歯車に石
「澪って、本当青春してないよねぇ」
溜め息をつきながらそう言ってきたのは親友の二宮結菜だ。
明るい髪とぱっちり二重のあか抜けた、いかにも今時の子だった。
責任感の強い彼女だからか、どこか母親のような物言いにむっとする。
「どういう意味?」
「何て言うか、澪って他の男子とぱーっと遊びに行くとかさ、あまりしないでしょ?」
結菜はゆっくりとそう言った。
焦らされている様な気がしてますますむっとしてしまう。
「何が言いたいの」
「ドイツの詩人、シラーは『愛の光なき人生は無意味である。』という名言を残したわ。
つまりね、恋愛って人生で最も重要な過程なのよ。
それなのに澪ったら、全く男の影も形もないだもん!」
結菜の真面目な様子に思わずくすりと笑う。
(いきなりこんなことをいうなんて、もしかして結菜には何か出会いでもあったのかな?)
澪はじっと考え、口を開いた。
「そう言う結菜こそどうなの?彼氏とか、気になる人とかできた?」
その言葉を聞くと、結菜の顔がみるみる強張っていった。
「なんで、そう思うの?」
「ちっちっちっ!質問に質問で返すのはなしよ!さあ、どうなの?」
結菜はがっくりと肩を落とすと、小さく囁いた。
「彼は私を可愛いって言ってくれたの」
彼って誰よ、と聞きたいのを澪は我慢して続きを促す。
「彼は同じ部活の先輩なんだけど、とっても、魅力的なの。
沢山の女子が彼を狙ってるわ。もしかしたら慣れてるのかも」
「慣れてるって?」
「女の子に!とってもかっこいいから、今まで色んな人と付き合ってきたはずよ。
でも、でも、あんなに素敵な瞳で可愛いって言われたら誰でもクラッっとくるはずよ」
いまいち要領を得ない結菜にだんだん澪はイライラし始めた。
「つまり、結菜はその素敵な彼をモノにしたいのね?」
「え?」
「だから、付き合いたいんでしょ?」
付き合うという言葉に結菜は過剰に反応し、頬を真っ赤に染めた。
静かに頷く結菜に澪は優しく笑いかけ、この恋する乙女をとくと眺めた。
明るい茶色の髪は少し痛んでるが、彼女を明るく見せるアクセントになっている。ぱっちり二重の真ん丸の瞳は暗めの茶色。たっぷりと塗られたリップで光る厚めの唇はセクシーで魅力的だ。太ってると気にしてる体型だって、抱き締めると柔らかく、女性らしさを感じさせる。
「きっと上手くいくよ!だって、結菜って可愛いもん」
「女子の可愛いって信じられないけど、有り難く頂いとく」
「本当なんだけど」
むっとした表情をすると、結菜が微笑んでいた顔をすっと引き締めた。
「それで、彼を仕留めるには澪の協力が必要なの」
結菜の物騒な発言に思わず背筋を伸ばす。
「結菜のためなら出来ることはなんでもするよ。
作戦はあるの?」
「うん。来週末、お祭りがあるじゃない?そこで彼を誘いたいの。
けど、二人っきりって怪しまれるでしょ?
それに、他の子だって黙ってないはず。
だから大人数で誘うことにしようと思う。
そこで他の子を出し抜くためには協力者が必要よ」
「で、その協力者が私ってわけ」
「そうそう!どう、無理そう?」
「予定が合えば絶対に行くよ!」
結菜の顔がぱあぁと明るく輝き、ありがとうと笑った。
***
「確かに、出来ることはなんでもするとは言ったけど……、
浴衣まで着るなんて言ってないよ!!」
牡丹模様の艶やかな浴衣を着た澪は激しく叫んだ。
「まあまあ。
『立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花』って言うけど、まさしく澪のことじゃない。
その浴衣、よく似合ってるよ」
結菜の思わぬ誉め言葉に恥ずかしさで顔が赤くなった。
「調子いいんだから……」
「まあね。
ていうか、澪って呉服屋の娘でしょう?なら浴衣の一つや二つ、別にいいじゃない」
「高校生になって浴衣って、なんか照れ臭い。気合入りすぎって思われそうでなんかやだ」
結菜は柔らかく微笑んだ。
結菜はどうやらつばめ模様の浴衣を着たようだ。髪型も、卵型の顔によくあったサイドアップのふわふわとした物になっている。
「澪は髪が黒いからよく似合うね。なんかすごく清楚に見える。
私は髪が明るすぎるからちゃらっとして見えるのよねぇ」
ふぅと溜め息をつく結菜は、浴衣のせいか
色っぽく感じる。
「誤魔化すつもり?
