十九章 天よりの極刑
四天使の言う通り、平和惚けが過ぎたのかもしれない。私とした事が完全に油断していた。
間に合わないと悟った瞬間に脳裏を過ぎったのは、これは致命傷になるか、と言う暢気な疑問だった。先の命の恩人、魔女ルウ・マクウェルは現在シャバムにいない。かと言って天使が都合良く現れるなどと期待も出来ぬ。そもそも即死ならば治療など全くの無意味―――私は、死ぬのか?
『馬鹿を言うな。私も、癒し手の娘も、病院には医者もいる。お前は死なぬ。いや、皆が死なせぬぞ』
心の臓に住まうグリューネ殿が律儀に否定する。
そうこう思う内に、奴の黒に染まった牙が迫ってきた。あんな物が皮膚を食い破るのか、ゾッとする。庇う左腕は完全に手遅れだ。
ああ、友人と妹の叫び声が耳に入ってくる……どうか辛そうな声を上げないでくれ。私などのために、どうか。
申し訳なさで胸が張り裂けそうになり、反射的に目を閉じた。
『諦めるな!生きろ、シルク・タイナー!!』
ザシュッ!!
鋭利な物が何かを貫く音がしたが、予期していた激痛は訪れなかった。妹達が背後で息を飲む。
「ガ、ガ……ドウ、シテ……?」
断末魔の問いに、散々聞き覚えのある舌打ちが返される。鼻腔を占領する血の臭いは、駄犬の放つ新鮮な物だけではなかった。
「決まっている。飼い主の命令に従わねえ狂犬は殺処分だ」
ボウッ!瞼を開けた私の目の前で、達磨の殺人犯は鮮やかな赤に包まれた。口から吐いた血の泡が瞬時に灰となって蒸発する。心臓を貫く致命傷により、最後の断末魔を放つ間も与えられず絶命した。
ドサッ!
炭化し切った死体を忌々しげに剣から外し、ガンッ!力任せに蹴飛ばした。衝撃で首と胴体が泣き別れになる。
「ケッ!ざまあみろ。俺様を利用するなんざ千年早えんだよ」
親指を下げて決別を告げ、赤毛の天使は一振りで穢れを祓い、呆然とする私に一瞥をくれた。
「酷え様だな、ええ人形?たかが悪魔憑きに怪我か?鍛錬が足りねえな。口ほどにもねえ」
「フン。無意志の鐘などと言う、誰かさんが遊び半分で与えた厄介な玩具さえなければもっと楽にケリが着けられた」
「ケッ!最悪のタイミングで来ちまったな。後一分遅れてりゃ、向こうに転がってたのは手前の首だったのによ」
飼い犬の反乱に怒るのはいいが、八つ当たりは止めて欲しい。選りにも選ってショック冷めやらぬ同郷者の前で。
「帰れ。怪我人を病院へ運ばねばならん」シッシッ、と手を振る。
「あぁ!?」
「睨んでも無駄だ」無視して振り返り、妹達に声を掛ける。「二人を運ぼう、手を貸してくれ」
「この糞アマ、主人をガン無視するな!!」
唾を飛ばし怒鳴る。五月蝿い、戦闘で鋭敏になった神経には酷く堪える。
「駄目ですよシルクさん!」
それまで黙っていたクレオ殿が間に入り、突然奴へ頭を下げた。
「お父さん!危ない所を助けて頂き、ありがとうございました!」
「助けた?何時?誰を?」
「お姉ちゃんに決まってるじゃない!?」
後ろから妹が背伸びして耳打ちした。
「まさか。奴には闘争本能しかないんだぞ?まして私はこの通り嫌われて」
「いいからお礼言って!早く追い返さないとレティちゃんが」
「?あ、ああ。分かった」
呆気に取られたままの奴の前、クレオ殿の隣へ立つ。少女の容態は予断を許さない。ここで無駄な時間を食う訳にはいかなかった。
「済まない、助かった。礼を言う」
そう言った瞬間、赤眼が零れんばかりに見開かれた。
「お、おう……分かりゃいいんだよ。全く、察しの悪い人形を相手にすると疲れるぜ」
本当にこれで良かったのか?またつけ上がり、余計な事をしでかさないといいが。
「おい、目ぇ瞑れ」
「?」
承諾を確かめないまま再び剣を抜き、目の前の空中で振り回す。
ヒュッヒュッ!………パラパラ。
開いた瞼の上で、炎に焼かれチリチリになった前髪が切り飛ばされた。
「ケッ!まだ見れた面じゃねえな。随分伸びてるぞ」
「そうか」
最近は色々あってしばらく切っていなかった。まだ邪魔になる程ではないが、休暇の内に済ませておくとするか。
「おまけに頬が腐った林檎みてえに腫れてるしな。ハッ、いい気味だぜ!いつも俺を蔑ろにしている罰だ」
「フン」
「――ようやく到着か。今度来る時はちゃんと死んでろよ」
