。よーし、落ち着け。無心になれ。はっはっは、夢でチューですか、踏み込まんぞ怖いから! 田中はなんだろう、淡く切ない初恋の事を思い出してか遠い目になっている。俺も遠い目になりかけるが我慢だ。
「前から、なんとなく他の子と違うなあっていうのは思ってたんだけど……その時から、僕は自分が同性愛者だって気が付いたんだ」
――同性愛者。普段ホモとかレズとか読んでる響きが、こうやって言うとなんだか格調高くなった気がする。というか田中、カミングアウトが止まらなくね。なんかスゲー掘り下げられてる気がするんだけど。事実、田中は真剣に考え事をしているときの歯ぎしりしているかのような表情と、手を組んで親指をくるくるさせるという奴の癖を併発している。
「山崎、ホモってどう思う?」
「ふえっ!?」
直球かよ!? 全くもってどう答えていいかわからずあたふたしていると、田中は笑う。――今度はどこか陰のある微笑だった。
「――ホモってだけで、笑いのネタになること、どう思う?」
さあっと身体が冷えた気がした。そういえば田中は前から、俺やクラスの男子がちょくちょくそういうネタを出すと決まって、どこか微妙な顔を浮かべ、さりげなく自分は話題から外れるかそらすかしていた。
……なんだか急に罪悪感がこみあげる。身近にいなかったからって、俺たちのやっていたことは、生まれつきの身体の特徴を囃し立てたりするのと同じことだ。――田中はどんな気持ちで、あざけりを含んだ俺らの笑いを聞いていたんだろう。自分が恥ずかしくなった。だけど、口から出てくるのは、そんなつもりじゃ、なんてお決まりで嫌な文句だ。
「ううん、ありがと。ごめん」
田中の声も、俺と同じくらい小さくてさりげない。気まずい沈黙の後、行こうか、と奴が言い出したので割り勘を済ませる。外に出て、うーんと田中は伸びをした。
「山崎、これからも友達でいてくれる?」
少し歩いてから、不意に田中は振り返った。俺はちょっとだけ考えてから、切り出す。
「もっかい確認したいんだけど」
「うん」
「ただの友達でいいんだよな、今までみたいな」
「うん」
俺たちは立ち止まる。近くの桜がはらりと風に吹かれてひとひら飛んできた。
「――俺、お前の事、たぶん前に傷つけたぞ」
「ああ、さっきの。別にそんな深刻にならなくてもいいって」
渋い顔の俺に、むしろ、と田中ははんなり笑う。ひときわ強い風が吹き、癖っ毛が、私服のパーカーが揺れる。
「山崎がちゃんと聞いてくれて、僕、嬉しかった。ちゃんと考えてくれて、うれしかった」
「でも、ごめんな」
俺は今度こそ、しっかり言った。
「俺、お前のことわかってなかった。もう言わない、あんなことさ」
「ありがと、山崎。――そうしてくれると、本当にうれしい」
ようやく、俺もちょっと歪んでるけど笑顔になることができた。田中はまだ帰らないようだ。俺もそんなに急ぐつもりはない。前みたいに近くの河原にやってきて、川沿いの道の満開の桜並木の下を二人でぶらぶらと並んで歩く。来る前はもうんなこと無理だろうと思ってたけど、案外抵抗はなかった。
「――あのさ、田中」
俺はへたくそな口笛――上機嫌な時の奴の癖を聞きながら、ぼんやり尋ねる。
「なんで、俺に言ったわけ?」
口笛が止む。そっちを見ると、田中は落ちてきた桜の花びらを手にしようとして失敗していた。こっちに顔は向かない。
「――友達、じゃん?」
声だけが届いて、俺はぷっと噴きだした。だけどやっぱり田中はこっちを向かない。急に走り出したから、待てよと言いながら追いかける。元運動部の俺はすぐ奴を追い越し、後ろから笑い声が聞こえた。俺たちは走りながら笑う。まるで青春ごっこをしているみたいに。振り返って確認した田中の顔はほんのり赤く、無邪気に輝いていた。
田中は俺の友達。文化系で、運動は苦手、勉強は俺よりできる。ゲームの趣味があって、好きなものは――男、らしい。
だけど俺はこの友達を持ててよかったと思う。