セカンドライフ
「どうしてこの世は腐っているんだ!」
不二夫は悩んでいる。不二夫は、仕事よりもプライベートを大事にしていきたい人間だ。だが、この世は不二夫が思うような世界ではない。仕事を第一に考え、プライベートは二の次になっているのが現状だ。
そんな不二夫に対し、親や周りを含めた世間は、不二夫を「残念な子」と非難した。
「心を持たないロボットどもめ! 仕事をしていれば偉いのか? 僕みたいな人間はクズなのか? いや、そうじゃない。この世の中がおかしいんだ」
そんなとき、不二夫の前に、白ひげを蓄え白く長いローブを着た、いわゆる神様のような風貌をしたおじいさんが現れた。
「なら、思いどおりの世界を作ってみればいい」
いきなり現れたことも疑問ではあるが、それよりも、おじいさんの言葉が気になった。
「この箱を用いれば、それが実現できる」
不二夫は、おじいさんから世界が詰まった箱を差し出された。この箱にはひとつの世界が存在している。そして、箱の所有者はその世界の神となって、思いどおりの世界を作ることができる。それだけならば、世に現存するシュミレーションゲームと大差ない。だが、大きなポイントは、その世界の神である不二夫も、住人として参加できるところだ。
つまり、箱のなかに思いどおりの箱庭世界を作り、その世界を身を持って体感できるという「セカンドライフ」を楽しむことができる。さらに、その世界の住人となっている間、箱の外である現実世界の時間は経過しない。心ゆくまでセカンドライフを楽しむことが可能ということだ。
「こんな物を簡単に渡していいのか? 少し都合がよすぎる気がするな」
「構わんよ。じゃが、ひとつ注意がある」
「注意?」
「もし、お主が今住んでいる現実世界と同様に、箱庭世界も『この世がおかしい』と見捨ててしまったのならば、お主の存在はどの世にもなかったことになる」
「つまり、消えるってことか」
「そういうことじゃ」
セカンドライフを放棄した時点で、不二夫の存在は消えてなくなる。普通に考えればおそろしいことだ。が、不二夫はそんな風には考えなかった。むしろ、「それほどきつい制約があった方がリアリティがある」と微笑んだくらいだ。
不二夫は、おじいさんが差し出した箱を受け取った。この瞬間、不二夫はひとつの世界の神となった。
不二夫は、その箱庭世界に思いどおりの理想を詰め込んでいく。仕事よりもプライベートを重視する世界で、「どれだけプライベートを楽しめているか」ということが重要視されるような世界となった。
「ふふふ。まさに僕が理想としている世界だ。みんな楽しそうに笑顔を浮かべているじゃないか。これだよ。仕事をして自尊心を高めても、みんなどこか苦しそうだもの」
あまりにも楽しそうなその世界に、不二夫も神様としてではなく、住人として関わってみたくなった。いよいよ、セカンドライフの始まりである。
「いやぁ、なんていい世界だ。僕は、別に働きたくないわけではなかったんだ。ただ、働きすぎてプライベートの時間を疎かにしすぎている、あの世界が嫌なだけだったんだ。この仕事量なら全然、苦にならない」
不二夫は、今までの人生ではありえなかったほど楽しそうにその世界に溶け込んでいった。毎日が楽しく、このまま一生セカンドライフを続けていたいと心から願ったほどだ。
だが、楽しいことはいつまでも続かない。それどころか、今までの楽しさを払拭するほどの問題が箱庭世界におとずれた。
「えっ、また電波が途切れたぞ!」
予兆は前々からあった。電気が途絶え、水道が途絶え、目に見えるほどの大気汚染が世に垂れ流しとなる……さまざまな問題が箱庭世界で起こり始めていた。
「どういうことだ」
不二夫は、一度住民から神様に戻り、箱庭世界の状況を確かめた。
「これは……」
不二夫が箱庭世界の状況を観察したときには、もう手遅れだった。冷静に考えれば当たり前のことだ。圧倒的に少ない仕事時間に対し、有り余るプライベートの時間。現実世界と同じ水準の世界を作っているというのに、現実世界と箱庭世界はまるで真逆の環境なのだ。現実世界ですら、状態を維持するので精一杯だというのに、不二夫の理想が詰まった箱庭世界が正常に機能していくはずがない。
不二夫の理想は、まさに理想でしかなかった。箱庭世界の人々は、一定期間は笑顔で過ごせるかもしれないが、先に待っているのは世界の破滅だ。そんな現実を突きつけられたのと同時に、不二夫は現実世界の仕組みに気付いてしまった。
「そうか。別にみんな好きで働いているわけじゃないんだ。どんな手段も使って……みんなの笑顔を奪ってでも働かないと、育ちすぎてしまった世界を維持できないんだ。でも、やっぱり僕はそんな世界はおかしいと思う。見栄を張って、自分たちの身の丈に合わない場所を作って、それについてこれない人間たちを『残念な子』と切り捨ててしまうような世界が、おかしくないはずがないじゃないか」
だが、だからといって不二夫が作った理想の世界は、もう正常に機能することはない。どれだけ時間を進めてみても、近いうちに破滅することは目に見えていた。
「どうすれば、笑顔で世界を維持できる場所を作ることができるんだろう。僕には分からない。だから、もう世界なんていらない。答えの出せない中途半端な知能しかない僕たち人間は、世界から消えてしまった方がいい」
不二夫は、箱庭世界の放棄を選んだ。セカンドライフを放棄した不二夫は、どの世からも存在が消えることとなる。
「見捨てるようじゃの」
その瞬間を心待ちにしていたかのように、満面の笑みを浮かべた神様風のおじいさんが不二夫の前に現れた。
「あぁ。どちらの世界も、幸せに暮らせそうにはないからな」
「そうじゃろそうじゃろ。しょせん、中途半端な知能しか持たぬ人間が管理しておる世界じゃ。満足のいく場所を作れるはずがない。わしら神様は、喜びを忘れ、機械のように心を無にして生きる者も、お主のように、都合にいい理想を盾にして現実から目を背けながら生きる者も、どちらもクズだと思っておるのじゃよ」
神様は、吐き捨てるようにそう言った。不二夫は、だまって神様の言葉を聞き入れる。
「そして、この箱庭世界はそんなクズどもの成れの果てじゃ。制約を破った者は魂を消され、残った体は箱に封じ込められる。お主も、今からその一員となるのじゃ」
不二夫は、神様の力で箱庭世界の駒となった。駒となった不二夫は、現実世界からも存在がなかったことにされ、完全に世界から消え去った。
「また新たな駒が増えた。本当に、人間は欲張りじゃな。現実と理想。対極する両方ともを手に入れようとするから、両方手に入らないことをどうして分からないのか……救えぬ生物じゃのぉ」