物騒な捨て台詞を吐き、バサッ!白い両翼を羽ばたかせ、奴は林を素早く上へ抜けた。視界から消えた次の瞬間、草叢を掻き分ける複数の足音が響く。
「大丈夫か!!?」
「クレオ!!!」
先頭で現れたトレジャーハンターの横をすり抜け、杖を持ったルザ殿が同居人に駆け寄った。煤けた人工皮膚と焼け溶けた幾本かの髪の毛を見、泣きそうな顔で抱き締める。――その二人へ、抜かれたアレク殿が鋭い目を向けたのが垣間見えた。一体どうなっている?これは紛れも無い――殺気、だ。
「僕の事より、早く向こうの二人を病院へ!殴られたオリオール君に、レティさんが手首を切って血を……!」
「!?ええ、分かったわ!」
立ち上がり、後から来たカーシュ殿や副聖王、不死省の面々に向き直る。
「アレク、カーシュ!先にオリオールを運んで!ジュリト!レティの具合を診てあげて!」
私達も焼死体の前を離れ、怪我人達の所へ。気絶した青年が養女を放さないので、神父は腕の中から容態を診察した。
「命に別状はありませんが、危険な状態です。――輸血も出来ない身のくせに。まるであなたの兄のようですね、エルシェンカ」
「それには同意するよ。にしても、まさか短期間でここまでの信頼関係を築くとは……」
副聖王は血塗れの蒼髪を撫で、よく頑張ったねおチビさん、偉い偉い、と告げた。
「ん……?あれ……エルのお兄さん……?呼んだ?」
声が聞こえたのか、意識を取り戻した彼がうっすら目を開ける。
「ああ。気分はどうだい?」
「最悪だよ。また目が見えなくなってて気持ち悪……ふらふらするし……」気絶した養女を抱き締める。「良かった、ちゃんと息してる……」
「すぐに病院へ運ばせるよ。頼むね二人共」
「はい」
義兄弟コンビが用意された担架に彼を横たえ、少女は神父が胸の前で抱え上げた。
「精密検査をしますが、恐らく数日は入院が必要でしょう」
「レティの事、宜しく頼みますジュリト様……」
一足早く林を出る五人を見送る間、妹がクレオ殿の損傷具合を確認する。
「どう?」残った死霊術師が不安げに尋ねる。
「大丈夫。これぐらいなら自己修復機能ですぐ直ります」
「心配性なんですよルザは。僕よりレティさんに付き添っていなくていいんですか?」
「今日はどうせ面会謝絶状態よ。お見舞いは明日の朝にしましょう」唇を震わせ、「入学式までに元気になれればいいけど……」
私の隣には新聞記者が訪れ、殴られた頬を癒しの魔術で治療する。
「これでOKです~。リサちゃんも手当てするね~」そう言って妹の下へ小走り。
と、焼死体の前へ移動していた副聖王が私を手招いた。
火傷しないために厚手の軍手を嵌めて死体を探り、身元を証明出来る物を探していたが、私が近付くと首を横に振った。
「間違い無いぞ。私を含め複数の目撃証人がいる。彼はLWPのボクサーだ」
「別に疑ってはいないよ。正式な火葬の前に別な証拠が無いか調べていただけさ」
「それは絶望的だな。見ての通り完全に炭化している。司法解剖すれば、或いは何か見つかるかもしれぬが」
「犯罪者相手とは言え、流石にそこまでする理由は無いよ」
死体から手を離して振り返る。
「ところでシルク・タイナー。一つ訊きたいんだが、こいつと君達姉妹、その接点に心当たりはあるかい?」
「……さあな。私は以前クレオ殿に同行してオルテカからの護送を補助したが、リサは特に無いはずだ。偶然街中ですれ違う、ぐらいはあったかもしれんが」
彼はこちら側の事情は何も知らないはずだ。適当に誤魔化すしかない。
「そうか。殺人犯は特に君を重大なターゲットと認識していたようだが、どうやら勝手な逆恨みだったらしい。療養中にも関わらずの人命救助、流石防衛団のエースだね。来月の給与は期待しててくれ」
「別に金のためではない。レティ殿の叫び声が聞こえて飛び出しただけだ」
因縁を一つ消し、少しだけ自由になれて肺腑から安堵の息を吐く。
「疲れているね。無事とは到底言えないが、事件は解決だ。今夜はゆっくり休むといい」
「ああ、そうさせてもらう」
久し振りにハルバートを振り回したお陰で腕がだるい。帰ったらよく筋肉をマッサージしておかないと。
「ところで……防衛団長から相談を受けて、一つ提案があるんだが」
「?」
副聖王は悪戯っぽく笑い、その話を持ち掛けた。