まあ、今回は協力するって言ったから見逃すけど、次からは勝手に物事を進めずに、事前に予告してよね」
事前にというところを強めて言い切る。
結菜はただ微笑んで約束はしなかった。
「さあ、もう行きましょ。
待たせる女の子ってよくないもん」
結菜の合図に揃って待ち合わせ場所に向かう。
待ち合わせ場所に近づくにつれて騒がしくなる人々の声、屋台のおいしそうな匂い、明るく輝く提灯、祭囃子の音に澪はすっかり暑さを忘れてわくわくと胸が踊り始めた。
待ち合わせ場所に一番乗りして暫くすると、わらわらと友達が集まり、例の彼も現れた。
「あっ、陸先輩っ!」
結菜が駆け寄り挨拶をした。
その間に澪はじっくりと結菜の未来の彼氏を観察した。
(ふむふむ、確かに優しげで女受けのよさそうな顔ね)
爽やかに微笑むと覗く白い歯が、清潔さを感じさせる。
(うーん、確かにイケメンだ)
澪が見つめることに気づいたのか、例の彼がこちらを向いた。
「その子は初めて会うけど、二宮が誘いたいっていってた人?」
「あ、うん。紹介するね!中学からの同級生で清家澪って言うの。
澪、こちらは同じ部活の先輩で坂本陸先輩よ」
「はじめまして、よろしくお願いいたします」
「うん、よろしくね」
穏やかに顔合わせは済み、お祭りへと向かうことになった。
結菜は恥ずかしそうに、けれど積極的に坂本先輩に話し掛けていた。
澪はなるべく二人の話すチャンスを作るために、他の女子と会話し、他の子の邪魔をした。
「こんなに人が多いと痴漢に合いそうよね」
「ああ、確かに。やんなっちゃうな」
「大丈夫、痴漢にあったら相手の股間を蹴りあげればいいのよ」
「お、いいね!そうしたら相手だって怯むし、女子の怒りを思いしるわ!」
「きゃぁ、怖い怖い」
あまり上品とは言えない会話を繰り広げつつ、屋台を練り歩いていると、もうすぐ海上打ち上げ花火が始まる時間になった。
結菜と先輩を二人っきりにするための作戦開始しなくっちゃ!
まずは、結菜には迷子になったふりをしてもらった。
その間に私は先輩の所に行き、困った表情を作って話し掛けた。
「先輩、どうも結菜が迷子になったみたいで……。
ケータイも繋がらないんです。一緒に探してもらえませんか?」
「え、結菜が迷子?
うん、分かった!もうすぐ花火が上がるから、それまでに見つけないとな。他の子にもいっておこう」
「あ、それは私が言います。
見つけた時のために連絡先を教えて貰えますか?」
「ああ、そうだね」
こうして先輩の連絡先を受けとる。
お祭りが終わったあとに、結菜がお礼をしたいといってるから連絡先を教えたとかなんとか言って結菜に先輩の連絡先を教える。
こうすれば、いつでも二人は連絡を取り合えるのだ。
「じゃあ、お願いします!私はあっちの方を調べるので、先輩は花火が見えやすいあっちを調べてください」
「了解。じゃあ、また後で!」
先輩を上手く結菜がいる方へ誘導し、人混みに紛れるのを確認するとほくそ笑んだ。
(ふっ、ちょろいちょろい)
後は花火の直前に他の子に先輩が結菜を探しに行ったと言えば終了だ。
他の子も探しに行こうとするだろうけど、もうすぐ花火が始まるから動くと迷惑がかかるし終わった後にしようと言えば邪魔もされない。
我ながら完璧な作戦だ。
とりあえず、花火がもうすぐ始まりそうだから他の子の所へ行き、例のことを伝えた。
私は私で花火の見やすそうな所へ移動しようとしたとき、先輩から連絡がきた。
「結菜を無事見つけたよ。ケータイの電源が切れたから連絡を取れなかったんだってさ」
「よかったー!」
「うん。じゃあ、今から皆のとこに行くよ。皆今どこにいるかな」
「え、だめよ!」
「え?なんで?」
折角二人きりにしたのに、わざわざ合流させるなんてとんでもない、などとは言えずに言葉に詰まる。
(あっ、そうよ!他の子と同じ言い訳をすればいいのよ!)
「今花火が始まったのよ。動いたら邪魔になります。そこで結菜とぴったり一緒にいて、終わったら最初の待ち合わせ場所に集合しませんか?」
「なるほど。わかった、そうしよう」
(ちょろい、ちょろすぎる。大丈夫なのか、この先輩)
結菜の友達として心配になるが、まあ、その問題はまた今度にして、作戦成功に私は満足して微笑む。
電話を切り、花火の見やすそうな所へ移動しようとしたその時、いきなり腕を掴まれた。
(まさか、痴漢!?)
