九章 信頼と告白
「―――仮令消滅が迫っていても、エレミアでの毎日は本当に幸せだったんです。……シルクさん?」
噴水のデッサンを眺める私を、ソファの隣で昔話に興じていた機械青年が呼んだ。見上げて振り向くと、何処か不安そうな表情。
「……あ、ああ……済まない、何だ?」
先程から変だ。何故……この風景に見覚えがある?どころか座る場所の質感や、掛かる水の冷たさまで……。勿論、想像力が突然豊かになった訳ではない。私の前世はまさか……エレミアの人間、なのか?
「大丈夫ですか?顔色悪いですよ、横になって下さい」
「え、いや私は別に」
有無を言わさず寝かされ、スケッチブックを取り上げられた。
「自覚は無くても疲れているんですよ。少し休んだら家まで送ります」
「いや、平気だ」そう言って上半身を起こす。「さっきホットドックと一緒に買った梨がそろそろ冷えているはずだ。剥こう」
「僕がやります!」立ち上がりかけた所を制された。「頼みますから、シルクさんは安静にしていて下さい!」
「あ、ああ。分かった」何もそこまでムキになる事はないだろうに。
キッチンへ赴いた数分後、彼は涼やかな硝子皿に薄いクリーム色の櫛形を並べ戻って来た。何処かの粗暴者に見せてやりたい程綺麗で食欲をそそる盛り付けだ。御丁寧にもきちんと二人分のフォークまで付いている。
「どうぞ」
「ありがとう、上手だな。家ではクレオ殿が料理を?」
「家事は基本的に交代です。と言っても包丁捌きはともかく、料理自体は二人共簡単な物しか作れないんですけど」
「まあ男所帯ならそれが普通だ。女だが私も凝った物は作れん――リサの方が余程向いている」
さりげなく妹をアピールしておく。彼に惚れているあの子を、不出来な姉としては何としても応援してやらねば。
ぱくっ、しゃりしゃり。「うむ、矢張り梨は冷たくなくてはな」
「この宇宙には本当に色々な食べ物があって飽きません」しゃりっ、もぐもぐ……。「エレミアでは神様の創ってくれた配給だけでしたから。果物だと林檎と苺、ぐらいしか」
惜しむように垂れた果汁の付いた指を舐める。
「料理が出来なくても何の問題も無いですよ。シャバムだけでも飲食店は沢山あります」
「しかし毎回外で食べる訳にもいかないだろう。味付けが濃いし、油も多い。程々にせねば資本の身体が保たん」
「シルクさんは何時でも仕事の事を考えているんですね。――それもお父さんの影響ですか?」
「まあ、そんな所だ」
今でこそただの呑んだくれだが、私を義体に入れ、あれこれ訓練を積ませていた頃は大分違った。修練に不必要な物は思想も含め厳しく禁じ、虚だった私を良い意味で改革した。お陰ですっかり女らしくない合理的性格になってしまったが。
「ところでレティ嬢とオリオール殿は?」
「不死省です。オリオール君が検査の日で、彼女も付き添いとして一緒に」
「ああ、成程」
“黒の燐光”の埋まっていない通常の不死族は、殆ど六種と同じ生活を営める。但し矢張り日々僅かずつは消耗してしまうので、二、三ヶ月に一度の検査と輸血、不足分の栄養点滴を受ける義務が課せられていた。
「あら、デート中?」
「「!!!?」」
突然ソファの後ろから現れた腕の無い預言者、エリヤ殿は平然と、七十七羽にも一つ貰えるかしら?と頼む。
(どう言う事だ?気配もドアを開く音もしなかったぞ?)
鍛えられた殺人マシーンの感覚で察知出来ないなど、まず有り得ない。
「何時からいたんですかエリヤさん!?不法侵入ですよ!そ、それに僕はシルクさんを休ませていただけで、別にデートでも何でも……」
中腰になったクレオ殿が慌てて注意する。対し、預言者は不審げだ。
「ふーん……」
「はい、これでいいですか?」顔の前にフォークで一切れ差し出し、可憐な唇が飲み込むのを確認。「気が済んだら帰って下さい。大体今日は平日ですよ。またお客さんを追い返したんですか?」
「今は昼休み。預言には酷く力を使うもの。休憩も必要よ」
言いつつさり気無くクレオ殿の隣、私と反対側に腰を下ろす。
「また面白い預言をしたのだけど、聞きたい?」
「その手は通用しませんよ。今頃お兄さんが捜し回っているんじゃないですか?早く戻った方が」
「まぁ!今日は何て薄情なの?そんなに逢引を邪魔されたのが悔しい?七十七羽と言う者がありながら」
「誤解を招く言い方は止めて下さい!!それも選りに選ってシルクさんの前で!」
彼は常ならぬ強引さで彼女を立ち上がらせ、背中を押して無理矢理玄関へ歩かせようとする。だが少女はニヤニヤ笑うばかりで、さして嫌そうでもない。
「無意志の鐘を鳴り響かせ、黒き罪を生ず裏切りの徒は、天より極刑を下された」
「!!?」
無意志の鐘、だと?馬鹿な……四天使め、面白がってあんな危険物を駄犬に与えたのか!だがそれで合点は行く。後は、極刑とは一体……誰の?