体が強張り、動けなくなる。
(そう言えば、痴漢にあったら蹴りあげろとかなんとか言ってたよね?
む、無理よ!怖すぎる!)
澪は恐ろしさに身を震わせつつ、必死に腕を振り、逃げようとする。
それでも、力強く握られているせいで逃げられない。
そうこうするうちに、だんだんと激しい怒りが沸き上がり始めた。
澪が平手打ちをくらわせようとした時、痴漢が早口に何かを囁いた。
「もしかして、君、狐憑き?」
(え?きつつき?)
なんのことだと痴漢の方を振り返ろうとすると、ものすごく強い力で引きずられた。
下駄をはいてきたせいで踏ん張ることができるず、ひきずられるままになる。
助けを求めようと口を開けると、痴漢がそれを遮り再び早口に囁いてきた。
「大丈夫、俺、全然怪しくないから!ちょっと君とお話ししたいだけなんだ。少し人混みから外れるけど、絶対に人が見える所でするから静かにしてて」
この痴漢野郎はバカなのだろうか?どれもこれも変質者の発言そのままじゃない!
ちょっとだけ、とか、絶対に、とかまさしくそうだ。
抵抗したい所だけど、あまりの力強さに抗えず身を任せた。
普段だったらわめき散らしている所だけど、祭の空気に当てられたのか、なんとかなると楽観的になっていた澪は、抵抗らしい抵抗もせず黙ってついていくことにした。
こうして澪は痴漢野郎と少し人混みから外れたところに来た。
(さあ、一体どんな野郎なのかしら?)
痴漢野郎が振り向き、澪と目があった瞬間、思わずひっと息を呑んだ。
提灯の赤い光に輝くこの青年が、あまりにも見目麗しかったのだ。
(ち、痴漢野郎にしては、綺麗すぎる!)
澪の中でこの目の前の人物が痴漢野郎から、素敵な異性へと変わった。
無意識に握られていない手で髪の毛を整える。
青年のアーモンド型の黒々とした瞳に見つめられ、澪は心臓が高鳴った。
天使のように無邪気な表情、丸くアーモンド型の輝く瞳、整った鼻梁、短くぐしゃぐしゃな銅色の髪の毛、しなやかな佇まい……。
人間っぽさの感じないこの青年に澪はすっかりと心を奪われていた。
「突然ごめんね。君に確認したいことがあるんだ」
澪はうっとりとこの青年を見詰め、口を開く。
「ええ、なぁに?」
甘え媚びるような声に澪は自分自身びっくりし、この青年に抱き締められたい!という激しい欲望の中で、冷たく冷静にこの青年を見定める自分がいるのを澪は感じ、戸惑った。
「君は、狐憑きなの?」
澪はきょとんとする。
「狐憑き?」
「うん。狐の霊が乗り移った人のことを狐憑きっていうんだ」
「ごめんなさい、よく分からない。
でも、たぶん狐憑きではないと思う」
軽く頭を振ってこの青年の強烈な魅力を頭から閉め出し、考える。
狐の霊が乗り移ってる、ですって?
もしかして、霊媒師、もしくはそうゆう妄想癖の人とか?
それともこの壺を持ってると霊が消えて云々っていう悪徳商法?
「私、お金もないし、壺とかそういうのは買えませんからね!」
目の前の青年がなにいってんだコイツというような顔をしたので、手を振り誤魔化した。
「うーん、でも確かになんか高位の狐の匂いがするんだけど」
「今何て言った?」
「え?」
「に、匂いがするって!
変態!」
「え、ちが、そういう意味じゃ」
「もういい!聞くことは聞けたでしょ?
帰ります」
この青年とずっと一緒にいたいと思う自分もいるが、匂いがするという変態発言をする人といたら何をされるか分からない。
素早く身を翻し去ろうとする。
「ごめん、なんかますいことしちゃったかな?
でも、確かめたいだけなんだら!だから、明日またここに来てくれないかな?」
「私、何が悪いのか考えずに謝る人ってだいっきらい!」
そう吐き捨てると、青年が傷ついた顔をしたので胸が痛んだが、変態には付き合ってられない。
下駄を履いてこなければ良かったと思いながら駆け出した。
その後結菜と合流した。
結菜が顔色が悪いと心配してきたが、大丈夫と返した。
その後あれこれ質問されたが、ぼんやりと答えることしか出来なかった。
頭の中に先程の青年が浮かぶ。
けれどすぐに他の事に気が向き、長く考えられない。
誰かに青年のことを考えないように操作されているような気分だ。
結局、誰だったのか、名前聞けば良かったとか、そればかり浮かんでどうしようもなくなって、澪はすっかり疲れてしまい、帰ってお風呂に入って歯を磨くとすぐに寝入ってしまった。