「何ですか、裏切りの徒って……?気味の悪い事を言わないで下さい」
預言を聞き、機械青年は困惑しつつも憤慨を示す。
「今度は彼女の事じゃないわ」私を見ながらクスクス。「安心した?」
「当たり前です!!誰ですか!?僕の知り合いにそんな人……」
すると少女は大袈裟に肩を竦め、嫌でもすぐに分かるわ、ねえ防衛団員さん?わざとらしく話を振った。
「………」
「シルクさん、まともに聞いては駄目です。エリヤさんはいつも人を煙に巻くような事ばかり言うんです。すぐに追い出し」
バタンッ!!「エリヤ!やっぱりここか!!」
異常に細目の男性が玄関から入って来、有無を言わさず少女の身体を掴む。
「あら、意外と早かったわねお兄様。猫は見つかった?」
「まだだ。お前、妙な預言をしなかっただろうな?」
「まさか。どうして七十七羽が愛くるしい小動物を?」
どうやら彼の飼い猫が行方不明らしい。珍しい話ではない。防衛団でも、時折住民の要請で路地裏を探し回る事がある。とは言え、大抵は余所のお宅でちゃっかり餌を貰って無事なのだが。
「手術したばかりで夜鳴きが酷かったからとか」
「なら五匹共いなくならないとおかしいわ。一匹だけ消しても意味が無い」
妹の反論に兄は頷いた。
「まあ、一理あるな。取り敢えず捜索願は出してきたし、腹が減ればその内ひょっこり帰ってくるだろう。それより今はお前の仕事だ!」
「分かっているわ、そう引っ張らないで。――じゃあね、お二人さん」
バタン。
「気にしないで下さい。そうだ、紅茶でも淹れますね」
純朴な澄んだ瞳。疑う事を知らぬ眼差しに、良心が激しく痛む。
(この信頼、私には重過ぎる……)
とてもこれ以上の沈黙には耐えられなかった。
「クレオ殿」
席を立ってリビングを離れかけた彼を呼び留める。
「?コーヒーの方がいいですか?」
「いや、違う。――この間、家で私の本職について話したな。実は――一つだけ隠していた事がある。クレオ殿にとってとても重要な情報だ。聞けば恐らく……私を殴り倒したくなるだろう」
「!!?」
「聞くか止めるか、選択は任せる。ただ、急用が出来た。私の分の茶は用意しなくていい」
どちらにしても為すべき事は変わらない。早急に駄犬から『無意志の鐘』を奪い返し、破壊する。あんな物騒な玩具、治安を守る政府防衛団の一員として見過ごす訳にはいかぬ。
「やっと」
「?」
「やっと本当のシルクさんと話せたと思ったのに、またそうやって自分から離れようとするんですね……。確かに僕達はあなたと暮らしていた世界も違うし、厳しい訓練を積んでもいません。弱いから、支え合って辛うじて立っています。――でも、だからって過小評価しないで下さい!」
彼は拳をきつく握り締め、目に涙を溜めて訴える。
「そんなに頼りないですか僕等は!?そんなに……シルクさんを信じていないように見えているんですか!!?」
ボロボロッ。
「――違うんだ。済まない、言葉が悪かった。私はただ、酷いショックを受けるだろうと思って……」
ここまで本心からうろたえたのは、まだ赤子だったリサが大泣きした時以来だ。
「『殴り倒したくなる』の一言の方がよっぽどショックです!!もう何を言われたって……平気に決まってます」
本来敵の私に、何故この青年や妹はこうも好意的なのだ?分からない。理解を超えている。戸惑い、どうしたらいいか困ってしまう。
「とにかく涙を拭いてくれ。泣かれていては話がし辛い」
「済みません……」
ごしごし。袖で拭う。目が若干赤かった。機械なのに芸が細かい。
「では言おう。――クレオ殿を信頼して、な」
胸が痛む。本当に……大丈夫なのか?態度を豹変させる可能性は、
『あ奴を信じてやれ、タイナー。お前は心身共に強いが、他人を受け入れる事にまだ慣れていないらしい』
心臓の光鳥がそう囁く。……かもな。最も親しい妹にさえ未だ負い目と遠慮を持ち合わせているぐらいだ。
「大丈夫ですよ、シルクさん」
不安そうな顔で精一杯胸を張る姿に、背中を押された。
「分かった……私は以前から知っていたのだ――LWP連続殺人犯の正体を」
蒼い目が見開かれた次の瞬間、外界から甲高い悲鳴が聞こえてきた。




